(1320秋)鎌倉逆包囲!滅びの歴史の軽さを示せ!
第一章完結となる、幕府最終勝利編です。長いので目が行き届いていなかったらすみません。
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1320年7月16日、太平洋上(土佐沖約500キロ)上空
護良親王は、中高での友人との議論を思い返していた。
(「君を試したくて聞くが、『歴史の修正力』というものが、存在しうる理論を作りうるかい?」)
(「歴史の修正力?なんだそれは?」)
(「小説なんかで、タイムスリップして歴史を変えようとすると、意図せぬ出来事で元の歴史に戻ろうとする力が働く。そんなことをあるようにする理論はあるのか、そう兄様は尋ねられているのよ。」)
(「あるな。例えば、ラプラスの悪魔。全ての現象が宇宙誕生の時に含まれた要素をもとに発生しているとしたら、タイムスリップすらもともとその中に含まれる以上、その影響力は限定されるだろう。あるいはホログラフィ理論では、三次元世界での出来事はある種の情報群の投影体に過ぎないとも言われている。そうであれば、元の情報体に影響しないタイムスリップによる歴史改変は、投影により修正し、消される運命にあろう。」)
(「それを打ち破る方法はあると思うかい?」)
(「宇宙の仕組みを、人間の意思で打ち破ることなど、できるのか?」)
-今ならばわかる。できる、できてしまうのだ。そして今、現に俺は、ここにいる。
さて、歴史を覆すとするか。
-しかしあの百松寺兄妹、すべて見越していたのかもしれん。今度祖先を探させてみるか。
ー*ー
1320年7月21日、鎌倉、若宮大路御所
幕府の重鎮が、雁首揃えて議論していた。
「なに、朝廷の軍などへなちょこ、一ひねりぞ!承久の時の義時様にならい、殲滅すべし!」
「しかし我らは、朝敵となってしまったのだぞ!兵が集まるか…」
「箱根の関を閉じ、守りを固めればあるいは…」
「しかしそれではじり貧です!」
「しかし、まだこちらの体制も整ってはおらんのだぞ!」
「そもそも、誤報ではないのか?」
-こいつら、いくつ忘れていることがあるんだ。つうかうるさすぎて誰が何を言っているのやら。
すぐそばで押し黙る守時、末席で苦笑いする高氏に目をやると、二人ともうなずいてくれた(義貞、ここに混ざれるぐらいには出世させてやらないとなぁ)。
「全員、いったん静粛に!発言する者は手を上げろ!」
叫ぶ。黙らせる。それから、大判の紙に書き写した関東地方の地図を広げた(旅番組まで注視して描いたけど、700年間で埋め立てやら何やらで地形が激変してるから、修正が大変だった)。
「京まで進軍するのは、兵站の関係から無理だ。少なくとも秋の収穫の時期までは、六波羅を粉砕してしまうような軍勢に対抗できるような大軍は出せない。
したがって、我々はこの関東平野の中、あるいは境界線上で作戦を展開しなければならない!」
「しかし、それでは関八州の御家人だけで日の本すべての武家と戦うことにはなりますまいか?」
-ああ、この御内人は、状況を楽観視している。
「武家だけじゃない、百姓も、かなり。」
「百姓?」
「立川流の連中が、朝廷に与している。」
「あの邪教ですか?確かに困ってはおりますが。」
「津軽では安東氏の反乱に立川流の信者が組しておりました。何らかの後ろ盾、朝廷のような大組織が味方でなければ、安東氏とて我ら北条に背くことはなかったかと。」
「しかし、百姓が何万人いようとも、我らの敵ではありませんぞ。」
「…長崎はそう言って、結局一度も刀を振るうこともなかったけどな。」
さすがにこのつぶやきは効きすぎたと見え、全員がしばらく固まってしまった。
「高時様、この前使われた、『大砲』ならば、大軍勢の粉砕も可能なのでは?」
「高氏、それは火薬が足りないし、そもそも重いから動きにくい。回り込まれるぞ。」
守時がそう言うと、誰かが「ならば鎌倉の七切通しに置けばいいんじゃないか。」とつぶやいた。
-大砲の威力を評価してくれているのはうれしいことだ。ただ過大評価されても困るし、それ以前に、「鎌倉の入り口である七切通しをふさげば守れる」という発想には大きな隙が残っている。
「皆、稲村ケ崎の防御についてはどう考えている?」
-正史における鎌倉幕府滅亡時も、北条高時らは七切通しの防衛に成功した。しかし攻めあぐねた新田義貞は干潮時に稲村ケ崎の干潟を突破して鎌倉市外へ突入。防衛体制は崩壊に至る。
「干潟だから、大砲を置くことはおろか、通常の騎馬隊すら満潮の時には退却するしかない。さて、どうする?」
守時と高氏が、目配せをしてきた。「それは『未来」の話か』とアイコンタクトを送ってきているので、うなずいておく。
「しかしそれを言ったら、鎌倉を守り切ることはおぼつきませぬぞ!」
「その通り、さらに言えば、関東地方の入り口も、箱根峠だけじゃない。おそらく、守り切ることは不可能だろうね。」
「であればそうした入り口に気づかれないことを祈るしか...」
危うく、「マーフィーの法則」と注意しそうになった。
「そこで、一つだけ、案がございますが、申し上げてもよろしいでしょうかー」
それから、ずっと音沙汰のない上座、御簾の向こうへ声をかけた。
「-守邦様。」
ー*ー
1320年7月22日、鎌倉、赤橋家屋敷
「高時、大丈夫なの?」
今朝、赤橋家あてにも届いた朝廷からの宣旨。これが鎌倉までたどり着いてしまっていることが、高時には悪いけど、幕府の機能不全、というか無能ぶりを示してしまっている。
「『志あるものよ、天下に悪政を敷き、朝廷をないがしろにする反徒、人非人、女たらし、従四位下相模守北条高時を討伐せよ。御名御璽。』だっけ?そこまで恨まれるとはね。というか個人の人格を攻撃しようなんていい趣味してるよまったく。」
おどけた言い方とは裏腹に、高時の顔は、青かった。
「何か、戦とは別に恐れてることがあるの?」
「…未来で死んだとき、『一野治』は、『石垣時乃』だけじゃなく、『橋本理』と、謎の老人がそばにいて、間違いなく爆発に巻き込まれた。老人は工場に放火して爆発させ、しかもその服装はこの時代の僧侶の服。おまけに爆破の前にこちらを見つめていたとなれば、老人の目的は自分たち三人をこの時代に飛ばすことだったんじゃと思う。」
「記憶だけリアルタイムで再生させるような飛ばし方で?そんなこと... それに、できるとして、どうして?」
「そこまではわからない。それより今問題なのは、『女たらし』だよ。登子に浮気した覚えなんかない。だったらこれは、登子とのことだ。」
「つまり、この勅令には、私のことを好きな人の高時への恨みが詰まってるってこと?でも朝廷とのかかわりなんてな… 橋本くん!?」
少し前、時乃ちゃんに告白して付き合うことのなった、メガネの顔が浮かぶ。どうしてだろ、彼が絡むと、この時代の私にはろくなことがない。
「朝廷の、後醍醐天皇の超側近で、あの20年後のノーベル賞候補とまで呼ばれた天才が、自分への恋の恨みだけで、本気でかかってきてる。そう考えると、わざわざ、こちらにバレると理解できる頭脳を持ちながら一言付け加えてきたのは、すべて知っているぞって言う、警告と宣戦布告なのかもしれない。」
「あれだけ頭がよかったら、17年分の情報すべて持ってるなら、私たちよりはるかに文明を進めてるかもしれないよね。」
「そうなんだよ。とっくに大砲とか持ってそうだし、巡洋艦ぐらい作ってるかもしれない。あとはもう、現場のおぜん立てがどれだけできるのか、これに尽きる。」
もしかしたら、急造の朝廷軍は統率がうまくいってないかもしれない。それにかけるぐらいしかない。そう、高時は言ってる。だけど、それは、命をかけるにはあまりにもつたない。
「もちろん、錦の御旗があるとなれば、それすら望めないかもしれない。だから登子、君を戦力に数えたい。」
否はない。だって、いくら私が生き残っても、高時が死んじゃったら、なんも意味がないから。
「おけ。それで私は、何をすればいいの?」
「自分の代わりをしてほしい。-ジャンヌ・ダルクになってくれ。」
あの、その人って、最後火あぶりにされた人だよね...
