外伝3.甘え上手になる方法
甘え上手な女になりたい。いつもの飲み屋で、エレナが公娼の女にそんな相談を持ちかけてきたのは、とある月の綺麗な夜のことだった。
女が何事かと聞けば、モテる夫をたまにはどきりとさせてやりたいのだとエレナが鼻息を荒くする。やれやれと女はため息をついた。まったくこの菓子屋を営む友人の悩みごとは、手土産の焼き菓子と同じようにどこまでも甘い。ちらりと見えたのはポルボロン。菓子屋でも人気の一品は夕方までになくなってしまうことがほとんどだから、きっと女のためにわざわざ取り置きをしておいてくれたのだろう。仕方がない、協力してやるか。女は手に持っていた煙草を置き、ゆっくりと煙を吐き出した。
「甘えかたにもいろいろあるのよ」
一体どこまで説明すれば良いのやら。女は、少しばかり思案する。公娼の後輩たちなら、洗練手管を披露してやるのだが、この不器用な友人にはハードルが高過ぎるだろう。未だに夜の話だってまともに聞かせてもらえなやしないのだから。だから、できるだけいやらしさを避けて女は説明する。
「相手が猫派か犬派か、それが問題ね」
駆け引きを駆使するのか、それとも素直に甘えるのか。まあ相手の好みはさておき、このまっすぐな友人はどう頑張っても尻尾がぱたぱたと揺れる、気の良い大型犬のような好意が駄々もれの甘え方しかできないのであるが。そんなエレナの気持ちに気がつかない振りをし続けたヘルトゥも大概の男だ。そんな男相手に健気に甘え方など学ばなくても良いだろうに。とは言え、蓼食う虫も好きずき。女がとやかく言う話でもない。
「まずは可愛いと思う動物でも聞いてみたら?」
下手に取り繕えば、嘘の苦手なエレナは馬鹿正直に話の主旨を伝えてしまうに違いないのだ。こういう事柄は、ぶっつけ本番で相手にぶつけて、素を見るに限る。さてあの澄ました男は何と答えるだろうか。にやりと意地悪く考えていれば、女ふたりで飲む姿を見つけたのだろう、やってきたヘルトゥを捕まえて、エレナがさっそく好きな動物を尋ねてみている。まったく夫の職場でこんな相談をすること自体が、惚気でなくてなんだと言うのだ。だがしかし、じっとりと呆れた女の視線に気がつかないのがエレナ、気がついていても余裕で受け流せるのがヘルトゥなのである。女はただひとり、心の中でぼやくしかない。
「愛玩動物ももちろんかわいいけれど、山羊や馬、牛などの家畜のほうが親しみやすいと感じるね」
酒場での唐突すぎるエレナの質問に動じることもなく答えてみせるヘルトゥ。むしろ、答えを聞いたエレナの方が慌てている。
「猫でも犬でもなく、山羊だと?!」
流石に山羊みたいに瞳孔は平たくならないぞとエレナが慌てるのは何か間違ってはいないだろうか。女はこっそり頭を抱える。そもそも女が犬やら猫やらを引き合いに出したのは、動物そのものではなくその特性を示唆していたのだが……。まあ気がつかないのなら、放っておけば良い。大体見た目だけなら、エレナの髪型だってポニーテールなのだから「馬」という条件に合致しているのだけれど。まあ家畜ではなく嫁ではあるものの、確かに夜は乗りこなされているなと思ってしまったのは、最近来た客の冴えない下ネタに毒されているのかもしれない。
挨拶もそこそこに仕事の終わった夫に手を引かれ、立ち去るエレナの後ろ姿を女は見送る。何気なく絡めたふたりの指先。幸せそうにエレナが、ヘルトゥの腕に頬を寄せるのが見えた。ここ最近の愛されっぷりがよくわかる、肌をつやつやとさせた新婚の友人は、今夜もまた身も心もたっぷりと可愛がられるに違いない。
まったく、痴話喧嘩は犬も食わないとは言うが、惚気話だって食えたものじゃない。もともと女は甘いものは苦手である。砂糖菓子のようなふたりを見ていると胸焼けしそうだと、女は小さく肩を竦めた。
袋からポルボロンを取り出せば、粉砂糖が指先を白く染める。それは甘い甘い恋の味。女はおまじないなんて信じない。そんなもので幸せになれるなら、この世の中から嘆きや悲しみといった言葉は泡沫のように消えてしまうだろう。それでもエレナの焼く菓子だけはこうやって口にしてしまう自分も、大概あの友人に甘いのだ。ポルボロン、ポルボロン、ポルボロン。今宵の綺麗な月を見て、センチメンタルになったのだろうか。甘ったるいおまじないを唱えてみるのも悪くはない。
そんな、らしくない女の横で、酸いも甘いも噛み分けた店主がからからとおかしそうに笑っている。
こちらの続きは、ムーンライトノベルズに投稿しております「恋は歌声とともに〜月夜の短編集〜」にございます。18歳以上の方でご興味がある方、ぜひお越しください。




