(1321夏)この出逢いは防人たちを計る
と、言うわけで、最後の平和な日々です。割と血なまぐさいのは、鎌倉時代の世相に抗議メールを送っていただけると幸いかと。
(1321夏編:高時と直義に接近する二人の女子。彼女らあの真意は何処に?そして、ついに時空が動き出す…)
(「橋本くん、ちょっと聞きたいんだけど、アルビノって、何?」)
(「なんでそんなことを?確かに時乃は白くてきれいだとは思うが、別にアルビノとは違うぞ?」)
(「もう、そうじゃなくて///
ほら、もうすぐ元号が変わるでしょ?だから元号の命名法を調べてたんだけど、『宝亀』って、アルビノの白いカメが献上されたからなんだって。で、どんなカメだろうって。」)
(「アルビノというのは、メラニンという体の色素が欠ける先天症だ。体は色素が抜けて白っぽくなり、目は血の色で赤くなる。メラニンは濃く集まって日焼けとして紫外線を遮る色素だが、それがない分、皮膚がんとかが心配だな。」)
(「ところで、トキは次の元号は何だと思う?」)
(「治くん、当てたらなんかおごってね♪」)
(「一野、初めてお前に同情したぞ。」)
(「いや、いくらトキでもさすがに...」)
(「じゃあ言うよ。万葉集から『令和』だと思うなー!」)
白くて、目が、赤い...? !
「兄上!」
「と、登子、突然どうした?」
「馬を出して!」
「高時様か?」
「うん!」
ー*ー
1321年4月19日、鎌倉、北条得宗家屋敷
襲おうとしたところを登子に見られて以来姿を見せず、あろうことには安達勾子の新邸に住み着いているあや姫に、動きがあった。そう連絡を受け、すぐに馬に飛び乗ったちょうどその時、門前に登子と守時が慌ててやってきた。
「どうした?」
「あの、あや姫ってさ」
「あー、やっぱり怪しいと思う?こんな寒い時期に、由比ガ浜に泳ぎに行くなんて。」
「泳ぎに!?」
「見張りの者からの連絡ですか?」
「君の弟が紹介した者からの連絡だよ。」
「あいつ、奥州に行ってもなお名前を聞くとは...
とにかくそれなら、有能なのは間違いないでしょう。それにしても、謀反人の娘の家に居ながら高時様を篭絡しようとは、いったい何を企んでいるのでしょう?」
「兄上、そんなことより、早く由比ガ浜へ!」
「登子、何に気づいたんだ?」
「アルビノよ!」
「アルビ... あ!」
白すぎる肌と赤い目。あれは白色人種の血が混じっているからだけでなく、色素がないからか。
「でも、心配するほどのことじゃないだろ。目が角度によって赤と緑で移り変わるってことは、全くメラニンがないわけでもない。それに紫外線を多少浴びても、すぐ皮膚がんになるなんて聞いたことが...」
「まだこの時代には、日焼け止めクリームはないよ。それにあの容姿、護衛なしでうろうろするなんて危険すぎる!」
確かに。オゾンホールで紫外線量が10パーセント増えても皮膚がんの割合が15パーセント以上増えるって言われるぐらいだから、全く紫外線を防げないのはまずいだろうし、そうじゃなくても泳いだりしたらすぐ日焼けして痛いはず。距離が必要以上に近かったのも、ただ誘惑するためだけじゃなく、網膜の色素が足りない分視覚がおかしいから...。
「じゃあ、急いで見つけないと...。」
そういった時には、守時も登子も、走り出していた。
3人、馬の背を鞭打ち、若宮大路を南下する。
ただのアルビノなら、目がオパールのように色を変えたりはしない。ということは、あや姫の網膜には、緑の色素が充分あるところと、全く色素がないところがあることになる。導き出される結論はー極めて特異な遺伝子異常。後々何かを発病して死なれたら、目覚めが悪いなんてもんじゃない。
由比ガ浜の浜辺に、人が群がっていた。
「そこの者、どうした?何の騒ぎだ?」
「あ、これは守時様、いえ、あすこで女が裸で泳いでるんでごぜえまさあ。」
「女が?」
「へえ、とてもきれいな...って高時様!?何してらっしゃいます!?まさかあの女、高時様の...」
「断固違うから。」
後ろで登子が、ほっぺたプクーしてる気配。
海に目をやれば、和賀江島のほうからすいすい泳いでくる人影が。長い髪は後ろで束ねられて、肌はかなり赤くなっているが、確実にあれはあや姫...。
「高時、まじまじ見ないの。」
「ごめんなさい。」
「高時様、泳いででも捕まえますか?」
守時が馬から飛び降り、言う。
「いや、戻ってくるのを待つよ。それにしても、元軍にマルコポーロの十字架、皮膚がヒリヒリするだろうにやたらうまい泳ぎ...だいたい読めてきたなぁ。」
さてと、そろそろ、登子になかなか会えないのは仕事が多いからだけではないと示すときかな。
懐から取り出したものを見て、登子がギョッとしている。
小さいほうが大きいほうから出し入れできるようになっている、二つの細い竹筒。片目に充てれば、内蔵のレンズのおかげで、立派な望遠鏡だ。
それを、全裸で泳ぐあや姫...の向こうの、和賀江島へ向ける。
そうか、なるほど。駒がそろった感じがするなぁ。
「見、な、い、の、!」
横合いからひょいっと望遠鏡を奪われる。
「あらあら、重い女は嫌われますわよ。」
「…いい加減、その演技、疲れない?」
「演技?」
「相当に、無理してるだろう?恐らく、捨て駒として。」
「…吉蔵、服と布を渡してくださらないかしら?」
さっき守時が話しかけた男が、「し、しかし姫様...」などといいながらも布を渡している。やはり、家来、というかサクラだったか。
「その十字架、異国の者だろう?それに目の緑色。」
「そうですわ。でも、それは我ら一族の恥、知ったからには...」
あや姫が、はおりかけの服もそのままに、一歩を踏み出し、吉蔵の懐に腕を入れて何かを取り出す。銀色に光るー小刀?
