3話
大きな窓が幾つも並ぶ広い廊下。それは幅だけではなく、長さも。
しかも廊下のいたるところに、アンティークの花瓶やら、美しい銀の装飾やらが施されている。
一体これらの品々にどれだけお金がかかっているのだろうか。
見惚れる訳でも無く、妙に現実的なことを考えてしまっている。
壁にかかっている絵画の値段はいくらだろう、と考えようとしたとき
急に清香が立ち止まって振り返り、微笑みかけた。
そこは1−Cとプレートがかかった教室の前。恐らくここが香澄のクラスなのだろう。
「さ、入りましょう。」
洋風な装飾のされた引き戸を開け中に入る。
教室は、大学の講堂のような作りだった。
「はーい。みなさん注目してね。今日は転校生を紹介するわ。」
その言葉に少しざわついていた生徒達は皆清香に注目する。
「彼女は戸田香澄さんよ。さ、香澄ちゃん、自己紹介は?」
「あ、はい…。」
完全に生徒達に圧倒されていた。
普通の学校よりも人数が多い気がするし、視線もなんだか痛い。
「戸田香澄です。えと、分からないことばかりなので、色々と教えてくれるとありがたいです。
あの…よろしくお願いします。」
終わると、清香がパチパチと手を叩く。生徒達がそれに続いた。
「それじゃあ、とりあえず空いてる席に座って。
そうね…雨夜さんの隣空いてるわね、そこでいいわ。雨夜さん手上げてくれる?」
すると、教室の一番後ろで手が上がった。
良く見れば、彼女の隣にだけ何故か人が居ない。
不思議に思いつつも、とりあえず一番後ろの列まで歩き始めた。
途中、ぽつりぽつりと同じような単語が聞こえた。
"天才、戸田香澄"
何故こんな言葉が広まっているのだろう。やはり、視線も痛い。
「それじゃ、出席とるわね。
………あら、出席簿忘れちゃったみたい。皆静かに待っててね。」
清香はそう言うと教室の扉を開け、走って行った。
後ろの列まで着くと、美佳の隣に座る。
「えっと、さっきも紹介したけど、戸田香澄です。よろしく。」
少女は驚いたような表情を見せ、固まっていた。
「どうしたの?何か、あった?」
香澄が心配そうに美佳の顔を覗き込む。
「あ、いや…。こういうのって、慣れてないの。誠司以外と話すなんて久しぶりで…。」
「人見知り激しいとか?」
急に美佳の表情が暗くなった。
「ううん、違う。私、邪霊憑き、なんだ。」
「邪霊憑き?」
「うん。堕ちて汚れちゃった神様とかが、私の中にいる…。
簡単に言えば、悪霊とかがとり憑いてるってこと。
魔術師じゃないけど…彼等を制御できるようにしなきゃいけないし、
いざと言う時のためにここにいるんだ。」
「そっか…大変だな。やっぱり平凡が一番だよ。」
と、香澄はどこか遠い目をして答える。
彼女としては何気無く言ったものなのだろうが、その言葉は雨夜にとって予想外のものだった。
そして、恐る恐る問う。
「気持ち悪く思ったりしないの?」
「え?だって…悪霊は怖いけど、雨夜さんは普通に人間でしょ?」
ふわりと、少女が微笑んだ。
「………ありがとう。
遅くなっちゃったけど、私、雨夜美佳。美佳って呼んでね。」
「うん。そだ、あたしのことも香澄でいいから!」
そう言って笑う。
前半はさすがハンター学校という内容だったが、
ありがちなお互いの自己紹介に、なんだか安心してしまった。
普通の青春を過ごせるような気がしてしまう。
「そういえば美佳はさ…」
と何か会話でも始めようとしたとき、前に居た少年がくるりと振り返った。
「いやぁ、ずっと聞かせてもらってたけどさ、君いい人だね。天才なんていう種族は嫌な奴だと思ってたけど。」
「はぁ…えっと…?」
戸惑いつつ返事をした。
「俺は武井誠司、一応美佳の友達。よろしく。」
そう言って、香澄に手を差し出す。
「あ、うん。こちらこそよろしく。」
こちらも手を出し、握手をする。
「相変わらず嫌味な言い方だね。香澄ちゃん戸惑ってる。」
「仲良くなる奴っていうのは、第一印象は悪いものなんだって。」
誠司が自論を展開し、美佳の指摘から逃げようとする。
美佳は少し間を置いて言った。
「でも、そうかも。誠司の第一印象は最悪だったもん。だって…。」
後半口ごもり、美佳が顔を赤らめる。
「あ、あれは事故でしょ。過ぎた事を気にする女はモテないよ。」
美佳は相変わらず顔を赤らめたまま俯いている。
今まで二人の会話を聞いていたが、恥ずかしがる美佳を見て、
香澄が何とも言えない目線を誠司に送る。
「武井くん…、まさか君…。」
「いや、戸田が想像してるようなものじゃないって。」
誠司が焦って弁解しようとしたその時。
ガラリと扉が開き、息を切らした清香が帰ってきた。
「やっと着いた…。さ、改めて出欠取りましょ。」
途端に教室に静けさが戻った。
「さて、それじゃあ授業を始めましょうか。とりあえず先週の復習ね。
今さらって言う人もいるかもしれないけれど、基本って結構重要なのよ?」
そう言うと、黒板に文字を書き出した。
"魔力の制御"
一時間目は初っ端から実技の授業。
「それじゃあ、一人ずつやってもらおうかしら。」
清香は一人生徒を呼び、手に持ったレンガのような物を"何か"で壊させた。
それがきっと魔力というやつなのだろう。
