マッスル令嬢スパーク
ごきげんよう、地球の皆さま。
たった今、何の前触れもなく前世の記憶を思い出して絶賛混乱中の元日本人です。
やー、どうもどうも。
ええと……これって、ごく一部の界隈で流行していた悪役令嬢転生、というもの、かな?
タイトルは忘れたけど、アニメで見たことある気がする。
私は王子の婚約者となって、ヒロインの出現で婚約破棄される高飛車な侯爵令嬢のマチルダ。
物語では、今の私のように前世の記憶を思い出して、初顔合わせの時に王子に嫌われようとしたけれど逆に興味を引いてしまい、最終的にはヒロインそっちのけで相思相愛になっていた、んだっけ?
別に毎話追ってたわけじゃなくて、たまたまやってたら見るってスタイルだったから色々曖昧なのよね。
まぁ、アニメはアニメとして。
私も正直、王族の一員になるだなんて面倒極まりないことは遠慮したいわ。
滅私奉公なんて精神、元現代人が持ち合わせているワケないじゃないですかー。やだー。
幸い、今はまだ九歳。
婚約の打診が来るのは、確か、もう少し上の、でも社交界デビューより前の、十四歳かそこらだった、はず。
うん、タイムリミットは五年後か。十分に対策を練る時間はあるわね。
できればアニメのマチルダと同じ轍は踏みたくないから、邂逅以前に勝負を決めておきたい。
手っ取り早いのは顔に傷でも作ることかしら?
けれど、それでは貴族令嬢としての立場がなくなってしまう。
わざと太るっていうのも、ちょっと不健康で遠慮したいかな。
さすがに人生を丸ごと棒に振りたくはないし。
そうねぇ。
儚く清廉な妖精の姫君のようなヒロインと違って、私は肉感的な、ムチムチの妖艶美女に成長する予定だったから……んんー。
っあ、閃いた。
今から鍛えに鍛えてボディビルダー系のガチムチ筋肉美女になりましょう。
これがヒロインだったら精々身が引き締まる程度だろうけど、骨太の私なら、きっとゴリっゴリに育つんじゃない?
そんな特殊な見目の令嬢、とても外交に携われないでしょうし、更に本編みたいな体目当てのバカ貴族も寄り付かなくなるはず。
あんまり幼い内から筋トレすると背が伸びないなんて説もあるけれど、アニメで見た限り王子と並ぶくらい高かったんだし、多少予定より縮んだところで何の問題もない。
もちろん、脳みそまで筋肉なアンポンタン令嬢になるつもりはなくってよ!
侯爵家の娘として必要な諸々の教育だって、今以上にみっちり受けるつもり。
そうすれば、能力重視の堅実な貴族家からお声がかかるかもしれないし。
最悪、独身を貫いて女侯爵になったって、身分とお金と頭脳と筋肉があれば、やりたいこと何だってやれるわ。
よっしゃあ! そうと決まれば、さっそく筋トレ筋トレぇ!
きっちりメニューを組んで、効率的に育てなきゃね!
あっ。でも、あまり堂々鍛えていると家人から止められてしまうかもしれない。
やっぱり誰にも見つからない場所でコッソリやるべき?
いえ、侯爵家のご令嬢という身分じゃあ、それも難しいわよね。
では、より美しい作法を身につけるためと言い張れば、簡単な運動ぐらい始められる可能性はあるかしら?
徐々に厳しい内容にしていくことで、見張っている相手の感覚を麻痺させて、ゆくゆくは本格的な筋肉トレーニングに……とか。
さすがにダンベルだの何だのって専用器具は作ってもらえないわよね。
腕輪や足輪なんかの装飾品に見せかけた重りを作ってもらって、常日頃からコッソリ鍛え続けるなんてどうかしら。
ううん。しかし、この世界にプロテインが存在しないのは残念だわ。
料理人に頼んで高タンパクなメニューに変更してもらえると良いのだけれど……。
ま、頭の中でばかり悩んでいても仕方がないか。
とりあえず、出来ることからコツコツとってことで。
ぐわんばるぞぉー! えいえいおー!
で、そんな決意から早五年。
長く苦しい戦いであったけれど、私、やり遂げましたわ。
史上初のゴリマッチョ令嬢、爆☆誕よ!
最初は努力家ねぇなんて感心していた家の者たちも、やがては、私が逞しくなり過ぎていることに気付いてしまったわ。
当然ね。今なんて、お父様より横幅が大きいですもの。
けれど、皆が慌て始めた頃にはもう遅かった。
私の力が強くなりすぎて、すでに誰もトレーニングを止められない状況に陥っていたのよ。
さすがに男性が令嬢に触れるわけにもいかないから、侍女長が部下を引き連れて物理的に腕だの腰だの足だのに抱き着いて来てね。
むしろ、ちょうどいい負荷として利用させてもらったわ。
そんなこんなで日々精進を続けていると、ある朝の食事後、退室のため席を立ったタイミングで父が言ったの。
「……マチョルダ、一応お前の耳にも入れておこう」
「マチルダでございます。いかがなさいましたか、お父様」
「うむ。実は先日の高等院会議で、ヒィロ殿下の婚約者候補としてお前の名が挙がったのだが」
なんですって!
ああっ、ついに運命の時が来たのね!
私の努力は実るのか、空しく散ってしまうのか。
ハートどきどきのフルスロットルよっ。
「まぁ、第一王子殿下の?
それで、お父様。まさかお受けしたなんてことは」
「いや。令嬢としての評判や血筋のみで候補とされていたようだったのでな。
当然、断った。
マチョルダ。敢えて問うが、異論はないな?」
勝訴ーーーーーーっ!
神様ありがとう、私に筋肉をくれて!
