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(1323年夏~秋)還ること亡き決戦の地へ

 幕府(1323年夏~秋):いよいよ700年の時をさかのぼった戦いが幕を閉じます。登子が選ぶのは、非情な決断で...!

 (「橋本くん、ひどいこと聞いていい?」)

 (「な、なんだ?」)

 (「…治くんのこと、どう思ってる?」)

 (「…敵だな」)

 (「…ひどい!」)

 (「俺だって、時乃以外のことなら理性的に割り切ってきたさ。でもお前に関しては無理だ、ごめん。」)

 (...まあ、私も悪いから...

 でもさ、ずっと思うんだけど、嫉妬してる割に、一番会話してる男の子って治くんだよね?」)

 (「そんなわけ...なんでだ!?」)

 (「うーん、好きの反対は無関心?だから、関心があるのは良いことだと思うよ、うん。

 ...ぶっちゃけ、友達、だよね?」)

 (「それについては検証を拒否させてもらっていいか?」)

 ーとっくにわかっている。

 あそこできっちり検証して、証明すればよかっただけの話だと。

 -過ぎ去った日々は、もう戻らない。

 ー輝かしい日々は、過去に過ぎ去った。

 -こうやって古い時代れきしは終わり、新たな時代れきしが幕を開ける。

 「ー本当に、そうかい?ー」

 「-は?ー」

 「ーでは君は今、どこにいるんだい?ー」


                   ー*ー

1323年7月24日、駿河国、東海道由比

 東海道五十三次や富嶽三十六景の一つであり、700年後ですら狭隘さを天下にとどろかせる交通の要所、由比。文献で江戸時代の話を知っていたから、今は目がほとんど見えないのがいいことに思える。

 高時の言うことによると、知るとおり、波が洗うとても狭い道で駆け抜けなければ波をかぶりそうらしい。なんでそんなところを街道に...

 だけど、もっと正気を疑うことには、向こう側に敵の姿と「神風連ロケットランチャー」が見えるらしい。

 東海道をふさぐためだけの部隊と考えてもよかったけど、他の街道にめぼしい敵は見当たらないらしいし、まさかすべての軍勢を飛行船で降ろすわけもない。船を使うなら話は別だけど、それはもうあや姫に任せるしかない。

 「不運だったかなぁ。まさかここを通るとは考えないほうに賭けたかったんだけど。」

 「たぶん向こうも同じことを考えていたんだと思う。」

 「あちゃー...

 まあ本陣にいる分にはできることもないけど。」

 前線に任せよう、高時は言った。たぶん、手を振ってる気がした。


                    ー*ー

 大覚寺統も持明院統-鎌倉幕府も、軍勢の先頭に殲滅兵器を置きたがった。そしてその点で、護良親王の大覚寺統軍は一歩先を行っていた。

 幕府軍が由比の狭路の先に敵を発見した時、その先頭にあったのは、火炎放射器「連龍口」2基だった。

 一方で大覚寺統軍先遣隊は、多連装ロケット砲「神風連」1基を持ち出してきていた。確実性や命中率に関してはともかく、ビザンチン帝国の「ギリシアの火」の再現に過ぎない「連龍口」の射程は15メートルを越えることもまれであり、1キロ以上の射程を誇る「神風連」ロケットの敵にはなりえない。

 すぐに幕府軍先頭部隊は後方の塹壕歩兵や砲兵隊に火力支援を要請した。それと同時に、「連龍口」から馬を離し、噴射口の竹筒を仕切りを開いて開け、火口ほぐちに点火する。

 サイホン効果により重力を受け勢いよく噴き出した燃料は、着火されるや焔となって噴き出す。しかし、「神風連」まで全く届かない。易燃性の樹木樹脂と生石灰、硝石を混合した燃え尽きるまで消えない炎も、むなしく東海道を洗う波の上で燃えている。

 一方の大覚寺統先遣隊は、ヒュルヒュル音を鳴らすロケットを撃ち出した。しかしながら、街道が狭く遠くが見通せないために、敵はせいぜい偵察隊だろうと思ってロケットを出し惜しみした。そのため一本撃ってはまた一本、ヒュルヒュル鳴る白い煙が、狭い街道をはさむ崖や海面に落下していく。わずかな重心のずれが大きく影響し、真っすぐ飛ぶことは出来ない。

 お互い有効打のないまま、音と光と炎だけが発せられる。

 射程の足りない火炎放射器。

 思い通りに進んでくれないロケット。

 面制圧兵器という鎌倉時代にはまだ存在しない兵器に慣れ切っていたかどうかが、お互いの命運を分けた。

 「塹壕歩兵砲部隊、撃て―!」

 幕府軍は、ためらいなく増援を一気に投入した。

 竹のたがで締められた木製の筒から、7,5センチの直径を持つ砲弾が打ち上げられる。

 20発の砲弾は、一度空高く飛びあがり、それから緩やかに落下した。落下先は崖の上であり海面であったが、一発だけ、街道上に着弾した。

 無駄玉を順々に吐き出し続ける「神風連」ロケットランチャーに、砲弾から飛び散った炎が燃え移る。

 瞬間、宙天高く炎が燃え上がった。

 崖を焦がし、海面を沸騰させ、周りの人間を吹き飛ばしてなお、70発以上の残弾がはじけ続ける。

 この場の大覚寺統軍は壊滅だろう、そう信じほっと一息ついた幕府軍の面々は、直後に次々血を噴き出して倒れた。

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!!!

 機関銃の回転音が、炎の向こうの向こうから響く。

 起き上がるものは、もはや一人としていない。

 だが、幕府軍も異変に気付かないわけがない。

 何らかの射撃があったと悟った難を逃れた兵たちが、そろそろと立ち上がり、走り出す。

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!!

 再びの音とともに仲間が腹から血を噴き出すのを見て、ひとりが慌ててかがみ、地面に這い、匍匐前進し始める。

 その正体をよく知らなくても、歴戦の兵士にはわかる。背中の上すぐで吹き荒れているのは、死神の釜、地獄の風、黄泉の息吹であると。

 少しずつ這い進んだ彼は、一門の塹壕歩兵砲を見つけた。砲手は身体をほぼ両断され絶命している―身体の中でつぶれながら進み傷口が広がる鉛弾を使っているのは(ほかの金属が貴重なので当然だが)両軍共通だった。しかし発火・焼夷性のない鉛では、塹壕歩兵砲の破壊はままならない。

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!!

 塹壕歩兵砲の筒に、砲弾が落とし込まれる。

 下の引き金が、カチリと鳴る。

 ドン!

 煙が噴き出す。

 ボン!

 炎の向こうから、爆発音。

 「やったのか?」

 思わず姿勢を少し持ち上げたその直後―

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!!

 -兵士の意識は、途絶えた。


                    ー*ー

 「機関銃まで出てきたのか...しかしまあ、この時代にもたらしてはいけないものばっかだなぁ。」

 「それで高時、どうするつもりだ?」

 「遠くから砲撃すれば東海道が消し飛び迷惑だ。近づくには危ない。崖の上まで登るしかないが、たぶん向こうも同じことを考えて...」

 「もしかして高時、手づまりな感じ?」

 「うん、もちろん三寸砲と七寸砲を集中投入しながらごり押ししてもいいんだけど、道が明けた先には死角で待ち伏せしてるのは確実だからねぇ...」

 「じゃあさ、こんな手はどうかな?」


                    ー*ー

 1323年7月26日、駿河国由比

 よく考えれば、なぜ最初からそうしなかったのかという話である。

 シューーーーー………………

 風を切る音とともに、何かが落下、地面にぶつかる。

 ドスンと音を立てたそれは、衝撃で飛び散った。そして、発火、爆発。

 「なんだなんだ!?」

 「上だ!」

 「上!?」

 「何か落ちてくんぞ!」

 「避けろ!」

 青空に、いくつもの気球が漂い、焼夷弾を投下する。大覚寺統軍は、関ヶ原で宇都宮公綱が味わったのと同じ、手の出しようがないという悔しさを味わう羽目になった。

 「「「「「「「「「「おらーーーーーーあ!!」」」」」」」」」」

 隙をついて、叫び声が街道を駆ける。波が武士たちの足を洗い、武具をぬらす。

 慌てて、機関銃に兵士がとりつく。

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!!

 あっという間に血しぶきが飛び散るが、機関銃兵は「アチッ」と叫び袖についた炎を払おうとした。

 焼夷弾が作った一瞬の隙を、逃す東武士ではない。

 鉄砲弾が殺到し、その兵士を吹き飛ばす。

 あまりに近い相手には、「神風連」は使えない。ロケットは簡単に射程調整できないのである。

 そのために大覚寺統軍は、いったんやり過ごしての背後からの砲撃を計画した。

 だが、気球が大砲を見つけるほうが早い。

 10機の気球がかわりばんこに煙幕弾を落としていく。それだけで、あっさりと大覚寺統側の大砲は何もできなくなった。

 待ち伏せしていた敵も気球からは丸見えである。むろん煙幕弾も焼夷弾も大した威力ではないが、空から何か殺傷能力のある物が落ちてくる恐怖を与えるというだけで、この戦術爆撃には意味があった。

 混乱状態に陥りつつある大覚寺統軍先遣隊の先頭に、幕府軍が徒歩で突っ込む。

 一度狭隘部を開通させてしまえば、幕府軍も大覚寺統軍も、通常兵力を同じ条件で投入するのみである。

 すぐに安全が確保されたとみて騎馬隊が後に続き、馬上からなぎなたで切り払い、槍で付き、殴り、さらには太刀で斬りあう。そこに繰り広げられたのは、昔ながらの戦風景だった。

 血が飛び肉が斬れ飛ぶ誰もが血を浴びる肉弾戦。

 完全に乱戦に陥った中で、何人かが「神風連」をめぐり敵味方すら無視して斬りあう。

 そして最終的に、「神風連」の発射レバーを握ったのは、北条の旗指物を背中にさす男だった。

 「者どもよく聞けーい!この武器は我が物にしたり!矛を収めよ!」

 さもなくば、遠慮なく撃つぞ。そう叫ぶ男の剣幕により、大覚寺統軍先遣隊は降伏した。


                    ー*ー

1323年8月1日、駿河国、大井川西岸、金谷

 まったく、ここまで押し返されるとはな。

 しかしここはあの、「越すに越されぬ大井川」、橋なくては大軍の渡河は難しかろう。

 ずらり並ぶ、弓矢、鉄砲をもつ武士。これを破って進軍するなど、不可能だ。

 「殿下、対岸に、賊軍が現れました。」

 「臨戦態勢。気を抜くな。」

 経験していればわかるが、大砲にこの大河を越させるのはかなりの手間だ。分解し、ぬらさないよう細心の注意を払わなくてはならない。だから由比で防衛に失敗したと聞き、火器を置き去りにしないで済むだけの時間が得られるように即座に撤退したのだ。

 さて、お前はここを渡れるか?渡れたとしても、船を用意し、大砲を乗せ、馬とともに河を渡り、もう一度組み立てるだけの時間、安全が確保できるか、一野?