「待って!高時は別に、貴女をつるし上げようってわけじゃないの!」
あや姫の端正にして清楚な顔が、初めて、ゆがんだ。
「嘘!そういってみんな、みんな...!」
「嘘じゃない。だから、話をしてくれ。ちゃんと聞くから。」
「いやよ!誰でもそう言って、聞いてから軽蔑するもの!」
そうやってつらい経験をしてきたなら、不信感なんて、そんな簡単にぬぐえるものじゃない。けれどー
「他人事じゃないんだよ、あれだけかかわろうとしておいて、傷の一つも見逃していられる?こちらはもう立派に、関係者なんだよ!」
「父上も、義母上も、関係者はみんな、そう言ったのよ!大事にするって、大切だから、見捨てはしないって!家族だって!」
こいつ、異邦人という意味では似たような状況の中でこっちが二人頑張ってきたのも知らずー
「それとも、あれだけ心を開かせようとして、心を開かないでいていいとでも!?
こっちは登子のことさんざん言われて頭来てるんだから、ちょっとは頼みを聞け!話もしないで、大事にしてもらえるなんて思うなよ!」
手首の小刀をつかみー
「いたっ!」
あ、ひどく日焼けしてるんだったー
あや姫の小刀をつかむ右手が、びくっと震え、小刀の切っ先が自分の手をかすめる。
ピッと手に垂れた血の筋が、やけに鮮やかに見えた。
あ、あれ、意識がー …毒?
「だから、ちゃんと全部明かして―」
-だったら最後に、伝えたいことをー
「-登子と、仲良く、してくれ」
く、口が、動かなー
「だって、この時代で、初めてー」
-しがらみにとらわれず、登子が友達になれる、女の子なんだからー
ドサッ
ー*ー
1321年5月3日、鎌倉、北条得宗家屋敷
毒刀に高時様が倒れられてから、2週間が経った。
普通なら、その場で斬り捨てられてもおかしくなかったと思うのですけれど、なぜか私は今、登子様とともに、高時様の枕元にいます。
「あや姫、ぬらしてくれる?」
「はい、ただいま!」
急いで雪解け水に布を浸し、頭にのせて差し上げます。
小さな傷から入るだけで数秒で意識を失い、そのまま目を覚まさなくなり衰弱死する、蒙古の船から手に入れて以来だと伝わる秘蔵の毒。だけど高時様は、2週間意識を取り戻すことなくやせ衰えながらも、いまだに強く息を続けていました。
「おかゆ、あるよね?」
-その理由が、これです。
「は、はい///」
「じゃあ…っと。」
おかゆのお椀を私から受け取られた登子様は、そのまま中身を飲み干すと、同時に、高時様の背中に手を差し入れて持ち上げー
ー口づけをなされました。
ごくっと音がして、高時様ののどが動きます。
―最初のころは、「さ、さじで食べてくれないなら、く、口移ししかないよね///」と照れていたけれど、もう慣れたもの。離した口と口の間につながるよだれも、気にする風もなく布でぬぐっていらっしゃる。
「ん、なあに、あや姫?」
い、言えませんわ、のどにおかゆを押し込むのに舌を絡めまでするその心に戦慄してたなんて!
「…この程度の愛情もないんじゃ、高時の隣は似合わないよ?」
お、重いとかそういう水準じゃないわ!
「だって、あや姫も気づいてるでしょ?私たち、あや姫以上に訳ありだから。」
「それは...」
「高時が起きる前に、打ち明けたほうがいいよね?」
「え?勝手に話してしまわれても...」
「うん、だって、ちゃんと、謝ってほしいから。まだ許したわけじゃないんだよー」
「す、すみませんですわ、毒など盛って!」
「-私と高時との愛を、軽く見たこと。」
-私は、恐怖のあまり、土下座していた。
「あ、あの、毒の件は?」
「別に気にしてないよ。あや姫が危ない橋だと知ってやった結果の不幸な事故に、何か文句をつける権利もないし。それにどうせ、私のためなら起きてきてくれるし。
だから、聞いてね。」
-それからの登子様のお言葉は、青天の霹靂というどころではありませんでした。
高時様に登子様は、今から約700年後に生きる、とある幼なじみの感覚をそれぞれ持っておられ、そして登子様は今も、2年後に亡くなられる700年後の自分を通じ未来をのぞき見、聞き、様々なことを知りえている。
将来己が朝廷に滅ぼされると知られた高時様は、一人、そして登子様と二人きりで、未来を変え世の中を変えようと戦ってこられたー
「だから、周りの人と全く違う孤独を知っているあや姫と私が、仲良くなれる、友達になれる、そう高時が思ったのも、わかるの。」
「と、友達?」
「うん、友達って言うのは、上下関係とかなく、恋人と違って欲もなく、仲間と違って目的もなく、仲良くしてることにお互い意味を感じられる、そういう関係だよ。私、未来でもちょっと変わってるしお姫様みたいな感じで、友達いないから。」
さびしそうに登子様がつぶやかれる。
「だからね、敬語、やめてほしいなって。もっと、ほんとのあなたを、見せてよ。」
で、でも...
「言って、やるな、こいつの、言葉遣いは、地だ、ぞ。」
え?お、と、こ、の、声...?