「…死なないよ?」
「それはもちろんー」
高時の目は、とてもつらそうな目だった。
「ーそうならないことに賭けるよ。だから、どうか無事で、帰ってきてくれ。」
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1320年8月9日、箱根峠、箱根要塞
あっという間に、膨れ上がった朝廷軍は箱根へ押し寄せた。なぜか美濃・駿河で消耗した形跡がないのが不思議といえば不思議だったーつまりそれは、とっくの昔に調略が済んでいたことを示していた。。
朝廷軍5万に対するは、前六波羅探題北方金沢貞顕(42)率いる箱根方面軍3000、さらに、赤橋守時(25)率いる箱根要塞軍2000。特に金沢貞顕は、かつての部下の六波羅での惨殺が伝わっており、復讐の炎を燃やしていた。
箱根峠を囲い込むように、5重の塹壕と板塀で囲まれ8つの方角へやぐらを擁する山岳要塞が威容を誇っている。櫓の根元には一つずつ、文保二年式曲射七寸砲二つと文保三年式直射三寸砲一つを三角配置した砲座。
ひたひたとふもとを埋め尽くして迫る朝廷軍を見て、守時は背筋に本能からくる寒さを感じつつ、口を開いた。
「目標、東海道。西口、坤口、乾口、最も敵が密集した地点へ、二年式砲、交互発射!また、各やぐらは、敵の有力な武将と思われる者を見つけ次第、報告!」
その命令とともに、ドン!という砲声が響き渡り、しばらくしてふもとで煙が上がった。
数分後、別の方角から砲声が響いてくる。
「守時殿、これは、すさまじい武器ですな。」
貞顕が、畏怖を込めた視線を大砲へと送る。
「いずれ、この峠そのものを打ち砕くような武器になる気がしてならぬ。」
長崎親子と安達時顕の板挟みとなりながら(正史では高時が執権を引退した後、両者の争いに巻き込まれ10日で執権を辞職する)、高時の補佐役として内閣官房長官のような役目を担ってきた男は、自分の時代は終わったといわんばかりに苦笑した。
「何の、動かしにくい大砲を落ち着いて使えるのは、貞顕殿が手勢を率いて守ってくださるからですよ。
…私も、津軽でこれらを使用しましたから、正直怖いですよ。」
ドン!
「それでもなお、いずれ誰かが思いつくのなら、先に使わねば不利となる。仕方のないことだ。とはいえ、高時様は武家より職人のほうが向いておられるのではと疑い申し上げておりましたが、とんでもないことでしたな。」
「高時様といい、登子といい、荒神のような、すべてを変え、邪魔なら躊躇なく古いものを押しのける、そういう存在に思えて仕方ないですよ。」
ドン!
「はは、うまいことを申される。」
さすがに、この時代の技術では大砲を機械で上下、旋回、装填することはできない。破裂したりしない上に後装式であるのが奇跡みたいなものである。大砲の機械動作を可能とする蒸気機関も重い上さらに重い石炭をバカ食いするため、険しい箱根峠へ運び込むのは不可能であった(可能でも火薬の輸送が優先されるだろうが)。そのため、操作はすべて人力で行われる。むろんのこと(太平洋戦争時の本土決戦用歩兵兵器を参考に)数人での使用前提で作られてはいるが、発射には10分近くかかった。そのため、3やぐらの砲計6つが交互に発射し、隙を補っている。
約2分ごとにふもとまで響く雷鳴と、今までの一人ずつ死ぬ戦とは桁が一つ二つ違う死の爆発に、早くも朝廷軍は恐慌をきたそうとしていた。
ドン!
「伝令!東やぐらより、楠木の者と思われる敵将の旗をふもとに発見したとの知らせ!」
「西に伝令だ、すぐに楠木の家紋の旗を探し、発見次第修正砲撃!」
数分後、坤(南西)のほうから、ダンと多少短めの砲声が響いた。さらに乾(北西)からも同質の砲声が響き、しかも短い間隔で坤から再びの砲声が響く。前の砲撃や他の砲の砲撃をもとに照準に微修正が施されているのだ。
まもなくこれ以上のスナイプ砲撃は不要と判断されたのか、三寸砲の短い砲声はやんだ。東側の三寸砲が馬で西側へ運び込まれ、西側の三寸砲は砲尾を外しての清掃が始まる。-そこに広がるのは、中世ヨーロッパ、三十年戦争後期などに広がるはずの光景であった。
ドン!
代わって、より射程の短い(砲身が短いため)七寸砲が、散発的ながら砲声を上げ、朝廷軍の前進を阻む。
そうして、夜のとばりが落ちる。
ドン!
間隔は10分以上に伸びたが、砲声が、止むことはない。
ふもとの朝廷軍では、確実に積み重なる被害に頭を抱えた公家武将たちが集っていた。
「夜襲をかければ、あるいは落とせるのではないか?」
「無理を言うな。8割は農民なのだぞ、逃散したらどうする。」
「しかしここでいつまでも足止めされていては、戦後に手柄を独り占めした武家の犬が大きな顔をするぞ!我らもここで忠義の証を示さねば。」
「...そもそもなぜ奴らは、この音を響かせながら眠れるのだ?」
うぉー!
「「「「…」」」」
公家たちの烏帽子の下の顔の色が抜けた。
とつげきいー!
暗闇を、やみ色の鎧兜をまとい黒い馬に乗った武士たちが駆けてくる。そもそも幕府軍に安眠を貪るつもりなどなかったのだ。
タアン!
銃声とともに、烏帽子がくたっと倒れた。
-この日の夜襲で、朝廷軍は500もの兵と6人の公家武将を失い、士気が低下した朝廷軍は、北上して鮎沢峠を目指す軍勢に合流すべく、退却した。
ー*ー
1320年8月17日、鮎沢峠塹壕線
赤橋家の主導で要塞化されていた箱根峠と違い、鮎沢峠の防衛は準備の時間がなかった。そのために、その防御は塹壕のみにとどまっていた。
だから、高時は、鬼になった。
「三、二、一… 発破あー!」
ド、ゴゴーン!
瞬間、塹壕の傍まで這い寄ってきていた朝廷軍の百姓兵ーその数は1000を超えていたーが、まとめて、炎の中に消えた。
「大量殺人というなら、どんなそしりも受ける。だけど、負けられないんだ!