 「殿下、船が現れました!」

 「船?」

 ...漁師には漁に出ないよう命じたはず。敵だな。

 「そっちが船ならこっちも船だ!出せ!」

 

                    ー*ー

 高時とて、大覚寺統軍が河向かいで準備万端待ち構えているだろうことは予想済みである。力攻めで渡河しても、波の中をバシャバシャやりながら矢を射るのと、悠々陸上で構えて射るのとでは全く結果は明らかだ。

 だったら、絶対に矢が通らない物から攻撃し、西側にいるであろう大覚寺統軍の一か所にでも突破口を開けるしかない。結局その答えは、船というわけだった(積載量が足りないうえ攻撃が風で分散する気球では話にならなかった)。

 幕府が有する7隻のモニター砲艦は強力ではあるが、大型の鉄船ということもあって浅い河を遡行するのは自殺行為といってよい。沈まないにしろ底をすったら塗装傷からさびてしまう。それにそもそも無線通信のない時代、洋上の船と連絡をつける手段などないに等しかった。

 そこで高時がやむを得ず作ったのは、漁船を改造した河川砲艦だった。

 見た目としては、7メートルほどの小さな船である。上には竹でできた小屋が建てられている。

 小屋の壁面の小さな隙間から、銃声がとどろく。

 対岸から現れた小船もまた、ほぼ同じ構造をしていた。弓矢の攻撃を受け流し、一点に打撃を与える。そういった点ではお互いの設計思想は共通していた。

 お互いを敵と認めたために、ロケット砲が火を噴く。双方ともに一発ずつだから、当たるわけがない。そのままお互いに無駄弾を3発撃ちながらすれ違おうとしたところで、大覚寺統側の小船が回れ右する。そしてそのまま、幕府側の行く手を遮る。そして今度は、火矢が放たれた。

 竹小屋の壁が焦げるが、燃え始めることはない。

 お返しとばかりに幕府側は、4発目のロケットを放つ。横腹を向けて大きく見せている大覚寺統側は、圧倒的に不利だった。

 ヒョロヒョロ飛ぶロケットは、それでも何とか舳先に衝突した。そして、それだけで充分だった。

 舳先にまき散らされた油が、燃え始める。こうなればもう誰にも止められない。

 河へ飛び込む男たち。主を失い漂流する火船が、河口へと流されてゆく。そしてその途中で、岸辺に漂着した。

 -大覚寺統の防御に、穴が開いた瞬間だった。

 「「「「「「「「「「わあーーーーーー!!!」」」」」」」」」」

 叫び声とともに、大部隊が川を走り出す。馬や人がたてる水しぶきが煙となり、その姿をぼやけさせる。

 「今だ!」

 大覚寺統側が、一斉に弓矢を放つ。

 馬や人に次々突き刺さるが、おのれのけがも戦友の死体も気にかけることなどないかのように、東武士は突撃する。

 幕府側の小船が、渡河する味方の盾になろうと舳先を上流に向けて横腹を見せる。

 たちまちどこからともなく飛来したロケット弾が小船を火だるまにする。

 しかしながらそれでも、小船は戦うのをやめない。

 燃える櫂がそれでも動き、岸へ迫ってゆく。

 赤い陽炎に包まれた竹小屋からロケット弾が飛び出す。

 1発。

 2発。

 そして3発目は、撃たれることがなかった。

 轟然と火柱が立ち上がり、跡形もなく小船が吹き飛ぶ。

 爆発が水面を揺らし、岸辺に引っかかっている状態だった大覚寺統の燃える小船が、完全に打ち上げられていよいよ火勢を強める。

 炎の陰に隠れ、幕府軍が波打ち際に上陸する。

 慌てて集中的に射こまれ、一団はまさしくあっと言う間にハリネズミのように全身から矢を突き出し絶命する。

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!!

 機関銃の回転音が鳴り響き、水面が赤く染まる。

 河の中央に、突如として降り注ぐ大量のロケット弾。すべてが白い煙を伴って視界を奪い、その火は水に落ちたぐらいでは消えない。

 河が白煙に包まれる。

 ーこの日、幕府軍は渡河に失敗した。

 両軍の被害は大きく、戦線は膠着するかに思われた。


                    ー*ー

1323年8月3日、大井川東岸、島田

 誰かが、ほら貝を吹き、どらを鳴らす。

 この戦場に来ている者で、その合図の意味を了解していない者などいない。

 慌てて全員がお互いの距離を離す。

 蒼天に、紅白のクジラが現れた。

 「やっぱり2隻目があったか…」

 高時がため息をつく。

 大型の、日の丸柄の飛行船は、ゆっくり河の上空をこちらに向かっていた。

 気球部隊が、迎撃のため西へ向かう。

 飛行船から白い煙が噴き出した。煙はほぼ直進し、気球を吹き飛ばす。空力学的設計など望めない時代にあって、まっすぐ飛ぶ空対空ロケットの開発など奇跡に等しい。それをやってしまうのが橋本理という頭脳だった。

 他の気球が、ロケットで吹き飛ばされてはかなわじと距離を取ろうとする。

 「気球はだめか…

 高射砲、機銃、配置につけ!」

 高時が怒鳴ると、兵たちが慌てて、黒い砲身を上へかまえる大砲の群れの中で作業を始める。

 斜め上に向けられた砲身を、砲兵たちが汗を垂らしながら回転レバーを回転させる。そのかいあって砲身が動き、飛行船をロックオンする。

 機銃もまた、高射砲に負けまいと上下左右に銃身を振る。

 「てーっ!」

 ー元亨三年式二寸半高射砲。要塞歩兵砲と砲弾を共通としながら、7,5センチの直径に4,5メートルの砲身長を持つ、一見若干こぶりな三寸砲だが、特徴として、鉄のみでできた頑丈な支柱に両脇から支えられまっすぐ空に向けられていることが挙げられた。他の大砲も後装式(砲尾から砲弾を装填する)である時点でオーパーツ甚だしいが、この砲の場合それに加え、直上へ向けておいても砲弾を装填、発射できるかという高射砲には欠かせない(そしてあまたの高射砲を高射砲失格に仕立ててきた)難題をクリアしていた。昔も今も日本の職人の意地はすさまじいものがある。

 ボン!!

 砲弾が、細長い砲身の中で音速近くまで加速され、空へと撃ち出される。

 砲弾は空を直進し、飛行船の船腹の日の丸のふちに穴をあけ、内部のジュラルミン骨格にはじかれて爆発、そのかけらは木製の手すりなどに突き刺さり、水素が充填された気嚢の一つにも小さな穴をあけた。

 タン!タン!タン!タン!タン!タン!

 護良親王の機関銃はいわゆるガトリング砲と言われる、回転銃身を備え回転させることで発射・排莢・給弾・装填のプロセスが交代しながら連射する方式だが、登子はこの方式の採用に首を縦に振らなかった。複雑であることはわかり切っていて、いかな学会級歴女といえど大まかな仕組みしか知らず、そこから完成までもっていくのは(超ノーベル賞級の頭脳でもなければ)不可能である。その代わりに登子は、ベルト式の高速連射できる機関銃を一品物として作らせた。これは発射の反動を利用して排莢し次の装填・発射を可能とする代物であり、何せ基礎技術レベルが数百年足りないので非常に気難しかった。それでも、今この時撃てれば充分である。

 次々吐き出される銃弾が、はるか高みへと吸い込まれる。目標は赤い日の丸。

 飛行船に命中した機銃弾は、勢いをだいぶ減じたとはいえ布の外皮を貫き、ジュラルミンの骨組みを擦り、あるいはそのままがらんどうの船内を反対側へ抜け外皮にはじかれて落下した。

 ジュラルミンの骨組みから、火花が散る。

 -ヒンデンブルク号事故以来、水素飛行船には危険なものというイメージが付きまとっている。しかし実際に事故において起きていたことはアルミニウムと酸化鉄の混合塗料の静電気発火によるテルミット反応爆発だとされている。

 そして、幕府の機銃弾にも、さびきった鉄くずを鋳なおしたものが使われていた。

 アルミニウム合金であるところのジュラルミンが、酸化鉄の銃弾と擦られて火花を散らす。3000度に達する火花では、外皮は燃え出さざるを得ない。そして酸素が少ない純粋水素は燃えにくいものだと言っても限度があり、気嚢が徐々に燃え始めると、ついには小規模な爆発が起こり始める。

