第1話「地に馳せる魚の如く」
すみません……すみません……すみません…………
オレは何度、この言葉を吐いたんだろう。
オレは大学を卒業し、食料品、衣料品、雑貨などの入った総合施設を取り扱う会社に就職した。
社会人になって、仕事を少しミスった時、ミスらなくても責任を押しつけられた時、ユーザーのイライラや面白半分の嫌がらせ、上司、先輩、同僚からのイライラや面白半分の嫌がらせ……etc.etc.
その度に「すみません」と謝ってきた。
謝りすぎて、最近では口だけ動いて、音が自分とは別に流れているように思える。
ス・ミ・マ・セ・ン
最初は、自分はもう社会人になったんだ、子どもじゃない、何とかまわりと上手くやっていかないと、と思って「すみません」と謝って、何事も乗り越えていこうとした。
それこそ、自分を抑えて、社会に馴染んでいくことだと思っていた。
謝って済むことならば、何も失うものも無いだろう。
……でも……違ったんだ。
オレは、どんどんすり減っていった。
もう自分が本当は何になりたかったのか、何を感じているかも、わからない。
人間らしささえ、失ったような気がする。
★ーーー★ーーー★
彼は仁津木 伽羅。
24歳の青年で、髪は銀髪、瞳は左がバイオレット、右がグリーンのオッドアイである。
特異に思われるかもしれないが、最近の社会では多様な見た目の人間が産まれてくる。
22XX年。精子も卵子も優秀と思われるものは、自由に売買できる時代だ。
その結果、国境を越えて貿易がさかんに行われ、よって、多種多様な見た目の人間がたくさん産まれた。
今や、見た目だけでは国籍は判断がつかない。
かといって国境はなくなるどころか、さらに国どうしのパワー闘争は激しく、一触即発の状態は万年化して続いている。
★ーー★ーー★
いつもの朝が来る。
伽羅は、朝日が顔を照らしているのを感じて、しぶしぶ起き上がる。
「チェッ。もう朝か……」
うんざりしながら起き上がり、しぶしぶ会社へ出かける。
(いっそ、いきなり心臓発作でも起こして、このまま死なないかな……)
そんなことさえ、思うようになっていった。
★ーーー★ーーー★
会社へ着く。
「おはようござ……」
挨拶する間もなく、先輩女性・藤木直美が声をかけてきた。
「仁津木く~ん。ねえ、来週の販売計画、立てといてね。売り込み商品とかも、本部からの情報も確認しといてね。全デプトお願い!」
「は? それ、藤木さんの仕事ですよね。来週のって……もう金曜ですよ。計画立てて、発注、ギリギリじゃないですか」
「だから頼んでるのぉ。部長も、私忙しいから、仁津木くんに手伝ってもらえって、言ってるんだから。文句あるなら、部長にたてついてみなさいよ!」
勝ちほこったようなバカにした顔だ。
伽羅は黙った。
そして、いつもの口癖「すみません」
部長に気に入られている藤木の勝ちだ。
オレは怒られて終わるだろう……。
伽羅はデスクに向かった。
仕事は山積みだ。
売り上げ伝票の整理、経費の精算、管理、経費人件費の削減計画、各デプト管理、新商品開発のための計画準備、そして、今入った来週の計画、発注……etc.etc.
現代社会では、科学、化学、進んだものもあるが、人間本来の能力の保護のため、自然復帰思想などもあり、仕事は百年も前と変わらぬやり方のものも多い。それゆえ、仕事量は減っていない。
人間の仕事もなくさないためとか……
(オレ……今日……帰れるかな?)
