9話
彼女が立ち止まったのは、ジェットコースターの前だった。
大量のアトラクションがあるというのに、ここはものすごい長蛇の烈が出来上がっている。
これは、この園内にある十数台のジェットコースターの中でも、最も人々が絶叫すると評判で人気の高いものなのだ。
一番高い部分を見上げると、血の気が引くほどだし、その落下地点を見ると、もう卒倒してしまいそうな程。
「これ、乗るの?」
恐る恐る香澄が問いかける。
悠梨は目を輝かせ、笑顔で首を縦に何度も振る。
香澄は、と長いため息をつくと列の最後尾に並んだ。
別に高い所が嫌いなわけではないのだが、やはり怖い。
ジェットコースターと言うのは人に恐怖を与えるものだと思う。
確かに多少爽快感がある事も否定出来ないが、その割合なんて1%にも満たないと思っている。
もちろん、個人差はあるだろうが。
彼女はきっとその恐ろしさを知らないから、香澄の隣でこんなにもニコニコと笑っていられるのだろう。
「怖くないの?」
「全然!」
やけに上機嫌な悠梨は即答だった。
ふと、彼女はポケットから一枚の紙を取り出す。
「何それ?」
「次、何乗ろうかなって。」
その紙を見せてもらう。すると、アトラクションと、その料金や評価などが表になっているものだった。
恐らくパソコンか何かで調べた物なのだろう。一体どれだけ楽しみにしていたんだ。
ちなみにこのジェットコースターの評価は、かなりの好評だった。
心臓の弱い人やビビリは真面目に注意。などと書いてあったのが気になるが。
悠梨にその紙を返すと、「んー。」と声を出しながらその紙を見つめる。
彼女なりに計画を立てようとしているらしい。
その間も、どんどん列は動いて行き、刻一刻と自分の番が近づいて来る。
一度に大人数が乗る上に複数台稼動していて、回転は思ったよりは早い。
それなのに、見渡せば最後尾は二人が並んだ時よりさらに遠くなっている。
一歩一歩進む度に緊張する。
もう、1時間ほどは経っただろうか。
悠梨は既にいくつか目星をつけ、乗りたいものに丸を打っていた。
閉園まで5時間でとても全て回りきれるとは思えないが。
「はい、どうぞ。」
とゲートが開き、二人の少し後ろまでが通される。
まだ車両は来ていなかったが、ゲートの奥は14個に仕切られ、
そこに二人ずつ並べ、とうことだった。
悠梨は香澄に荷物を預けると、真っ先に一番前へと走り出す。
「え、ちょ…。ただでさえ怖いっていうのに!こっちは!」
涙目になりそうなのを堪えて、荷物置き場へ二人分纏めて置いた。
一番前の列を陣取っている悠梨の元へ向かい、香澄も並ぶ。
「ジェットコースター乗ったことある?」
「うん、まあ。…こんな凄いのじゃないけど…。っていうか悠梨、初体験で一番前行けるって凄いよ。色んな意味で。」
「だって、調べたら一番前に乗ってこそ価値があるって。」
「いや確かに間違っちゃいないけど……。」
その分こっちの怖さは倍増だ。
そんな会話をしていると、車両がブレーキの音を響かせながら戻ってきた。
楽しかったのか怖かったのか、
乗っていた客達は顔を見合わせふわふわと覚束ない足取りで反対側へと降りていく。
ついに、自分の番が来てしまった。
相変わらずルンルンの悠梨とは違い、香澄は遠い目をしていた。
しばらくするとゲートが開いた。
悠梨に比べ、やはり香澄の足取りは重い。
だが、さすがの悠梨も緊張しているようで、シートベルトがなかなかはめられないようだ。
シートベルトを締め終えると、取り付けられている赤いバーを降ろす。
これでいよいよ逃げられない。
「緊張してる?」
香澄は隣にいる恐れ知らずの金髪ツインに尋ねる。
「うん。」
彼女の意外にも素直な答えに香澄は驚いた。やはり、いくら恐れ知らずといえど緊張はするようだ。
そんな事を話しているうち、ガタンと音がしてゆっくりとレールに沿って登っていく。
カタカタと鳴り響くジェットコースター特有の音と、改めて実感した頂上の高さに香澄はどんどん青ざめていく。
悠梨は反対に興奮し出しているが。
「わあ、高い。ね、香澄!」
「そうだね…、高いよね…。」
そうこうしているうちに、ついに頂上へとたどり着いてしまった。
落下する前のタメ、そして見え始めた落下地点。どれも香澄の顔を引きつらせ、悠梨を笑顔にしていくのには十分すぎる。
刹那、加速しながらジェットコースターは落下を始めた。
それは、香澄にとって地獄への旅が始まった事を意味していた。
*
「あー楽しかった。」
まぶしい笑顔を放つ悠梨とは対照的に、
「そうだねー…。楽しかったねー…。」