三、二、一、発破あー!」
高時の指示とともに、数人がかりの大型弩がビュン!とうなる。平安時代に姿を消して以降数百年ぶりに日本史の表舞台に現れた弩が発した大きな矢は、白い一筋の煙を流しながら、峠の向こう側を埋め尽くす朝廷軍4万を軽々飛び越えた。
矢が朝廷軍の背後の草むらに落下するや、炎が広がり…
ド、ゴン、ゴン!
連続する爆発音とともに、朝廷軍のあちこちで、火の粉が散り炎が上がる。
朝廷軍の兵士たちは、慌てて足下に上がった炎を踏み消そうとした。しかし、地下に埋め込まれた黒色火薬は、その爆発が何度も繰り返すよう小分けされている。炎を踏んだ兵士は、足を吹き飛ばされのたうち回ることになった。
直後、炎は周辺の草木にも飛び火する。堆肥火薬-つまり硝安爆薬が含まれる炎は、はたいたぐらいでは消えない。
まさしく燎原の火と化して、いくつもの爆発が結び付きながら、朝廷軍を包み込んでいく。
数日間、幕府の塹壕兵は、流れ込む人肉が焼けるにおいを我慢しなければならなかった。
一種の地雷の使用により、鮎沢峠の朝廷軍は士気を喪失し、その後は散発的な塹壕への突撃が起こるのみとなる。
間違いなく非人道的なやり方で勝利をもぎ取った高時は、唇をかみながら、馬に乗って峠を後にした。
ー*ー
1320年、9月1日、碓氷峠
「ふ、やはり、ここには配置していなかったか。」
険しいうえ、鎌倉から距離もある。しかも中部地方には、朝廷方の土豪も多い(ただ熱烈な北条支持者も多い)から、もし碓氷峠近辺で動きがあれば。
QED、碓氷峠に幕府の本格的な防御陣地はない。
すべてを疑い、証明するのが癖の俺が証明したんだから、それはもう事実だ。
わずかな数の武士が阻む峠。高所から弓矢で射かけられたら確実に大被害を被る。
「風船爆弾、放球!」
だが、俺の頭脳をなめないでもらいたい。蓄電池とモーターで進み、水素を満載した紙風船を飛ばすことなど、いくら700年前でも朝飯前だ。
ふらふらと頼りなく飛ぶ風船は、峠の上までいくつかが到達する。そして、モーターと連動した発火装置のために、すべてが爆発した。鎧への爆風を食らい、けがを負ったり息が詰まったりしてもたもたする武士たちに、一斉に騎兵突撃をかける。
むろん、目的は、幕府軍の撃滅などではない。峠を占領し、関東平野への開口部を作ることだ。あとは適当にいくつもの少勢であちこち突っつきまわしてやれば、幕府軍は自壊する。幕府軍の武家は決戦こそ狙っていても、この手のゲリラ戦術に対処するノウハウの持ち合わせなんかあり得ない。厭戦気分が広まればプロといえども裏切りが発生するのは間違いないし、さらに言えばこちらの手勢は百姓、多少の消耗は問題にならない。
一気に峠を登り切った俺たちは、そのままふもとまで馬で書け、代官所を襲撃する。予想通り塹壕線が形成されていたが、そちらは元から問題ではない。台風でとっくの昔に全滅しているはずだ。
さて、いざ鎌倉と行きますか。
ー*ー
「代官様、不審な者を見つけました!」
「ふむ?どこにその者は...」
「ここだぜ」
「ぐあ!」
ー*ー
「貴様、見ない顔の百姓だな。」
「最近越してきたばかりなもんで。」
「そうか...
っつ、何を...!身体が...っ!」
「皆、代官を倒したぞお!」
ー*ー
1320年9月2日、鎌倉、北条得宗家屋敷
鎌倉街道を早馬で走破すれば、1日かからない。箱根、足柄、鮎沢などの峠が塹壕戦で敵を足止めしたものの、碓氷峠は台風の翌日に突破され、護良親王率いる朝廷軍主力が関東平野に乱入したことも、即日ここまで伝わっていた。
「高時様!朝廷軍との戦の指揮を!敵はすぐそこですぞ!」
御簾の向こうから、御家人たちの指示を仰ぐ声が聞こえる。私は、怪しまれないように少しは命令を下してやることにした。
「義貞、すぐに、一族郎党を引き連れ、将軍を守り、安房に下るように命じてください。ただし、新田、安達の手勢は、得宗家の手勢とともに鎌倉に残り、鎌倉を最後まで死守するように、と。」
「離反者が出ても知らんぞ?」
「だからこそ、鎌倉にいてほしくはないのです。踏みとどまるものは裏切りとみなし、合戦に及んででもたたき出すとも。」
臨時の補佐役に抜擢された義貞は、いまだ慣れない様子で御家人たちに高時の指示を告げに行った。
「私、ちゃんと高時の役目を果たせてるかな…?」
ー*ー
「高時様は、本当にそのようなことをおっしゃったのか?」
「新田殿は、我らを欺き、高時様を差し出して朝廷に手柄建てしようという気ではあるまいな?」
んなの、俺でも納得いかねえよ。何せそもそも、高時の命令じゃねえし。
「とにかく、出ていかないのならばたたき出すとの仰せです!」
この手の調整とか人間関係的なことは苦手なのに、なんて仕事を残すんだ、あいつは。
「とにかく、一両日中に、将軍をお連れして海路で安房までお逃げ下さい!」
ー*ー
1320年9月5日、鎌倉、朝比奈切通し
何せもともとは百姓である農民軍を主力とする朝廷軍。浸透が早かった。一般人に紛れてしまうと見分けがつかないうえ、領主によっては高時の命令を聞いておらず領民に避難指示を出さなかったため領民との区別がつかず、山河に溶け込むようにして朝廷軍は数日のうちに鎌倉の入り口まで到達してしまったのである。
護良親王の予想を裏切り、朝比奈切通しは二つの山の間に空いた直線的な通路という待ち伏せ砲撃に理想的な場所であったにもかかわらず、大砲も塹壕も存在しなかった。
「すべての兵力を峠口に咲いてしまったのか?しかし、鎌倉は防御都市で、将軍と執権のいる最終防衛拠点。こんなものでいいのか?
それとも、罠?」
その時、血を浴びた武将が、馬に乗り、こちらへ向かってきた。兵たちが弓矢を構える。
-女?
「護良親王殿下とお見受けする!安達時顕が遺児、安達勾子である!交渉に参った!」
「ほう?承ろう。申し上げよ。」
こちらまで来て馬を降り、ひさまずいた目つきの鋭い娘は、一つの首を差し出した。
「これは、わが父上の仇、従四位下高時の首でございます。」
血が垂れた、気品ある若者の首一つ。それを見た瞬間、護良親王の心に喜びが込み上げてきた。
「一野、ついにはこうなったか。」
ー俺はついに、奴に勝った…のか?