「高時!」「高時様!」
そこでは、ずっと、私のせいで目を覚まさないと思われていた高時様が、薄目を開け、懸命に体を動かそうとなさっていらした。
「まだ、舌が、しびれる、なぁ。」
「あー、そ、そうかも///」
「口移しで舌で押し込んだりなさったからですわ。」
「そ、それって、キスの、中でも、かなりー」
「わー!」
登子様が高時様の口を抑えられて、病み上がりの高時様は起こそうとした体がひっくり返りー
-結局、登子様が、高時様の腰の上にまたがられる状態になった。
…これ、いつか私が高時様にしたのと同じでは。
「た、高時、私は… って、寝てる!?」
ー*ー
1321年5月8日、鎌倉、北条得宗家屋敷
「…さてと、また心配かけてごめん。」
いや、本当は頭ぶつけて気絶したか急に動かされて脳貧血で気絶したかだと思う。だけどまあ、再び起きた自分たち三人の前に山のように書類を積み上げていった守時に比べたら何ほどのこともない。それに、登子、かわいい、許す!
「それにしても、いやに書類がまとまってたなぁ。」
「高時…お前が倒れた時のための、『まにゅある』が、俺のところにも来たぞ。」
義貞、聞いてないぞ、なんだそれは。
「そういえば私にも来たぞ。」
「ちなみにマニュアル作成者、誰?」
守時が、すっと手を挙げる。あや姫もだけど、仕事ができすぎるな…
「そもそも何度も長期間気を失われる高時様も問題があるわ。父上の目も全く狂ってはいなかったということね。」
勾子、やけに毒舌…
「ずっと義貞がかまってくれなかったから、すねてるの?」
「は、はい!?関係ないじゃない!」
「脈あり、ですわね。」
「ツンデレか。」
義貞が顔をしかめ、高氏は苦笑いしている。-ちょっとふざけすぎたか。
「と、とにかく、今日はこのあや姫殿に事情を尋ねるんだよな!」
「その前に、こちらで分かったことと、推測したことを言っておくから、参考にしてくれ。」
登子が床下から手製の地球儀を取り出す。
「おそらく始まりは、この国の裏側ー」
ー*ー
昔々、ヨーロッパはイタリア、ベネチアというところに、冒険家を志す一人の青年がいました。
青年の名はマルコ・ポーロと言いました。
念願かないついにローマ教皇からの信任状を得たマルコは、文字通り野を越え山を越え砂漠越え、元朝首都、大都に至ります。
財宝と騎馬軍団、世界一の国、大元ウルス。そこで皇帝、フビライ・ハンにもてなされたマルコは、宮廷で十数年をすごしたのち、祖国へ帰国しました。
祖国で艦隊司令官となったマルコは、ジェノバ軍の捕虜となり、牢屋の中で「黄金の国ジパング」をはじめとする東洋への旅行を書いた「東方見聞録」を書きました。
マルコの本は、700年にわたり、貴重な資料として読み継がれていったそうです…
ーしかしこの本には脚色も多く、元でのマルコの正確な動静は、2020年に至るも不明であるー
ー*ー
「そのマルコが、神をあがめるのに使ったであろう十字架。それがどうして、君の首元にかかっているんだい?
気づいたことがいくつか。過剰なまでに丁寧な口調はおそらく京の都のもので、にもかかわらず日焼けがひどいのに泳ぎが得意ということは、よほど泳ぎが必要とされる身分、漁師かあるいは、水軍の関係者。そして元軍関係者のかなり重要なものを持ってるってことは、親族に元軍と戦った者がいるー
-この条件を総合して考えると、該当者は非常に限られる。例えば肥前国、松浦水軍とか?」
あや姫が、息をはっと呑んだ。
ドンピシャかよ。
「あたりならもう、それ以上素性を詮索する必要もない。だけどここにいる登子は未来では無類の歴史好きだから、話さなくてもどっかでバレるかもしれない。」
「...それはあり得ませんわ。私のことは記録には残らないはずでございます。
ですが、登子様に隠し事して後で言い当てられるのも癪でございますわ。
いいですか、他言無用になさいませ。それから、これを聞いても、見捨てないでくださいますか?」
「おけ!」
「…?
