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7.人魚の涙

 ヘルトゥとふたりで街を歩く。ただそれだけなのに、通りはいつもよりも鮮やかに色づいて見えた。冬の訪れを感じさせる澄んだ冷たい空気も、ひんやりと心地よい。ひとりで歩いていたら、ただ寒いだけの陰鬱な季節だろうに。繋いだ手から気持ちが溢れ出しそうで、エレナは反対の手をひとり、ぎゅっと握りしめる。


 途中でいくつか菓子を売っている店を見かけた。季節柄か、チュロスを売っている店が多い。エレナの作りたいクッキーやケーキはこの時期の露店では売れないのだろう。季節によって作るものを変えたほうが良いんだなと頭に刻み込み、目についた屋台でチュロスを注文する。


 湯気が立ち上る熱々の揚げたてに、チョコレートソースをたっぷりかけてもらう。一口ほおばると、口の中に幸せが広がって、エレナは思わず声を上げた。


「おいしい」


「ありがとう。あんた美人だね。おまけしてあげるよ」


 商売人は全くもって口が上手い。からかっているんだろうとエレナが笑えば、本当だよ、とチュロスがもう一本差し出された。しかもこちらはホワイトチョコレートがたっぷりかかっている。両手にチュロスを握って顔を綻ばせれば、隣でヘルトゥが吹き出した。お菓子につられたのが子どもっぽかったのかもしれない。


 照れ隠しに無言でチュロスを突き出せば、心得たようにぱくりと食べられる。串焼きですら優雅に食べるのだ、チュロスなんて男の引き立て役にしかならない。


 店で話し込んだせいで、もう日が傾き始めている。この時間は冷え込みが厳しい。手袋を持って来れば良かったなと手を擦り合わせていれば、当然のようにまた手を繋がれた。


「ほら、すっかり冷たくなってる」


 かじかんだ指先をそっと温められれば、その熱の心地よさに溶けそうになる。やっぱりこの男はずるいのだ。エレナでは太刀打ちできない。悔しくて繋いだ手の指を絡めてみれば、可笑しそうに笑われた。きっと道端の野良猫が爪を立てたくらいにしか思われていないのだろう。そのままさらに指を絡められて、ぎくしゃくするのは結局エレナの方なのだから。


 帰り道、行きでは見かけなかったアクセサリー屋を見つけた。これといった特徴もない、小さな露店。年若い数組の男女が仲睦まじく商品を選んでいる。自分たちも同じように見えているだろうか。


「もう店じまいでね。これからこの国(オフィーリア)は寒くなるから南のほうへ行くんだよ。本当は女神記念日までいてもう一稼ぎしたいんだけど、冬は身体が痛んでね。どうだい、安くしておくよ」


 次の国へ行く。その店主の言葉にどきりとする。こっそりヘルトゥの横顔を眺めて見ても、彼の心はちらりともわからない。きっとヘルトゥが街を出るその日まで、見知らぬ誰かの何気無い一言が胸に刺さるのだろう。そっとため息をついてみれば、白いもやがふわりと上ってすぐに見えなくなった。


 エレナは言われるがままに露店を覗いてみる。店主の言葉通り、もともと手頃な値段のものがさらに安くなっていた。邪魔になるからと何ひとつ持っていないけれど、エレナだってこんな風に綺麗なものは好きだ。それが例え本物の宝石でないガラス玉だったとしても。色とりどりの品物を見ていれば、もやもやした気持ちが、ゆっくりと消えていく。


 エレナは、露天の端にある商品に目を奪われた。そこにポツンとあったのは小さな真珠のアクセサリー。


 宝石店に並ぶのは、丸く、粒が大きい真珠。それはまさに「月の雫」や「人魚の涙」という別名にふさわしい、華やかで見事なものばかり。けれど、ここにあるのは、歪んだ真珠(バロックパール)を組み合わせて作ったブレスレット。丸みのない、いびつな真珠は、個性的と言えば聞こえは良いが、いわゆる出来損ない。それなのにどうしてだか目が離せなくて、そっと手にとってみた。この涙を流したのは、きっと自分のように不器用で意地っ張りな人魚なのだろう。


 買おうかどうか悩み、とりとめもないことをぼんやりと考えていると、ヘルトゥがあっさりとエレナからブレスレットを取り上げた。手慣れた様子で金具を外す。


「つけてあげよう」


「でも、まだ買うって決めたわけじゃあ」


「もう支払いは終わっているよ」


 エレナは愕然とする。この男は自分を甘やかし過ぎる。気まぐれに優しくするだけなら、放っておいてほしい。こうやって人をどろどろに甘やかして、その甘さに慣れた頃、この男はエレナの隣からいなくなるのだ。吟遊詩人というのは、やっぱりエレナの手に負えない。


 きっと人魚はこうやって恋に落ちるのだろう。気まぐれな王子様に心を寄せて、涙を流し、海の泡になってゆく。哀れな人魚のことをエレナは笑えない。


 甘えてはいけない。この優しさに慣れてはいけない。そう何度繰り返しても、いつのまにか頬が緩んでしまう。ブレスレットをそっと反対の手で包み込んで、エレナは目を閉じた。もともと出会いは酒場なのだ。二度と会うことはないと思っていた縁が、たまたま続いているだけ。この場限りの男の気まぐれでも良い。もう少しだけこのままでいさせてほしい。

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「そしてふたりでワルツを」
「黄塵(仮)」
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