ーこれが本物である確率は、それほど高くない。それでも、静まり返った鎌倉と、高時の首と称するものを差し出す少女という構図は、朝廷軍の優勢を確信させる。
「時に、赤橋登子殿はどこに?箱根の赤橋軍を降伏させるには、登子殿を人質とするのが間違いないと思っているのだが。」
「登子殿は、高時がいないのなら死ぬと言って聞きませんので…」
「な...」
そう告げ、勾子は、踵を返し去っていく。
あとには、失意に打ちひしがれる護良親王が残された。
鎌倉は、死んだように静まり返っていた。
やがて、他の切通しから侵入した百姓兵の略奪により、鎌倉は燃え始めた。
ー*ー
1320年、9月15日、安房国国府
鎌倉ー陥落。得宗家滅亡。
その知らせは、鎌倉を占領した護良親王が関八州に発した親王宣下とともに、関東平野に行き渡った。たちまちのうちに幕府についていた武家が朝廷軍へ寝返り、同時に、箱根、鮎沢の守備軍は孤立、足柄峠の塹壕軍は消滅させられた。
「高氏様、我々は、いかがすべきでしょうか!」
安房に逃れていた幕府御家人は、北条家が得宗家の滅亡と赤橋家の孤立でほぼダメになってしまったために、源氏のリーダーである足利に頼ろうとしていた。
さて、そろそろ、頃合いかな。
「さて、御家人諸君。」
自分は、兜を投げ捨てて、高氏のもとに集う御家人たちに呼びかけた。
「それに、守邦親王殿下。あなたも思いますよねー」
御家人たちが、驚きのあまりひきつった顔で固まっている。
「うむ、そうじゃな。」
守邦親王が、興あるものぞとくすくす笑いながら、ゆっくり御簾をかき分け現れた。
「-足利高氏こそ、征夷大将軍にふさわしいと。」
ー*ー
「「「「「「「「「「「「「「「高時様!!?」」」」」」」」」」」」」」」」
「やあ、鮎沢峠ぶり。」
その言葉に、御家人たちはどういうことかと首をひねった。鮎沢峠で高時が指揮を執ったのは8月中旬、そのあと高時は一足先に鎌倉へ帰還し、新田義貞を補佐に指示を出していたたはずで…
「登子も無事だといいねぇ。まあ勾子のウソがばれたとしても、まず大丈夫だろうけど。」
「登子殿を身代わりにするとは、なかなかやりよるのお。」
「まさか、あれはすべて、替え玉!?」
「執権が替え玉なら鎌倉も囮。アイツらしくもない、見え透いた罠に引っかかって。」
気の毒に、と高時はこぼし、高氏が苦笑する。
「それで、親王宣下ならば殿下にも出せるはずです。足利高氏への征夷大将軍任命、可能ですか?」
「そもそも親王宣下では征夷大将軍は… いや、どうにかして見せようぞ。」
この日、征夷大将軍守邦親王は、その位を源氏嫡流である足利家当主足利高氏へ返還することを、関八州へ伝達した。
-ここに、征夷大将軍足利尊氏が誕生したー
ー*ー
1320年9月18日、鎌倉、護良親王行宮(安達家屋敷)
臨時の行宮で関東中へ指示を飛ばしていた俺は、その封書を得て、言葉を失った。
信じがたいことだ、足利高氏の征夷大将軍就任など。しかもご丁寧に、その封書には「征夷大将軍足利高氏 執権・侍所別当北条高時」と署名までしてある。
「殿下、勾子様がおられません!」
奴め、たばかりよったな。
となれば、首も偽物。おそらくは、反乱を起こした人間のものだろう。
-となれば、当然、登子も生きている!
「勾子殿がどこへ向かったか、わかるか?」
「おそらくは、沖の、和賀江島にござります。」
「しかし所詮は石でできた築地、それなりに高貴な方が逃げ込む場所には適さぬだろう?」
「しかし漁船も使用しております。逃げ出すのはせんなきことかと。捜索させ申し上げ…」
「なんとしても無事に、傷つけることなく、ここへ送るよう命じろ。」
一野、お前が、こんなに手ごわいとはね。
しかし、うまくだまして逃げおおせたからと言って、なんになる?何かの罠だとしても、この鎌倉は日本一の防御都市。稲村ケ崎という侵入口も知る俺たちに、勝てるのかい?
ー*ー
1320年9月21日、箱根要塞
一年は籠城できるだけの物資を貯蓄した山岳要塞だが、交通路は完全に断たれていた。敵軍が急に勢いづき、あまつさえ「鎌倉陥落、北条得宗家は安達勾子の裏切りにより滅亡」と降伏を促す使者に告げさせてきたために、守時も貞顕も今後に苦慮していた。
そんな中、命がけで朝廷軍の真中へ潜入した新田方の武士が、二人の前にひさまずいていた。
「本当に、高時様は安房で再起をはかられたのか?」
「はい。妹君も、我ら新田のもと、勾子様とともにおられます。」
「それでは...」
「はい、すべて高時様のお考え通り、寝返ったものを除けば、幕府の手勢は減っておりませぬ。計画通りであれば、7日後、鎌倉へ総攻撃が行われる手はずでございます。」
ー*ー
1320年9月22日、三浦半島
「本当に、よくもこんな作戦を思いつくわね。こんなことなされる方について行こうとは、なんて了見なの?」
私は、行く先不明の憤りを、登子様にぶつけていた。
「びっくりだよね。まさか、鎌倉をあげちゃうなんて。」
全くそうだ。攻めるに難く守るに易い、三方を山、一方を海に囲まれた武家の都、鎌倉。それをまさか、空っぽにして、譲ってしまうなんて。
「それとも、勝算があったの?」
「もちろん。だって、高時だよ?」
この子は、私なんかが口にしてはいけないくらい、高時様を信じ、愛している。私が、家のためだなんて言って割って入ってはいけなかったんだ。
「登子に、勾子殿、どうだ?」
義貞が、大きな鉄の筒-大砲って言うらしいーを引く6頭の馬を指さしながら、聞いてきた。
「うーん、野戦砲兵としては上出来かな。だけど砲座の設置に手間取ってたのと、砲座の安定を確認しなかった人がいるよね。」
この義貞も、変な奴だ。新田家なんて北条から見れば吹けば飛ぶような家(だけど今の安達はそれ以下)で、高時様なんて雲の上の人のはずなのに、高時様も登子様も完全に呼び捨て。考えられない。
「ところで、アレを載せて底が抜けない船、見つかった?」
「それが見つからんから、今言われたとおり、『あうとりがー』ってのと、『そうどうせん』ってのを作ってる。二日で完成、一日で載せて、二日で運んで、一日で設置。ぎりぎりだなこりゃ。それにしても、使い捨てか、アレを。もったいねえな。」
「仕方ないよ、砲身命数もあるからそんなに使えないし、潮風が入ったからどうせ保たないし。」
確かに、アレはもったいない。数百人分の鎧が作れるだろうに、使い捨てだなんて。
でも、どうして義貞は、登子様と阿吽の呼吸なのかしら。
「そうだ!勾子さん、義貞に、安達武士の鍛錬を教えてあげて!私は考え事あるし!」
...私を義貞と二人きりにするの?
いいわ、骨の髄まで、安達の魂を教えてあげる。
ー*ー
1320年9月23日、安房国国府、臨時幕府御所
再び幕府への忠誠を誓った武士、10万。うち、朝廷方を突破し安房に集った武士、6万。
「初代頼朝公も、石橋山に落ち延びられて後、この安房で再起なされた!我らには頼朝公の御加護がある!」
「おおー!」
「ここに、腐りきった幕府を立て直し、頼朝公が築かれた武家が虐げられない世の中を取り返すための改革を敢行する!
