101号室のアーちゃんとダーリン
ある時、こっちの世界と、あっちの世界が混ざったそうだ。
「それでねー。わたしはダーリンのとこにこれたんだっ!」
目の前の少女は、そう、笑った。短いふさふさの耳がぴくぴく動く。
「ねっ、ねっ、ここにすんでもいいでしょ?」
にこにこ笑う彼女は、浅黒い褐色の肌を、見ているだけで風邪をひきそうな、露出の高い服に包んでいる。
「ねーえー、いーい?」
こちらの瞳を覗き込んでくる。くりくりの眼は、金色だった。
「うー。なんで何にも言わないのー?」
むすっとして、あぐらに座った俺の股に腰を下ろす。尻尾がしゅるりと巻き付いてきた。
「ねー。ねー、ってば」
ぐりぐり頭をこすりつけてくる。耳の上に生えた硬くて短い角が少し痛い。
「うー。なんか言ってよー。つまんないよー」
俺は、先ほどから少しも進んでいない小説のページを眺め、どうしたものかと考えていた。
一人暮らしのアパートの、101号室。大学から帰って来て、コンビニのおにぎりを食べて、図書館で借りてきた小説を開いて、良い所にさしかかった時、空中に変な穴が開いていた。
「どーん!」
変な穴から、少女が飛び出してきた。
そして、いろいろ説明された後で、今に至る。
「ダーリン、なによんでるのー?」
「本」
「あっ!」
「えっ?」
ぱあっ、と少女の顔が明るくなった。
「ダーリンって、そういうこえなんだね!」
かわいい。
じゃなくて、
「あんまり大きな声出さないで」
さっきから、全然本が読めていない。
「あ、ごめ、ごめんなさい」
しゅんとする少女。なんだか悪い事をした気分になって、俺は本を置いた。
「あの、もうじゃましないから、ごほんよんでて? ね?」
しょんぼりした少女に、できるだけゆっくり、落ち着かせるように話しかけてみた。
「えっと、君、名前は?」
「うえ? うんと、わたしはかきゅーあくまだから、なまえは、まだないんだ」
下級悪魔。何回か聞いた言葉だが、いまだに信じられない。
「それだと、困らなかった?」
「うーんとね、あんまり」
「そうか」
「うん」
話が途切れてしまった。
「あ、あのね。ダーリンのなまえもおしえてほしいなー、って、おもったんだけどね? だめ?」
座った状態で、頭一つ小さい少女。うんと顎を上げて、こちらに目を合わせてくる。
「俺の、名前は」
何故だか気恥ずかしくなって、小さな声になりながらも答える。
「そっかー。そうなのかー。にへへ」
途端ににやにやしてくる少女。
「名前、ないんだろ? 俺が付けてやろうか?」
ずっと年下に見える少女に見透かされたみたいで、ちょっとむっとした。話を無理矢理変える。
「え? えっ!? いいの!? ホント!?」
そうすると、予想以上の食いつきだった。
「おっと」
「ねっ、ねっ、どんななまえ? どんななまえ!?」
くるりと、器用にあぐらの上で向きを変えると、下級悪魔の少女は俺の視線をとらえ、肩を揺さぶってくる。
その勢いはすさまじく、俺は背中から床に転がった。
「わたしのなまえは、なあに?」
じっと、こちらを覗き込んでくる瞳に見つめられると、背筋が、ぞくりとした。
「なーあーに?」
あ、倒れた時にシャツがめくれて風が入ってきたのか。
「ね、なーに?」
「そうだなー」
と思い付きで名前を言ってみた。
「おおーっ! じゃーあ、ながいからアーちゃんってよんでね! ダーリン?」
「ええっと」
いくら年下とは言え、女の子をちゃん付けで呼ぶのは恥ずかしいな。
しかし、きらきらっ、と表情が明るくなったアーちゃんの顔は、ものずごく可愛かった。
「ダーリン? ほら、わたしのなまえ、よんで?」
ぼそぼそと、呼んでみる。
「むー。き、こ、え、ま、せーん」
「ア、アーさん」
妥協して、さん付で呼んでみた。
「だめー! ちゃんと、アーちゃんって。ほら!」
きゅっ、と手首をつかまれて、身動きが取れなくなった。
「アー、ちゃん」
「んんー!」
アーちゃんは、ぷるぷるしている。
「ダーリンっ!」
「あ、アーちゃん」
「ふえへへへ」
へにゃへにゃになったアーちゃん。
そんな様子が可愛くて、その後もお互いの名前をしばらく呼び続けていると、唐突に読みかけの小説のことを思い出した。
「じゃあ、そろそろ、本読んでいい?」
「え?」
よっこいしょと起き上がろうとして、アーちゃんが多い被さってきた。
「だめ。ダーリン。だめ」
「え?」
「だぁめ」
部屋の電気が消え、真っ暗な部屋に二人きりになった。
「はむっ」
甘噛みの感触の後は、よく覚えていない。




