第107話『冷やしトマト、恋の味』
夜の帳が、静かに街を包み込む頃――
看板も灯りも少ない路地の奥に、その店は今日もひっそりと開いている。
「深夜食堂」
表にはそう書かれているが、常連たちは皆、親しみを込めてこう呼ぶ。
**「しのぶ」**と。
ガラッ――
木製の引き戸が静かに開く。
「やってる……かしら?」
現れたのは、着崩したOLスーツにハイヒール。
どこか疲れた様子の女性が、蒸し暑い夜風を背負って立っていた。
カウンターの中で包丁を研いでいたマサが、ちらりと目をやる。
「……冷たいのが、いいだろ?」
女は黙って頷いた。
やがて出されたのは、まるで宝石のような、冷やしトマト。
氷水に浸した丸ごとのトマトに、ほんのり塩とオリーブオイル。
何の飾り気もない、でも沁みる味。
「……彼に振られたのよ」
ぽつりと女が呟く。
マサは聞いているような、聞いていないような顔で、包丁を拭いた。
「冷やしトマトって……変ね。
冷たいのに、涙が出る味がする」
しのぶの空気は、変わらない。
だれかが泣きに来ても、笑いに来ても、黙って食べに来ても、
マサは変わらず、腹を満たすものを出すだけ。
時計の針が、ゆっくり午前2時を回った頃。
女は少しだけ笑って、
残った汁をスプーンですくいながら言った。
「ありがとう。あったかくなったわ……変ね、冷やしトマトなのに」
ガラッ。
扉の音が、夜の湿気に吸い込まれていった。
承知しました、赤虎さん!
ではオカミサン・しのぶさんも登場させて、
物語の余韻とともに――
「冷やしトマト」のレシピと料理アドバイスも添えます。
女が帰ったあと、店内は一瞬の静寂に包まれる。
ふいに、暖簾の奥から現れたのは、
薄紅色の着物と割烹着姿――年齢不詳の艶やかな女性。
「マサさん、あの子……あんたが冷やしトマト出したってことは、失恋ね?」
「まぁな」
マサは片付けをしながらぼそりと返す。
しのぶは、空になった小皿を手に取り、そっと撫でる。
「冷たい味でも、心の芯まで染みる料理ってあるのよね」
「……わかるのか?」
しのぶはにこりと笑った。
「私だって昔、トマトに助けられたことがあるのよ。
……何個も泣きながら、むいて食べたわ」
マサは黙って、冷蔵庫の奥から新しいトマトを取り出した。
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《本日のレシピ》冷やしトマト(2人分)
材料
完熟トマト(中サイズ)…2個
塩…少々
オリーブオイル…小さじ1〜2(お好みで)
氷水…たっぷり
バジルの葉…少々
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作り方
1. トマトの皮を湯むきする。
お湯を沸かし、トマトのお尻に十字の切れ込みを入れて10秒ほどくぐらせる。
すぐに冷水に取り、皮を優しくむく。
2. 氷水でしっかり冷やす。
ボウルに氷水を張り、湯むきしたトマトを10分以上冷やす。
時間があるなら冷蔵庫で1時間以上寝かせるとベター。
3. 仕上げる。
お皿に丸ごとのトマトを盛り、上からほんの少し塩をふる。
お好みでオリーブオイルを垂らし、バジルの葉を添えて完成。
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しのぶの一言アドバイス
> 「トマトは“泣きたい夜”の処方箋。
甘くて酸っぱいのがちょうどいいのよ。
皮むきが面倒ならね、手間かける価値、あるわよ――失恋にも、料理にもね」




