第122話:『しあわせの、手のひらと口のなか』
雨音が、ぽつ、ぽつと軒先を叩く。
深夜2時過ぎの店内。
カウンターには、若いサラリーマンがひとり。
濡れたスーツ、疲れた目。
それでも空腹には勝てず、ふらりと暖簾をくぐってきたようだ。
しのぶは、厨房で玉子を割る。
白と黄が混ざり、やわらかな音が響く。
そこへ、マサの低い声がぽつり。
> 「……しのぶ。
今日は、お前が作るのか?」
「うん。
今日は、“私の手”で、温めたい気分なの」
マサは、それに何も返さず、
ただ煙草に火をつけ、しずかに煙をくゆらせた。
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玉子焼き、味噌汁、白ごはん
しのぶが運んできたのは、静かな家庭の味だった。
出汁の香りが漂う甘い玉子焼き
じゃがいもと玉ねぎの味噌汁
そして、ふっくら炊きたての白ごはん
男は箸を取り、玉子焼きをひと口。
「……あったかい……」
思わず、ぽつりと漏れた言葉に、しのぶがほほえむ。
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「料理を作る幸せ」
「料理を作るってね、
“誰かの中に、自分の気持ちを運ぶ”ってことなのよ」
「形がなくても、言葉がなくても、
“作る”ことで伝わる気持ちがある。
“食べてもらえる”って、幸せなのよ」
マサが静かに続ける。
> 「……作る側の手が、少し濡れててさ。
少し火照ってて。
そういう手で握った飯ってのは、
冷めても、あったかぇんだよな」
しのぶは、黙って味噌汁の椀を男に差し出す。
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「食べる幸せ」
男が、汁をすする。
目が少し潤んでいる。
「……こんなに“食べた”って感じ、久しぶりです」
しのぶは、ふふっと笑った。
「泣いていいのよ。
“食べて泣ける”って、それだけで今日をちゃんと生きてる証」
> 「――“誰かのために”作る、
“誰かが作ったもの”を、ちゃんと食べる。
……それだけで、人間は生きていけるんだよ」
マサの言葉は、
深夜の厨房に静かに染み渡った。
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今夜のしのぶ定食
甘いだし巻き玉子
卵…4個
出汁…50ml
砂糖…大さじ1強
醤油…ひとたらし
油…少量
→ 卵をよく混ぜて、出汁と砂糖をなじませる。
巻きながら優しく、ふっくら仕上げる。
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味噌汁(じゃがいもと玉ねぎ)
出汁…400ml
味噌…大さじ1.5
じゃがいも…薄切り
玉ねぎ…スライス
→ 具材がやわらかくなるまで煮る。
火を止めてから味噌を入れ、一呼吸置く。
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土鍋ごはん
米2合、水は通常の1割増し
中火10分 → 弱火10分 → 蒸らし10分
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マサとしのぶ、それぞれの“しあわせ論”
しのぶ
> 「料理を作る幸せって、
“自分の手で、誰かを満たせる”ってこと」
マサ
> 「食うってのは、
“誰かの想い”を体に入れるってことだ。
……それだけで、立ち直れたりする」