でも、タイムカードは17:00には切らなければならない。残業は禁止だ。
人件費削減担当だし……。
かといって、仕事が終わらなければ帰れない。
会社公認のサービス残業だ。
伽羅が好きこのんでやっていることだ。
または、伽羅の実力不足……
会社は迷惑がかからないように、目をつぶってやるだけだ。
仕事に取りかかってすぐ、課長が来た。
「仁津木くん……衣料部門、行ってきてくれ。売り上げ、下がってきてるからな。何が問題で引っかかっているか、見てきてくれよ。本部肝いりのトレーナーは売れてるってことで、他の物で何とか売り上げ合わせてさー。問題、早期解決で頼むっ」
「えっ? 今日、行ってる時間ないんです。すみませんが、他の人、行けませんか?」
「それがサ~、みんな忙しくってね。出張行っちゃってる人も多くてサ。君しかいないんだからね。頼むね。今日中ね。君も大人なんだからさ、事情わかるよね」
……大人……オレのキラーワードだ。
つい言ってしまった。
「すみません。わかりました」
「クソ!」
伽羅はパソコンを消した。
デスク自体にパソコンは投影できるようになっているが、伽羅のデスクは伽羅以外には開けられないようになっている。
総務課に所属しているが、総務とは名ばかりで、まるで何でも屋のようにすべての問題はここに流れてくる。
伽羅は2年目だが、わりと早く仕事にも慣れたし、上とのパイプもなく、守ってくれる上司もいないので、面倒なことはすべて回ってきた。
伽羅が何とか本部肝いりのトレーナーの売り上げ不発を隠し、パーカーのせいにして、売り上げ好調のパンツをもっと表面に出して、売り上げプラスの道筋を立てて帰ってくると、部長が声をかけてきた。
「オイ! 仁津木! ゴルフ用品、売り上げ落ちまくりだろ! 何とかしろ! 何とか! 会長のひと声でゴルフ用品を置いてるんだ。大切だろ! 今度、会長がおみえになるんだ。それまでに売り上げ上げとけ、バカが! 怠慢なんだ! お前は! ボーッとしやがって! 会社はお前みたいなの養ってたら潰れるわ! 来週までに計画立てて、報告書出せよ。何でオレがここまで指示しなきゃわからないんだ! 今日2時からミーティングだ。遅れるなよ」
「ハイ! すみません」
伽羅は返事をしながら、頭がおかしくなりそうだと思った。
こんな感じで毎日が過ぎていくが、これだけではない。上司も先輩も責任は皆、伽羅に押しつけた。
客のクレーム係も伽羅だ。
何度、客に怒鳴られ、謝ってきただろう。
上司の報告ミス、先輩の発注ミス、みんな押しつけられる。
同僚もまわりも自分に火の粉がかからないよう、余分な仕事が舞い込まないよう、黙って見過ごしていた。
同期の杉山だけは、伽羅の仕事を自分の合間を見つけて手伝ってくれた。
「オイ、大丈夫か? お前さ……わりにできるから、押しつけられちゃうんだな……倒れるなよ」
そんなこと言いながら、少しでも仕事を持っていき、自分のデスクから伽羅のデスクに送ってくれたりした。
杉山がいなかったら、とっくに倒れていただろう。
そんな時、悪口を言う声が聞こえていた。
「ねぇ……杉山ってさ、女子じゃない? 細かすぎんのよ。もっとサバッと判断できないのかねぇ。私のほうが男なんだよ」
そう言ったのは、小塚みちるだ。
伽羅より3つ上の先輩だが、一つ動くのもすべて計算づくで、自分が損しないように動ける特技を持っている。
その精密さは目を見張るほどで、世渡り上手と言えばいいだろうが、まわりの人間はすべてイヤな仕事、面倒な仕事を押しつけられ、迷惑を被ることになる。
怒られ役までも押しつけられるが、仕事はしっかり進んでいく。
そして、小塚はそのおかげで仕事ができる人として上司からの評価は高く、役職もあり、給料もいい。
押しつけられ役は、たいてい伽羅だった。
こんな細かい小塚が、男のようにサバサバしている……なんてことは絶対にないし、そもそも男らしさ、女らしさをはき違えているだろう。
藤木は男とみればベタベタと接し、自分が思う女らしさで何とか自分を優遇させようとがんばり、今のところ、部長のお気に入りNo.1を勝ち得て、楽な仕事を与えられて、出社から退社までのんびり過ごしていた。
男性社員もうまく会社の中を泳ぐことに精一杯で、いかに楽に給料を上げながら、無事に過ごすかにかけていた。
上司にへつらい、下にはキツく当たり、同僚でもお覚えめでたくない者にはバカにして、面倒なことは押しつけ、上司に悪く報告し、それによって自分の評価を上げていた。
伽羅はだんだん疲れてきて、怒りもうすくなってきた。
まるで呼吸をして仕事をするだけの生き物みたいだった。
目もうつろになっていく……。
★ーーー★
こんなことがあった。
伽羅が入社して半年ほど経った頃、「新技能・新技術・新システム開発企業対抗大会」があった。
各企業、関連企業等が注目する大会で、優秀賞をとった開発には、会社が出資して、実現するというものだった。
