(1316~1317)そして吹き荒れる、恋と時代の嵐
足利、新田との関わりが進む中、とうとう、高時に逆風が。
(「俺と、付き合ってください!」)
「ごめんなさい、私は、『石垣時乃』は、あなたの愛を受け入れるわけにはいかないの。」
「北条、高時、いや...一野め!」
-*ー
1316年7月12日、鎌倉、赤橋家屋敷
「執権、北条高時です。」
「赤橋登子と申します。」
帯刀こそしていないが、緊張した空気が漂っていた。
最初にためらいがちに口を開いたのは、高時だった。
「『わが命数を縮め、その代わりに3代後の子孫に天下を取らせよ』」
「? なんだそれは」
新田義貞は首をひねったが、又太郎と如意丸ーのちの足利尊氏と足利直義ーはあっと叫んで顔面蒼白となった。
「おいおい、本当であるのか…」
その反応を見て、高時と登子までも顔を青ざめさせる。
「な、何故、それを…」
この場では15歳で最年長の義貞だけが、事情が分からず戸惑っていた。
「又太郎殿の3代前の足利家当主、足利家時公が、自害なさった時に残した置き文の内容です。八万大菩薩にこうして祈っていると… ただ、半ば都市伝説なのに…」
登子が説明すると、義貞は「おいおい」と、困惑を示した。
「そういや聞いたことがあるぞ。遠い昔、源義家公がなくなられた際、7代後の子孫に生まれ変わり天下を取ると言ったという伝説を…」
義貞は指折り数えて、足利家時が源義家から7代後であると気づき、嘆息した。
「結局、足利はやっぱ、源氏の嫡流気取りかよ。けっ」
何やら機嫌を損ねた義貞だったが、残り4人は事態が深刻化していることに愕然とし、半ば恐慌をきたしていた。
何せ、足利又太郎が天下を取るとは、足利が北条を排除することを意味しかねない。北条にとっては足利の敵対が発覚したということであり、足利にとっては幕府への謀反と思われて滅ぼされる可能性が浮上したということである。
「…兄上!かくなる上はこの二人を倒し、源氏の意地を見せましょう!」
(「戦艦大和が沖縄に向かうときに、海軍幹部が艦長に告げた言葉、知ってる?」)
義貞は、すっかり北条と癒着して源氏の誇りを失ったかと思っていた足利の過激な発言に驚いた。
しかし、高時は、ちょうど昨日聞いたばかりの時乃の歴史雑学を思い出し、考えるより先に口を開いていた。
「さすれば足利だけでなく、源氏を慕う諸将も集まり一矢報いられるばかりか、我々の遺志を継ぎ北条の悪政を滅ぼすものが現れるでしょう!」
(「『一億総特攻の、さきがけになってください』だよ。」)
「ばか!死んでどうする!まして、自分が死ぬこと前提の作戦など... 武士をやめてしまえ!」
突然の高時の怒声に、一同は震えあがった。
「何のために、領地を持っているんだ?何のために、悪政を滅ぼそうとしてるんだ?言ってみろ!」
高時が如意丸の襟をつかんで怒鳴るのを、男子3人は止めることができなかった。
「そ、それは、民草のため」
「というならば、自分の命と引き換えに戦を起こして、源氏の意地なんてもののために国民を苦しめるのか!」
「治くん!」
ただ一人、登子だけは、高時の豹変に対処できた(致命的な言い間違いを犯したが、だれもそこに突っ込む余裕がなかった)。
「張り詰めた状態で熱くなると性格が変わるのは知ってる!でもあなたは、『北条高時』なんだよ!」
いつもは温厚な平凡男子、一野治、だが、心のスイッチが入ると人が変わりー時乃にしか止められない。
「トキ…ごめん。だけど、この前の実験といい、破滅に向かってるような気がして...」
誰かが死に、その遺志を継ぐ者が現れた結果、国そのものが傾くことは珍しくはない。ビンラディン亡き後のアルカイダとムスリム諸国を上げるまでもなく、国を割っての仇討などロクなことにならない。まして今この国では、女子供でも戦える火薬兵器を作ろうとしているのである。戦う理由と手段がそろえば、憎悪の連鎖の行き着く先はー破滅だ。
「とにかく、別にその件を責め立てようとか、足利に害を与えようってわけじゃない。誰しもばれたらやばい秘密の一つ二つはあるし、それでもはっきり決着をつけておくべき秘密もある。」
なら、あの、時乃ちゃんのことも? 時乃ちゃんの気持ちも?
