第108夜:『焼きししゃもと、亡き父の話』
カラン――
鈴の音とともに、戸が開いた。
入ってきたのは、くたびれた背広姿の男。
初老といっていい年齢、だが顔つきはどこか子どもっぽい。
「……焼き魚、あるかい」
マサが目を向けると、
男はカウンターの端に腰を下ろし、ネクタイを緩めた。
「今日は……焼きししゃもだな」
マサが静かに言うと、男はふっと目を伏せて笑った。
「……あいつが好きだったんだ。うちのオヤジがさ」
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炭火のような小さな焼き台が、カウンター奥でチリチリと音を立てる。
細くて、地味だけど香ばしい匂いが、じわじわと立ちのぼっていく。
「俺さ、ずっとあの人を越えたかったんだよ。
親父は漁師だった。俺は陸に逃げた」
「逃げた?」
「うん、大学に行って、背広着て……けど、今じゃ係長止まりさ」
男は乾いた笑いをこぼす。
マサは無言で、絶妙な焼き加減のししゃもを皿に乗せ、
大根おろしと醤油を添えた。
「……骨まで柔らかく焼いてくれるんだな。うちの親父も、そうしてくれた」
カウンターの端。
しのぶが、少しだけ手を止めて男の背を見た。
「親って、勝手よね。
子供には何も言わず、でも背中でたくさん語ってる」
男は目を細め、ししゃもを一匹、箸でつまむ。
パリッ。
その音が、まるでどこかの港の朝の空気のようだった。
「……今なら、少しわかるんだ。
あの人の好きだった魚の意味も、沈黙の意味も。
親父のこと、もっと聞いておけばよかったな」
店内に、静かに夜が沁みる。
一匹、また一匹と焼きししゃもが消えていく頃、
男はふっと立ち上がり、背を伸ばした。
「……また、来るよ。今度は親父の昔話でも聞いてくれるかい」
「焼きししゃもがある時にな」
マサの言葉に、男は静かに笑った。
ガラッ。
戸が閉まると、しのぶがぽつり。
「親を想って魚を食べるなんて、ちょっとズルいわね。
泣けるじゃないの……こんな夜中に」
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《本日のレシピ》焼きししゃも(2人分)
材料
生ししゃも(または子持ちししゃも)…4〜6匹
塩…適量
大根おろし…適量
醤油…少々
レモン(お好みで)…少々
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作り方
1. ししゃもを洗って水気をふき取る。
※内臓を取らずにそのまま焼くことで旨味を残す。
2. 軽く塩をふり、5分ほど置く。
3. 魚焼きグリル(またはフライパン・トースター)で焼く。
両面を3〜4分ずつ、焦げ目がつくまでこんがり。
4. 皿に盛り、大根おろしと醤油、レモンを添えて完成。
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しのぶの一言アドバイス
> 「ししゃもは、火を強くしすぎないこと。
中火でじっくり――それが、懐かしい味になるのよ。
子持ちを選ぶなら、しっぽのほうから食べるのが粋って話もあるわ」