 気嚢が相次いで破けたことにより浮力が低下した飛行船が、徐々に高度を下げていく。

 そしてついに、空気と混じった水素ガスが、大爆発を起こした。

 撃音を発生させ、飛行船が四散、消滅する。

 ―嘘だろおい…-

 戦場にいる皆が、しばらく音もなく沈黙する。

 鎌倉時代における不陥要塞、手の届かないクジラの化け物、そう思われていた大型飛行船が、いともあっけなくやられてしまったのである。

 「「…バンザーイー!!!」」

 高時と登子が、思い出したように、歓声を(思わずまだこの時代にない言葉で)上げる。

 それを聞いて、最初首をかしげていた武士たちも、執権夫妻が叫ぶなら続かねばと声を張り上げる。

 「「「「「「「「「「バンザーーイ、バンザーーーイ!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

 ―史上初、万歳斉唱が行われた瞬間でもあった。

 いつまでも続く歓声が、幕府軍全体を覆いつくし、両岸を圧する。

 翌日から、大覚寺統軍の士気はみるまに下がり始めた。


                   ー*ー

1323年8月4日、尾張国、熱田

 巨大な黒船、翻るは新田の家紋、黒字に白抜きの丸の中に黒の一文字いちもんじ、「新田一つ引き」。

 百姓、漁民たちがなんだなんだと集まり、あっという間に人だかりが形成される。

 後ろから、無数の小船が現れた。小船は港だけではなく干潟のあちこちに乗り上げ、中から船べりをまたいで屈強な武士が現れる。

 おびえる百姓たち。

 「あ、あれ、新しい武士なのか…?」

 「こ、ここでまた戦があるのか?」

 「年貢を取られるかもしれないぞ!」

 「だ、大宮司様にお助け願おう!」

 「呼んだか?」

 「「「大宮司様!!!」」」

 その人物の声を聴くや、誰もがひれ伏し道を開ける。

 白い袴、手にはぬさ。

 ーその一言は皇祖神の一声。

 ーその一挙一両足は八百万の神々の長の御意思。

 「おや?アレは幕府の船じゃな。」

 熱田神宮大宮司、千秋忠氏。平安時代から大宮司職を継承し、21世紀まで続く千秋家の当主。そして熱田・野並を中心に活動する信徒武士団「熱田衆」のリーダーでもある(戦国時代まで、地方大社寺のトップが武家として活動することは、珍しくはなかった)。

 「こんなところまで、何用かの?

 …話だけでも、聞いてみるとするかの。」

 大宮司が歩きだすと、皆が頭を垂れて、しずしずとついてゆく。

 一方で黒船の方も、数を3隻に増やしながらも、先頭の一隻から縄梯子を降ろしている。

 縄梯子を華麗に降り、いかにも薄着の女性がひらりと小船に乗って漕ぎ始める。

 小船はすぐに接岸し、女性はその容姿で待ち構えていた百姓たちの目を奪った。

 -真っ白い肌に黒い髪、赤と緑の間を光の加減で移り変わるオパールの瞳。

 「幕府執権北条相模守が側室、海軍総官、従四位、北条あやと申します。」

 「あや姫、なに先に名乗ってんだ…

 海兵隊総官、下野守、従三位新田義貞と申す。」

 思わぬ大物二人の登場に、場が凍り付く。

 「「千秋大宮司様に、ぜひとも御加勢いただきたくはせ参じた次第にござりまする。」」


                    ー*ー

 1323年8月8日、尾張国、洞(桶狭間)

 集まる大軍は25000。対するは2000。

 ー奇しくも正史での「桶狭間の戦い」と全く同じ状況であったことは、大覚寺統側最大の不運だったのかもしれない。

 熱田神宮が寝返ったとの報告を受け、尾張国国府に陣取っていた大覚寺統後方部隊は慌てて軍勢を整ええて討伐に向かった。途中多少の小競り合いはあったものの、大覚寺統軍は知多半島まで制圧、神宮軍は海と軍勢に追い詰められて熱田周辺(のちの名古屋市南部)に孤立した。

 後がなくなった神宮軍は、離反者相次ぐ中、わずかな兵力とともに熱田神宮に戦勝を祈願し、のちに桶狭間と呼ばれることになる、10倍以上の兵が待つ、丘と谷間が乱立する敵地に向かった… 

 ーもし正史を知っていたならば、事情は全く正反対に映っただろう。そう、神宮軍が追い詰められ自棄になったのではなく、大覚寺統軍が桶狭間に誘い出されたのだ、と。そして状況は今川義元よりなお不利だ、と。なぜならー

 ドン!ドン!ドン!

 二寸半塹壕歩兵砲の軽めの砲声が、谷間のあちこちで鳴り響く。

 もちろん、後方の守備隊にすぎなくとも、護良親王に持たされた大砲の一つや二つある。しかし大覚寺統軍の一つ目の誤算は、起伏が激しい土地においては普通の大砲は運びにくいうえに攻撃しにくいことだった。

 丘を飛び越えて砲弾を投射できる塹壕歩兵砲以外、この地では使えない。

 やむを得ず昔ながらの弓矢となぎなたと太刀による肉弾戦を選んだ大覚寺統軍のもう一つの誤算は、相手がただの普段百姓である神宮軍だけではなかったことだ。

 なぎなたが振られると、その下をスライディングし、足をとらえて放り投げる。

 太刀が打ち合わされるや、片方の太刀が粉々に砕け散る。

 弓矢が力強くうなり、3本の矢が違う方向へ飛び、3人の男が倒れる。

 「な、なんだこいつら!」

 「人間じゃねえぞ!」

 ー彼らが敵に回したのは、幕府軍の精鋭中の精鋭、海兵隊だった。

 十人ほどがが、ある谷間に狙いをつけ、矢を目にもとまらぬ速さで連射する。

 その谷間にいた全軍を率いる公家は、ただならぬ様子に気づいて、歌を詠む取り巻きをかき分けて幕の外へ出た。

 「や、貴公がこの軍勢の総大将でよろしいか?」

 ー新田義貞が、公家に太刀を突き付けた。

 「ぞ、賊軍っ…」

 「騒ぎ立てるな。俺たちはここへ、気づかせすらせずに護衛を倒してきた。どれぐらい強いか、わかるよな?」

  ドスの利いた声に、公家はへなへな崩れ落ちた。


                    ー*ー

1323年8月10日、駿河国、大井川西岸、金谷

 「殿下っ!至急、申し上げたき儀がござります!」

 馬から降りないのが無礼に当たることに思い当たりすらしない様子の男。確かにとんでもないことがあったと見受けられる。

 「申せ!」

 「は!尾張が、尾張が!」

 「落ち着け、尾張がどうした?」

 -いやな予感がする。まさかー

 「尾張国が、陥ち申した!」

 「くそっ!」

 思わず、皇太子という立場も忘れて下品に毒づく。

 いくら軍艦など持ってきたからといえ、ありえないだろう!

 冷静になれ、論理だ、理性を以てせよ、橋本理!

 ・飛行船の撃墜以後、士気が低下している。

 ・持久戦が続き、緊張感がなくなっている。

 ・収穫前で最も食糧が少ないこの時期、輸送路である尾張国がふさがれたらどうなるか?

 「QED」

 「はい?なんでしょうか?」

 「全軍に伝令、陣を退くぞ!」

 「いささか拙速では、殿下。」

 「いや、士気の低下で軍が瓦解する前に、守りか攻めに転じたい。それともお前は、まだまだ削り切れないこの状況で渡河を進言するか?」

 「なるほど、承りました。」

 部下たちが散ってゆく。

 まったく後方奇襲とはよくやるが、二線級とはいえそれなりの部隊を国府においてきたのに、たかだか数十隻で運べる兵力で勝利するとは...

 「して、何処まで退きましょうか?」

 「幕府方は何処で我が方を打ち破ったのだ?」

 「熱田神宮の東、洞と呼ばれる、丘と谷間の地でございます。」

 「ふむ...絵図はあるか?」

 「これに。」

 尾張国…熱田の東…ちょうど桶狭間があるあたりか。なるほど、大軍が負けたわけだ。

 それでは我々も、先例に倣うことにしようか。

 

                    ー*ー

1323年8月13日、大井川東岸、島田

 夜が明けたら、川向かいには誰も見えなくなっていた。

 気球がおりてきて、夜の間に音もなく撤退していったと告げる。

 「逆上陸が、うまくいった、のか?」

 「そうじゃなきゃ、不利でもないのに撤退しないんじゃない?」

 「でも、お互い消耗を避けて、戦わずに西へ行かせてもらった感があるからなぁ。」

 「きっと、向こうはこんなことなら無理にでも決戦しとくべきだったって思ってるよ。」

 「じゃあ登子は、次こそは決戦だって思うのか?」

 「間違いない。」

 「場所は?」

 「たぶん、古戦場だと思う。義貞に桶狭間に誘い込むように助言したけど、その通りにしたなら気づいてるはずだから。」

 「どっちが歴史について詳しいかの勝負になったら、橋本が勝てるわけない。それでも?」

 「橋本くんには、先に有利な場所を確保できるって言う利点がある。それに大砲がでできたのに、鉄砲がないわけない。」

 「歴史通りにはゆかないか。」

 「でも、たぶんって場所はあるよ。」


                    ー*ー

 1323年8月13日、近江大津宮

 「なに、尾張が陥落したとな?」

 「は、その通りにござりまする、陛下。」

 「すると駿河の護良は孤立したか?

