第104話:マサさん、特製 冷やし中華
八月最後の夜。
カラン、と鈴の音。店の扉が少しだけ重たく開く。
「やってますかー……」
「やってるよ」
「……こんばんは、しのぶさん」
そう言って入ってきたのは、OL姿の若い女性・上原 彩。
気だるげな歩き方で、いつものカウンターに座ると、しのぶがタオルで手を拭きながら笑った。
「彩ちゃん、今夜は遅いのね」
「なんか、夏の終わりって感じで……冷たいの、ありますか?」
「マサ、あれ出してあげな。冷やし」
「わかってるよ」
マサは黙って厨房へ入る。
彩の目の前に置かれたおしぼりを、しのぶがそっと手渡す。
「なんか、疲れてる顔してるわね」
「……バレました?」
「顔ってね、出るのよ。心の温度が」
彩は少し苦笑して、缶チューハイのプルタブを開けた。
――厨房では、マサが中華麺を湯に落としていた。
すぐに氷水で締める。
そこからは、静かな手つきで具材の準備。
ハム、錦糸卵、キュウリ、蒸し鶏、トマト、青じそ。
しのぶはその間、客に気を遣いすぎず、そっと寄り添う。
黙って水を注いだり、彩の疲れた目に目線をやったり。
やがて――
「おまたせ」
マサが皿を出す。
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マサ特製・冷やし中華
冷えた中華麺の上に、彩りよく並んだ具材たち。
その中央に、しっとり蒸し鶏と青じそ。
黄金色の甘酢ダレは別添え。
練りからしは添えず、かわりに添えられたのは、しのぶ特製の柚子こしょう少々。
「……うわ、キレイ」
彩は顔を明るくして、箸を取る。
タレをかけ、一口食べて――口を押えて、思わず笑う。
「……これ、家で絶対できないやつだ」
「できるって」
「無理ですって。味が優しいのに、ちゃんと芯がある……しのぶさんの柚子こしょうも最高」
しのぶは笑って、小さく目を細める。
「元気出る味でしょ?」
「はい、出ます……すごく」
少し間があいて、彩がぽつり。
「……今日、振られました」
厨房のマサは、何も言わず、蒸し鶏の端を切って片付けを始めた。
しのぶは少しだけ体を前に倒して、静かに言った。
「恋も、仕事も、疲れるときは重なるわ。
でも、そういうときに“冷たいけどあたたかい”ものを食べられたら、明日はちょっと平気になるのよ」
彩は小さくうなずいた。
箸をもう一度持ち、ひと口、またひと口。
店の中に流れるのは、静かな夏の夜と、食べる音だけ。
外では、ほんの少しだけ風が涼しくなり始めていた。
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レシピ(おさらい)
マサ特製 冷やし中華
中華麺:1玉(キリッと氷水で締める)
錦糸卵/ハム/キュウリ/トマト/蒸し鶏/青じそ
タレ(醤油・酢・砂糖・ごま油・柚子果汁)
しのぶの柚子こしょう(少量)を添えて
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マサとしのぶの一言:
マサ「タレは寝かせろ。人もタレも、時間で丸くなる」
しのぶ「冷たい料理にも、あったかい心を添えてね」