登子はそう思ったが、すぐに首をぶんぶん降ってその考えを追い払った。ただでさえ今も700年後に意識の半分が割かれているのに、考え事に意識を使ったら、中途半端で何一つ残らない。
「このことはスッキリさせといて、そのうえで、北条を立て直すのを、手伝ってほしい。」
「「「な...!」」」
「虫の良すぎる話だってわかってる。だけどー北条はもう、長くない。」
「それ、言って、いいの?」
「よくない。よくないけど... その先を、足利が天下を取ったときのことを、考えてほしい。」
足利と新田を説得する、唯一の方法。高時はこの論法にー史実に賭けていた。
「幕府を開いて、北条に成り代わっておしまいじゃないのか?」
「で、どこから征夷大将軍の勅命をもらうんだ?」
「そりゃ...あ」
義貞が、高時の言わんとすることを察して、頭を掻きむしった。
「新田も他人事じゃいられないかもね。」
登子が付け加える。
天皇家は1316年時点では、大覚寺統と持明院統の二つに分裂、対立してしまっている。今は持明院統の富仁が天皇だが、10年ごとに天皇交代という幕府との約束に基づき、1318年には大覚寺統の尊治が即位することが内定している。この尊治こそ、のちの世にいう後醍醐天皇だ。
けれどむろん、幕府がなくなってしまえば、どちらも約束を守るなどありえない。
「もし足利が大覚寺統から征夷大将軍の宣旨を受ければ、持明院統は足利のライバル、例えば新田を征夷大将軍にするかもしれない。さすがにそれは極端としても、京の公家は武家を軽視しているし、武家は今さら公家の犬には戻れない。足利と新田の対立が、持明院統と大覚寺統の対立、公家と武家との対立に絡めば、天下は荒れに荒れて、戦いは50年やそこらじゃ終わらない。」
足利兄弟はすっかり口をつぐんでしまった。
「だから、天下の政治をとれるような人間でありたいならー北条を支えて、鎌倉幕府を、天下を、救ってもらいたい。」
又太郎の目が揺れ動く。
「私たちも、北条をぶっ壊すくらいの覚悟で臨むから、どうか、手伝ってください。」
又太郎の目が、ゆらゆらとさまよい、ふと、登子を、登子の長い黒髪をとらえた。そして何を思ったか、登子に、うなずいた。
「われら足利、天下のため、北条をお支えします。」
「あ、兄上っ!?」
「…なぜかモヤモヤするけど、まあいいや。新田はどうする?」
「ここまで道理を説かれて、その上女子に泣きつかれて、断れば鬼でしょうよ!」
「そうかそうか。」
登子に、心動かされた。その事実は、高時の中の、登子に惹かれる部分では不満でなくもなかったが、しかし未来を知るものとしての部分では限りなく安心を感じさせた。
「一人の人間、か…」
「どうしたの?」
「秋田城介が、『一人の人間である以前に北条家の棟梁だとわきまえろ』っていつも言ってたんだけども、どう思う?」
「それは...」
「一人の人間であることを忘れたら、もう、その立場に自分がいる意味がない。だから、一人の人間としての判断を、大事にしたい。別に自分じゃなくて誰でもよかっただなんて、思いたくないから。」
登子だけが、「未来の情報を与える者として、どうしてほかの誰でもない自分、一野治が選ばれたのか?」という問いに対しての、そして自分が持つ同様の問いについての姿勢を示そうとして、高時がこの台詞を言ったのだと気づけた。そして、この姿勢が、この時代においては、この先、試されるものだということも。
ー*ー
「それで、今後の目標を明かしておきたいと思う。正直なところを言ってくれ。」
「長崎と安達をぶっ潰す、じゃだめなのか?」
「それで第二第三の長崎が出たら嫌だから、幕府をぶっ壊す覚悟がいるんだよ。」
「…では?」
「いくつか、新兵器を試作してもらっている。戦そのものを変えるようなやつを。それだけじゃない。世の中を変えるような仕組みを実用化しようと動いている。例えば御家人の指揮方法とか。それで、今のぐちゃぐちゃに絡まって腐った幕府の体制を作り直す。