 疾く援軍を出そうではないか。」

 「畏れながら陛下」

 「なんじゃ文観?」

 「皇太子殿下は今でも充分手勢を持っております。わざわざお助けなさる必要は薄いかと。」

 「む。ならばそなた、何かあったとき、わしに嫡男を見殺しにせよと申すか?」

 「それをおっしゃられれば、今も肥後で奮闘しておられる尊良殿下、奥州の何処かにおられる世良殿下を見捨てられてよろしいものでしょうか?」

 「…何が言いたい?」

 「飛行船は残り二つにございます。孤立した皇子様方のうち、我々がお連れできるのは2人まででしかございません。手勢30万により自力で状況を変えることができます護良殿下をお救い申し上げる余裕はございません。」

 「…仕方ない。じゃが、無事その二人を連れて参ったならば、護良の援軍に飛行船を送るのだぞ。わかったな。」

 「仰せのままに。」 

 ーふん、誰が護良親王など助けに行くものか。察しのいい餓鬼は嫌いなんだよ。


                    ー*ー

 正史1575年において、武田勝頼の無敵騎馬隊約20000は、長篠城に籠城した奥平貞昌の救援に訪れた織田・徳川軍30000超に勝負を挑む。しかし織田軍の火縄銃3000丁三段撃ちにより武田騎馬隊は壊滅。無敗神話が崩れた武田氏は2年後滅亡する。

 1323年9月11日惹起した、規模がけた違いである「長篠・設楽原の大合戦」を、場所が同じであるというだけの理由で長篠・設楽原の合戦と比較するのは、やもすれば失礼に当たるだろう。しかしながら両軍ともに、我こそ織田信長たらんとしていたことは間違いがない。

 この大戦で使われた重砲の数:60門。

 この大戦で使われた迫撃砲の数:243門。

 この大戦で使われた鉄砲の数:514丁。

 この大戦で使われた特殊兵器:飛行船「強兵ツェッペリン二号」、ロケット砲弾1100発、熱気球10基、塩素ガス6トン。

 参加した主な武将:足利高氏、足利直義、北条高時、北条登子、赤橋英時(以上幕府陸軍)+新田義貞、新田勾子、北条あや、千秋忠氏(以上幕府分隊)VS護良親王、千草忠顕、楠木正季(以上大覚寺統軍本隊)、楠木正成、菊池武重(以上飛行船による大覚寺統軍援軍)。

 参加兵力:幕府陸軍30万、幕府海兵隊・尾張軍1万、大覚寺統軍35万。

 いわゆる「東西朝の乱」について武家の立場から記した公式戦記「新版 太平記」序文には、北条登子直筆でこうある。「ー新城しんしろの地において、朝幕はまさに雌雄を決した。その結果戦場は世の無常を表し、燐光は三日三晩燃え続けた。決着がついたはずの内乱がさらに続いていったことこそは、歴史の流れに対する人間の無力を示している。それでもあの惨劇を繰り返してはならぬー」


                    ー*ー

1323年9月9日、三河国、長篠・設楽原東方

 「これはすごい大軍ね。」

 私は冷や汗をぬぐいながらもそう口にした。

 「それにあそこで浮いてるのは飛行船じゃない?」

 正直、この状況下でまだついてくる熱田衆、もっと言えば千秋大宮司はどうかしている。

 「義貞、どうするつもり?数千でできることは限られてるわ。」

 「高時様も、玉砕は許さないと言っておられましたわ。」

 「ギョクサイ?…未来の言葉か?」

 意味はだいたいわかる。「魚臭い」よね。…どうして今その話?海で育った人の気持ちはわからないわ。

 「とにかく、手の出しようがないように思うわ。」

 「…ここを、攻撃できるとは思わないか?」 

 高時様から各軍に持たされた、進撃予定地の地図。草原として書かれた丘陵地帯が、今全体を親王軍が埋め尽くす長篠の地。その中で、義貞が指さすのは、奥の方、「鳶ノ巣山」のあたりだった。

 「ここの砦が、糧秣と弾薬の集積場になっていると思う。」

 「根拠は何なのかしら?」

 「雨よけがついた馬車が頻繁に本陣との間を行き来してるらしい。」 

 「でも、たどり着くのは紛れてしまえば容易くても、脱出の方法は皆無ですわ。」

 「いえ、一つだけあるわ。ここよ。」

 私は、内心さすがに緊張しながら、その地点を指さした。


                    ー*ー

1323年9月10日、三河国、長篠・設楽原

 ズゴオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンン!!!!!!!!!!

 爆発音で目を覚まされたと思ったら、鳶の巣山との連絡が取れなくなっていた。どうも陥落したらしい。音は弾薬を爆破でもされたか。

 尾張に現れた幕府軍が少数ながら一騎当千の武者であることは、すでに知っていた。しかしまさか、鳶の巣山の砦がやられるとは。

 「して、そ奴らは今何処ぞ?」

 「は、鳶の巣山を下り、谷川の手前で陣を張っている者、数千にございます。」

 「ふーむ谷川の手前、とな?」

 まずいな、そのポジショニングが入れ知恵が偶然か知らないが、そこは正史で長篠城ができる場所だ。包囲された長篠城を救援に来た援軍の鉄砲隊による勝利、という図式が成立してしまう。

 「時に、弾薬はいくらある?鳶の巣山にある物はせいぜい半分くらいだったはずだろう?」

 「は、各部隊に2戦分は...」

 2戦分…足りるか?まあどうせ戦になれば前線でそれ以上抱え込めないか。

 「それと、飛行船はいかがされますか?」

 「戦わせてやる。そうだ、今日使おう。」

 「ですが、帰京するという選択肢も...」

 「ないだろうな。」

 ここまで到着が遅れ、幕府陸軍はすでに南方で夜戦築城に移っている。この状況になるまで放っておいた、いや、放っておくよう進言した。増援を遅らせようとする人物は、文観くらいだろう。つまり俺は、そろそろ文観に捨てられた、というわけだ。そんな状態で文寛待つ帝の御前に戻りたくはない。まったく、あのなまぐさ坊主め。

 「正季殿、兄が来ているならば会ってやればどうだ?むしろ戦に引きずり込んでほしい。」

 「仰せとあれば、喜んで。」

 「忠顕卿、侵入したネズミをつぶす。兵を遠ざけよ。」

 「…えげつないことをお考えになられますな。」


                    ー*ー

 どちらかの陣営が開戦だと思った瞬間、開戦される距離。

 この中に橋本がいるのかと思うと頭が痛くなる。

 こちらも(そしてたぶん向こうも)最前線に殲滅兵器を置いているから、よほどうまいタイミングじゃなきゃ先に突撃かましたほうが負けだ。しかし、ほぼ全力を注ぎこんでいる我々は、時が過ぎれば不利になってゆく。

 農民軍が弱いことを祈っての強行突撃も視野に入れるべきか?そう考えつつ敵陣をにらんでいたら、まるで願いが通じたかのように、大爆発が起きた。

 「うわっ、高時、何!?」

 「たぶん、敵軍の弾薬が爆発したんだと思う。」

 うーわキノコ雲。ありゃ山ごと消し飛んだか?気を付けないとなぁ。

 「…事故、じゃ、無いよね?」

 「事故ならまとめて爆発はしないで、何度も誘爆すると思う。だからあれは事件だろうね。」

 「問題は、誰が犯人か、だよね。」

 「内部で裏切り者が出た可能性は低いとみていい。こちらに連絡も取らずに勝手に内通してくるだなんて考えられない。」

 「突発的犯行、個人的恨みとかのせいってことは?」

 なんか捜査じみた会話。

 「だとしても、ほぼ同時に、分散して保管するのが原則の弾薬類を爆破するのはちょっと無理がある。」

 「ってことは、義貞たち?」

 「ここまでこれたんだなぁ。よかった。」

 「現状は全く良くないんじゃない?」

 ―飛行船が、飛んでいた。

 まだいたのかよ!

 飛行船が、動きを止める。

 ゾワッと、寒気がした。

 「…みたいだ。」


                    ー*ー

 飛行船「強兵ツェッペリン二号」から義貞の陣に投下されたのは、6トンにも及ぶ塩素ガスの樽だった。

 裏側に塩化青銅板を打って気密した樽は、地面にぶつかった衝撃で砕け散り、そして黄緑色のもやが広がり始める。

 義貞たちは、心臓が凍える思いを味わった。関ヶ原での様子は良く聞いていたし、対処法がほとんどないことも高時たちに聞かされていた。

 塩素ガスは空気より重く、水に溶けやすく、また石灰で中和される。そのため、熱した石灰石と水から作った石灰水をぼろ布に含ませて鼻口、目、耳に被せ、塹壕掘りを中止してなるべく丘の上に集まる、といったことが行われた。間違いなく史上初の化学的戦争が起きていたといえる。

 何人かが、めまいや嘔吐を訴え、倒れていく。

 「義貞…私も、ダメかも…」

 「勾子、耐えてくれ!」

 「…じゃあ、抱きしめて。」

 「…ああ、それで落ち着くなら。」

 義貞が、勾子をきつく抱きしめる。

 「大丈夫だから、どこにも行かないでくれ。」

 「…じゃあ、離さないでね。」

 そのまま、右隣が卒倒し、左隣が吐瀉物とともに崩れ落ち、永遠とも思える恐怖の時間が過ぎていく。

 ー冷めた目でラブコメを見守っていたあや姫を除くほとんどの兵士が、最終的には何らかの体調不良を訴えた。

 本来ならば全軍が病院で検査と手当てを受けるべき事態だったのだろうが、この時代に病院も毒ガス症への治療策もない。やむなくあや姫は、数百人の死者を外側に並べ、失明者をはじめとする約1000人の重症者を下がらせ、軽症者に塹壕掘りを再開させた。

 一方で巻き添えを恐れて夕方まで離れていた大覚寺統軍は、外周に並べられた死体の山を見て敵軍は壊滅したと判断、迷信深い末端の兵が恐れたため、それ以上の攻撃は行われなかった。

 

                    ー*ー

1323年9月11日、長篠・設楽原南方

 -もはや、一刻も許せない。

 「全軍、友軍の仇を取る!突撃!」

 高氏は、新田義貞ともの生存を願いながら、吶喊を命じた。

 「えいえい!」

 「「「「「「「「「「おーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

 西は京から東は富士までとどろくかと思われた鬨の声が、当事者たちの耳すら麻痺させる。

 「「「「「撃ちーかたー始めーっ!!」」」」」

 ドゴーン!ドガーン!