伽羅は、複雑化し重複も多く、無駄に煩雑な作業が繰り返される仕事に対し、整理し、誰もが一目でわかるように見える化し、無駄を省き簡略化、適正化を図った、このシステムを作り上げる。
そうすれば、自分の仕事も楽になるし、皆の役にも立てる。
自分の実力も示せる。
チャンスだと思った。
伽羅は寝る間も惜しんでデータを整理し、まとめ上げ、システムを開発していった。
大会まで2ヶ月しかなかったので、杉山にもデータ収集等、手伝ってもらいながら、必死に働いた。
そして、とうとう開発に成功した。
小塚みちるなどは、可もなく不可もなくといったような、現在のシステムに少しだけプラスを加えたようなものを提出し、もっともらしい説明だけを加えていた。
藤木は、そもそもこういったことは苦手なので、誰かのをそのまま盗みたがったが、目をつけた伽羅のシステムは自分には説明も難しく、面倒なので、もっと単純で、誰もがたずさわる、データ入力の単純化にした。
しかし、それもさほど以前と変わらず、作業量でいえば、30分のところが25分くらいになる程度だ。
もっと古株の社員は、以前に提出したものがいくつもあるらしく、それを手直ししながら毎年出していた。
大会が始まると、どんどんふるい落とされていく。
最後の3社に伽羅は入り、とうとう優秀賞をとった。
伽羅は嬉しかった。
これで仕事も楽になる。
自分も認められた気がした。
しかし、いつまでたっても、一向に実践の話がこない。
「?」と思った伽羅が聞くと、部長はせせら笑った。
「お前、どこまで甘ちゃんだ。お母ちゃんでも連れて来いや、ガキ! あんなのはな、会社のアピールだろうが。こんな力もありますよっていう宣伝だ。先進技術ありますよってとこ見せたいんだよ。あんなもん、ただの見せもんだろうが。誰が金なんか本当に出すかよ。お前のシステムなんざ“ゴミ”なんだ。やり方変わったら、面倒くさいんだよ。だいたい失敗したら、誰が責任とるんだ! お前が首つったって、そんな価値ねーぞ、バカ!」
伽羅は頭をガンと殴られた気がした。
オレが見えてなかったんだ。
完全に踊らされた。オレは甘ちゃんだった……
だから先輩達は本気でやってないんだ。
何のメリットもないから。
藤木だけは、何のプラスにもならない開発でも、部長のひと押しで賞をもらい、金一封をもらっていたが……。
まわりの社員も冷ややかな目で、伽羅を見ていた。
まるで
(一年生のガキが……目を覚ませよ……)
と言っているようだった。
★ーーー★
そんなイヤな社員が大量だが、この店のトップの店長もさらにイヤな男だった。
名は森岡道郎という。
意地の悪い男で、社員の仕事がさらに煩雑になるようなことばかり考えついては、押しつけてきた。
重箱のスミをつつくようなタイプで、あら探しとイヤミを特技としている。
節電、節水は社会的にも当たり前だが、森岡は17:00には退社するのが鉄則として、サービス残業しているのを見て見ぬフリをし、自分は帰宅するので、社内の冷暖房はすべて切っていった。
暑さも寒さも自己責任と耐えさせた。
お湯さえ出ないようにし、廊下の灯りもすべて消させた。
森岡は自分が出社すると、社内点検とし、一番大きくて美味そうなウナギや天ぷら、果物、寿司などを食べて歩いた。
昼も自分が食べたくなると、転勤はしたが住所は近くの社員を呼び出し、唐揚げを買って来させた。
もちろん、社員のおごりだ。
そして女房まで連れ出して、その社員に焼き肉をおごらせた。
「どうせ他に使い道がないだろう……独りもんが……」
そんなことが平気な男だ。
★ーー★ーーー★
そんなある日、となり町のモールで発注忘れがあったので、パーカーを届けてくれ……と頼まれて、伽羅は会社の車を使って荷物を届けに行こうと、ハンドルを握った。
ふと、前を見ると、店長がいつも乗ったことのない、フォークリフトに乗り込むのが見えた。
「?」 危ないなと思った。
店長は朝いっぱい食べて、フラフラと歩いて外に出ると、フォークリフトがあり、運転手に声をかけた。
「オイ、私がやってやろう。前に一度やったことがある。ウマイもんだよ」
運転手は店長には逆らえない。
すぐに降り、店長と代わった。
面白半分で乗ってみたものの、操作の仕方を忘れている。
「アレ? こうだったかな?」
テキトーにボタンを押し、アクセルを思いっきり踏んだ。
フォークリフトはすごい速度で前へ進み、荷物を運ぶどころか、前方にいた伽羅の車に突っ込み、突き刺してしまった。
店長は「ありゃりゃ、失敗したね……」
と言って、血だらけの伽羅を見たものの、エヘラエヘラと笑った。
伽羅は激痛の中、店長の笑みを見た。
(チクショウ……チクショウ……。オレは死んでもいいと思っていた……。でも、オレが思っていたのは、こんな死に方じゃない。こ・の・ま・ま……死・ん・で……死・ん・で……たま……る……か……)
痛みをこらえ、食いしばった口では、言葉も出てこない。
血があふれ出て、泡のように吹いてくる。
まるで血の海だ……“限界”だ。
激痛と大量出血で、伽羅の意識はうすれていった。