第110話:『海鮮丼と、時を旅するふたり』
“未来”からの来訪者――時の旅人と、しのぶ・マサの店が交差する、
『深夜食堂しのぶ。』特別編・時の旅人篇をお届けします。
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『海鮮丼と、時を旅するふたり』
ガラ……。
戸が開いた瞬間、店内の空気がほんの一瞬だけ凍ったような気がした。
「いらっしゃい」
マサが手を止めずに声をかける。
立っていたのは――妙に整った顔立ちの男女。
服装もどこか不思議で、時代の“匂い”が感じられない。
しのぶが奥から現れ、目を丸くした。
「……まぁ、また来たのね、時の旅人さんたち」
「久しぶりだな」
男が笑い、女も静かに会釈した。
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彼らは「未来から来た」と言う。
信じるも信じないも、それはこの店ではどうでもよかった。
「注文は?」
「……海鮮丼、お願いできますか?」
男が言った。
「記憶には残ってるんです。“本物”を、もう一度、口で感じたいんです」
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マサは黙って、厨房に立った。
冷蔵庫から取り出すのは、
・中トロ
・サーモン
・帆立
・イカ
・イクラ
・甘海老
そして――温かく、甘酢の効いた酢飯。
包丁が走り、ネタが丁寧に並べられていく。
海の恵みが、ひとつの器の中に咲く。
しのぶは、その様子を見ながら、ふと二人に問う。
「未来の食事って……ほんとに“サプリ”なの?」
「はい」
彼女が答える。
「栄養と記憶だけで、すべて済みます。味も、食感も、記憶から呼び出すだけ」
「それって、味気ないじゃない」
「でも、飢えも病気も、もう無いんです」
男が静かに続けた。
「ただ……心が“空腹”になることはあります。あの時代には、それを満たす手段がない」
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マサが海鮮丼を出す。
彩り豊かで、まるで夜の海に浮かぶ宝石のよう。
ふたりは、箸を持つことさえ、どこかぎこちない。
それでも、そっと中トロを口に運ぶ――
「……温かい」
彼女の瞳が震える。
「これは、ただの魚じゃない……」
「そうだな」
男も口元をほころばせる。
「時間の味がする。
潮の香りも、包丁の音も、誰かの想いも全部、この一杯にある」
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しのぶは笑った。
「食べるって、ただ腹を満たすことじゃないのよ。
“今”を噛みしめることでもあるの。ねぇ、マサさん」
「……料理は、保存できねぇもんだ」
マサがぽつり。
「だから、今ここにいる人のためにしか作れねぇ。
……それで、十分だろ」
ふたりの“時の旅人”は、静かに頷いた。
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食べ終えたあと、彼女が懐から何かを取り出した。
「これは、私たちの時代の“記憶保存結晶”です」
「この食事と、この夜の記憶を、私たちの時代に届けます。
きっと、誰かがまた“食べたい”と願うでしょう」
「……それがまた、“未来の誰か”の空腹を救うかもしれないわね」
しのぶの言葉に、未来からの客たちは深く頭を下げた。
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《本日のレシピ》海鮮丼(2人分)
材料
酢飯:
ご飯…2合分/酢…大さじ4/砂糖…大さじ2/塩…小さじ1
ネタ:
中トロ、サーモン、イカ、帆立、イクラ、甘海老…各適量
トッピング:
刻み海苔、大葉、わさび、白ごま
作り方
1. 酢飯を作って冷まし、丼によそう。
2. 刺身を綺麗に切り分け、彩りを意識して並べる。
3. 仕上げに海苔・大葉・白ごま・わさびを添えて完成。
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しのぶの一言アドバイス
> 「“今”にしか味わえないもの、それが本物のごちそうよ。
想い出だけじゃ、腹は満たせないでしょ?」