 文保三年式直射三寸砲13門、元亨二年式曲射七寸砲改21門が、負けじと砲声を響かせる。

 対する大覚寺統側、正成の実弟である楠木正季もまた、全砲門開けを下知する。

 大覚寺統軍の主力である五寸砲は、内部にライフリングが刻まれ、15センチの砲口径に対し、戦場の手間を考えているとは思われない9メートルの砲身長を持つ。25門もの五寸砲が雁首揃えて整列し炎と黒煙を吐き出す姿は、圧倒的な光景であった。

 七寸砲改は狙いをつけるような性質の大砲ではないため、砲戦は主に幕府軍の三寸砲と大覚寺統軍の五寸砲との間で交わされた。

 身をかがめ兵隊たちが駆ける上を、砲弾が互いに飛び交う。

 五寸砲に直撃した砲弾が、爆発で砲兵を血まみれに切り裂く。

 三寸砲のすぐ横で起きた爆発が、三寸砲の台座の車輪を砕いて砲ごと横転させる。

 一方でこれら二つより射程が短いはずの七寸砲改は、砲列の後ろを狙って砲弾を投射した。

 地面に衝突した砲弾が、周りの兵や馬に炎を振りまく。また別のところでは大爆発を起こして地面を大きくえぐる。

 「充分に引き付けたな...射よ!」

 機関銃弾は豊富にあるわけではないが、矢ならばいくらでも供給することができる。だから今回、大覚寺統軍の主力対人兵器はあくまで弓矢だった。

 数千人の弓兵が、一斉に、引き絞っておいた弓矢を放つ。

 即座に弓兵は背後に退いて、背後にいたもう一人の弓兵が無造作に弓矢を放つ。

 弓矢を引き絞る時間も惜しい。そういった考えから採用されたこの「弓矢二段撃ち」は、激烈な効果を発揮した。

 地響きと砂ぼこりに隠れていた幕府陸軍の騎馬隊第一団が、音を小さくしていき、あっという間に皆地面に倒れ伏す。騎馬隊の弱点「前の馬が止まってしまえば進むことはできない」により棒立ちになってしまい、弓矢の弾幕射撃に耐えられなかったのである。

 後世の研究によれば、この時大覚寺統軍が用意した矢の本数は約200万本。それでもなお、複数の一次資料が、矢の不足を訴えている。それだけの乱射を実行し、戦場には「矢の暴風」が吹き荒れた。

 直ちに北条高時が、七寸砲改の照準変更を命じる。

 斜め上に発射して放物線軌道で砲弾を落下させる七寸砲改は、完成からそれ程経っていないためにデータがそろっていなかったこともあって、狙って何かに命中させられる精度を持ってはいなかった。しかし大覚寺統の五寸砲に狙われなかったため、三寸砲よりも前進して、弓兵の射程距離ぎりぎりという超近距離まで接近できた。

 矢が目の前で力尽きて落下するのを見ながら、砲兵が砲尾を開き、砲弾を装填、引き金を引く。

 内部で火打石が打ち付けられ、炸薬に着火、爆発した黒色火薬が、青銅の砲弾を斜めに撃ちあげる。

 砲弾は空へ飛び出し、重力に引かれ落下を開始。

 大覚寺統軍弓兵の布陣する列にも、散発的ながらも砲弾が落下していった。

 着弾すれば、爆発音が響き渡り、爆風が数人まとめて吹き飛ばし、あるいは陶片が飛び出して鎧すら貫き致命傷を与える。

 「ちっ、塹壕へ!」

 弓兵が少し前進し、塹壕に飛び込む。

 「誰かあの大砲を破壊してくれ!このままじゃ俺たちは全滅だ!」

 悲痛な叫びこそ砲声にかき消されたが、旗まで見逃されることはなかった。

 「機関銃、斉射ァ!」

 大覚寺統の塹壕から、銃身だけをのぞかせた機関銃が火線を走らせる。

 飛行船「強兵ツェッペリン二号」が、戦場の空を南下していく。

 

                    ー*ー

 次々上がってくる報告。誰もが、一連の日本分裂戦争は今日で決着だと悟って、気合が入っている。

 「伝令!七寸砲改陣地、敵飛行船により、壊滅!」

 「申し上げます!川越三河守様、千葉介様、敵陣塹壕に突入した模様!」

 報告を集計し、その場で命令を下し、場合によっては高氏に報告する。前線の総大将として、未だ視力の回復しない登子とともに働くのは、並大抵のことではない。

 ーそれでも、砲火交わる中へ飛び込むよりマシか。

 きっと、おそらく、今までの戦には良くも悪くも実力頼りの面があった。太刀やなぎなた、弓矢を扱うのがどちらがうまいか。馬をどれだけ起用に乗りこなせるか。人望があるかないか。

 でもこの戦に、そんな面はない。砲弾や弾幕射撃に当たるかどうか。それはもう、運だ。

 -自分たちが破壊したのは、武家の世そのものなんだな...

 「敵飛行船、なおもこちらへ向かってきます!」

 「高射砲、高射機銃、照準かかれ!」

 対空砲の命中率は数千分の一だとトキに聞いたことがある。敵は飛行機よりずっと低速の飛行船であるとはいえ、時計がないので時限式の炸裂装置を作れないために砲弾を直接当てるしかないハンデがあり、実際のところ有効性は結構疑わしい。それでもなお、また塩素ガスを投下される危険性を考えたら、撃たない選択肢もない。

 戦場に、砲声が響き渡る。数年前には砲声に動きが止まっていた馬や人も、慣れてしまったのか聞き流している。

 「高射砲、機銃、撃ち方止め!」

 東の方から現れた気球部隊が、高射部隊の後を引き継ぐ。

 気球から、火線が放たれるのが見える。

 「高時、どんな感じ?」

 「うーん、五分五分、というか、すごい勢いでお互いに消耗してるなぁ。」

 「ほんと?」

 「ああ、見る限りそうだ。」

 今の登子は目がほとんど閉ざされているから、逐一状況を教えてあげなくてはならない。

 「…聞く限りそうは思えないんだけど。」

 「え?」

 「報告を聞く限り、武田と同じ展開になってない?」

 「…あっ」

 

                    ー*ー

 大覚寺統軍は、2列に構えた塹壕線から弓矢を2段撃ちさせ、突撃する幕府軍を迎撃した。

 これに対し幕府軍は砲撃によって対処しようとしたが、細い塹壕に七寸砲改で命中弾を与えるのは不可能であり、三寸砲部隊は大覚寺統の五寸砲との砲戦にかかりきりであった。第一地面より低いところにある塹壕に照準するのは並大抵のことではないのである。

 まさしく先に攻め寄せた側が大出血を強いられたが、幕府軍は力攻めで押し切ろうとする、そういう形であった。

 大覚寺統軍は、ここぞとばかりに、左右から回り込んで幕府軍の包囲を目指した。そのため最前線では塹壕からだけではなく左右から削られる羽目になった。

 そのままの勢いで、大覚寺統軍全体が幕府軍をすり減らしにかかる。同時に頭上から、ビラが降り注ぎ始めた。

 もはや幕府軍の敗北は、必死だった。


                    ー*ー

 -まずい。

 -戦線が崩壊し始めている。

 自分は、英時に役目を任せ、登子を連れて、突撃を指令した張本人のもとへ急いだ。

 「高氏!」

 「高時、登子殿!」

 金沢貞顕や宇都宮公綱といった諸将を集め、地図をにらむ高氏と直義。その表情は険しい。

 「前線が崩壊寸前だ。どうする!?」

 退くか、続けるか。

 「…全砲を前へ出す。」

 「高時!?」

 ここで退いても、再起できるとは思えない。何より重い大砲を引き連れ撤退すれば確実に追いつかれ、かと言って放置すれば砲兵隊の再建は事実上不可能だ。

 「それは高時、全軍総突撃、そういうことか!?」

 「そう考えてもらって構わない。」

 もはや数で押し切るよりない。まことに不本意!

 「…それで、いいのか?」

 「どうせこの戦場を離脱するのは不可能だ。だったら、狙うは護良ただ一人。」

 「…高時、それをやってうまくいったためしは...」

 「歴史になきゃ、作るしかないだろ。」

 「…私はおけ。だけど…」

 高氏と直義が、お互い見つめあい、何事が納得したかのようにうなずいてみせる。

 「高氏様がそうなされるのなら...」

 「それがしもついていきまする!」

 次々、諸将がうなずく。

 -今、幕府の心が初めて一つになった。そう感じた。

  

                    ー*ー

 奇しくも、覚悟を固めたのは、幕府軍本隊だけではなかった。

 -護良親王最大の失策は、塩素ガスの効果を信じて、自ら幕府海兵隊の全滅を確かめに行こうとしなかったことだろう。「瘴気」を恐れた兵たちは、遠巻きに確認するだけで、海兵隊に本当に生存者がいないのか確かめるのを怠った。

 もちろん、投下時にも確認時にも塩素ガスを吸って死者を出しビビり切っていた大覚寺統軍を責めることはできない。ただ彼らは、自分たちのずさんさのツケを、自らでは払いきれなかった。

 何の掛け声を出すこともなく、前線へ目をくぎ付けにしていた者たちの首を書ききり、腎臓を突き刺す男たち。

 さすがに異変に気が付いた兵士たちが振り返ったその時には、すでに彼らの運命は決していた。

 ドン!ドン!ドン!