…足利には大軍勢、いわゆる陸軍の指揮を、新田には少数の精鋭の集まりである海兵隊の指揮を、執ってもらいたい。そこを軸に、指揮系統を再編する。
簡単に言えば、将軍も執権も、武家への直接の命令権を放棄、まつりごとに徹する。」
いわゆる「御恩と奉公」の体制の崩壊。のちの歴史の教科書の内容を知る者からすれば、幕府トップがこの提案を持ち出したことは、冗談としか思えないことだった(ただいかんせん、鎌倉時代人の3人は、その発言の意味を全く理解できなかった)。
「つまり、年貢を取ってまつりごとを行う武士と戦う武士に分けて、戦う武士も、軍団と、一騎当千の武将の集まりに分けるんだ。」
「この前、強い武将よりも雑兵の群れのほうが強いって言ってなかった?」
「戦ではね。だけど、1000人分の武将が一人、後方に紛れ込んだり、敵の本拠地に潜んで暗殺して回ったりするだけで、相当な効果が得られる...と、言ってた。」
トキがね、と口に出すような過ちを、二度はしない。
「国民軍と、特殊部隊?」
「うん、まあ...」
乱暴な言い方だ、とあきれつつ、高時はうなずいた。
「とにかく、御内人を整理したら、兵士は全部源氏、足利と新田に返すよ。天下すべては無理だから、天下の武士だけで我慢してほしい。」
義貞が、ぱっと顔を輝かせた。
「二つに分けて一方を...ってことは、足利と同列に立てるのか!?」
「もめないでね。」
「もし高時が、海軍も作るつもりなら、どこの馬の骨とも知れない海賊も同列にならぶけど。」
その時、先ほどからうさん臭いものを見る目をしていた最年少が、口を開いた。
「兄上、これ以上口車に乗せられるのは...」
「如意丸、いずれ君はー兄と争うことになるよ。」
高時が、目を細めて、足利如意丸を見つめる。
「温厚な兄と直情型の弟。二つの天皇家の争いと家来の権力争いの中で、無傷ではいられないよ。」
実際、室町幕府設立十数年後、足利直義は足利尊氏の家来高師直を討とうとした結果後醍醐天皇方に引き込まれ、幕府を二つに割ってしまうことになる。
そんな未来を知らない如意丸は、しかし高時の目から目を離せなかった。
深淵を覗くものは、己もまた深淵にー
彼が高時に見たのは、700年の時の息吹だったのかもしれない。
如意丸はすぐに、又太郎の頭をひっつかんで、自分とともにひさまずかせた。
「足利家は、今後、幕府ではなく、北条高時、並びに赤橋登子様に従い申し上げます。」
「じゃあ敬語禁止ね」
「高時も登子も、いったい何者なんだ?」
「いずれ隠せなくなったら教えるよ。」
ー*ー
それからというものの、高時はひたすら書状に忙殺され、一方で火薬兵器がひと段落したために発明開発は登子にゆだねられた。
将軍の権力を代行する執権の権力を代行する評定衆&内管領という政治構造は、内部に徹底的な矛盾を抱えている。領地の安堵状一つとっても、内管領が起草した草案を評定衆に諮り、将軍の印を得ねばならない。官位が絡めば京へ使いを出し、公家や寺社といった幕府管轄外の勢力がかかわるならその元締めを探し出して煩雑な根回しをせねばならない。そして、これらの連絡はすべて馬でなされるので、日にちを食う上に、決定が伝わったころには情勢が180度変わっていることすらある。
信じがたいほどのややこしさにーしかもすべて事務処理ーストレスがたまる。
(「治くん、定期試験どうだった?」)
(「トキのおかげで上位2割には入れたよ。」)
(「私のおかげじゃないよ、治くんの実力だよ。お父さんが言ってたじゃん。人を治める立派な人になるって。私なんかせいぜい時ぐらいだよ。」)
くそ、イチャイチャしやがって。
いずれ、赤橋登子に、史実通りに足利高氏への縁談が持ち上がるのかもしれない。
ーその時までには、この気持ちに、決着をつけなければ。
ー*ー
「高時様、執権となって落ち着かれましたな。登子様と何事か遊んでおられてばかりなので心配しておりましたが。」
