5.小さな夢
甲高い子どもたちの声が響いている。ここは祖母の眠る墓地を抜けた先にある寂れた教会。教会は、運命の女神を信仰すると同時に、身寄りのない子供たちを保護する施設でもある。ここで保護されている子達は、とても素直で驚くほどすれていない。親代わりの神父様が、一心に愛情を注いでいるからなのだろう。
軍をやめてから週に一度はここを訪れるようになり、エレナはすっかり顔馴染みだ。祖母の遺言を守ろうと決めたエレナがやりはじめたこと。それは、教会の手伝いだった。
祖母の残したレシピに従って菓子をつくり、教会で暮らす子供達に差し入れをする。一緒に走り回れば、無邪気な子供たちから笑顔のお返しが来る。誰にでも分け隔てなく懐いてくる子どもたちが、エレナは好きだった。
今、子どもたちと遊んでいるのは、あの吟遊詩人。エレナが教会に来ると大抵この男もここにいる。昼間は暇な職業なのだろうか。話すうちに、朝市にもよく出かけていると判明した。良ければ一緒にどうだいなんて囁かれて、口の上手い男は信用できないとエレナはむすくれた。うっかり顔が赤くなってしまったなんて、断じて認められない。
教会の周りを木漏れ日がそっと彩っている。子どもたちと一緒に男が童謡を歌っているらしい。小さな光が、踊るようにきらきらと輝いた。
エレナは風にたなびく薄紫色の髪をちらりと見やると、後は黙々と子どもたちのおやつの準備をする。本日持ち込んだのは、王様のケーキと呼ばれるものだ。リング状のケーキのどこかに、陶器でできた人形が入っている。その人形が当たれば、その日一日王様になれる。どこに陶器の人形が入っているのかは、作ったエレナにだってわからない。準備をしているエレナに気がついたのだろう、お腹を空かせた子どもたちがわっと駆け寄ってきた。
大きめに作ってきたつもりだったのだけれど、食べ盛りの子どもたちには足りなかったらしい。エレナはこっそりと自分のぶんを両隣の子どもにわけてやる。自分のケーキに陶器の人形が入っていなくても、甘いものは正義だ。子どもたちはにこにこと、おしゃべりをしている。
「俺は将来、軍人になって出世してやる!」
「僕は警察に入って悪い奴をやっつけるんだ!」
男の子たちがフォークを片手に目を輝かせて将来の夢を語るのを見守りながら、教会の神父様は少しだけ困り顔。祈りを捧げる彼からすれば、少々血生臭い夢なのかもしれない。エレナは心の中だけで少年たちを応援した。
「あたしはお嫁さんになる!」
少女の言葉にエレナはそっと息をひそめる。見合いで振られたエレナには助言のしようがない。
次に声をあげたのは教会で一番幼い少女。革命が起こる少し前に街中で行われた、王家のきらびやかな結婚パレードを見たことが忘れられないらしい。その影響か、高らかに宣言された。
「わたし、お姫さまになりたい!」
これにはエレナも正直困惑してしまう。まさか「お嫁さん」よりも難しい職業が出てくるとは。女の子特有の憧れは、同性であるはずのエレナを窮地に追い込んでばかりいる。
王政・爵位制度が無くなってしまったこの国では、姫と呼ばれる身分になることはもはや不可能だろう。国外の、身分制度が残っている国に養子としてもらわれていけば可能だろうか。
現実的なことばかり考えて、言葉を詰まらせるエレナ。彼女の代わりに答えたのは、ヘルトゥだ。
「いつかきっとなれるよ。君だけの王子様が、必ず現れるからね」
これを聞いて、やっとエレナは理解する。身分としての姫ではなく、つまりは、絵本に描かれているような、幸せな恋人同士のことなのだ。ヘルトゥの気の利いた言葉に、それこそ絵本に出てくる魔法のようだと感心していれば、不意に子どもたちに尋ねられた。
「お姉ちゃんの将来の夢は何?」
無邪気に聞かれて、エレナは戸惑ってしまう。自分は将来を、どのように過ごしたいのだろう。軍を抜けて祖母の遺言を守るというのは、やりたいことではあったけれど、はたしてそれは自分自身の夢なのだろうか。自分の夢だと胸を張って言えるものは一体なんだろう。目線を下に落とせば、ちらりと皿の上のケーキが目に入る。
「お菓子屋さんになりたい」
不意にそんな言葉が口をついて出た。思い出したのはまだ幼い頃の自分。亡くなった祖母だけが知っていた、エレナの小さな夢。
お菓子を作ることは楽しい。けれど何より嬉しいのは、食べた人の笑顔を見ること。軍人になったのだって、剣という特技を生かして誰かの笑顔を直接この手で守りたいと思ったから。誰かが喜ぶ姿を見たいという気持ちは、幼い頃も今も変わらない。
「お姉ちゃん、お菓子作るの上手だもんね!」
「エレナに任せてたら、店が潰れちまう。仕方ねえから、俺が手伝いに行ってやるよ」
目の前の子どもたちは、きらきらした眼差しでエレナを見上げてくる。微妙に失礼な評価が混じっているような気もするけれど、みんなが素敵だねと話してくれることはどうしてこんなに嬉しいのだろう。こうやっておしゃべりをしていると、本当にお店が開けそうだ。
大通りに店を構えることは無理でも、朝市の露店であればお菓子を売ることができるかもしれない。何をするにしても、遅すぎることはないはずだ。想像するだけで胸が弾む久しぶりの感覚に、エレナはふわりと微笑む。
子どもたちの空になった皿を見て、エレナは後片付けを始める。その時だ。エレナの前にフォークが差し出された。
「はい。あーん」
にっこりと笑ったヘルトゥの顔が間近にあることに気がついて、エレナの胸が高鳴った。突然の美男子は心臓に悪い。
「さっきケーキを子どもたちに分けてしまっただろう」
軍なら食器の使い回しなんて当たり前だ。酒の回し飲みだってしてきたはずなのに、どうしてこんなに緊張するのだろう。えいっとケーキを口の中に入れれば、広がる甘さと共に硬い何かに気がつく。
やられた。よく考えれば、目の前の男はケーキをフォークで刺していたわけではない。わざわざフォークの上にケーキを寝かせていたのだ。落とさないように気を使ったのかと思っていたのだけれど、なんてことはない、中身が入っていたからケーキにフォークを突き刺せなかった、ただそれだけなのだ。
余裕気な微笑みとともに片目をつぶり、頭をぽんぽんと撫でられる。
どうしてこんなにウインクが似合うのだろう。エレナなんて、反対の目も一緒に閉じてしまうし、不自然に頬にしわが入るというのに。ちょっぴり恨めしくて睨みつけても、頭ひとつぶん背の高いヘルトゥには効かないらしい。
エレナが口の中から取り出したのは、夢が叶うという言い伝えを持つ陶器の人形。それは隣にいる美しい男のように、どこかいたずらな顔で笑っている。