まず、軍勢は再編し、6つに分離する!」
高氏が告げるとともに、広間の有力御家人たちに要綱が配られる。
「一つ、すべての武家は、足利高氏の指揮下に入る!ただし、特別に指名する強者のみ、新田義貞の麾下とする!
二つ、足利麾下の軍勢を『陸軍』と呼称し、新田麾下の軍勢を『海兵隊』と呼称する!
三つ、陸軍を、箱根要塞軍、安房方面軍、相模方面軍、湘南方面軍、関東遊軍に分ける!なお箱根方面軍と高時殿が命名された軍勢は、箱根要塞軍となる。
四つ、安房方面軍は安房、下総、上総、常陸を安定せしめ、しかる後余力あらば三浦半島へ上陸せよ!
五つ、湘南方面軍は箱根要塞軍と共闘、箱根要塞を救出せよ!
六つ、湘南方面軍は西、相模方面軍は北より鎌倉を包囲し、親王軍を圧砕せよ!
七つ、関東遊軍は鎌倉を脱出した親王軍と決戦を行う!
八つ、いずれの軍勢においても、砲兵隊はかなめである。援護を怠るな!
最後に、今日より、家柄ではなく強さでこそ戦場での、あるいは武士としての立ち位置が決まる!家柄に胡坐をかく者は不要である!今の幕府には実力こそが求められるものと考え、各々忠義を示されたし!」
-ここに、封建的な軍事態勢を保つ鎌倉幕府はなくなり、新たに室町幕府が始まった。後世の歴史家はそう評した。
「ではこれに従い、我らは、武家の世を奪い返す。朝敵であろうともおそるるな!我らには頼朝公と、恐れ多くも源氏にこそ征夷大将軍を授けなさった後鳥羽上皇の御霊がついておられる!」
「「「「「「「「「「「「「「「「おう!」」」」」」」」」」」」」
高時は、高氏が緊張で演説をド忘れしなくてよかったと胸をなでおろしながら、高氏、不在の義貞に次ぐ幕府ナンバー3として立ち上がった。
ー*ー
1320年9月25日、三浦半島沿岸
私は、ずっと聞くべきだと思いながら聞けずにいたことを、聞いてみることにした。
「ねえ、勾子さんてさ、恨んでるよね、高時のこと。」
「…そうだわ。恨んでる。父上も兄上も弟も叔父上もみんな、殺されてしまったから。」
「なら、なんで、『自刃した康家の首を、高時のものだと言って差し出せ』なんて頼み、聞いたの?」
「…」
「『それが安達家のためだから』とかじゃないよね。」
「それは...」
「義貞に、なんか言われた?」
「うん。『死んだ奴の幸せまでしょい込む、叶えてやる、それが高時と勾子殿の義務だ』って言われたわ。」
「…人生、やり直しなんてできるわけもないのに。」
でも、平均寿命が40近く違うんだし、それぐらいドライなのも仕方ないのかも。
「勾子さん、いくら頑張っても取り返せないものって、あるよ。仇を打っても、だれも生き返らない。」
「そんなの、わかって…」
「だったら、せめて何か、手に入れたくない?私はだから、高時の傍にいるんだよ。」
時乃ちゃんによりいびつに失われても、それを忘れられるぐらい、幸せになる。そのために、たとえ鬼と言われようとも、こうしてひどい戦をしているのだから。
「勾子殿、手勢を貸していただくぞ!重すぎる!」
ちょっと能天気な義貞の声を聴いて、勾子さんがムカッとしたように叫んだ。
「なんで言う前にやらないの?手早く済ませて見せなさい。」
ーははあ、なるほど。
ー*ー
1320年9月26日、鎌倉、護良親王行宮
「すでに安房、上総、下総は陥落、わが方の軍勢は霞ケ浦北方にて決戦を行う模様!」
「相模国に敵の軍勢侵入、我らが農民軍を蹴散らしなおも進軍中!」
ーまさか、当てが外れるとは。
当初の予定では、関東平野中に農民軍をゲリラとして散らしてあちこちをひっかきまわし、自軍も隙をついて何度も鎌倉を襲撃、決戦を避け、消耗した幕府軍が立て直せないうちに、長期戦で緊張感を欠き警戒が緩くなった鎌倉へなだれ込みつつ調略により関東中の武家を寝返らせ、降伏せざるを得なくする、もっと言えば、「北条はもう勝てないと思わせる」戦略を取り、はるかに練度の低い兵で北条を削り切るつもりだった。
だが実際には、北条は決戦どころか籠城すら避け、我々は一回の鎌倉襲撃と数回のゲリラ戦で鎌倉も関東平野も手に入れてしまっていた。そして、本当に俺が欲しいものは、どちらもするりと抜け出してしまい、拠点をなくし根無し草となった幕府軍は遊軍と化して敵地のただなかを正面突破してきている。
となればすべきことは一つ。鎌倉での籠城戦だ。
籠城すれば後がない幕府軍ならいざ知らず、関東中に農民軍を散らばらせ、さらに次期天皇であることから西日本、楠木正成らの援軍が到着し始めているこちらは、充分に勝機がある。まあ、アレの使用はせざるを得ないだろうが。
「味方全てにのろしを上げよ。『決戦は不可なり』『正規軍は相模国南方へ集結せよ』だ。繰り返す、『決戦は不可なり』だぞ!」
ー*ー
1320年9月27日、鎌倉西方
あっという間に、障子にシャーペンを投げつけるような(それでトキにしこたま怒られたことがある)勢いで、相模・湘南両方面軍は相模南部(未来の神奈川県)へ進軍した(ついつい、この時代には房総半島南部は三浦半島と海路で連絡していて、本来陸路で東京湾を回り込み鎌倉へ向かったりはできないだとか、「湘南」なんて地域名はまだないだとかを忘れていた)。
そうして今、関東遊軍は、鎌倉北方、極楽寺切通しのそばまで来ている。わずか12日前には朝比奈切通しから朝廷軍が進駐したらしいが、その時戦いもせず鎌倉を明け渡した幕府軍と違い、朝廷軍は切通しの両側にも向こうにも軍勢を待機させ、切通しを死守するつもりらしい。
しきりに、鎌倉のほうでのろしが上がっている。どうやら護良親王は、籠城のために準備を整えるつもりらしい。それが罠と気づいているかどうかまではわからない。あとは、登子が滞りなく手はず通り進めてくれていることくれていることを信じるだけだ。
-ホントに、トキに全幅の信頼を置いているという点では、橋本と同じだなぁ。
「高時、本当に、他の切通しは攻めなくてもいいので… か?」
「ですか」って聞こうとして、立場が逆転したことを思い出したらしい。
「それをやっても、飽和火力攻撃できるほど、七寸砲も、火薬も、足りない。通常兵力で力攻めしても、切通しの構造上一度に戦える人数は切通しの幅以上ではありえないのに、断崖の上から射かけられたら一人も残らないうえに、岩でも落とされたら本格的に通れなくなる。だから、切通しが全く変わってしまうほど地形を変える砲撃でもなきゃ、鎌倉には入れない。そしてそれができる短い切通は、ここだけだ。」