「円喜、口を慎んでくれ。私はともかく、赤橋の分までかばう気は起きない。もめ事を増やすんじゃない。」
おっさんに偉そうにするのにも慣れた。あの平禅門頼綱の親戚だからか、長崎の人間は北条を傀儡にするつもりはあっても取って代わるつもりはないらしい。ホントに嫌な身の程のわきまえ方だ。
「そういえば、安達の嫡男に娘を嫁がせるらしいね。」
「は、しかしよくご存じでしたな。まだ正式に決まってはおりませんに。」
あえて答えない。意外に不気味さの演出が役に立ちそうなおっさんだからだ。
案の定円喜は自分から顔を背け、それ以上小言を言ってこようとはしない。
「それから、例の上下水道だけど、流れてなかったぞ。ちゃんと作ってるのか?」
「は、しかし武士に穴を掘って水を流せとは、あんまりな御命令。武士の誇りを重んじてくだされ。この前の、薬師を集めよという御命令もです。」
「誇りで民が救えたら、考えるよ。」
円喜は、苦虫を10匹噛み潰したような顔をした。
「…百姓など気にかけて、何があると言うのです。」
-ああ、こいつはどうしようもない。
ー*ー
1317年8月2日、鎌倉、北条得宗家屋敷
いずれ、登子の件と隠してきた秘密について、足利兄弟や新田義貞に明かし、登子の結婚問題も含めて決着をつけねばならない。そう、わかっては、いた。それに、足利又太郎が後の足利尊氏だというなら、自分が「高」の字を与えた彼の兄は、どうなってしまうのだろう。それも、察しては、いた。
ただ、こんなに早く、その時が訪れるとは。
「申し上げます!足利家嫡男、左馬助高義どのがー」
-亡くなられました。
気が遠くなった。
ー*ー
1317年8月3日、鎌倉、足利家屋敷
「この先、嫡男となられた又太郎殿には、私の『高時』から1文字与え、こう名乗ってもらう予定だ。」
重い空気の中、高時が口を開いた。
この先、話がこじれれば、とても事務的な事柄を切り出してはいられない。当事者全員がそうわかっていたからこそ、この場の全員ー私、高時、又太郎、如意丸、義貞ーは、高時が差し出した半紙を覗き込んだ。ただ、私は、その半紙に何と書かれているべきか、書かれる前から知っていた。
〈足利高氏〉
「さらに、予定より早いが、如意丸殿にはこう名乗ってほしい。」
〈足利直義〉
「『高』の字はないのか?」
「義貞だってない。 …こちら側にも事情がある。明日からではなく、今日、今、現在からこの名前を名乗ってほしい事情が。」
「高時...」
私は、悟った。高時の、覚悟を。そうして、目を見つめる。
「登子、もう、潮時だよ。」
-高時は、自分たちが700年後につながっているって明かすつもりだ。
覚悟を決めるべきなんだろう。
だけど、信じてもらえるのか?
信じてもらえても、それによって、気味悪がられたり、最悪、排除される結末を迎えはしない?
こんな時、時乃ちゃんなら、どうするんだろう?
ずっと、時乃ちゃんは、私のコンプレックスだった。
彼女が正解できる問題が、全くわからない。
彼女が平気でも、私は実際にはしていないのに疲れ切っている。
同じ経験と、それ以上の追加の経験をして、私だけができないのは、私の素が時乃ちゃんより決定的に劣ることの証左で。
だから、どう見ても時乃ちゃんより劣っているのに、いつも、時乃ちゃんを支える側の治くんに、会いたかった。
治くんなら?
高時の瞳が、見つめた瞳が、尋常じゃないくらいに揺れていた。
ああ、そっか。やっぱり、治くんは、不安なんだね。それに、時乃ちゃんも、きっと。
(「どうして、『オーケー』とか『オッケー』じゃなく、『おけ』っていうんだ?」)
(「短くしないと、言ってる途中で気が変わるのが怖いの。」)
「うん。おけ!」
ー*ー
「話は終わったか?」
如意丸ー直義が、言葉遣いを荒くして、切り出した。
「じゃあ聞こうか。どうして北条がーお前らが、高義兄上の死を知っていたのか!
