第114話:『焼き鯖と、一夜干しの思い出』
「……マサさん、今日の焼き魚、鯖にしない?」
その夜、しのぶは珍しく自分からリクエストした。
「焼き鯖か。いいな」
マサが頷きながら、仕込みの箱を開ける。
そこには、艶やかな脂ののった鯖の一夜干しが並んでいた。
「昔ね、父がよく焼いてくれたの。
一夜干しにして、自分で炭起こして、七輪で丁寧に焼いて……
焼きすぎると怒られるのよ。“鯖は焦げたらダメだ”って」
マサは、しのぶの声の調子から、今日は“父”の話だと悟った。
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父と、七輪と焼き鯖
「父は無口だったけど、焼き魚を焼いてるときだけ、なんか楽しそうでね」
「台所じゃなくて、庭で焼くのよ。
七輪持って、新聞紙くしゃくしゃにして、うちわでパタパタ。
……正直、煙たくてたまんなかったけど」
しのぶは、笑いながら続ける。
「でも、あの匂いがね……
今でも風に乗ってくると、“あ、父の魚だ”って思うの」
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マサは魚焼きグリルではなく、鉄網を出してきた。
「せっかくだから、ちゃんと焼くか。焦がさないようにな」
鯖の皮がパリッと焼ける音。
脂がジュッと落ち、煙が立ち上る。
その香りだけで、ご飯が何杯もいけそうだ。
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常連の若いサラリーマンが店にふらりと入り、
その香りに思わず顔をほころばせた。
「うわ、これ……焼き鯖ですか?めちゃくちゃうまそう……」
「ええ、今夜は特別。思い出の味なの」
しのぶが答える。
「へぇ……うちの親父も、たまに七輪出してました。
自分で釣ってきた魚を干して……やっぱ、そういう時だけ笑うんですよね」
しのぶが目を細めてうなずく。
「なんでかしらね。魚焼くと、人は昔を思い出すのよ。
きっと“干したもの”って、時間を閉じ込めてるから」
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焼きたての鯖が皿に乗る。
皮はパリッと、身はふっくら、脂がじんわりとしみ出す。
ご飯と味噌汁と香の物。
まるで“家の夕飯”を再現したような、静かな定食。
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《本日のレシピ》焼き鯖の一夜干し(2人分)
材料
鯖(半身または一尾)…2枚
塩…適量(全体にまんべんなく)
水…500ml
酒…大さじ2
※市販の一夜干しでも可
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作り方(干物から作る場合)
1. 鯖を三枚におろし、血合いや骨を丁寧に取る。
2. 水と酒を合わせた塩水に30分漬ける(塩分濃度3%ほど)。
3. 水気を拭き取り、風通しのよい日陰で一晩干す(冬ならベランダでもOK)。
4. 焼くときは中火でじっくり。皮から焼いて、焦がさずに。
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しのぶの一言アドバイス
> 「魚を干すって、時間と向き合うことなのよ。
手間をかけて、待って、焼くときは一瞬で。
人も同じ。じっくり干されて、ある日ふっと、香ばしくなるのよね。




