15.潜入そして戦闘
目的の屋敷は、高めの塀に覆われていた。そのぶん安心しているのだろう。とくに見張りは立てられていないようだ。
塀を登ろうとすれば、さっとヘルトゥに手を差し伸べられる。ひとりでも登れないことはないけれど、そうやって気にかけてもらえることが妙に嬉しい。ありがたく手を借りると、ひらりと中に忍び込む。そのまま事前に手に入れていた見取り図通り、裏口へ向かう。
「やはり鍵がかかっているな」
少々音がするのが厄介だが、鍵を壊して侵入するかとレイピアを構えたエレナの隣で、ヘルトゥが髪をほどき何かを取り出した。
「かんざし?」
通常の怪我をさせないように先が丸まっているものとは異なり、まるで何かの道具のように先が細く、鋭くとがっている。なるほど、髪型がいつもとは異なる理由もきちんと存在していたらしい。エレナはといえば、髪を結っているのもまた似合うなあとこっそり見惚れていたのだけれど。
「こんなことばかりが上手くなってしまってね」
おどけたような表情で手先を動かせば、かちゃりと小さな音がして鍵が開いた。まったくこの男にはできないことなど何ひとつないのかもしれない。エレナはもう驚くこともやめて、ただただ感心するばかりだ。
使用人が少ないという情報も正しいらしい。人影もほとんどないまま、目的の場所に着く。先ほどと同じようにヘルトゥに鍵を開けてもらえば、中にはぐったりとした様子の女たちの姿があった。あの公娼の女の顔もある。彼女は膝に教会の少女をのせて、優しく寝かしつけていた。足音が聞こえたのだろう。顔をこわばらせていた女は、エレナの顔を見て驚きで目を見開いた。
「エレナ?! どうしてここに?!」
「友人を助けにくるのは、当たり前のことだろう」
何の気なしに答えれば、女にぎゅっと抱きしめられた。あまりの力強さに、エレナがよろめく。ふわりと白粉の香りと一緒に汗の匂いがした。
「路地程度ならいざ知れず、こんなとこにまで乗り込んで来るなんて、あんた馬鹿ね」
ありがとうと言わないところがこの女らしくて、エレナは小さく笑った。どれだけ心細かったことだろう。きっとこの気丈な女は、他の人間を励まし、慰め、不安にさせないように心を配っていたに違いないのだ。本当は女だって、誰かに泣きつきたかっただろうに。
「全員、怪我は無いな? 捕まっているのはこれで全部か」
「ええ、大丈夫。あたしと、あたしの後輩、教会のとこの女の子だけよ」
いつの間にか目を覚ました少女が、エレナの姿を見て泣き出した。きっと安心して緊張の糸が切れたのだろう。けれどそれがどうやら思った以上に響いてしまったのか。荒々しい足音がいくつも聞こえてくる。
「まずいな、どうやら見つかってしまったようだ」
ヘルトゥがどこか飄々とした様子で告げてくる。こうなるのもまた予想の範疇なのだろう。このまま何事もなく抜け出せたらと思っていたが、さすがにそれは甘かったらしい。大丈夫、ヘルトゥと一緒ならどうにかなる。エレナは小さく笑って、女たちを見送ることに決めた。
「裏口の鍵は開いている。先に逃げてくれ」
淡々と指示するエレナに、女が小さな悲鳴をあげる。
「そんな、あんたを置いて?!」
「大丈夫、すぐに追いかける」
公娼の女は賢い。自分がここに残っていても足手まといにしかならないとわかっているのだろう、仲間を急き立てて立ち上がる。不安げに回りを見る教会の少女を、エレナはぎゅっと抱き締めた。
「女神記念日の劇、楽しみにしているよ」
「うん。お姉ちゃんも、ちゃんとお兄ちゃんと一緒に見に来てね」
返事の代わりに、もう一度だけ抱き締めると、エレナは少女の背中を押す。
