誘惑に駆られ
「ゴホッ! ゴホゴホ!」
「ママー!」
「熱い!」
「うおっ!」
「ああ、クソッ! ゲホォ! オエェ!」
咳をしては再び吸い込んだ煙で、また咳き込む。さっきから、この繰り返しだ。
火事だ火事。クソッたれのバカショッピングモールめ。実演販売だかなんだか知らないが、屋内で大規模にバーベキューなんかしたせいらしい。仕事サボってネカフェで寝てたら逃げ遅れてこの様だ。クソが。罰だなんて思わないぞ俺は。
「必ず生き延びてやる……」
「ゲホッ、その意気よ、お兄さん。諦めず頑張りましょ、ゴホッ」
「うるせぇ、ババア! ゴホッ!」
「まあ、ひどい……あ、あれ、窓の外、はしご車じゃない!?」
「おお、本当だ!」
「助かるわよ! ゲホケホッ」
「ママー!」
「よしよしよし! ゲホ!」
「バカどけ! ガキ! 俺が先だ! ど……なん、は? なん、なんだ」
突然、周りのれんちゅが動きを止めたかと思えば、目の前で眩しい光。そして現れたのは、やたら露出度の高い服を着た女だった。
女は、にっこり微笑むと口を開いた。
「私は転生の女神……。今ここで死ねば貴方は、その自己犠牲の精神の尊さから異世界へ転生され、努力じゃ得られないような素晴らしい能力を与えられ、異性からすごくモテモテになり、スローライフな生活を送れるのです」
「ま、マジか……」
と、俺は思ったが、今のは俺の声じゃない。後ろからだ。
振り向くとそこにいたのは冴えないおっさん。
キョトンとした顔で何を呆けている? マヌケ面のアンタじゃない。俺に言ったんだよな? 女神さんよ。
「どちらか一人だけです」
女神がその言葉だけを残し消えると、時間が再び動き出した。
「……女子供が先だ!」
「そうだ! 譲れ!」
俺とおっさんの目が合う。どうやら考えは同じようだ。
「アンタが先だ!」
「いいや、アンタだ兄ちゃん!」
「俺が残る!」
「いいや私だ!」
「俺!」
「私が!」
「あああああああああああ!」「あああああああああああ!」
「これで全員か!」
「いや、まだ男性が二人、中に! え、な、なんか揉めてます! うわっ!」
「これは、もう……仕方ない、下がれ!」
「なんか最近は、此の手の話が一番効果的なのよねぇ」
炎の中で抱き合うように焼死体となった二人を見下ろし、女神を騙った悪魔はそう呟いた。