始まりは50年近く前、文永11年の時でございます。」
ー*ー
あや姫の祖母、泉は、いくつにも分かれて誰も全貌を把握できない松浦氏の中で、唯一、誰もが知る女性だった―その美貌のため。求婚者は絶えなかったが、本家の三女という立場上、嫁ぎ先は二転三転し決まらずにいた。
「そんな時だったそうでございますわ。突如北から大船団が現れ、なすすべもない肥前の国を蹂躙したのは。」
1274年、来襲した元軍は、まず壱岐、対馬、そして肥前北部を併呑した。三カ国では武士と名の付くものはおろか武器が使える男皆戦ったがあえなく全滅。
「男は皆殺しにされ、女は慰み者とされ、三か国の女子供は両手にひもを通し奴隷として連れていかれた、そう、聞き及んでおります。」
「…すると祖母君も?」
「はい。本家も滅び、生き残った一族のものは、死んだものと思っておりましたそうです。ですが7年後、祖母は神風とともに帰ってきたそうですわ。」
「はい?元軍が連れてきてて、神風で難破した船にいたってこと?」
「その通りですわ。弘安4年、二度目に蒙古が襲来した折、我が松浦氏は雪辱を晴らさんと戦っておりました。そうして、いよいよ台風の季節となり、まさしくそれは神風だった。
台風一過、水平線にまで広がる沈没船・座礁船の中から、祖母は見つかったそうでございます。...異人の胤を宿して。
息も絶え絶えだった祖母は、担ぎ込まれてすぐに母上をお産みになられ、『父上の形見だよ。それはそれはすさまじい、立派なお方なんだからね。』と言い、この首飾りを遺して、亡くなられたそうにございます。」
高時と登子は、驚愕のまなざしをあや姫に向けた。それが本当なら、彼女の祖母は元に連れていかれたのち、どうしたことか宮廷でマルコ・ポーロに見初められたことになる。
妻が自分の知らぬ国へ行くというのに、ついて行かぬ冒険家がいるはずはない。であるからには、マルコは来ていたのだろう、日本に。
遺言で所有する奴隷の解放を指示した心優しき冒険家が、なぜ帰国後出国することなく、さらに46になるまで結婚しないばかりか、「黄金の国ジパング」などという怪しい記述を含んだ脚色まみれの本を書いたのかー
「すべては、祖国の土を踏ませてやる目前で嵐により別れなければならなかった、愛する妻のため、か。」
ー一度妻を失った悲しみ、そして妻の祖国と彼女が語ったであろう思い出を、精いっぱい美化するため。ベネチアからはるばる持ってきただろう十字架のペンダントは、教皇特使として何としても元に帰らねばならない自分の形見として、そしてもうすぐ生まれてくる我が子へのキリストの加護を祈って。
そうして、脚色まみれの冒険記と、信徒無き十字架が生まれた。
「いい話だよね。」
「そうとは知りませんでしたわ。私には関係のないことでございますし。」
「関係ない?」
「そうですわ、どれだけの不幸が、そのマルコとやらの血によりもたらされたのか。
...母上は、それはそれはきれいな方だったそうでございます。異人の子とはとても思われず。しかし憎き蒙古に凌辱された女の娘ということで、襲われ犯されたことや毒を盛られたことも数度。あの毒を管理していなければ、私もいなかったでしょう。
ですが何度辱められようとも、もともとの本家のたった一人の生き残り、しかも戦の趨勢すら決する元軍の猛毒を管理し、生活の足しにしておりました。ですから事故の正当化と戦力増強のため、今の本家御当主、季様にとつぐこととなりました。そうして私と兄上が生まれたのですが...」
「ですが?」
「…もともとの本家に、隠し子が見つかったのでございます。いえ、あれだけ家系がわやになっておればままあることではございますが、とにかく、私の従兄君がもともとの本家の血を引いていることがわかりました。そのわずか翌日のことでござります。
...母上と兄上が、血だまりの中で冷たくなっているのを発見されたのは。」
「…なんと」
-民族ジェノサイドと、同じ発想だ。敵の血を薄め、根絶やしのするため、犯し、利用し、殺し、見せしめにする。
「…母上は、賊が入ってきたおり、私にこの毒の小壺と首飾りを渡され、先祖の仏壇の下へ逃がされたのです。
賊は仏壇の下にいる私に、なぜか手出しできませんでした。そして翌日、一族郎党が大広間に集まったときに、私はその訳を知ったのでございますーあれは、叔父上でした。
私の母上と兄上を切り捨てた叔父上は、私を京の寺に預け、尼にするよう提案なされました。父上も、側室であった義母上も、絶対に守るとおっしゃったのですが...
ひと眠りして、起きた時にはもう、大宰府にいました。義母上が、父上の許しを得て一服盛られた。そうでなければあり得ないことでした。
あきらめて京についたものの、この目の色が災いしたのか、出家は許されず、やむなく摂関家で下働きをしておりましたが、去年、『後ろ盾であった安達時顕様が討たれたので、北条高時様の勘気を払い、松浦氏の望み、悲願を叶えよ』という書状が届いたのでございます。」
「悲願?なんだそれは。こんな執権何とでもなりそうだろうに、何を頼もうとしてたんだ?」
「…私が摂関家を通して、あるいは寺院を通して、朝廷と近づけさせられた理由でもございます。
...蒙古への、復讐ですわ。」
「復習?私も父上から聞き及んできたが、水平線を埋め尽くす軍船をそろえられるような相手にいかに復讐するというのだ?」
「倭寇よ。」「倭寇、か。」
登子と二人、ため息をつく。あまりに話が重すぎた。
「朝鮮半島、中国沿岸への海賊行為により、殺された分だけの恨みを晴らそう、と。」
コロコロ。
技術的問題から支えを作れないために転がってゆく地球儀を、手で押さえる。
「…すべての復讐を済ませるには、この星は小さすぎるよ。」
倭寇が元寇への復讐から始まった可能性は、700年後でも主張されてきた。しかし大陸での元や高麗の崩壊、南北朝分裂や尊氏と直義の対立を受けて松浦氏が分裂したころから倭寇の方向性も迷走し、足利義満の倭寇討伐以来、その構成員は中国人中心に、根拠地も九州島しょ部から中国沿岸、海南島に及び、豊臣秀吉に討伐されてのちも滅亡した明の復興運動ともかかわり、キリスト教徒ともに極東全体に鎖国の渦を招く。