今なら百メートルダッシュ百本も軽いわ!
「マチルダでございます。
えぇ、えぇ。殿下のお相手など、とても私なぞに勤まるものではございません」
「いや。優秀さで言えば、お前以上の娘はおらん。
だが、王族の一員、ひいては国の象徴的存在となる者の見目がその様に暑苦しくては、とてもままならんだろう」
いやだわ、お父様ったら。
褒めるのか貶すのか、どちらかにしていただけないかしら。
というか、普段は仕事仕事で放っておいているくせに、そうやって微妙に子煩悩なところが原作の悪役令嬢を作り出したのではなくて?
「鍛え上げた筋肉の素晴らしさが理解されず、私は悲しゅうございます。
このように健気で美しいもの、他にありませんのに」
淑女らしいゆったりとした優雅な仕草でサイドチェストを披露する私。
軽く眉間を揉む父。
「お前の偏った趣味嗜好の話など聞く気はない。
報告は以上だ。下がってよろしい」
「はい、御前失礼いたします」
許しが出たからには、さくっと自室へ戻りましょう。
いぃーやあぁー、ヤキモキしたわぁ。
十中八九イケるとは思っていたけれど、はっきり結果を聞かないことには安心できなかったものね。
これで肩の荷が下りたわ。
あとは、このまま気を抜かず研鑽を続けて、来年の社交界デビューに備えるだけ。
うふふ、楽しみね。
待っていらして、ありのままの私を愛してくださる未来の旦那様。
こちとら殿方の見目や地位、年齢や子持ちの有無にだって拘らなくってよー。
おーっほっほっほー。
……なぁんて考えていたけれど、お父様が渋るせいで、十七も過ぎた頃合いに、ようやく社交界デビューですよ。
理不尽すぎる。
女は二十歳で行き遅れの不良物件扱いな貴族世界なのに、あまりに遅いスタート。
第一王子関係のいざこざだって、噂にしか知らないまま、過去の話と化してしまったし。
巻き込まれるよりマシとはいえ、仮にも悪役令嬢がヒロインに会ったことすらないって何?
表向きは、王家の打診を断ってあちこちに不興を買ったから、ほとぼりが冷めるまで自粛だなんて言っていたけれど……大嘘も大嘘。
自慢の可愛い可愛い娘が特殊な見目のせいで誹りを受けて傷つく姿など見たくない、だなんて裏でお母様に溢していたらしいから。
親バカめ。むしろ、バカ親め。
家人の猛反対を押し切ってゴリマッチョ化した娘が、そんなか弱い精神をしていると何故思うのかしら?
筋肉こそマッスル、力こそパワーよ。そう簡単にへこたれるものですか。
一応、デビューはまだでも女性限定の非公式なお茶会等々には顔を出しているから、私のことを見知っている家の方々はお察しという感じで放置してくださっているのが現状ね。
これで完全に引きこもっていたら、秘された侯爵令嬢として、どれだけ現実と剥離した噂を立てられていたか。
あな、恐ろしや。
ま、それでも事実を知らない人たちは大勢いるんでしょうけれど。
もう出たとこ勝負でいくしかないわ。
で、意気揚々と王城に乗り込んだわけですけれども?
侯爵であるお父様のエスコートがあって、なお、怪しい人物としてマークされている気がするのよねぇ。
等間隔に配置されている兵たちよりも、いささか身長や横幅が大きいせいか、やたら意識を向けられているというか。
彼らの心情を代弁するなら、おまえのようなレディがいるか、ってところかしら。
お父様と別れて、今日のデビュタント・ボールの主役である子女たちが集まる待機部屋へと案内される時、御大層にも近衛の副隊長様が登場してくれたもので、あからさま過ぎて、いっそ笑いそうになってしまったわ。
あぁ、顔は知らなかったから、制服と階級章で見分けたのよ。
確か面食いな友人の弁によれば、王族直属の近衛兵っていうのは、実力はもちろん、他にも頭脳や容姿が優れていて、更に身分が一定以上の者しかなれないんですって。
だから、数も多くないし、前世のアイドルのような扱いを受けているわけね。
そんな近衛で副隊長なんてやってる御方もご多分に漏れず、ソルト系の色男だったわ。
青みがかった銀髪と濃紺の瞳で、涼やかだけれど切れ味鋭そうな雰囲気。
前世の某裁判ゲームに出てくるアソーギくん、だっけ、年齢はもう少し上っぽいけれど、彼に中々似ているかしら。
隊長と違って未だに独身だし、伯爵家の次男だけれど既に個人の武勇で子爵位を賜っているし、堅物すぎるきらいはあるけれど義理人情に厚い好青年ってことで、パーフェクト優良物件扱いされて、縁談が引きも切らないとか。
あくまで噂ね、噂。実際のところは知らない。
それはそれとして、別室に連れられたり、そこで尋問を受けたりするのかなって警戒していたけれど、普通に待機部屋に案内されて、普通にさっくり別れただけだったのよね。
なのに、その後からは兵たちの警戒が緩んだみたいだから、あんな風に彼の後ろを歩くだけでも判断できる何かがあったのかと不思議に思ったわ。
ま、そんなこんながありつつも、デビュー自体はつつがなく終えることが出来たの。
最初から最後まで二度見は何度もされましたけどねっ。
同じ立場の年下レディたちより、前世の経験分、うまく立ち回れたんじゃないかしら。
少なくとも、侯爵令嬢として恥ずかしい振る舞いには及ばなかったはずよ。
殿方がチキン揃いで、挨拶やダンスを披露する機会が少なすぎたって理由もあるけれど。
とはいえ、女性のお友達はそれなりに増えたから、よしとしましょう。