「今だ、走れ!」
道を作れば風のように軽やかに、女たちが走り出した。
「何をしている!」
焦るような声が聞こえ顔を向けると、場違いに豪奢な衣装を着た男が屋敷の奥から走って来た。この男が犯人か。一緒にやって来たゴロツキたちに守られるように立つ男を見てエレナはうんざりとため息をついた。大事な金づるを逃がすまいと、男はゴロツキに怒鳴り散らす。
「早く追え! 大事な商品だ、傷はつけるなよ。そっちのふたりも上物だ。どうせなら売り飛ばしてやる」
まったくなめられたものだ。エレナの着ている軍服を、遊びのコスチュームだとでも思っているのだろうか。雇われた人間が気の毒になるような無能っぷりだが、人相の悪いゴロツキたちもエレナを見て舌なめずりをしているくらいだ、同じくらいの無能さなのだろう。相手は五人ばかり。逃げる女たちとゴロツキの間に身体を滑り込ませ、エレナはレイピアを構えるとうっすらとわらった。
背中をヘルトゥに預けて剣を振るう。そのあまりの安心感に、エレナは気分が高揚した。どこか陶然とした気持ちを抱きながら、エレナは襲いかかってくる男の剣を薙ぎ払う。
振り向き様にもうひとりの男の腹を蹴りあげる。女であるエレナの蹴りは致命傷になるほど重くはないけれど、相手の体勢を崩すことができれば十分だ。ちらりと見えたヘルトゥは、ふわりと相手の動きを読みながら同士討ちさせていた。まったくあの男らしい。よそ見をしているのを好機だと思われたのだろう、相手の剣が大きくうなる。
テーブルの上に飛び上がり、相手の攻撃を避けると、そのままエレナは一気に剣を振り下ろした。死んではいないだろうが、片目は恐らく使い物になるまい。だが、怪我をするのが嫌ならばこちらに攻撃を仕掛けて来なければ良いだけの話だ。
剣の血を払い、エレナは淡々と前を向く。いつまでもここに立っているのもおかしなもの。床に降りようとしたエレナに、ヘルトゥが手を差し出す。エレナは自分の手を添えると、軽やかに降り立った。差し出された手が、まるで物語の王子様のエスコートに見えた。降りるのはテーブルからだし、こんな殺伐としたお姫様なんていないけれど。
「くそっ、役立たずどもめ!」
怒り狂った家の主が、きらりと光るものを構えた。飛び道具か! エレナは思わずブーツに手を伸ばす。仕込みナイフだ。この距離からならば外すことはない。
「伏せて!」
ヘルトゥの声に、エレナは咄嗟に身を屈めた。同時にヘルトゥが大きく剣を振りかぶる。したたかに肩を打たれて、家主がもんどりうつのが見える。念のためということか、ヘルトゥが家主の腹部を鮮やかに蹴りあげるのが目に入った。贅肉の塊が、口から何か吐き戻したようだが、血ではないようだからまあ大丈夫だろう。
「ありがとう」
思わず出かかったすまないという言葉を飲み込んで、エレナは礼を言う。
「君は自分で避けられたかもしれないけれど」
「いや、本当に助かった」
こんな時、ヘルトゥは何も言わない。ただその美しい顔で静かに見つめるだけだ。
肩を押さえ、うずくまる男をエレナは見据える。犯人にはちゃんと罪を償わせなければ。それが物事に対する責任というもの。ヘルトゥはそのために敢えてこの男が死なないようにしたのではないかとエレナは思った。
もしかしたらヘルトゥは、最初から拐われた人間の救出だけでなく、犯人の捕縛まで考えていたのかもしれない。どこから持ち出したのか手際よく男たちを縛る姿を見て、エレナは考える。けれど問いかけたところで、きっと男は黙って微笑むだけ。だからエレナもまた何も言わずに裏口へ向かう。塀を登るのに苦労しているであろう女たちの手伝いをするために。