「だから、その希望を黙認するわけにはいかない。そもそも、こちらは元との交易により硝石を大量に確保する必要がある。むしろ討伐の検討すらしていたんだけど...」
こんな話を聞かされたら、どうしたものかわからなくなるじゃないか。ましてこいつは、しまいには自力で和賀江島の大砲に手を出そうとすらしていた。
「それでいいのですわ。やっと迷いが晴れました。何も私が松浦に尽くすことなどありませんわ。」
「いや、だけど、本当は松浦水軍の力が欲しかった。まあこの話を聞いた後だと味方にしたものか敵にしたものかわからなくなるけど...」
「わかりました。でしたら、おそばにおいてくださいな。」
そのオパールの瞳は、やはりこちらを向いてはいない。
「…だってさ、登子。」
「…わ、私?」
「完全に目が合ってるよ。」
「私の、この緑と赤の輝きの居場所は、もうここにしかないのでございます。登子様...」
「…おけ。」
どうしてだろう。未来と、初めて会った時、そして、その言葉を2回も、涙とともに聞き直すことになろうとは。
「よろしく、一緒に、友達に...なろう?」
「こちらこそですわ。」
ー*ー
1321年2月19日、北海道、渡島半島
「う、恨んでる?」
「様々なカムイの声が聞こえることまでは否定しません。私の姉はそれで生贄になりましたので。」
「ちょっと待て、生贄?人柱とかはやらない、文字こそないが決して蛮族ではないと聞いてきたんだが...」
「ですから、自ら生贄になったのですよ。」
「自ら?」
「『クマのカムイである。己の身を捧げよ。』私にも姉へのお告げが聞こえましたよ。里のものは一人も事情を知りませんが。私にとってはそれでも、カムイの言葉より、生きたまま食われる姉が一言も発さず流した一筋の涙のほうが、真実でした。」
「すると姉君は...」
直義は絶句した。
「最近では聞かぬが、神話には生贄として乙女を求める神々はおられる。湯起請のように神が代償を求める例は多いしの。残酷なものよ。」
守邦親王がそうつぶやく。
「恨みを晴らせるものなら、カムイの声が聞こえない世界に行けるのなら、そう、ずっと思ってきたのです。
実は私は、『和人は信用してはならぬ、使者の二人を殺せ』とカムイより聞いているのですよ。ですから、くれぐれも期待を裏切らないように。」
そう言って、カムイシラは、俺の目を覗き込んだ。
その目は、高時様や登子様と似て非なる、同時に何か別のものを見ている目だった。
ー*ー
1321年4月8日、北海道、渡島半島
アイヌの里は、総出でクマ狩りに出たらしい。
不思議なことは、めったに来ないと聞いていた大首長殿がずっとこの里にいるらしいことである。そればかりか、つい昨日、十三湊からやってきた迎えの船に守邦親王が乗り込むことを許可した。なに考えてるんだ?
とにもかくにも、別に刀や鉄砲がないからと言って暇を持て余していて良いわけもない。だったら、高時様が教えてくれた「筋トレ」でもやっておくべきだ。朝から晩までひたすら腕立て伏せ、スクワット、持久走...
「ワアー!」
向こうの丘から、叫び声が聞こえてきた。
「直義殿、戦いなさい。」
「はい?」
カムイシラが現れ、ぽんと鉄砲と刀を渡される。
「ほら、あそこ。クマが逃げているのですよ。」
どこっ?
「…あの、大地のずっと向こうです。」
うわー、点に見える。
「あのあたりのものは小さく見えやすいのですよ。さあ、少しは印象を変える努力をしてください。」
要するに、あのクマを仕留めて、良い印象を持たれて見せろってことか。
なるほど、クマも人も、ぐんぐん迫ってくる。振り返っては弓矢を打ち、振り返っては弓矢を打ち、しかしクマも数十本は矢が刺さっているがこらえる様子もない。
一発で仕留めないとまずい、が、刀では人の頭蓋骨や首より厚いクマの頭蓋骨や首は斬れないし、クマの心臓の位置なんて知らない。
...鉄砲を使うしかないか。
薬莢はまだ使えそうな感じ。後ろから筒に詰めて、引き金を軽く引く。火打石がこすれる音がするから、大丈夫な感じだな。
迫る人波が目の前を横切る。そして、それを追うクマ。
タアン!
クマの頭が、少し揺れた。
次弾装填。
タアン!
クマが、血が赤くにじみ始めた頭をこちらへ向ける。
恨みを込めた目。
あ、まずい?
クマが、両手を振り上げー
-ぐらっと横へ倒れた。
「見事です。」
カムイシラが、無表情でそう言った。
ー*ー
1321年5月16日、北海道、渡島半島
あれからというものの、アイヌたちからの待遇は、目に見えて改善した。それどころか、「雷を落として一撃でクマを仕留めた青年」として英雄視されている気がする。
ただ、それでも、あの巫女に出会うことはなかった。どうも男が会うことは原則禁じられているようだ。
だから、またもやカムイシラが現れた時、今度は何が起きるんだと身構えた。
しかし、今度は里中の人々を集めた彼女は、俺の予想をはるかに裏切ることを告げた。
「この中に、我らが大首長にして父上、イルクシャン様が、この中の誰かに暗殺されるであろう。そうお告げがありました。
まだ犯人はそのことを思いついてもいません。ですので、護衛をつけるべし、と。そこで、里のものではないそこの和人を護衛につけようと思います。」
彼女がアイヌ語で同じことを繰り返すと、アイヌ人たちは沸騰した。
本当に、事態を厄介にし仕事を増やす女子だ。
「いちおう、伝えてくれ。引き受けたならばもののふの誇りにかけ守り抜く、と。」
ー*ー
その日の夜、どうしてか俺は、カムイシラとともに、イルクシャン殿の仮住まいの裏の草むらに潜んでいた。
「どうしてこんなところに...これじゃあ暗殺者は俺たちじゃあ?」
「静かになさい。」
カムイシラは、そういいながら、聞き耳を立てているようだった。
その時、裏口の木戸が開いた。
見つかった?!
舌打ちの音が聞こえる。
こんなところで斬られるわけには...!
その時、後ろからも草を踏む音がした。
前後から、はっと息をのむ声。
イルクシャン殿が、刀を抜きー
-斬られる!
...あれ?
恐る恐る見回すと、後ろで、刀を突き合わせる男二人。
「やはり暗殺者は来たようです。あれはノキタンの配下。しかし、どうやら事態は...」
「倒すか?」
「早く。」
音がする鉄砲はまずい、か?