ずっと、不思議に思ってたんだ。源氏の嫡流である足利に軍事を託そうというのはまだわかるが、どうして跡継ぎの高義兄上ではなく、我々なのか。死ぬことを知っていたからーいや、お前らが殺したんだろう!」
「殺すはずがないだろう。毒でも盛ったというのか?」
「そうでなければ、どうして私を後継ぎとして扱ったのですか?」
又太郎ー高氏が、静かにキレていた。
「それはーあの時点、いや、5年前から、知っていたからだ。」
「兄上を毒殺する計画を?」
「違います。のちにあなた方が、私たちを殺すことを、です。」
登子は、あえて、「私たち」と、言った。足利登子は天寿を全うし、死ぬのは北条高時だけだと知りながら。
ー*ー
いかなる意味だ?俺たちが、執権たちを殺す?それはまるでー
ー幕府を俺たちがつぶすだろうと予言しているようじゃないか。
「信じられないでしょうが、最後まで高時の言葉を聞いてください。」
「いまさらそんなもんー」
「数年後、すでに幕府中枢で考えられている通り、足利高氏は赤橋登子と結婚する。
今から16年後、足利高氏は、隠岐に流罪となっていた後醍醐天皇ー今の尊治親王が伯耆国に上陸したとの知らせを受け、討伐のため西へ向かう途中、北条を寝返り六波羅探題を攻める。
一方で新田義貞はほぼ同時に挙兵し、高氏と登子の子である足利千寿王とともに鎌倉を攻め、鎌倉幕府は滅亡する。」
「な、何を言って」
「再び即位した後醍醐天皇はしかし、武家を軽視し、足利をー尊氏を恐れ、北条の残党を倒すため鎌倉に向かったのち帰ってこなかったことから新田義貞と悪党の楠木正成に討伐を命じる。これに対し高氏は持明院統から征夷大将軍の宣旨を受け、天下は二つに分裂。
京の持明院統と吉野山の大覚寺統の争いはその後3代60年続き、さらに高師直とのいさかいをきっかけに足利直義が尊氏を離反。やがて新田義貞は敗死、直義は暗殺される。
千寿王は尊氏の跡を継ぎ征夷大将軍になるが、尊氏の庶子で直義の養子の直冬が吉野の朝廷に味方したために京を追い出され、早死に。足利はこの時期に家臣団をまとめきれなかったことで、尊氏から8代後に分裂、戦乱の時代が100年以上続き、7代で滅びる。
これが、私たちの知る、歴史だ。」
何を、言い出すんだ。そんな未来のこと、どうして、わかるんだ!
-だって、俺は、高氏に、殺されるって、そんなことはー
「新たに三河出身の土豪が天下をとり、15代260年、元よりもっとずっと海の向こうの国が貿易と侵略のため現れたことをきっかけに武家の世は終わりを告げる。百姓から公家まですべての人間が天下を共に治めるようになり、80年。日の本は世界を敵に回し、敗戦してすべてを失う。
焼け野原から立ち上がって75年、もはや武士も争いもなくなり、飢饉も疫病も遠ざかった、そんな未来に、私たちは今もいる。」
そんなことは、ありえないのにー
「だから、少なくともあと16年のうちの、高義殿がなくなられることは、私たち二人は、知っていた。幕府を倒すのは、高氏だったから。」
どうして直義は、黙っているんだ?
ー*ー
どうして1年前、高時の目を見たとき、どうしようもなく怖くなったのだろう?
ずっと、考えてきた。
だけどもう、間違いない。この方は、すべてを知っている。あれはー高時の手のひらで踊らされていることへの、恐怖だ。
「死なないため、天下を割らないため、民を救うため、私たちはここにいる。
納得できないだろうけれど、納得してくれ。我々二人は、未来を知って、いや、今も今を感じているのと同じように未来を感じているんだ。
今も、700年後を生きる二人ー一野治と石垣時乃が見聞きし、感じていることを、同時に経験している。そして、未来を変えるため、私たちは、動いている。
例えば、足利如意丸は、幕府が倒れるまで、足利高国と名乗っていた。だけど今日から、直義と名乗ってもらう。」
今もまだ、仏より恐ろしい者の手のひらの上に。
いや、もしかして。
「おかしいだろう!だったらなぜ、私は最初から直義でないと知っているんだ!最初から直義であるように変えたのだろう!」
気づけば、大声で怒鳴っていた。
「わからない。既にてつはうも実用化し、鎌倉に上下水道なんかないはずだったのに完成している。もしかしたら、時というのは昔のことが今に響いてくれるような簡単なものじゃないのかもしれない。」
なら、それは、救いだ。手のひらに隙間がある、という。
ー*ー
「そもそも、700年後の人物と同じことをなぜ今も経験できるのか自体、全くわからない。ただ、それについて考えるより、未来を知っていることを活かしたかった。だから高義には薬草だって送ったし、一日二食から三食に切り替えるよう勧めもした。そのうえで改めて、ついて来いと、頼みたい。
…むろん、事情が事情だけに、前もって知らせるわけにいかなかった。病など予言されても防ぎきれはしないし、いつ亡くなるか知らなかったから。それは改めてお悔やみ申し上げるし、謝罪もする。さらに、幕府を滅ぼした直接の原因が、尊治親王討伐のため父上の喪中に動員されたことであるから、御父上もあと14,5年の命だろうということも黙っていたことも。
だけどそれとは別の話でー
ー信じて、欲しい。私たちは、未来を知り、変えようとしていると。」
どうすべきなのだろう。
私など、足利をー源氏の嫡流を継げる人間ではない。まして、天下など。
優柔不断。
そんなこと、言われるまでもない。私は兄上にも弟にも義貞殿にも劣っていた。その3人に勝るなど考えられない。
第一、私が高時様に協力しようと思ったのも、登子様に惹かれたからでー
「だから、足利高氏、お前に、登子はー時乃は、譲れない!」
…今、なんて?