まあ裏切りとか長期戦とか貯蓄物資とか心配してみすみすそこを放棄した執権もいるけど。
「むしろ、後ろに回れこまれないように気を付けないと。相模は基本敵の占領地だし。味方の数も敵の数も全く信用ならないし。」
「信用ならない?味方の報告を信じないのか?」
「この時代、ただでさえ数の数え方はざっくりとしてるし、歩兵の数なんて簡単にはわからない。しかも、味方は多めに、敵は少なめに見積もるのが人間の習性だから、素直に受け取るわけにはいかない。」
朝廷軍4万、元幕府軍4万、百姓軍5万に対し、相模方面軍2万、湘南方面軍3万、箱根方面軍5000、安房方面軍3万、関東遊軍4万(うち七寸砲20門、三寸砲6門)…というのが挙げられた報告の集計結果だったが、実際はもっとひどい比率だと思う。今も足柄・碓氷両峠から朝廷軍が侵入していることを考えると、鎌倉に4万の朝廷軍、湘南地方に元幕府軍6万、それ以外の地域に農民軍10万、増援の朝廷軍1万から10万以上...朝廷側の立川流信徒や徴兵者がまだ充分な練度に達していないことを差し引いても、戦力差は2倍だろう。
「だから、決戦は避ける。たぶん決戦で一度勝っても、またやらされるし。それに収穫前なうえゲリラが出没する今、安房で調達できた分以上の兵糧はない。」
それ以前に、収穫と年貢米の輸送がまともにできない状況が続くと、年貢がなくなって幕府財政が崩壊するだろうし。
「パッと見、練度がずっと劣って、しかもできたばかりの朝廷軍なんて鎧袖一触に思えるんだけども。」
兵站、後方支援の考え方がなっていないうえに、ゲリラ戦への対策もなければ、武家同士で戦って大将首を取る以外の戦いのビジョンもない。そういう、鎌倉時代の戦術思想に、護良親王の百姓兵の存在は驚くほどに刺さっていた。何もせずただいるだけで、与えるプレッシャーが半端ではない。
「高時様、砲座、完成しました!」
「目標は極楽寺切通し一帯だ。誰も近づけるなよ。」
ーさあ、決着は、明日だ。
ー*ー
1320年9月27日、箱根山麓東側
「皆の者、突っ込めー!」
三角の陣形、いわゆる「魚鱗の陣」である突撃陣形を取った3万の湘南方面軍は、箱根要塞を攻めあぐねる元幕府軍と農民軍の混成部隊6万へ正面から突撃した。
後世には一連の「鎌倉逆包囲戦」の中で唯一「決戦」と呼ばれる戦いとなったこの箱根登山戦だが、実際には戦いではなかったとも言われている。
箱根要塞軍のうち金沢貞顕麾下の3000も呼応して馬にも乗らずに山を駆け下り、山頂とふもとの両方から迫ってくる悪鬼のごとき武士たちに、一時的に信仰心を恐怖がうわまった百姓兵は、道を開けてしまった。さらには元幕府軍には幕府側に加わろうとするものや二重スパイの志があったものも多く、おろおろしている間に湘南方面軍は東海道を直進し3000の脱出勢と合流してしまったのである。
合流後の朝廷軍は、散々な目にあった。少しでも味方を有利にしようと考えた赤橋守時は、脱出勢の先頭に赤い布をまとった馬を走らせていた。合流を見て取るや、その鮮やかさを頼りに要塞からすべての砲を東側へ集めての全力射撃が決行されたのである。
連続する爆発。
転がり落ちる土石。
攻撃に対して反撃を試みることすらなく、転がり落ちるように下山し鎌倉へ走ってゆく馬と武士たち。
この戦いで、幕府軍は300以上の戦死者と、その5倍近い事故死者を出した。
東海道は幕府軍の馬と武士の死体であふれかえったが、しかし朝廷軍も幕府軍を阻むことができず、裏切りと逃散が続出、立て直しが利かなくなり、幕府軍を追うこともかなわずに要塞砲の射程圏外へと退却していった。
箱根要塞軍の半分を飲み込んだ湘南方面軍は、一夜にして鎌倉まで到達した。これを俗に「相模大返し」と呼ぶ。
ー*ー
1320年9月27日、鎌倉沖、和賀江島
深夜、月明かりも雲に消灯されたとき、数十艘の船が、数百メートルある石造りの桟橋に、忍び寄っていた。
「荷揚げを急げ!」
「ばかもん!こっちが先だ!」
「座礁させるな!」
「邪魔だ、どけ!」
鎌倉市民が避難して一か月近くがたち、和賀江島は、二度と来ぬかと思われもした喧騒に包まれた。
「まず土台と滑車台からって聞かなかったのかしら!?何やってんのよ!」
「火薬はぬらさないように気を付けてよ!」
勾子と登子も、セーラーカラーとセーラースカートをなびかせ、明かり一つない闇夜の波打ち際で走り回る。
「というかこの服は何なのかしら!?こんな薄いの…」
「じゃあいつもの小袖着て走り回りたい? …水吸ったら重そうだし足踏み外したら助からないかもだけど。」
「でも、こんなのもし波かぶったら、透けちゃうじゃない!」
「…黒だから大丈夫じゃない?それにもしそうなったら、義貞が振り向いてくれるよ。」
「はい?義貞?ますますいやだわ。」
「勾子殿!砲座のそっち側はどうなっている?」
「ちょっと傾いて隙間が…て、後ろ!海に落ちて風邪ひいても困るわよ!」
義貞は、海まで数歩分はあることを慌てて確認し、首をかしげた。
「…ツンデレ?」
「知らない言葉で鳥肌が立ったの、初めてだわ。」
義貞を目で追いかけていた勾子は、心底いやそうにそう答えた。
ー*ー
1320年9月28日、鎌倉、極楽寺切通し
「三、二、一… 撃ち方初め!」
ドン、ドン、ドンドン、ドンドンドン、ドンドンドンドンドンドン!!!!!!!!!!!!!!
鼓膜が耳ごと吹っ飛ぶんじゃと思うほどの轟音が、谷間にこだまする。
ドゴン、ガッ、ゴーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!
着弾した砲弾は、貫通力を下げるために軽く、筒型に作られていた。貴重な火薬が大盤振る舞いされ、青銅の砲殻は岩をも打ち砕く。
あっという間に、ガラガラという岩なだれの音は、吹き上がる白い煙に消えた。
「やったか!」
高氏の歓声に、「それはフラグだよ」と高時が思ったその時、
ヒューーーー...
煙の向こうで何か笛のような音がし始め、
ドン!
幕府軍の中央で、爆発が起きた。
「暴発か!?」
ヒューーーーー... ヒューーーーーー...
「いや、我らの火薬、大砲ともに、異常はございませ」
ドン、ドン、ドカーーーーン!