と棒読みで疲れきった表情を浮かべる香澄。
悠梨はそんな香澄なお構い無しに、笑顔で問う。
「次、コーヒーカップとメリーゴーランド。どっちがいい?」
その言葉が疲れきっている少女にさらに追い討ちをかける。
香澄だって、遊園地はどちらかといえば好きな部類に入るのだが、
初っ端から苦手なジェットコースター(しかもかなりの高低差)に乗らされては、たまったものじゃない。
「あたし、相当疲れてるんですけども。休まない?」
「えー?まだ一個しか乗ってない…。」
悠梨は明らかに残念そうな表情を浮かべる。
だが、今回は香澄も譲れない。肉体的にだけじゃなく、精神的にも、とりあえず一旦落ち着かせて欲しいのだ。
そんなとき、丁度近くの売店が目に入った。
近くには真っ白な丸テーブルと4脚の椅子のセットが並べられており、そのうちの半数以上があいていた。
時間帯もあり比較的すいているようだ。
「ほ、ほら!売店あるし、ちょっとジュースでも飲まない?」
香澄の提案に、悠梨は少し悩み、
「…分かった。」
と渋々承諾した。
だが、そんな悠梨は案外ノリノリでジュースだけでなく、ハンバーガーとポテトも購入した。
理由は、「食べたこと無いから。」だそうだ。
椅子に座ると、机に紙を置いてそこにポテトを広げ、ハンバーガーを左手に食べ始める。
時々、手も使わずにジュースを飲むなど、お世辞にも行儀がいいとは言えない食べ方。
「せめて手を使ってジュース飲もうよ…。」
「ん。」
香澄の呆れた言葉は完全無視で、ポテトを一本差し出す。
「はぁ…。」
ため息をつきつつも受け取ると、口の中へと放り込んだ。
―悠梨って、今までどんな生活してきたんだろ。
遊園地は行った事無いわ、ハンバーガーは食べたこと無いわ、魔術は使うわ、毒舌な妹はいるわ。
妹を見ればそれなりにお金はありそうなのだが、それなら、この姉の行儀の悪さはなんだ、と問いたくなる。
香澄はもう一度ため息をつくと、ストローに口をつけた。
ふと"毒舌な妹"で、あの時引っかかったことを思い出した。
それは今までも度々目撃している現象だったが、問うことは無かったこと。
「悠梨、聞いていい?」
「何?」
ハンバーガーから口を離すと、上目遣いで香澄に目線を向ける。
「あのさ、今更なんだけど、その…"目"って何?葵ちゃんが言ってた…。」
悠梨は視線を逸らすと、ポテトに手を伸ばした。
―話したくないことだったのかな…。
なんだか自分が完全に雰囲気を壊してしまったようで、責任を感じた。
そういえば、美佳のときにもこんなことがあった気がする。
下手に質問すると、それが辛いものを呼び起こさせてしまう。
だが、
「これねー。魔術が見えるの。」
案外あっさり答えられてしまった。
さっきの間に意味があったのか、無かったのかは分からないが、とにかく質問自体は答え難いものではなかったらしい。
少しほっとして、香澄は胸をなでおろす。
「魔術って…どういうこと?」
「…例えば、人の魔力の流れとか、魔術によって放たれる攻撃の軌道、その属性…。
あとは、トラップとか、とにかく魔術によって生み出されるものが見えるの。」
今まで魔術とは一切関係の無い世界にいた香澄にとっては、よく理解できなかった。
攻撃の軌道だとか種類だとか言われてもピンとこないのだ。
というか、魔術の属性がなにかも分からない。
どう返答していいか分からず、香澄は困ったように悠梨を見つめる。
「…まぁ、実際、他のハンターでも聞いただけじゃ良く分からないと思う。
これは突然変異っていうか…、特殊なんだよね。」
「そっか…。」
"特殊"という言葉が悠梨から発せられるのは、なんだか妙な違和感があった。
あの学校に通っている時点で既に特別だから。
けれど、その中でも上下やさらなる特別な存在はあるわけだ。
ハンター以外でも、今まで特別だとひとくくりにしてきた人たちにも、もちろんそれはあったのだろう。
その中で、下の人を上の人と同じように"凄い"と言っていたのは、とても重大なことではないだろか。
特別の中の更に特別な存在に、追い付けないと分かっているのに、それでも"凄い"と言われる。
―傷つけたこと、あるだろうな…。
特別の中を見て、ようやく気付いた。
今まで自分の思う特別な人たちを勝手にくくって、その壁だけを見ていた。
「特殊か…。」
「そう。これがあるから、あたしはまだ生きていられる。」
悠梨は瞼に手をあててそう言った。
「これがあるから、上手くいかないこともあるけど。」
彼女は再びポテトやハンバーガーをかじりだした。
「意味深な発言するよね、悠梨って。」
