外伝5.「What is love?」~「キティ」は少しだけ独占欲が強い~
原案あっきコタロウ様
とある夏の昼下がり。
うだるような暑さの中、エレナが馴染みの酒場を訪れた。酒を飲むにはいささか早すぎる時間だ。店の中に人の気配はほとんどない。
行きつけの店の女主人であるミヤコからちょっとした頼まれごとをされたのは、つい先日のことだった。二つ返事で引き受けたエレナだったが、挨拶もそこそこに席へ案内される。すっかり用意はできていたのだろう、待ちかねたように、色とりどりのカクテルが並べられた。女主人からの依頼というのは、お店で出す新しいカクテルの試飲である。この店の主人が出すものであれば問題ないとエレナは思うものの、彼女には彼女なりのポリシーがあるらしい。
「遠慮せずに、感想を言っておくれ。せっかくうちの店で新しいメニューを出すんだ。お客に首を傾げられるようなものは出したくないからね」
ざっくばらんな彼女の言葉を聞きながら、エレナはまず一つ目のグラスを手に取る。ふわりと漂うのはカスタードの香り。なるほどそういうことかと、納得する。舌の肥えたミヤコがわざわざ自分に試飲を頼むなんて妙だとは思ったのだ。並べられたカクテルは、どれも女性が好みそうな甘い味わいのものばかり。菓子屋を営む自分が呼ばれたのは、そういうことか。
呼ばれたからには、きっちり仕事をこなそう。ここまで甘いともはや酒というよりは、デザートだな。エレナは苦笑しながら、「プリン」と呼ばれるカクテルを味わう。見た目も名前そのままのカクテルだ。この店の客層に女性がいるとはいえ、この酒はあまり出ないだろう。それにショートカクテルだから、レディキラーに使われる可能性だってある。男に酔い潰されるような間抜けはこの店には来ないだろうが、わざわざ危なっかしいものを置く必要はない。どうせベースとなっているものと同じリキュールを使うなら、「プリン」よりも「バタフライ」の方が良いはずだ。
次にエレナが手に取ったのは、紫がかった赤が美しい一杯。香りを確かめて納得する。なるほど、ブルーベリーとラズベリーリキュールを使っているのか。つまりこれは、「マッド・サイエンティスト」。ちらりとエレナの脳裏には、上得意先でもある御領主の顔が浮かぶ。時折配達の際に「実験の成果」を見る羽目になるのはご愛嬌だろう。店にふさわしい酒と女主人は話していたが、これは不敬には当たらないのだろうか。まあ事実を述べただけだと、彼女なら笑い飛ばせるのだろうが。
「マッド・サイエンティスト」の影に隠れるように置かれていたのは、「ブラッシング・ウルフ」。決して毛づくろいをする狼ではない。これは赤面した狼という意味だ。グレープフルーツの酸味とほろ苦さを楽しみながら、エレナは笑う。まったく、毛づくろいにせよ、赤面にせよ、狼にとっては威厳のない名前である。牙を抜かれた狼であれば、似合うのかもしれないが。狼にとってはまったく不名誉なことを考えながら、エレナは酒を楽しむ。
ロングカクテルをゆっくりと味わうエレナの前に持って来られたのは、「シルバー・ブリット」。銀の弾丸を意味するだけあって、透明のきらめきが美しい。酒の美味しさだけでなく、見た目も意識したのであろう。女主人お気に入りのとっておきのグラスに注がれている。食前酒ともされるこの酒は、夜の酒場の灯りのもとできらきらと輝くに違いない。まるでどこか遠くに行ってしまった、この国のかつての王のように。感傷的な気分を吹き飛ばすように、エレナはうっすらと微笑み、酒をあおった。
銀の弾丸の隣に並べられたのは、夜の帳を下ろしたような色をした「ブルームーン」だ。さらにその隣には、同じようなロンググラスに赤いカクテルが注がれている。
「ブラッディメアリーか?」
それにしてはトマトジュースの匂いがしないなとエレナが聞けば、主人から「レッドムーン」だと答えられた。「ブラッディメアリー」が有名すぎるせいか、はたまた魔除けとして有名な「シルバー・ブリット」を飲んだせいか、なぜか「レッドムーン」よりも「ブラッディムーン」という名前の方がしっくりくるような気がしてならない。とは言え、そんな血なまぐさい名前は好まれないだろう。月は神聖であるべきだ。「ブラッディムーン」だなんてそんな。軍人だって利用する店ならなおさらだ。口から出かかった言葉は胸に押し戻して、エレナは「レッドムーン」のライチとクランベリーの甘酸っぱさを楽しむ。
試飲であり、すべてのカクテルを飲み干したわけではない。それでもこうも立て続けにアルコール度数の高いものを飲んでいると、少しばかり酔いが回ってくる。どこかとろんとした眼差しのエレナに気がついたのだろう、これが最後だと言い添えて、ミヤコはグラスを差し出した。
その瞬間、エレナははっと顔をあげる。よく知る、甘い香りが鼻先をよぎったせいで、とくんと胸が高鳴った。昨日から彼は、歌うたいではない用事、エレナのあずかり知らぬ政関連で遠出しているはずだ。自分の夫がここにいるはずはない、それなのに……。混乱するエレナが目にしたのは、ミヤコがエレナに渡したカクテルだ。うっとりとした眼差しでカクテルを見つめると、エレナは大事なものを扱うようにそっとグラスを抱えた。ゆっくりと、惜しむようにカクテルを口の中に広げていく。甘い甘い、恋の味。エレナは昔も今も、ずっと彼に恋をしている。頬を染め、少しだけ瞳を潤ませたエレナを見て、ミヤコがどうしたのかと問いかけた。
「どのカクテルも店に出して問題ないだろう。だが……」
言い淀んだエレナを、ミヤコが不思議そうに見返した。不器用だからこそ、言いたいことは基本的に遠回しにせずはっきり言うエレナだ。エレナは腹にぐっと力を入れ、最後のカクテルを一気に飲み干す。カクテルとは思えぬ飲みっぷりの良さに、若干ミヤコは呆れ顔。そんな女主人のことなど意に介さず、エレナは言葉を続けた。
「これだけは、申し訳ないが店には出さないで欲しい」
言いにくいことをあえてきっぱりと伝えてみれば、ミヤコは一瞬だけ驚いたように目を見開き、その後すぐに納得したようににんまりと笑った。多くを語らずとも、エレナの言いたいことは伝わったのだろう。嬉しいような、けれどそれ以上に恥ずかしくてエレナの頬が赤く染まる。
エレナが最後に手にしていたカクテルは、ココナッツリキュールとメロンリキュールを混ぜた夏らしいクリーミーな一品だ。その名を「グリーンアイズ」という。
ミヤコからしてみれば、いささか甘ったるすぎるだろうその香りは、エレナにとっては誰にも譲れない特別なもの。くすくすと意味深に笑う歌うたいの姿が脳裏をよぎる。
小さな独占欲を見せるエレナを前に、ミヤコは悪かったねと苦笑した。今更ながらに羞恥心がこみ上げてきたのだろう、真っ赤になって頭を抱えるエレナ。そのまま何を思い出したのか、じたばたと暴れ出すエレナを放置して、ミヤコは店の準備にとりかかる。
登場するのは、すべて実在するカクテルです。
なおタイトルの「What is love?(愛って何?)」も、「キティ(子猫)」もカクテルの名前です。