「大砲が爆発したぞおー!」
「誰か、早く火を消せ!」
高時は、まっすぐ飛翔してきた何かが、大砲を直撃、巻き込んで爆発し、傍らにあった砲弾までも誘爆させたのを見ていた。
「敵にも大砲が!?」
「違う、高氏、これは…」
ー*ー
1320年9月28日、鎌倉、護良親王行宮
「数十発のロケットだ、さぞかしお気に召すだろうよ。」
白煙上がる極楽寺の方角を見ながら、護良親王は油っこい手を洗っていた。
「火力兵器を作るなら、草生津の石油を見逃したのは失敗だったな。この時代の技術ですら、原油の精製は楽勝だったぞ。」
そして、液体燃料が手に入るのなら、簡単なロケット砲・ロケット弾の量産など、朝飯前。
「大砲を押し立てる戦術の弱点は、こちらからの火力攻撃に対し弱すぎるところだ。全部誘爆してしまえ、一野。」
ー*ー
1320年9月28日、鎌倉、極楽寺切通し
「大砲を下げ、山陰に隠せ!ロケットはまっすぐにしか飛ばない!仰角いっぱいで山を飛び越えさせれば、砲撃は可能だ!」
「高時様、それは不可能です!馬はおびえて言うことを聞かないでしょう!」
「なら人力で砲弾だけでもどかせ!砲は頑丈だから、誘爆しなきゃ耐える!」
朝廷軍はあろうことか、ロケットを撃ち込んできた。
もう50発は飛来している。中には燃焼材を含むものもあって、延焼は止まらず、やむなく大砲のほとんどを放棄する決断を迫られようとしていた。
「しかし、切通しの破壊には成功しましたが、この状況では馬による突撃は不可能、どうするんです!?」
部下の一人が訴える。
「本当ならもうとっくに始まってるはずなのに…」
ー登子、しくじったのか?
-それとも、登子はもう...?橋本なら、登子、トキがかかわってると勘づいたら攻撃を控えるはずなのに...
ドーーン!という、ロケットや七寸砲とは比べ物にならない爆発音が鎌倉市外のほうから響いてきたのは、自分が登子たちを案じ始めた、まさにその時のことだった。
ー*ー
1320年9月28日、鎌倉、護良親王行宮
「なんだ!?誘爆か?」
まさか一野のやつ、山を飛び越し、市街まで届いて地震を起こすほどの大口径砲を!?あの山結構高いんだぞ!
馬に飛び乗り行宮を飛び出すと、クレーターとしか思えない、10メートル近い直径の穴を中心に、隣の屋敷が崩れ、燃え始めていた。
「どこからだ!?申せ!音はどこでした!」
パニックを起こす兵たちの一人を捕まえ、問い詰める。
「わ、和賀江島からです!」
「和賀江島、だと!」
あそこには、勾子が逃げるため立ち寄ったはずだ。
勾子をかくまえるほどの勢力が、どこかにいる。
そんな勢力多くはないのに、登子も逃げている。高時と行動を共にしてはいないことは調査済みだ。
勾子が登子のいる勢力に逃げたなら、逃げれた以上戻ってこられる。
-まさか、和賀江島の大口径砲の指揮官は...
「-時乃!?」
ー*ー
1320年9月28日、和賀江島
「次発装填!急いで!」
「上陸戦用意よ!何やってるの!?ああもう、私が行くわ!」
紺のセーラー服の裾をはためかせ、二人の美少女が石積みの埠頭を走り回る。
両側にアームの伸びた、いわゆるアウトリガーカヌーが20隻、屈強な武将たちを満載し漕ぎ出す。
勾子が、本当にアウトリガーカヌーに飛び乗る。
「勾子殿、本当につい来られるのですか!?」
「あんたじゃ安達の兵を指揮できるか怪しいでしょう!それだけよ!
だから、背中は守ること!」
登子は、そのセリフを聞いて吹き出しそうになりつつ、鎌倉の方向をにらんだ。
「私も、高時と、会いたいなあ...」
「装填完了!弾着、修正します!」
「東、ちょい!」
「東ちょい、了解!」
「撃って!」
登子が声の限り叫ぶと、屈強な武士が、石積みの上を占拠する巨大な鉄の台座の上で、これまた巨大な大砲の砲尾の棒をたたく。
元応元年式長射一尺砲。正史においては600年後、ロシアバルチック艦隊を粉砕する30,5センチ砲が、砲尾に取り付けられた火打石で炸薬に着火され、30,5センチ榴弾を吐き出す。
慌ててしゃがむ兵たちの上を、ものすごい爆風が吹き荒れ、鎌倉へ漕ぎ出したアウトリガーカヌーが、左右に大きく揺れ、両側に張り出したアームの先に渡された竹の棒が海面に突っ込んでは大きなしぶきを上げる。船上では義貞が勾子を支える。
安東氏をたった5発で滅亡へ追い込んだ巨砲弾は、白い煙の中から鎌倉市街へと飛び出し、むしろ短すぎる距離をほぼまっすぐ飛び、もともと安達家の屋敷であったところへ落下、その衝撃で炸裂する。
「無残なものね。」
勾子がぼやく間にも、煙は広がっているようだった。
ー*ー
1320年9月28日、鎌倉市街
もはや、論理的証明も、理性的思考も、何の役にも立たなかった。
ー間違いない。あの大口径砲の指揮官は、時乃だ。
「殿下、いかがいたしましょう!?」
-雰囲気が、気配が、香りが、感じられる。
「和賀江島をロケット攻撃いたしましょうか?」
-生まれて初めて、実在を疑わずに済んだ、何も証明しなくてもすべてを信じられた、天使の存在が、感じられる。
「許さぬ。」
「はい?」
「ロケット攻撃は許さぬといったのだ!和賀江島への一切の攻撃、まかりならん!」
時乃が死んだらどうする!
「し、しかしそれでは、我らは全滅してしまいます!」
「敵とて鎌倉のすべてを焼くことなど望んではおるまい!必ず逃げ場は...」
ドゴーン!
その時、西方から、今までの砲撃やロケット砲撃とは比べ物にならない爆発音が響いてきた。
「まさか、極楽寺切通しを…!」
「殿下、和賀江島から、たくさんの船が…!」
ー*ー
炎を引きながら、何かがたくさん飛んでくる。
「かがんで!」
「勾子殿、心配ご無用!」
勾子が袖を引くのも構わず、義貞は座ったまま、やおら立ち上がる武士たちを見ていた。
何人もの武士が、弓矢を引く。
ある者は目を細め一回。
ある者は、いくつもの矢をいっぺんに、目にもとまらぬ速さでつがえ、放ち、またつがえ。
それは、間違いなく、世界初の、対空射撃だった。
ロケットとしては信じがたいことだが、いくつかは実際、それで撃墜されたのである。
しかし、それらのほとんどは船の上空を飛び去って行った。まっすぐ飛べるロケットはしかしそのために、発射点より少し下に位置する物体に命中するにはその俯角を微妙に調整せねばならず、しかし原始的なロケットは燃料減少による重心変動のため、狙いをつけたとしてもまっすぐあたりに行ってくれるわけはない。まして大砲による爆風の名残と海風が吹く中で波間を揺蕩う船に当てるなどできるものではなかったのである。
砂浜が弓矢の射程に入る少し前に、船べりに伏せた新田・安達軍の武将が、木のグリップがついた鉄の棒ー鉄砲ーの引き金を引いていた。
引き金がひかれることで、火打石が内部で打ち合わされ、火花が炸薬に着火、爆発は鉛玉を筒の外部へ押し出す。
弓矢を構えた朝廷軍の兵士に衝突した直径1センチ以下の鉛玉は、衝撃でつぶれながら進み、10センチ以上の傷口から血液とともに身体の後ろへ抜けた。
数度の射撃で、砂浜の守備軍は一掃され、アウトリガーカヌーは浅瀬に乗り上げる。
「鎌倉を落とすわよ!突撃!」
勾子が、長刀を手に船を飛び降り、武将たちは必死にあとへ続いた。
ー*ー
「登子、ありがとう…
全軍、突入!」
切通しの向こうから立ち上る煙と、やんだロケット攻撃。これらが示すものはただ一つー和賀江島から、登子が支援砲撃したのだ。おそらく朝廷軍が布陣していたのは極楽寺だろうが、山より高い黒い煙を見るに、ロケット燃料(?)に誘爆したのだろう。お坊さんたちが事前に避難していたことを祈るしかない。
すっかり岩がごろごろ転がるようになった切通しを、騎馬の武将たちが次々に走り抜けていく。大砲はもはや味方を巻き込む危険性から使えないが、その代わりに彼らは鉄砲を標準装備だ。
「さて、高氏、北に向かうか。」
「ここはもういいのか?」
「もう決してる。アイツなら北から脱出を試みるだろう。まだまだ相模の朝廷方は多いしな。だけど今なら、朝比奈切通しごと和賀江島から仕留められる。ならやるべきことは、その残滓を追撃することだ。」
ー*ー
1320年9月28日、朝比奈切通し
ドゴゴーーーーン!