刀を抜き、限界まで下げた姿勢から、足首を峰打ち。
ドサッと、暗殺者が倒れた。
「直義殿、助力感謝する。」
そう言ってイルクシャン殿は屋内へ引っ込んでいった。
...それだけ?
「そういうこと。これは私も、決意を決めるときですね。」
「え?」
「いえ、お気になさらず。」
ー*ー
1321年5月17日、北海道、渡島半島
翌朝、さすがに気疲れで熟睡していた俺は、無数の殺気で目を覚ました。
小屋の周りに、敵?
「やはり来ましたか。」
木戸を開けて、カムイシラが入ってきた。
「どうして、突然...暗殺者を送ったノキタン殿ですか?」
「いいえ、父上ですよ。」
「直義殿!我が娘を返してもらう!」
-思わず叫び出しそうになった。
なるほど、あれだけの回数でも十分多いと。
和人の癖に気に入られすぎと。
ー巫女を篭絡したのではないかと。
どうしろっつうんだ!
「返されませんけど。」
なんで火に油を注ぐんだ!
「私は、これを機に巫女をやめてしまおうかと。」
「「は?」」
「カムイが、安東氏との戦いにおいて、何をしましたか?」
「貴様!娘に何を吹き込んだ!」
「いや、俺は何も...」
「ノキタンも言っていたぞ!『巫女に、イルクシャン様を襲えばすべてがはっきりすると言われた』と!娘がそのようなこと、言うはずなかろう!」
だったらそいつの嘘だろう!
「いえ、はっきりしましたよ。なぜならノキタンはー
-すでに足利直義の名義で、十三湊に遣いを送っています。」
「ふん!突然な、に、を...」
「ちょっと待て、どういうことだ?」
「簡単なことです。昨日のあれも、占いなどではなく、遣いの話を聞いたからです。
もし今、直義様が殺されれば、十三湊は父上に討伐軍を送るでしょう。蛮族とみなす我らは一人も生き残ることなく、もはや証人もなき状況では、直義様とともに遣いしたノキタン殿がアイヌの長として十三湊に認められるは必定。将軍の弟がかかわることです。逆らう首長は幕府軍に全滅されるでしょう。」
「では...」
「私は何一つ助言していませんが、名をかたるにあたり、ポロリ本音が出たのでしょう。すべてのアイヌが、自分と和人の敵か味方かはっきりする。そういうことです。」
「とすれば、印を捕まっていた間に盗まれたか!」
「そのころから書状が偽造されていたならば、和人も絡んでいます。既に父上の手による直義様の死も、十三湊からの援軍も、予定されていることと思いますよ。」
「おい、英時様が任を解かれ鎌倉に帰られた今、十三湊に俺の顔がわかるのは、守邦殿下のみだぞ!あの方は戦場に出られないだろうから、ノキタン殿が俺の偽物を立てたら...!」
「守邦様と直義様を殺そうとした父上が信用されないならば、結末は明白です。」
こっちが本物なのに、幕府軍にやられる!
「ですから、今日限り巫女はやめようか、と。この苦境を脱するには、将軍家の縁筋であることほど大きな武器はございませんから。」
どこか論理が飛躍している。だけどもう、その訳は分かっていた。
-こいつ、北海道を出たいんだな。何とか理由をつけて。
「その前にノキタンを奇襲すればいいだけの話だろう!」
いや、そう考えるだろうと向こうも想像しているだろう。
「きっと幕府軍が来るまでどこかに隠れるか、あるいは... とにかく、取り逃がせば絶好の口実を与えることになってしまう。」
「ことは、『幕府の敵』であった我らが、いかに幕府の援軍をノキタンではなく我らにつけるか、なのです。」
「いずれにせよ、高時様が聞いたら怒りそうな話だ。あの方、個人の意思より一族とかの利益を優先する考え苦手だから。」
「誰です、それは?」
「どんな神よりも信じるべき瞳の持ち主、かな。
とにかく、縁組の話は極端としても、来航するだろう幕府軍への対応は考え...」
ドン
「おいおいおい!」
ドンドン
これ、砲撃音じゃ!?
「カ、カムイのお怒りじゃ...!」
「いよいよね、見てなさい、カムイ...!」
違うけど、厄介なことになったな...
ー*ー
1321年5月17日、津軽海峡
「守邦親王が去ってのち、ただちに直義を切り捨てた大首長イルクシャンにより、我らは全滅の危機に瀕している。和人の援軍により、大恩ある直義様の仇を共に討とうではないか」との内容の遣いが、今までアイヌ側の窓口であったノキタンからやってきたことで、一時は十三湊はずいぶんの混乱を招いた。
様子を見ようという穏健派。
ノキタンとイルクシャン、双方に使者を出し事情を確認しようという日和見派。
鎌倉に指示を仰ごうという臆病派。
アイヌなんて全部ひねりつぶせという乱暴派。
しかし結局、奥州執権、津軽宮守邦親王(持明院統から、新たに津軽宮家創設を許可されていた)が、最も妥当な、ノキタンに加勢してのイルクシャンの捕縛作戦を指示する。
それにしても、幕府軍の到着は早かった。なぜなら幕府軍はー
-たった一隻だったのだ。
大きな木造船。
両側でくるくる回る、ハムスターの回し車のバケモノ。
中央から絶えず噴き出す、黒い煙。
そして、とどろく砲声。
日本初、いや、世界初の、蒸気・帆走両用砲艦、「秋津」、その雄姿が、ポツンと海上を圧していた。
ドン!
ドン!