 二寸半塹壕歩兵砲の短い砲声が、重なり合って途切れることなく耳を打つ。

 幕府軍も大覚寺統軍も大砲の装填に人力を要する中、最も砲弾が軽い塹壕歩兵砲は、もっとも発射間隔の短い砲でもあった。そして一人用軽迫撃砲に分類される木砲である軽迫撃砲は、投入できる数も多い。

 100基以上の塹壕歩兵砲が、砲弾を投射する。

 死んだと思っていた幕府軍海兵隊の復活に、大覚寺統軍が徐々に動揺し始めた。そうする間にも、新田義貞は、先陣を切って駆ける。

 義貞の太刀が血しぶきをまとって雑兵を薙ぎ払う。

 勾子のなぎなたが太刀も矢も跳ね返してゆく。

 あや姫の毒矢毒剣が、明らかに高位の武将とわかる者に、武器を振るう隙すら与えない。

 3人の暴風に続き、千人近い関東有数の武芸自慢と、数千人の熱田衆ら尾張軍が突撃する。

 まるで、それ自体が一本の槍だった。

 大覚寺統軍の局所的な混乱が、全軍を覆いつくす。

 そこへ、幕府軍本隊が突き刺さった。


                     ー*ー

 全力でごり押し。

 一か八かの手段ではあった。

 馬を限界まで大砲に繋げ、全力で曳かせる。まとになって当然だが、弓兵をありったけ護衛につけ、盾としても使用する。

 大砲をとにかく敵陣に当てれば何でもいいという考えで乱射し、さらには幕府軍も弓矢で弾幕をはる。

 犠牲はあっという間に三桁の単位で積もり、しかし塹壕に近づいてしまえば、塹壕歩兵砲を一点に集中攻撃させるだけで、あとは爆発でうずまった塹壕を疾走するだけだった。

 前方と後方から挟撃された大覚寺統軍本隊が、大きくうねった。

 同時に、上空から、爆発が響いてきた。


                    ー*ー

 赤橋家の所管となっている幕府空軍は、一連の西進であまり活躍できていない。大井川での飛行船撃墜は高射砲と高射部隊によるものだったし、稼働率が悪いとはいえ偵察と弾着観測以上のことは出来ていなかった。

 だからこそ、気球部隊は思いを固めていた。今度こそ空軍の名を天下にとどろかせてやる、と。

 空中では声での伝達には問題があり、そのため、相互連絡には旗が使われる。

 空中に現れた、日の丸をペイントされた巨大飛行船。10基の気球はすぐにそこへ急いだ。

 飛行船は、よく見ると一か所が少し焦げている。

 「ち、地上の奴ら...当てていやがったか。

 これで仕留め損ねたら笑われるぞ!」

 赤旗が攻撃開始を告げる。

 それと同時に、飛行船「強兵ツェッペリン二号」が、側面からロケットを放つ。

 飛行船の左に7基、右に3基いた気球だが、ロケットの直撃で1基がかごを粉砕され、フラフラ上昇してゆく。逆に風船に穴をあけられた気球は、必死にあがくがみるみる高度を落としていく。

 お返しとばかりに、気球からも赤い炎を曳く焼夷ロケット弾が撃ち込まれる。標的が大き過ぎたため、すべてが命中して外皮を焦がし、穴をあけた。

 しかし、8発のロケット弾を食らっても飛行船は止まる気配がなく、幕府軍の上空で、白いビラをまき始めた。

 -次は塩素ガスが来る―

 もはや時間はない。

 飛行船からさらにロケット弾が放たれ、気球が1基大爆発、2基がふらふら下がってゆく。

 もはや5基しかいない気球から、2つずつロケット弾が放たれた。しかしなおも飛行船は進む。

 「どうする!?もうロケットはないぞ...!」

 「義貞様や高時様のように乗り移…無理か。」

 ロケットの発射口を叩くべきだったと気づいても、もう遅い。

 「お前ら、ついてくるか!?」

 「むろん!」

 「異議なし!」

 「よーし、行くぞ!」

 隊長基が、3人の男を乗せて飛行船へ接近していく。左側の2基は何事かと動揺したが、「転戦せよ」の青旗を見て、すべてを察した。

 飛行船側はロケットをなおも放ったが、乗り移りを警戒したのか、散発的だった。

 気球の風船にロケットが命中し、貫通して穴をあける。しかしその時には、槍が飛行船の外皮に突き刺さっていた。

 槍につけられた縄を手繰り、降下し始めつつあった気球が、姿勢を傾けて飛行船に近づいてゆく。

 さすがに自爆する危険を承知でロケット弾を放てなかったか、飛行船は沈黙した。

 ビラを撒くのが中止される。

 気球がぴったり飛行船にくっつく。

 飛行船の中から、戦闘に備える男たちの声が聞こえる。

 ーしかし、彼らが警戒した船内戦闘は起きなかった。

 「登子様、どうかご無事でっ!」

 ドガ――ンッ!!

 爆音が鳴り響き、飛行船がぐらぐら揺れる。

 焦げた外皮が大きくめくれ、そこにとりついていたはずの気球は跡形もなく消え去っていた。

 爆撃用の爆弾の自爆は、焼夷弾の燃料をまき散らす効果もあり、飛行船の火は強まるばかり。

 たちまち水素気嚢に引火した飛行船は、空中で何度も爆発し、大炎上を起こして、下界にジュラルミンの骨組みを降り注がせる。

 4基の気球が、爆風に揺れながらも大覚寺統軍の上空へ飛んでいった。


                    ー*ー

 別に示し合わせたわけではない。ただそれでぴったりタイミングがあってしまったことが、大覚寺統軍の不幸であった。

 ー幕府軍本隊の総突撃。

 -全員死んだかと思っていた幕府軍海兵隊・尾張軍の復活。

 ー気球4基の空爆。

 幕府軍を包み込もうと左右に広がっていた大覚寺統軍は、そのために護良親王本営のある中央部が薄くなり、3つの攻撃の集中に耐えきれなかった。

 前から迫る大砲と矢ぶすま。

 後ろから迫る、鬼神のごとき強さの軍勢。

 上から降ってくる、油が詰められ火薬が取り付けられた樽。

 「殿下、お急ぎください!」

 「正季殿、討ち死に!」

 「くそっ!」

 「菊池様、いかがなされました!?」

 「西は当分だめだ!」

 「西か東の分隊と合流すれば勝てるだけだが...殿下、ここはこの忠顕にお任せください!」

 「忠顕、ダメだ!」

 「何、大丈夫です!半刻もしないうちに迫る賊軍は我が分隊に挟み撃ちでやられるでしょう!その間ここで耐えれば…!」

 「それができるのかと...

 ちっ、どけ!」

 護良親王が、機関銃のレバーを兵から奪い、真っ黒なやりとなって迫る幕府軍本隊に銃口を向けた。

 「くたばれぇーーえ!」

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!!!!!!!!

 機関銃から、火花がほとばしる。

 ガラっと音がして、円筒形の大きな弾倉が転げ落ちる。

 「殿下、もう200発ですよ!」

 「まだだ、早く!」

 せかされ、慌てて次の弾倉が3人がかりで装填される。

 「後方にロケット弾斉射!焼き尽くせ!」

 「殿下、それでは味方にも大きな被害が...」

 「正成、早くしろ!お前が死ぬぞ!」

 「…了解!」

 機関銃がまたもやうなり、後ろからはロケット弾の無数重奏が甲高い音を立てる。

 「んな...」

 しかし、血で赤く染まりながらも向かってくる熱気の中のある一点を見据えた瞬間、護良親王は、レバーから手の力が抜けた。

 「何かあったのですか!?」

 機関銃の回転音が止む。

 「……撃ち方止め。」

 「は、殿下、今何を...」

 「この戦は負けだ!撃ち方止め!」

 「なんですと!?」

 「殿下、まだ勝機は充分ございます!」

 「ああ!あるさ!だが俺にはない!」

 「それはいったい、どういう...」

 「…四の五の、言うな。」

 カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ!

 千種忠顕が、肉片以下の存在になって消失した。

 「殿下、御乱心なさいましたか!?」

 家来たちも、機関銃のレバーを握る護良親王に、近づくことができない。

 そうこうしているうちに、弓兵、槍兵を並べ、大砲と騎兵を内部に包み込んだ一団が、護良親王の目の前に現れた。

 「…そっか、もう、目を背けちゃあ、ダメなんだね。」

 なぜか二人が乗っている馬。その後ろから、誰かが、周りに助けられながらゆっくりと降りる。

 「で、殿下、早くお逃げに...」

 「歩けるか?」

 「うん、もう慣れた。それに...」

 肩をなでる、つやのある黒髪。

 裾が翻る青のセーラー服。

 彼女は、心配する周囲をよそに弓兵の外側へ出て、目をつぶり、護良親王の方を向いた。

 「そこに、いるんだよね?

 ーおさむくん。」


                    ー*ー

 被害が増大しているのは、ほとんど何も見えなくてもわかった。

 高時も、地面が真っ赤だと教えてくれる。それに悲鳴が前方でこだましてる。ほっぺたについた生暖かい液体は、血の味がした。

 だから私は、それがどんなに卑怯なことか知りながらも、しがみつく高時の背に言った。

 「あの旗、出すよ?」

 「…それは...

 まあ、仁義とか言ってられないか。」

 わかってる、こんなのルール違反だって。

 でも、橋本くん、私は彼氏あなたを、殺さなくちゃいけない。だから。

 折りたたんであった、旗。見たことはないけど、何度となく伸ばして広げる練習をした。だから、片手でも、橋本くんに見せられるはず。

 高時が、万が一の時のために作ってくれた旗。護良親王=橋本くんを、見ただけでフリーズさせられる旗。

 ー〈赤橋 登子 ここにあり〉ー

 本当に、肌で感じる戦場の空気が変わっていく。

 「登子、攻撃がほぼ止まった。突っ込むからつかまってろ!」

 「おけ!」

 そして、馬が止まる。

 「ついた。橋本―護良親王がいる。」

 ほんとに、旗一つで守りを捨てるなんて...バカ。

 でも、私も...

 「…そっか、もう、目を背けちゃあ、ダメなんだね。」

 「登子、危ないと思うけど...」

 「高時、決着をつけてくるよ。

 これは、私のせいで起きた戦だから。」

 「登子、トキ、お前は全く、悪くは...」

 「ううん、大丈夫だから。」

 「…そっか。」

 「返事は?」

 「おけ。」

 高時が不服そうに、私の口癖を口にする。

 馬からゆっくり降りる。

 「歩けるか?」

 「うん、もう慣れた。それに...」

 目を固くつぶる。

 きっと、次、目を開けた時には、見えるようになってるはずだから。

 五感なんかにたよらなくたって、はっきりわかる。だって、彼氏だったんだから。

 「そこに、いるんだよね?