「ん?」
香澄の言葉の意味が分かっていないのか、ストローに口をつけながら、悠梨は首を傾げた。
*
「きれい…。」
窓の外を眺めてポツリと呟いた。それが悠梨の本当に素直な感想なのだろう。
もうすっかり外は暗くなっていて、アトラクションや建物、また街灯など、色とりどりの光が浮かび上がっている。
しかも、それを地上数十メートルから見下ろせば、その美しさは増す。
人間の作り出すものが、みな悪ではないと、そう思える瞬間でもある。
「…こんなに、綺麗なんだ。観覧車、乗って良かった。」
「うん…。」
向かいに座っている悠梨の言葉にうわのそら気味で答えた。香澄はただ窓の外を眺めていた。
ホームシック、というのだろうか。四日目にして急に家や家族が恋しくなった。
15階建てマンションの7階。観覧車から見る景色ほど美しくはないが、それでもやはり似たものはある。
今まで山に囲まれたハンター学園にいたから、余計に思い起こさせるのかもしれない。
「…どうしたの?体調悪い?」
あの悠梨が本気で心配している。真顔で身を乗り出して香澄の顔を覗き込んでいる。
「あ、ううん。何でもない。ただ…ちょっと家が恋しいなって。」
と、無理矢理に笑顔を作り、顔の前で手を横に振った。
悠梨はその様子を見て何かを感じたのか、静かに身を引っ込め、いすに座りなおす。
だが、少しつまらなさそうに両足を振って、俯いている。
「香澄は、天才なの?」
悠梨が唐突にそう尋ねた。
「へ?」
本当に突然の質問に間の抜けた声を上げてしまった。
そんな香澄をよそに、相変わらず悠梨は俯いて足をジタバタさせている。
どう答えればいいのだろうか。一瞬悩んだが、とりあえず思ったことをそのまま言った。
「…あたしはそんな風に思ったこと無いな。」
悠梨は一度だけちらりと顔を上げて、香澄の目を見たが、すぐにまた俯いた。
そして、沈黙。
このいたたまれない雰囲気に、香澄には再び窓の外を見ることしか出来なかった。
―どうしよう。何かマズイこと言ったかな…。
実際香澄は、窓の外に目線を向けているだけで、景色を見る余裕なんてさらさら無かった。
あれほど美しく感じた色とりどりの光も、まともに認識できていない。
「あたしは"天才"に興味あったの。」
不意に悠梨が口を開いた。
籠の中の空気が動き出す。その声は、空間を断ち切るように鋭かった。
「あたしがなれなかった"天才"に。」
「…悠梨…?」
香澄はゆっくりと、前に座る悠梨へと視線を動かした。
相変わらず俯いたままの彼女だったが、両足の動きは止まり、行儀良く閉じられていた。
「"天才"だから、香澄に近づいた。」
どうして急にそんなことを言い出すのか、香澄には分からなかった。
悠梨が次に何を言うのか、それを待つだけ。
「でも……今は違う。」
一転して声が柔らかくなった。そういうと、悠梨は顔をあげて微笑んだ。
悠梨の表情一つで、香澄は察した。
―そうか、悠梨は…。あたしを励まそうとしてるんだ。
そうと分かると香澄は苦笑を浮かべた。
―だったら始めのは、余計だな。
*
真っ黒な空には少し雲がかかっていて、月はなんとも言えない中途半端な欠け具合。
星は街が明るすぎてあまり見えない。
何度見たって印象には残らない、ありきたりな空だった。
「疲れたー!」
入場ゲートから出るなり、大きく伸びをする香澄。
「また物足りない…。」
悠梨が不満そうに香澄の後をついていく。
腕の中には大きなぬいぐるみ。この遊園地のキャラクターなのだが、なんともいえない微妙なクマだ。
夜だとは思えないほど、街は明るい。キラキラと何もかもが光輝いている。
まだ閉園時間までだいぶあるからだろう、こんな夜からでも入園する人はいた。
「あ。」
しばらく歩いた後、香澄はぴたりと足を止めた。
「ちょっと、どうやって帰るの?」
「……あ。」
その問いに、呑気な金髪ツインテールもしまった、というような顔をして立ち止まった。
「う、嘘…でしょ?まさか…考えてなかった、とか?」
恐る恐る尋ねる。
悠梨は恥ずかしそうに俯いたまま、首を縦に振った。
「嘘でしょおおおおお?!明日も学校あるんだよ?!」
「あ、あ、でも、地下鉄あるし、電車とか乗り継げば…。」
地下鉄、というのは、街と街を繋げる人の交通機関。
地上を歩くには、ハンターを雇うなりしなければならないが、地下では魔物は出ない。
悠梨がいるので、歩いて帰れないことも無いのだが、時間がかかりすぎてしまう。
選択肢は無い。
「じゃあ急ご!早く!」
二人は全力疾走で駅まで行った。
次の電車は30分後だった。