艦首から艦尾まで等間隔で中心船上に並ぶ、5門の七寸砲。大戦期の巡洋艦にも匹敵しかねない火力を誇る「秋津」は、四つの錨を下ろして安定を取り、帆をたたみ、砲撃のたび揺れる船体の中から、陸地への無差別射撃を敢行していた。
世界初の艦砲射撃は、全く話にならない精度だった。それでも、威圧効果は充分すぎた。
遠雷の音が響くたび、どだい当たるはずもないと知るはずもないアイヌ人たちは、悲鳴を上げて逃げ惑う。
海岸まで出て戦おうとした者もあったが、そもそも弓矢の射程外ではどうにもならなかった。
砲弾はすべて、森林地帯に落下、あるいは海岸線を打ち据えていく。
「上陸よーい!」
艦尾の隙間から、5メートルほどの小舟がせり出し、海にぽちゃんっと落下する。
軽装の武士たちが、次々と小船へ飛び乗っていく。
満員の小舟は「秋津」を離れ、さらにもう一隻。
英時の置き土産は、明らかに、未来での上陸用舟艇のデザインセンスが用いられていた。
砲声に恐れをなし、海岸上には人っ子一人いない。
3隻の小舟が、縦列組んで進んでいく。
一隻目が接岸しようとしたその時だった。
「あれは、なんだ?」
「白旗… 源氏の白旗だ!」
「ちょっと待て、あっちにもあるぞ!」
「白だけじゃない!丸の中に横棒2つ... 足利!?」
ー*ー
1321年5月17日、北海道、渡島半島
里に掲げられた、源氏の旗に足利の旗。一方同じものが、ずっと向こうの丘で立っている。
「…やはり偽物の旗を作りやがった!」
すでに、直義をイルクシャンが処刑しなかったことはノキタンに知られているようだった。しかし向こうにはさらに、麦色の布に赤で染め抜いた、ノキタンの集落の旗が翻っている。
しばらく止んだ砲撃は、すぐに再開されたー
-直義がいるほうへ。
幕府に友好的なノキタンの旗があるほうが本物だと思ったか、それとも他の要因があったか。
「とにかく、砲撃をやめさせないことには...」
いや、手はある!だけど…
「イルクシャン殿、カムイシラ殿、森に火を放つ許可をいただきたい!」
「何を申される!そのようなことをすればあまたの動物が死に絶える!カムイがお許しになるはずが...」
その時二人は、不意にすべての動きを止め、固まった。
【我汝らに告げん】
いや、周りのアイヌ人たちも。
【我に贄として巫女を捧げよ。】
ただ一人、うつろな目でとうとうと言葉を発する、一人の巫女を除いて。
【約すれば道は開かれん。】
アイヌ人たちが内容を理解しているようなのにもかかわらず、アイヌ語がわからない直義でも、内容が理解できる。
【汝らの覚悟、大首長の麗しき娘もて示せ。】
神々しい雰囲気が満ち、誰もが呼吸さえ止めた。
しかしその中で、直義だけには、もう一つの声が聞こえた。 ような気がした。
-直義、お前、本当にそれでいいのか?
-私は、高時のためなら、家も一族も捨てるわ。
ー直義、お前はもっと、俺に似て、熱い男だろ?
-直義、私なんかより、お前こそ、足利の誇りだ。
それは幻聴ですらない、勝手な妄想だったのだろう。それでも、
-直義、足利家三男ではない、足利直義としての心は、どうなんだい?
叫び出していた。
「おいカムイ!」
アイヌ人たちが、ギョっとする。
「クソ提案しやがって!誰がコイツを譲るか!」
イルクシャンが、直義につかみかかろうとする。
「高時様なら言うだろうよ!『もはやここまで深入りして、見殺しなんてありえない!』だから、俺は生贄なんかで、殺させはせん!仲間のために死ぬなんて、足利将軍家の名に懸けて許さんぞ!」
薬莢に直接着火し、森へと投げる。
八百万の神々に対比される自然神カムイの住まう原生林が、数秒にして炎を噴き上げる。
とたんに、砲撃が止んだ。
ふらりと、カムイシラが倒れる。
「大丈夫か?」
「どうして…」
「ん?」
「どうして、私の、ために、そこまで、言うのですかっ!あなたまで、カムイに、何かされたら、どうするのです!」
直義の腕の中で、カムイシラが、息も絶え絶えに起こる。
「私なんて、勝手なことを言って振り回していただけでしょう!わざわざ」
「知らん!」
「え」
「カムイが嫌いなんだろう!この島を出たいんだろう!だったらだまっていうこと聞こうとすんな!人に命令するだけじゃなく、なんで助けを求めようとしないんだ!」
直義は、不機嫌顔を隠さないばかりか、苦虫を百匹かみつぶしたようなしかめっ面で、叫んだ。
「カムイ、聞いてるか!
大首長の麗しき娘巫女は、足利直義がいただいた!貴様には絶対にやらん!」
そしてそのまま、周囲の制止を振り切り、カムイシラの手を引き走り出す。
ー*ー
なんで、この厄介ごとばかり持ち込む女子を引っ張って走ってんだ?
なんで、高時様と同じ、「別のものを見る目」に刃向かえたんだ?
いや、もう答えはわかっている。
-なるほど、帰ったら登子様に確かめないとな。
ーこれは、「愛」と呼んでいいものか。
にしても高時様に毒されすぎたな。
おや...
くそ、急いでるってのに!
ー*ー
私は、結局、助けられてばかりだ。
あの時、生贄になるようにという声の依り代にされたのは、私だった。
私を救うために、姉は身代わりになることを祈って、クマのカムイに召し上げられた。
だのに、また…
私と直義様の前には、背丈3人分はあるクマが、道の真ん中をふさいでいた。
こちらをにらむ、巨大クマ。
-姉を食べた、カムイだ。
その時、直義様が、一言言った。
「カムイ、決着をつけよう。
-この女子の明日をかけて、勝負だ!」
そんな、いくら和人の侍でも、無謀…
その時、どこからともなく、声が聞こえた。
【足利直義。】
それが、目の前のクマが、心へ、魂へ直接話しかけてきているのだと気づくまで、若干の時間を要した。
【汝の覚悟、しかと受け取った。】
え、まさか、全て、試されて...