 ーおさむくん。」

 「時乃...」

 目を開ける。

 鮮やかにも血に染まる荒野に、立ち尽くす甲冑姿の男たち。その中心に、鎧兜の下に冷たい目をたたえる青年がいた。

 -ああ、世界がこんなにも、汚かっただなんて。

 橋本くんが、冷たい目から涙を垂らして、崩れ落ちた。

 

                    ー*ー

1323年9月27日、鎌倉、北条得宗家屋敷

 護良親王降伏で、戦は混乱に陥った。

 護良親王はその場で綸旨を出し、停戦を命じた。しかしその文書を配る役が問題だった。

 後醍醐天皇から派遣されただけであって護良親王の正式な指揮下にある楠木正成は、実弟の仇をとれないことに不満を抱き、綸旨を分隊に届けると称し、「預かっていた帝の宣旨」をも広めたのである。すなわちそこには、「護良は予期せぬことで戦意を失う恐れがある。その場合は朝廷の恥とならぬよう、躊躇なく廃太子して、楠木正成と千種忠顕を総大将に継戦せよ」と書かれていた。

 これによって、綸旨を正成が届けた部隊と正成以外が届けた部隊の間で戦いが勃発。幕府軍はやむなくその場で改めて塹壕を掘り、夜になってから東へ全速で逃げた。

 三日後、天竜川を越えてやっと一息ついた幕府軍。ここで捕虜の扱いが審議されたが、「幕府ではなく登子様に投降したのだ」と言い張る護良親王を持て余した高氏は、高時と登子が先に捕虜を鎌倉へ連れ帰って処罰するよう告げた。もちろん、未来関係の事情を他の武将がいる評定で明かされても困るだけだという考えも含まれていた。

 かくて大砲を引きずる幕府本体よりはるかに早く帰還した高時たちは、他の捕虜ーむろんその場で解散させた雑兵ではなく、皆名のある公家武家ーをやっとのことでそれぞれ沙汰し、執権だけでできるすべての戦後処理を終え、そして今日、護良親王と向き合っていた。

 「橋本…」

 「一野…」

 人は遠ざけられ、3人しかいない屋敷を、奇妙な静寂が包む。

 「一度しか言わないからよく聞け。逃げろ、橋本。」

 「…お前、そういうやつだったか。」

 「お前に納得されてもうれしくない。」

 「そうか?時乃はためらわないから、俺がお前を近づけないよう頼んだのも、正直に言ったはずだぜ?」

 「ああ聞いた。」

 「恨んでないのか?」

 黙りこくる登子の背が、ビクッと震える。

 「そりゃ恨んだよ。でもそれ以上に、未来の自分の歯がゆさを恨んだからなぁ。」

 「…確かに俺と時乃の間で、よくもあんなに平凡でいられたもんだ。」

 「そうだよな。実はなんか大器晩成の才能でもあったんじゃ…」

 「治くん、言葉遊びだよ。」

 「言葉遊び?」

 「ほら、私が歴史ってことで、時。橋本くんが理科の理、治くんは治める、つまり政治だよ。」

 「…運命など全く懐疑的な立場なんだが、確かに面白いな。

 それで、どうしてお前は、俺を許せるんだ?」

 「未来の自分が、お前、橋本と一緒にいるのがトキの幸せだと信じて託してたからなぁ。認めないわけにいかないだろ。」

 護良親王が、ふっと笑う。

 「…なるほど、俺は一野に救われるわけか。

 …時乃が言うとおりだ。お前、優しすぎるんだよ。」

 「そりゃどうも。」

 「この後の段取りを当てて見せようか?

 …いや、止めた方がいいな。」

 護良親王は、そうつぶやいて、登子をじっと見つめた。

 「ああ、やっぱり、俺が唯一信じた人だ。

 時乃、俺のこと、どう思ってる?」

 「…私は『石垣時乃』だけど、今は『北条登子』だよ。」

 「そうか…

 …最初から、無駄だったか。」

 護良親王は、遠い目をして、懐かしむようにぼやいた。


                    ー*ー

 「それでだ。公的にはもちろん、敵の中心人物をタダで解放するわけにはいかない。だから、変装の衣装を用意した。行商人にでもなって、どことなりと逃げてくれ。」

 「本当に殺さなくていいのか?」

 「橋本、天下なんかに興味ないだろ。」

 「時乃が手に入らないとわかった今、理性を重んじる俺が、わざわざ再起を図るとは考えられない、か。」

 「それもそうだし...登子は正室だ、妻の元カレを殺すなんて、自分にはできない。」

 「ホント優しいな。時乃がお前から離れないわけだよまったく。」

 「それでだ。実はこっちは、副題なんだ。」

 「やっぱりか。本題は何か、合わせるか?」

 「ああ」

 「おけ」

 「「「タイムスリップについて」」」


                    ー*ー 

 「最初に確認するけど、橋本くんも、未来の経験を、リアルタイムで再生されてたんだよね?」

 「やはりそっちもか。」

 「あれってどういうことなのか、わかってたりする?」

 「ああ...」

 「マジかよ」

 「証明のしようがないから無責任に口に出したくはなかったがな。

 あり得る可能性は二つ。一つ目は、それこそDVDのように脳内で蓄えられていた記憶を、リアルタイムで再生していた可能性。

 しかし実際、その可能性はないと考えている。」

 「なぜ?」

 「簡単な話だ。ある種の障害でもない限り、人間は自分の経験全てを記憶できるようにできていない。見聞きしたものが見聞きしたっそっくりそのまま再生されるなど、ありえん。

 しかも再生された後、すぐに忘れてしまうことすらあった。

 QED。未来の経験は、この時代と同じように作用していた。俺が知る限り、情報処理の観点で、俺たちの脳は21世紀と14世紀を全く同等に扱っている。」

 「なるほど。するともう一つの可能性とやらが確実なのか。」 

 「それは?」

 「難しいことは言わない。未来の自分と今の自分が、不完全ながら情報的に同期しているんだ。」

 「…は?」

 「ちょっと待って橋本くん、それだと、未来の私たちでも私たちのことを感じてなきゃいけないよね?」

 「そういうことになるから、不完全な、と付け加えたんだ。 

 感覚としてはビデオ再生のつもりで例えても、実際には、メールの自動転送に近いものだと考えている。つまり、未来の俺たちが脳で受け取った情報が、同時に相当する年齢の現在の俺たちにも転送され、受けとられているんだ。」

 「…なるほど。覗き見のように考えてきたけど、そう言語化するんだね。でも橋本くん、いずれにしろ、時の因果律に反しない?」

 「…常に情報は、世界は過去から未来へと一方通行。そういう経験則が、何も真実である必要はないと思うが。」

 「でも理屈として、タイムパラドックスって言うのがあるよな?それともここは、平行世界パラレルワールドか?」

 「その可能性は考えた。例えば、もともといた世界の21世紀が、この世界の14世紀にリンクを張られている可能性とかな。

 ただ、パラレルワールドだとするとどうしても問題がある。」

 「問題?」

 「百松寺兄妹を覚えてるか?」

 「うん。」

 「あのシスコンとブラコンだろ?」

 「そうだ。」

 「どうした?未来でなんか言ってたか?」

 「違う。」

 「じゃあなんか聞かれた?」

 「違う。全く違う。」

 「まさか、この時代にいたとか…言わないよな?」

 「そうだ。正解だ。」

 「「は?」」

 「1000年続くと言ってた通りに、百松寺家はこの時代にもちゃんとあった。そして当主の兄妹は、俺たちを知っていたよ。いやたぶん、真実を全部知ってる感じだったな。」

 「ちょっと待て、パラレルワールドだとすると、あいつらも世界を越えてきたってことか?」

 「どうも違いそうだったがな...というのは、奴ら俺の本命の仮説を知ってたぞ。というよりそれが奴らの理論の骨子な感じだな。」

 「すると、その本命ってのが、真実な感じか?」

 「で、わからないかもだけど、本命の説って何?」  

 「『時空間とその構成情報が無関係ならば、観測者の制御にある場合に限り、同一情報が全く違う時空間で連動しうる』。」

 「は?」

 「端的に言えば、タイムパラドックスの解決手段の発展だ。

 まず初めに、神様のようなものを想定する。全宇宙の情報を管理できる存在だ。」

 「神様?そんなものアリか?」

 「すでに俺たちが無茶苦茶な存在なんだから、何を仮定したって許されるだろう。現に過去へさかのぼってくる陰陽師の存在も知ってるしな。」

 「超常の存在がいない可能性を、疑わざるを得ない。そういうことね?」

 「そう。だいたい仮説だからな。とはいえもともと、未来で、タイムパラドックスを解消する方法を考えてた時に出てきた考えなんだが。

 そもそも、タイムパラドックスって言うのは、未来の出来事をもとに過去で行動することで、原因となった未来の出来事が消滅して矛盾が生じることだ。これを難しく言い換えると、『過去の情報に影響された未来の情報をもとに過去で行動し過去の情報を変更した結果、行動の原因となった未来の情報までも変わってしまう矛盾』と定義できる。

 例えば子供が自分が生まれる前の過去で親を殺すパラドックスでは、子供の存在情報の原因となる過去の親の存在情報が消えて、未来での子供の存在情報が矛盾する。

 そこでだ。もし時空間における情報の行き来を管理できる存在がいるとする。

 そいつは、過去の情報がその結果である未来の情報によって変えられた場合、情報の流れを変えて、帰られる前の過去の情報が参照されるようにするだろう。」

 「…どういうこと?」

 「例えば、子供が過去に戻って、行動を録画しながら、親を殺して、未来に戻る。子供の存在情報に矛盾をもたらす『親の死亡』だけは、死亡していない改変前の過去情報に基づくように、過去から未来への情報の流れが付け変えられ、未来の子供は、親を殺した動画を持ちながら、生きた親と出会うことになる。」

 「…わからないな。どっかおかしい気がする。」

 「そりゃそうだ。短くまとめてよいほどに簡単な論理の理論じゃない。因果律を破綻させても世界が破綻しない方法の議論だからな。」

 「それに、連続しうるってどういうこと?」

 「…宇宙そのもの、あるいはその管理者、観測者自身にかかわらないことならば、同じ人間の情報が二つの時間にいても、矛盾しないんだよ。」

 「は?いや、同じ人間が二つの時間に…矛盾がないわけ...」

 「あくまで、神様のような、情報の流れを自由に選択できる存在を仮定してるからな。ある時代のある情報を他の時代に張り付けることが可能なら、その存在は矛盾を生まないようにできるというだけの話だ。

