第10話「ほっけの塩焼きとホッケのフライ」
「いらっしゃい――」
のれんをくぐると、出汁の匂いと、微かに焼き魚の香ばしい香りが鼻をくすぐった。
午後十一時過ぎ、都内の片隅にある【深夜食堂しのぶ】は、今夜も静かに灯を灯していた。
カウンターの奥には、無口だが優しい笑みを浮かべる板前・マサさん。
そして、柔らかな物腰の“おかみさん”こと忍さんが、客を迎えてくれる。
「ご注文は?」
「……ほっけの塩焼き、いけますか?」
会社帰りのスーツ姿の女性客が、ひと息つきながらそう告げた。
年の頃は三十代半ば、黒髪を一つにまとめ、少し疲れたような表情をしていた。
マサさんが頷き、冷蔵ケースから肉厚の縞ほっけを取り出す。
網に乗せて、じわりと火にかけると、すぐに脂がじゅうじゅうと音を立てた。
カウンターの中で、忍さんがそっと話しかける。
「お仕事、お疲れ様。今日は大変だったの?」
女性は、小さく頷いた。
「営業がうまくいかなくて……でも、帰るより、なんか……魚が食べたくなって」
程なくして、香ばしく焼き上がった塩ほっけが、湯気と共にカウンターに置かれる。
「どうぞ、熱いうちに」
箸を入れると、白くほぐれた身がふんわりとほどける。
口に運べば、しっかりとした塩味と、脂の甘さが広がった。
「あぁ……なんか、こういうの、沁みる……」
一口ごとに、顔から力が抜けていくようだった。
その時、マサさんが一歩前に出た。
「よければ……これも、食べてみますか」
そう言って差し出したのは、黄金色のフライ。
「ホッケの……フライ?」
忍さんが笑って補足する。
「ホッケって焼くだけじゃないんです。揚げても美味しいんですよ。衣の中でふっくらして」
女性は恐る恐る、箸でひと切れを口に運んだ。
「……!? これ、なんだか……すごい!」
表面はサクッと軽く、中はしっとりとした白身。
ソースとレモンがほんのりアクセントを加えてくれる。
「昔、実家で母が揚げてくれた魚を、ちょっと思い出しました」
マサさんは笑みを浮かべながら、次の客の注文へと手を動かす。
忍さんがそっと言った。
「料理って、記憶とつながってるのかもね。……疲れた心を、ちょっとだけほどいてくれる」
女性はうなずき、残ったフライにもう一度、箸をのばした。
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今夜のレシピ:ホッケのフライ
【材料】(2人前)
ホッケの切り身:2枚(塩味が強い場合は水で軽く洗う)
塩・胡椒:適量
小麦粉:適量
卵:1個
パン粉:適量
揚げ油:適量
レモン・中濃ソース:お好みで
【作り方】
1. ホッケに軽く塩胡椒を振る。
2. 小麦粉→卵→パン粉の順で衣をつける。
3. 170〜180℃の油できつね色になるまで揚げる(約3〜4分)。
4. 油を切り、お好みでレモンやソースをかけて召し上がれ。
【ひとことアドバイス】
塩味が強めの干物を使う場合は、水に10分ほど浸してから調理するとマイルドに。
フライにするときは、中骨をあらかじめ抜いておくと食べやすいです。