【姉の件、まことに済まなかった。赦してやるつもりだったが、行き違いでああした結果になってしまい、申し訳ない。】
申し訳ないですむことでは…
【直義殿、この大自然を代表して、貴殿に、この娘と、アイヌの命運、託すぞ。】
「…いわれなくとも、高時様や兄上と、預かるよ。」
【それとー
-護持僧文観に気を付けよ。】
クマは、カムイは、去っていった。
森中が、煙に包まれている。しかし不思議なことに、火はついていない。
ー和人の、幕府の攻撃を難しくするために、カムイが煙で我らを隠してくださっている。
海辺には、呆然炎を見上げる和人たちがいた。
「おいそこの者!」
「汝は誰ぞ!」
「全権武官、足利直義!こちら、アイヌ大首長イルクシャン殿の娘、カムイシラ殿!」
「た、直義様!生きておられ…!」
「人を勝手に殺すものではありませんよ。」
「は、はあ...直義様、そのお方、少々、距離が近いのでは?」
ー*ー
数週間の時を経て、幕府全権足利直義と、アイヌ全権イルクシャンの名のもとに、新たな日本人とアイヌ人の関係の始まりを告げる講和条約が結ばれた。
すなわち内容はー
・和人の領土とアイヌ人の領土は、津軽海峡を境とする。
・アイヌの政治権はアイヌ人たちにあり、和人の政治権は鎌倉幕府にある。両者はともに、天皇陛下を主君とする日本国に属する。ただしこれは、信仰にかかわらない。
・今後一切の交易は、十三湊に開設されるアイヌ館と、松前に開設される和人館に正当なものと認められ、検疫を受けなくてはならない。
・この条約の変更には、両者に多数意思で正当な代表と認められた勢力の全権がともに合意しなければならない。
・和人は今までのアイヌへの武力攻撃と搾取交易を謝罪し、農耕、北の民族との交易をはじめアイヌの発展に最大限尽力する。
・相互に領域を犯さない。侵犯があった場合、発生時点の被害側の決まりにのっとり加害者は処罰される。
・第三者からの攻撃を受けた場合、正式な応援要請があった場合のみ、応援を送るかどうか選べる。ただし応援を送るか否かをもって交渉の条件となしてはならない。
・公的なアイヌ・和人双方への差別は一切禁じ、私的な差別の削減に努める。
-かくして、この歴史においては、アイヌに対する搾取、差別、そして紛争は、相互の監督のもと撲滅されていくことになる。むろん天皇家はおろか幕府本体との交渉もなく勝手に日本国の主権規定を行ったことや、多大な権益を保有する和人館の腐敗の原因を生んだことなど、非難されるべき点は多い。それでもなお、この相互条約の歴史的意義・先進さは、見逃されてはならない。
ー*ー
1321年6月12日、北海道、渡島半島
「直義殿、娘を頼みますぞ!」
俺は、イルクシャン殿にきつく手を握りしめられていた。
-あのカムイの声は、ノキタン殿たちにも、イルクシャン殿たちにも、聞こえていたらしい。それだけで彼らは戦をやめ、和解した。もともと彼らの争いの原因は和人と仲の良いノキタンが、今になって和人との交渉に現れたイルクシャンが権益を総どりすることを嫌がったことにあり、カムイが俺にすべて任せるというのなら否を言うつもりはないらしかった。もちろん、生贄の話もなしになった。
そして気づけば、巫女カムイシラは巫女ではなくなり、俺に嫁ぐことになっていた。
-彼女がいやだといわないなら、別に俺が断る話ではない。
でもなあ…
「私はうれしいですよ。やっと... カムイの声がしない地へ行けるのですから。」
「…ああそう。」
やっぱり、便利な道具扱いされている気がする。
ーそれでもなお、この元巫女を置いては行けない、そう思っている自分がいた。
船は、大地を離れる。
「さあ、鎌倉に戻るか。」
ー*ー
「カムイの声、ですか…
ことわりの埒外のものが、私以外にもついに現れましたな。
...これで、いよいよ世界は我々の手へ...」
ー*ー
「全く、やるものね。
...兄様、手助けするぐらいなら損益分岐点だと思う?」
「珍しいね。祈は他人に興味を抱かないと思っていたのに。」
「データが集まるのなら、せっかくだからと思っただけよ。こういうデートも悪くないし♪」
「じゃあ行くか?今回はどうする?」
「憑依のほうにしましょう。」
「了解。」
「「情報処理機構起動。」」
「「認証権限“百松寺家最高位”」」
まるで、世界が収斂して、その中心で兄様と一つになっているかのような...いや実際、「そう」なのだけれど。
「「時代指定、11代目、百松寺武、百松寺華」」
「「双方向情報同期最高強度、一方向送信時間倍率1対5億、双方向送信時間倍率等倍。」」
「「アクセス、フルスタート」」
とても申し訳ないですが、百松寺兄妹をタイムスリップさせざるを得なくなりました。この二人、次の異世界モノに出すつもりだったのに、こちらのキャラ設定どおりにいろんなものをガンガン侵食してる...思考回路に影響与えすぎ…
くれぐれもということで、アイヌや松浦氏の設定にはファンタジーが入っております。松浦あやの言葉遣いがおかしいのは、京で摂関家の下働きをしていた際、丁寧語を強いられたのに手本が主人だったから(ではなくこちらの国語力の問題?)です。そもそも鎌倉時代にですわもかしらもありませんね。