その一発が、朝廷軍の運命を決した。そういっても過言ではない。
新田義貞率いる海兵隊突入により、鎌倉放棄を決めた護良親王は、背後で爆発音が響いたのを聞き、さすがに肝を冷やした。
振り返れば、狭い切通しは、完全に崩落、ふさがってしまっている。足止めされた後続の軍勢は、極楽寺切通しから侵入する幕府軍本隊と、異常に強い上陸軍に殲滅されてしまうだろう。
「くそ、一野…
まあいい、まだ手はいくらもある。今は勝利に酔いしれるんだな。」
ー*ー
1320年9月28日、鎌倉北方
「やあー!」
「金沢殿、対処を!」
鋤や鍬で立ち向かってくる百姓たちは、そこそこの練度を誇っていた。ここ数週間あちこちの代官所を襲撃していたらしいから、納得ではある。
「高氏、追撃は中止だ。」
悔しく唇をかみしめながらも、街道のはるか向こうを駆ける馬の集団と、そこに翻る旗をにらむ。遠くからでも見えるそれは、白地に、赤い円から広がる16本の赤い線ー旭日旗に間違いなかった。
「…非国民だといわんばかり... 橋本、そんなに自分が嫌いか?」
「追撃しないってどういう…」
「今我らは、基本的には鎌倉まで一気に突出して再占領しただけだ。相模にはまだ、足柄・碓氷を超えてきた朝廷軍があふれてる。下手を打つと、大砲と火薬をすべて失う。」
大砲は殲滅兵器、いわゆる「マップ・ウェポン」ではあるが、所詮敵の突撃すべてを阻めはしない。だから護衛が必要なのであって、もし今湘南方面軍が鎌倉まで駆ける途中無視して置いてきた朝廷軍が追い付いたら、砲兵隊は全滅し、再生には年単位の時間を要するだろう。
「…それと、敵の大将は、護良親王は、たぶん、こんな事じゃ捕まらない。やはりあいつは、自分たちと一緒だ。」
「…だからあの兵器か。
...いつか、追いつめられるのか?」
「さぁ。」
もう追い詰められている、そんな気もした。
ー*ー
1320年9月28日、後世に言う、「鎌倉逆包囲戦」は終結した。
鎌倉を放棄し安房へ退避した幕府軍は、守邦親王から足利尊氏に将軍位を移し、士気の高揚を図るとともに、軍制を一新。さらに相模へと陸路で舞い戻り、箱根山の友軍を糾合し、極楽寺口で朝廷軍のロケット砲兵隊と砲撃戦を行った。
同時に和賀江島に上陸した赤橋登子率いる長射砲部隊が朝廷軍本営を撃ち据え、後に世界最強の歩兵部隊と称賛されることになる海兵隊の走りである新田・安達隊が由比ガ浜へ上陸。
極楽寺のロケット砲陣地も破壊されてしまったことから、朝廷軍総大将・征東大将軍護良親王は撤退を決意。更なる砲撃により分断され兵力の8割を喪失するが、百姓軍や朝廷方の元幕府軍の動向を無視できなかった幕府軍も追撃を断念した。
その後数週間、朝廷方の武士を各個撃破しながら再び相模国を再占領、箱根要塞を解放し伊豆側の朝廷軍を一掃した幕府軍は、降伏勧告を無視した百姓軍の一部に対しゲリラ狩りを実行。毒武器を所持する百姓軍に苦慮した結果、双方ともに少なからぬ損害を出したが、関東平野八か国は再び武家のものとなった。
-鎌倉で、なぜ護良親王が和賀江島へのロケット砲撃を禁じたのか、そして、危険にもかかわらず、なぜ執権北条高時は、恋人である、赤橋登子をずっと最前線に置いていたのか。これらの謎は、永遠に日本史に残り続けることとなる。
ー*ー
1320年9月29日、鎌倉、由比ガ浜
残敵掃討を待って上陸する登子たち。そんな場合でないと知りつつも、自ら出迎える以外の対応が思い浮かばなかった。それに、言うことも。
双胴船(!)が、砂浜に乗り上げる。
一番に、セーラー服の少女が走ってきた。
汚れがわかりにくい紺色の服なのに、黒くなっているのがわかる。
「たかと-きー!」
思いっきり抱き着いてきて、貧弱な自分の体力では支えきれず砂浜に倒れた。
硝煙の匂いがすごく鼻につく。
「頑張ったなぁ。」
「ううん、当然だよ。」
-そうか、登子もか。
「なぁ登子ー」
「うん?」
その瞳は、期待に濡れていてー
「結婚しよう。」
-うなずく姿はー
「おけ!」
-とてもかわいかった。
ー*ー
1320年10月16日、鎌倉、鶴岡八幡宮仮御所
「高時、本当に、どうすればいい?」
もはや確実に、幼なじみの彼氏だと判明した男は、とんでもない置き土産を残していた。
「…ひどいことするよね。破産しちゃうわ。」
登子も、ため息をつく。
「しかしまさか、最初から狙いはこちら、などということは…」
守時が、現在判明している農地への被害の一覧を筆の尻でたたき、顔をしかめる。
「ありえそうだなぁ。しっかしまあ、片っ端から田畑を焼いて回らせるとは、ひどいことを。」
しかしこれでは、年貢が入らん。飢え死にするぞおい。
車座になって顔を突き合わせても、山積する問題の解決法は見えてこない。
-収穫前の焼き討ちにより激減した年貢の補填。
-朝廷軍に離反した武家の処遇。
-離反武家、それに長崎・安達の穴埋め。
-高氏を正式に征夷大将軍と認めさせる手はず。
-京の後醍醐天皇・護良親王への対応。
-いまだ流動的な、駿河以西の情勢。
「全く、政治なんてやるもんじゃないなぁ。」
高氏が深くうなずく。
「お困りのようじゃの~」
ガタピシと音を立て入ってきたのは、前将軍、守邦親王だった。
「ふふ、余にすがるか?」
-そういえば、皇族だから、京とのパイプぐらいありそうだ。それなら、理想の解決法がとれるやもー
「それでは、こちらの提案を、伝えていただけますか?それとー」
登子のほうを見る。せっかくだから、続きは代わりに言ってもらおう。
「おけ。-寒いところは、お好きでしょうか?」
ここから先は、完全に正史を離れます。架空の人物もそこそこ登場します。そのつもりで。