 ...そして、そういう存在かもしれないやつに、もう会ってるだろ?」

 「…あの爆破犯か?」

 「ああ、あいつがこの時代に俺たちをつなげ、そしてパラドックスが起きないように制御している、俺はそう考えてる。

 そしてそいつは、この時代にもいる。」

 「…それって、誰?」

 「護持僧、天台宗立川流トップ、大僧正文観」

 「…え?立川流って確か...真言宗だよ?」

 「密教なら何でもよかったんだろう。それに、確か護良親王は本来皇太子じゃない。生まれたのは確か1308年、そう時乃が言ってた。」

 「あれ、お前どう見ても、自分より年上だよな?」

 「ああ。なんでも当時無名に近かった文観が、まだ数え13歳だった後醍醐天皇に何事か吹き込んで、加持祈祷をした結果、俺が生まれたらしい。」

 「なんだそれは。」

 「立川流の教えのいかがわしさを考えると、かなり18禁なことを教えたんだろう。しかしもし1308年に俺が生まれていたら、少なくとも時乃のことを知るのは去年、そして、死ぬと知るのは1325年。そして北条高時の5年遅れを行くことになる。それじゃ都合が悪かったんだろう。実際その条件で25年から軍備したら、まるで話にならなかったろうしな。」

 「だとしても、じゃあ文観は、神様、なの?」

 「さあな。そのための対策を、考えないわけじゃなかったが、どうも無理そうだしな。

 まあ神様ならもう少しやり方があるだろう。何か目的がありそうだし。おそらくは仏教か何かの経典に、マジな奴が紛れてたのを偶然見つけたって感じだろうな。

 とにかく俺たちのリアルタイム情報リンクを700年前に貼って歴史をゆがめさせることで、あの生臭坊主がなんか狙ってるのは明らかだ。だから...

 護持僧文観に気をつけろ。」


                    ー*ー

 「橋本くん、もう行くの?水筒いる?」

 「ああ、ありがとう。」

 「妹さんには、会っていかないの?」

 「馬鹿言え。時乃そっくりで名前が『とうし』の奴がずっと妹だったんだ。どれだけメンタル削られたと思って...」

 「ふふ。」

 「なんかおかしかったか?」

 「橋本くんって、いつもは理性と論理以外何もって感じだけど、やっぱり、時乃ちゃん(わたし)のためなら、性格変わるんだね。」

 「当たり前だ。

 なあ、『水槽の脳』の話ってしたよな?」

 「うん、聞いた。確か時乃ちゃんが浮気を疑った時だっけ。

 哲学で、『世界はすべて幻想で、実は実際の自分は水槽の中に浮かぶ脳みそにすぎず、世界はあくまで電極から流される信号のたまものでしかない』っていう仮説でしょ?」

 「そうだ。いまだに俺は、その幻想にとりつかれている。いや、タイムスリップや早生まれといった超常現象に遭遇して、その現実世界への疑いはますます強まったよ。」

 「…」

 「いろいろ難しい仮説を考え出すより先に、思うんだ。『もし水槽の脳なら、ちょっとリンクを張り間違えたとかその他いろいろのバグがあっただけのことだ』ってね。もしそうなら、ほら、こうやって、今にも誰かが異常に気付いてバグフィックスしたら…」

 「ひゃっ!な、なにするの!?びっくりしたよ!」

 「ははは。まさか、ほんとに削除されるわけないだろ。

 でもな、それが、俺が未来で17年、この時代で23年抱き続けた、不安であり、疑いだよ。

 俺は、世界の存在と、その中のすべての存在を、信じられなかった。幻想かもしれないと疑い続けた。疑いをなくすため必死で、ついには未来のノーベル賞候補だとか呼ばれるまでになった。だけど、いくら知能を高めても、知識を増やしても、理性の探求で安息を得ることは出来なかった。

 でも、初めて時乃を見たとき、なぜかピンときた。

 -ああ、この子だけは、夢でも、幻想でも、0と1でコンピューターが脳みそに送る電気信号でもない、ちゃんと、実在してるんだって。」

 「(「だから他の、実在するのかもわからない人に、惹かれたりなんかしないよ」)だっけ?」

 「ああ。だから、実在するお前が、一野を選ぶなら、実在するかどうかもわからない俺は、もう何も言わないよ。」

 「これは、そんなわけじゃ...」

 「…毒、だろ?その水筒に混ぜたのは。」

 「…なんで、わかったの?」

 「一野から聞いたよ。

 誰だって気づく。一連の戦のおおもとは、俺の逆恨みを中心とした未来の恋模様だ。なら、俺の天使が、自ら中心の三角関係で多くの戦死者を出したことを、悔やまないはずがないってな。

 目を背けないって言うのは、誰かの顔が爆破犯のガイコツ顔にかぶってるかもしれないことから目を背けないと同時に、俺との決着から目を背けないってこと、だよな。」

 「橋本くん、って、そんな、文系だったっけ…?」

 「いやいや、国語社会を教えてくれたのは、時乃だぞ?」

 「それで、どうするの?あなたがその水を捨てるなら、もう私は、その選択を尊重するよ...?」

 「いや?時乃が、これ以上の争いの火種を撒くまいと思って俺を毒殺しようというのなら、俺もありがたく悪夢から解放される時だよ。」

 「…橋本くん...ごめんね。」

 「ああそうだ、最期に一つだけ。」

 「うん、なんでもおけだよ?」

 「じゃあ、もう一度、名前で呼んでくれ。」

 「おさむくん...石垣時乃は、あなたのこと、大好きだったよ...」

 「そうか。」

 -さよなら、北条登子いしがきときの高時おさむくんと、幸せになー


                    ―*―

 …橋本理、死んだか。遺る二人に多大な影響を与えて。

 連れてきた3人は、複雑で大きな愛を生んだ。

 愛と憎しみの行き着く先は、いつも別れ。 

 もう戦もし尽くした。あと一戦で、憎しみも別れも出逢いも充分だろう。

 愛憎は最強の想い。ことわりを捻じ曲げるには、これで不足なし。

 さあ、700年の悲願を、叶えに行くとするか。


                    ー*ー

 橋本くんが倒れるのを見届けて、私は危険極まるあや姫の毒薬が含まれる混合毒を焼却処分するため、いろりを目指していた。

 「本当に、良かったの?顔色がひどいけれど。」

 声がして、肩をたたかれる。そこにいたのは、さっき私が殺した人の、妹だった。 

 「桃子殿下…」 

 「あなたにとって、一度は一番大事な人だったのでしょう?良かったの?」

 「殿下こそ…すみません。」

 「私のことはいいの。あんなの、兄とは思ってないし。実際兄じゃなかったでしょう?」

 そんなことは...

 「同じ『とうし』でも、兄上は私ではなく、貴女ばかりを見ていたから。」

 「そんなこと...」

 「何も罪悪感を抱くことはないわ。政治まつりごととはそういうもの。数人の愛憎から国中の人間が争い、愛した者を失い…確かに原因となるほうもなるほうだけれど、周りで踊るほうも踊るほう。

 歴史を学ぶのが好きなんでしょう?ならば知ってるはずよ。歴史とはそうやって過ぎ去ってゆくものだって。」

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き在り…か。

 「空虚を感じるなら、己で、満たして見せなさいな。貴方たちにはそれができる…って、登子殿、様子が...」

 様子...?確かに、吐き気がするし、なんかうまく立てないけど...

 「登子殿、まずはその物騒な水筒を置いて…ええ、そう、それから...

 登子殿ーーっ!」

 私は、橋本くんを殺した水筒を床に置いたその瞬間に、立ち上がれなくなった。

 …あれ、今、私…

 吐いた…?

 そっか、そんなに、時乃ちゃん(わたし)は、橋本くんのこと...

 ごめんね。


                    ー*ー

 あの、美しい日々。 

(「橋本くん、ひどいこと聞いていい?」)

 (「な、なんだ?」)

 俺が水槽から逃れられた日々。

 (「…治くんのこと、どう思ってる?」)

 (「…敵だな」)

 (「…ひどい!」)

 (「俺だって、時乃以外のことなら理性的に割り切ってきたさ。でもお前に関しては無理だ、ごめん。」)

 (...まあ、私も悪いから...

 でもさ、ずっと思うんだけど、嫉妬してる割に、一番会話してる男の子って治くんだよね?」)

 (「そんなわけ...なんでだ!?」)

 いやそれは、俺…

 (「うーん、好きの反対は無関心?だから、関心があるのは良いことだと思うよ、うん。

 ...ぶっちゃけ、友達、だよね?」)

 ...一野のこと、結構気に入ってたんということだな。

 (「それについては検証を拒否させてもらっていいか?」)

 ーとっくにわかっている。

 あそこできっちり検証して、証明すればよかっただけの話だと。

 -過ぎ去った日々は、もう戻らない。

 ー輝かしい日々は、過去に過ぎ去った。

 -こうやって古い時代れきしは終わり、新たな時代れきしが幕を開ける。実に諸行無常。

 「ー本当に、そうかい?ー」

 「-は?ー」

 「ーでは君は今、どこにいるんだい?ー」

 「-あなたには出逢いへの感謝が欠けているわ。今までも、今も。

 まあせいぜい、兄様に感謝することね。-」

 「-ふ、理論の証明もできないようでは、まだまだ1000年を乗り越えるには遠いな。

 もう一度、機会を与えよう。謹んで受け取りたまえ。-」

 「-ふん、そういうことか。

 QED.

 結局、全部、お前らの手のひらの上かよ。

 いいぜ。どうせ死んだ身だ。ー」 

 後半の理論は、元から破綻しているので気にしたら負けです。

 次話から、最終章に入ります。

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