「高時!?今、そんなこと...っ!」
登子様の叫びを頭の片隅で聞きつつ、私のすべてが真っ白になるのを感じた。
ー*ー
どうして、わざわざ、「時乃は」と言い直したのだろう。
いや、もう、気づいている。二つの景色が、完全にオーバーラップしてしまっていることぐらい。
夕暮れの教室。 正午の自室。
目を見張るような、流れる長い黒髪の美少女。
インテリな雰囲気の、メガネの長身イケメン。 温和な雰囲気の、ヒゲが似合う長身イケメン。
橋本理。その転校生は、トキと、とてもよく似合っていた。 足利高氏、その武将はー
学年中の、いや、学校中の女子が理を王子様と思い、しかしだれ一人、トキとのカップリングを考えなかった。
「トキは、ずっと、ずっと隣でっ!」
油断していたのかもしれない。「時乃ちゃんには治くんがいるでしょ」というささやきに。
科学オリンピック、物理コンクール、そういった類の賞を総どりする天才王子が、早くも学会に出入りする歴史家コミュニティのプリンセスに、迫る。立ち合いを頼まれ黙って眺める自分は、なんなのだろう。
(「俺と、付き合ってください」)
わかっていたはずなのに、めまいを、抑えきれなかった。
だって、なんで、それで、お前はー一野治は、笑っているんだ?
その、二人の、隣で、笑っているんだ?
「治の、くそやろーっつ!!!」
「ちょ、治くん!?」
「なんでお前はそんなに情けないんだ!
なんでお前はそんなに女々しいんだ!
幼なじみを寝取られて!
笑顔も声も未来もすべて手放して!
好きだったんだろ!大切じゃないのか!」
トキが、頬を赤く染めて口を開いた。
高氏が、直義が、義貞が、戸惑っている。
登子も。
だけど、怒りと絶望を、隠し切れない。
「そんナにいケメンガ怖いカ!
そんナに将来ユー望なてンコうセいがコわイか!
男ダろウ!」
死んでしまえ。
生まれてこなければよかった。
(「おけ!治くんも、いいよね?」)
なんでそんなことをー
「登子っ、お前はー」
登子が、悟ったように目を見開いて、手を胸の前で握っていた。
あの、紺色のセーラー服、未来そっくりの、紺色のセーラー服の前で、「それでも」と。
「ごめんなさい、私は、『石垣時乃』はあなたの愛を受け入れるわけにはいかないの」
なンデ、そんナkおトー
(「トキ、良かったじゃん。」)
-いウnだyo
ー*ー
1317年6月6日、平安京、尊治親王邸
「尊治殿下、護良殿下。鎌倉の我らが同志から、文が届きましたぞ。」
「文観、ご苦労だった。今後とも頼むぞ。」
「無論。護良殿下のお生まれになられた時から、我らは一つ。」
御侍僧文観。まだ高僧としては若い中年男-俺を8年早く生まれさせた男は、そういって俺を見た。
「ふむ、そうか、鎌倉は改革の動きがある。護良、我らも早く動き出さねばな。
執権は赤橋の娘に夢中、と。
蒙古の武器をものにしたやも知れない?」
俺は、この時代で我慢を重ねてプッツン来ていた心を開放すべく、立ち上がり、歩き出す。
間違いない。執権北条高時は、あのくそ野郎だ。
間違いない。赤橋登子は、俺の彼女だ。
とっくの昔にQED。
「北条、高時、いや... 一野めっ!」
ならばどうする?
さあ、理性の出番だ。
いつにもましてつたなくてすみません。それと日時はグレゴリオ暦なので一部の資料とあいません。できる限りの考証はしていますが、あくまで「史実に基づく創作」なので、何かの参考になさる場合、裏をとって下さい。