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3.夜会の決意

 きらびやかなシャンデリアの光が余りにもまぶしい。エレナはその眩しさから身を守るように、そっと顔を伏せた。行き遅れの軍人女には、この屋敷はきらびやかすぎる。壁の花どころか草になるので精一杯だ。


 婚約発表の場にふわさしく、屋敷は美しく飾り付けられていた。本日の主役である青年実業家――エステバン――にとって、夜会はうってつけの宣伝の機会でもあった。物珍しい品々は、彼が仕入れた一級品ばかり。至るところで、皆が調度品に目を奪われている。きっと明日は注文に追われることになるだろう。招待状に使われたあの封筒と同じように。


「さすがは、エステバン様ね。ほらご覧になって」


 ご婦人方もこの通り。エレナは思わず顔をほころばせる。嫌がらせをうけるほど、彼には敵も多いという部分を目の当たりにしただけに、聞こえてくる賞賛は素直に嬉しい。振られた相手だが、嫌いなわけではないのだ。


「まあ、お相手の方も可憐で本当によくお似合いですこと」


 その声にちらりと目を向けてみれば、エレナよりも幾分若そうな、砂糖菓子のような女性が見えた。真っ白な肌に、蜂蜜色の髪、青い瞳はとても優しげで、少し憧れる。軍人の道を選んだのはエレナ自身だけれど、女性らしい輝きに憧れを持っていないわけではないのだ。揺れる心を隠すように、そっと手を後ろに組む。


 エステバンが招待状をくれたのは、あくまでエレナに対しての配慮なのだと思う。エレナとの婚約が持ち上がっていた中で、結局のところ違う相手に落ち着いた。それでも、彼女自身に非があるわけではないというアピールだったのだろう。あくまで縁がなかった、それだけのことだと。


 己に(とが)がないというのならば、臆さずに堂々と立っていなければならない。慣れないヒールのせいで、踵から血が滲む。いや本当に痛いのは心なのだと、壁の花、もといエレナはため息をついた。


 こんなに心細い思いをしている人間なんて、自分の他には誰もいないように思う。デビュタントの時ですら、もっと楽しく過ごせたような気がするのは何故かしら。疎いエレナにはわからなかったが、淡いマラカイトグリーンのドレスもまた場違いなのかもしれなかった。おとなしく、祖父にでも一緒に来てもらえば良かった。少なくとも、わざとらしい嫌味を耳にする頻度は減っただろう。


「ほら、あの方は活動的(男勝り)でいらっしゃるから」


 剣を振るうのは得意だし、乗馬もできる。けれど、おしとやかにしなければならない社交の場はどうしても好きになれない。だから黙って酒を飲む。エレナが酒をあおれば、ひそひそとささやき声が大きくなったような気がした。ふわりふわりと主役の男女が目の前に近づいてくる。ああ綺麗だと、他人事のような笑みが漏れる。


「おい、飲み過ぎるなよ」


 こんな晴れやかな場所でただ酒を飲んでばかりいる軍人に、呆れたような声がかけられた。エステバンは昔ながらの真っ直ぐな男だ。彼のことを成金と揶揄する者も多いが、それを陰口にするのはそこしか彼を叩く部分がないから。こうやって、破談になった女にも心を砕いてくれる。こんな心の広い男はそうはいない。


 祖父の代で移民してきた彼は、商家として着実にその基盤を固めてきた。足りないものと言えば、老舗の証となるべき歴史ある家名だけだ。そしてエレナの実家は資産も領地も無いけれど、歴史だけは長いのである。そうして持ち上がった縁談だったが、彼は結局、別のご令嬢の手を取ってしまった。


「エレナ、こちらがイザベルだ」


 イザベルと呼ばれた女性は、彼の隣でふわりと笑った。エレナを蔑むような意地悪な笑みを見せることもなく、少しだけ安心する。彼の「中身を見る」という言葉が証明されたような気がした。


「エレナです。どうぞよろしく」


 端的なエレナの挨拶を聞き、イザベルははにかむようににっこりと小さく頷いた。その様子を微笑ましそうにエステバンが見つめている。

 そっと手袋越しにイザベルと握手をすると、破談の理由を聞いたのか、手袋の下を見透かすようなどこか気遣わしげな視線を向けられたような気がした。エレナは困ったようにそっと一礼して、二人から距離を取る。


 何だかどうしようもなく、疲れてしまった。こんな時、ひそひそと周りで交わされる会話をつい拾ってしまう自分が恨めしくなる。軍属であるがゆえに他人の気配には敏いのだ、相手の悪意ならばより一層。


「何事にもはっきりしてらして(気が利かなくて)自信がおあり(自惚れ屋)のようですし」


 好き勝手な言葉は、エレナの心を抉っていく。食事のために手袋を外せば、腕を走る傷跡が露になった。この傷を負う原因となった出来事のせいで破談になったが、仕方がない。エレナは何度あの日に戻っても、同じ事を繰り返すに違いないのだから。


 ご婦人たちの会話からオーケストラに意識を移せば、聞き覚えのある曲が演奏されていた。ああそうだ、これは酒場であの美しい男が歌っていたものではないか。「ヘルトゥ」と名前を口に出してみれば、ほんのりと胸が温かくなる。


「人生に疲れたら、好きなことだけを見つめてみればいい。自ずと大切なことが見えてくる」


 甘く優しい言葉をくれた相手は、今頃、他の女の隣にいるだろう。吟遊詩人とはそういう生き物。戯れに愛を囁く、移り気な鳥だ。それでもあの出会いは、エレナにとってかけがえのないものだった。


 先祖代々受け継いできた爵位は意味を失い、ただの古い家になった。

 職務を全うしようとしたのに、軍部からは左遷命令を受けた。

 見合い相手からは妻として相応しくないと断られた。

 国のあり方も、組織のあり方も、個人のあり方ですら。

 信じていたことは気まぐれに、そして唐突に形を変えてしまう。


 ふとテーブルをみれば、酒の肴の他にも、小さな菓子が取り揃えられていた。そっと摘んでみれば、優しい甘さに思わず驚く。普段ならば、緊張のせいで夜会の食べ物の味などわかるはずもないのに。同時にゆっくりと広がるココナッツの風味。ああ、あの男の甘い香りはこれに似ているのだとエレナは気がついた。同時に、自分が本当に好きなこと、大事にしたいものは何だったのかにも。


 屋敷からの帰り道、そのまま軍部に辞表を出した。自分を偽って縋り付いたところで、またいつ裏切られるやもしれない。それならば、あの男が言ったように、自分の好きなことをして、好きなように生きよう。


 月夜の散歩と洒落込んで、エレナはゆっくりと歩き出す。窮屈な靴も脱いでしまおう。令嬢としては考えられない不用心さだが、自分の身くらい何とでもできる、問題はない。通りを抜ければ、横道からがやがやと酒場の賑やかな声が聞こえて来る。不意に、とろけるような甘い声が飛び込んできた。薄紫色の髪をなびかせた男が脳裏をちらりとよぎり、エレナは大切なものに気づかせてくれた男の歌う曲と同じフレーズを小声で口ずさむ。


 くるりくるりと、道端でただひとり踊るかのようにドレスの裾を翻しながら。

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「そしてふたりでワルツを」
「黄塵(仮)」
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