常人が体からレンガを一撃で壊せるものなど出せる訳が無い。
「雨夜美佳さん。」
「あ、呼ばれた。じゃあ行ってくるね。」
美佳はそう言って席を立ち、通路を歩きだす。
その時、香澄にふと一つの疑問が生まれた。
彼女はさっき、自分は魔術師じゃないと言っていたのだ。
「ねぇ、魔術使えないんじゃ…。」
香澄の言葉に美佳はくるりと振り返ると、ただ微笑みを返した。
美佳が前に出ると、他の生徒達と同じようにレンガが出された。
そんな彼女を見ていると、なんだか心配というか不安というか。
自分の事では無いのに、妙に緊張してしまう。
「いきます。」
美佳はそう清香に告げると、目を閉じた。
3秒経っても5秒経っても一切変化がない。
やっぱり使えなかったんじゃないかと思うと、見ていられない。
「大丈夫だよ。美佳はね。」
前から突然小さな声が聞こえた。
その瞬間、レンガが真っ二つに割れた。
前から聞こえた声は、紛れも無く誠司のものだった。
だが彼は振り向いてもいないし、こちらのことなど分からないはずだ。
香澄がこうも心配しているなんて、知らないはずなのに。
考えている間に、美佳が戻ってきた。
「ただいま、香澄ちゃん。」
「おかえり。っていうか、そうレンガ!なんでレンガ、割れたの?」
「言ったでしょ、私"邪霊憑き"だって。レンガを割ってって頼んだの。
みんなは私の体が縛ってる。だからご主人様みたいな感じなんだ、私が。」
そう言って微笑む、だがどこか悲しそうにも見えた。
それから何人も呼び出されては、レンガを壊していく。
失敗するような者は誰も居ない。
しかも回転の早いこと。どんどん自分の番が近づいて来る。
タ行に入ってまず武井が。ほぼ瞬間的に、難なく成功。
そしてそのまま誰も失敗すること無くとうとうこの時が来てしまった。
「戸田香澄さん。」
清香の声に肩が大きく跳ねた。
「頑張ってね、香澄ちゃん。」
と、美佳が笑顔で手を振る。
「う、うん…。」
この席を立ったら恥をかく。そう思うと中々立ち上がれない。
だが、美佳の笑顔に推されゆっくりと立ち上がる。
そしてゆっくりと通路を歩く。香澄の最後の抵抗だ。
けれど。
「はーい。じゃあ香澄ちゃん頑張ってね。」
清香の非情な言葉。
―あたしにどうしろっていうのさっ!何を頑張れと?!
先ほどの職員室の件もあり、
このレズ教師を一、二発小突きたいところだが、そうもいかない。
一応こんな学校でも高校の卒業資格はもらえるのだ。
とにかく上がる心拍数を、一度深呼吸して落ち着ける。
―こうなりゃダメもとだっ。校長先生もああ言ってたんだし…うん。
心の中で自分に言うと、きゅっと口元を引き締めて目を閉じる。
だが、どうすればいいか分からない。しばらく考えた後。
―割れろ…。割れろ…。割れろ…。割れろ…。
とりあえず念じてみた。
だが無念。レンガの割れる音どころか、物音一つ聞こえない。
妙に静まり返った教室が恐ろしくて仕方が無い。
今度は目を開けて、レンガに手をかざしてみる。
だが、何かしらの光や音どころか、風の一つも起こらない。
あれだけ天才だとか色々言われていたので、
多少期待していたところもあったのに、そんな幻想は見事に一刀両断。
そしてやはり静まり返った部屋。誰か笑ってくれた方がよっぽど良い。
もう涙が出そうだ。
そのとき、パンと大きな音が教室に響いた。
よもやレンガが割れたかとも一瞬思ったが、レンガには亀裂やひびどころか欠けているところすらない。
だが、注目すべきはそこでは無い。気付けばレンガは宙に浮いていたのだ。
視線を上げていくと、清香と目が合った。
そしてその状態から、先ほどの音は清香が手を叩いた音であったことが分かった。
「はーい。時間切れ。まぁ、初日だし魔術の経験が一切ないものね。仕方ないわ。」
―じゃあ最初から呼ぶなよ。
思わずツッコんでしまった。
でもそう思わずにはいられない。それに、今さらこんな慰めは余計に悲しくなるだけなのだ。
このSな変態レズ教師を本当に殴ってやりたかった。
どんよりとした足取りで、美佳や誠司の待つ席へと向かう。
その途中、他のクラスメイトの嘲笑が聞こえる。
先ほどとは違う意味で目線が痛い。
香澄としてはこの展開は予想の範囲内だった。逆にその通りになりすぎて怖いくらいに。
―そうだ。あたしは高校の卒業資格さえもらえればいいんだ。楽しくなくたって、落ちこぼれだって…!
と自分を励ましつつ、俯いて歩く。
はぁと大きくため息をついて、美佳の隣に座る。
悪い子では無いのは分かるが、正直彼女からも避けられると思った。
あれは完全に引くだろう、誰でも。香澄自身穴があったら入りたいほどだったのだから。
けれど、そこは予想外だった。
「おかえり、香澄ちゃん。」
帰ってきたのは先ほどまでと何ら変わらない柔らかな微笑だった。
この笑顔だけで多少の恥は全て吹っ飛んでしまいそうだ。
「うん、ただいま。」
彼女の人柄に感動した。本当にいい子だと思った。
けれど、彼女が人よりも多くの悲しみや苦しみを背負ってきていることも分かった。
"邪霊憑き"詳しい事は知らないが、彼女は一体どんな人生を歩んできたんだろう。
そして、誠司と初めて会った時に何があったのだろう。
誠司は前を向いたまま、思わず苦笑を浮かべた。