三、〝胎動〟
「やっと尻尾をつかんだぞ……腐れ反逆者共め……」
「ハ……何やら逃亡者だというのにやたら目立つ真似をしてると思ったら、奴らと接触するのが目的だったとは……どうやら奴らの持っている『鍵』を奪うのが目的の様です。」
「リーダー、ここはやはりメンツ云々を棚上げにして奴らと協力した方が……」
(じろり、と睨む。)
「うっ……す、すいません……」
「まったくだ。わきまえろよ、我々は〝黒衣僧〟だ。我々の仕事は誰にも知られてはいけないし、何よりあの偽善者どもに借りを作っては断じてならない……だな?」
「はい。申し訳、ありません……」
「だが……そうだな、ちょうどいい機会だ。――人員をかき集められるだけ集めろ。ついでに事故として奴らも巻き添えになってもらおう……」
「え……(セリフの内容を理解するのに時間がかかり、)――ってまさか奴らもろとも標的を!?いいいいけません!そりゃ奴らと我々は敵対してますが仮にも同じ国家機関の――」
「だから〝事故〟だと言っているだろう?そう処理できるだけの人員を集めろ、と言っている。
――それとも貴様、私に逆らう気かね?」
「いいいいいえ滅相もございません!は、はい、わかりました、さっそく手配します!」
「フン……早くしろ……」
◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇
そしてその報せは、一人の男の許へも届いた。
――心意六合拳の「拳」とは、単に「こぶし」を意味するものではない。
「拳」とは「裁定」「裁くこと」を意味する。即ち、善悪・正邪・曲直・遅速・勝敗を裁定する矩尺(物差し)を意味するのである。
「フン……!フン……!」
ズズ――……ン……ズズ――……ン……
……樹齢何百年にもなろうか。下手をすれば千年以上は永く生きているのかもしれない。
そう思わせるほど、巨大な、巨大な、大樹木。
その大木が、揺れに揺れている。
その原因が、地震とかではなく、一人の男の――この大木に比べれば、本当にちっぽけなはずのこの男が、大木に掌打を打ち込んでいるせいで揺れている、と他の者が知ったら、にわかにその事実を信じる事の出来る者はそうはいないだろう。
樹木の前で、馬歩で立ち、頭頂部を吊り上げるように意識しながら、顎を引き、力を抜いて、呼気に合わせて、打ち込んでいる。
その掌打は、打ち込む際膝の力を抜いて体幹部を沈め、逆に腕は、まっすぐな軌道を取る――のではなく、すりあげるように斜め上へ、斜め上へと打ち込む。
こうして掌打による攻撃の衝突時の衝撃は踵を通して地面へ逃がし、逆に掌打を当てる相手は上へ、上へと崩す。
これは打撃の修練であると同時に、そう、〝崩し〟の修練でもある。
ちなみに、男は〝結界域〟を出していない。
繰り返し言おう。男は、〝結界域〟を、出していない。
――心意六合拳は例えるなら、「戦車」の様に直進する「爆発」力である。そして、外面から隠れている装甲の内部には非常に「猾い、鋭い」ものを秘めている。
即ち。
手要狠――「狠」とは「狼」ではない。根という字は地中深く張っている根っこを表す。この字の木偏を人の心を表す立心偏に変えれば「恨」になる。心の底に深くわだかまる感情であったものが「狠」である。狙ったら絶対に倒すという残忍さ、非情さであり、快を要する。
次に心要毒――「毒」には「速い」「強い」という意味があるが、心意六合拳では「三毒」(心毒、手毒、眼毒)というものが要求される。
一言でいえば凶悪さ、非情さであり、瞬時の発想転換と手段変化が要求される。
そして最後に心毒――怒っている狸が獲物をとらえるときの気持ち(民間伝承では、狐の頭の上にいて、狐に指令を出す霊的な存在の事も狸という。この気分は、心意六合拳の特徴を深い所で表している)。
さらに。
これは獲物に声をたてさせずにしとめる心でもある。狸に操られる狐は最初に獲物の首筋を狙い、気管を損傷させてなき声をたてさせない。
――ふと。
男が、この大木に掌打を打ちこむことをやめる。
どうやら一定の回数分打ち込んだのだろう。次の部位の鍛錬へと移る。
木を軽く両手で抱え、そして口の中で舌を上顎にピタリと付け、顎を引いて頚椎を固定してから、額の左右の部分、そして真ん中を、最初は軽く、そして徐々に強く木にぶつけていく。
「フン……!フン!……フン!……」
――再び、揺れだす大木。
しかしなぜか、男はそんなに多く回数をこなしていないのに、その頭突きの鍛錬を止める。
ややあって。
男は瞼を閉じながら、背後に生じた気配に、声をかける。
「……闇姫か……
修練の間、邪魔はするなと言っておいたはずだが……何事が起きたというのだ?」
男の背後で、闇姫と呼ばれた女が、
「申し訳ございません。ですが大至急、お知らせしなければならない事が……」
「……言ってみろ」
そして闇姫は手短に、こう報告した。
「……目標を捕捉しました、刁様
……雷です。雷が、動き始めたそうです」
「……!」
ずっと閉じられていた瞼が、カッ!と開く。
――刹那。
男は〝結界域〟を展開!
続けざま、その〝結界域〟のこもった頭突きを、大木に叩き込む!
「ッッッ咿ッ!!!」
その男の肺腑から、爆音が轟く。
転瞬。
――鼓膜を劈く物凄い轟音と共に、
なんとこの巨大な大木が信じられない事に、そう、信じられない事に
横に真っ二つに裂けて吹っ飛んだッッ!!
――高々と、宙を舞う、大木の筈なのに小枝の様に、宙を舞う、千切れた大木。
「――ッ!?!」
……驚愕に、声を詰まらせる、女。
「ほう……それはまことか、闇姫よ……」
男は、〝結界域〟を展開したまま、闇姫、と呼んだ女の方を振り向く。
「は……はい、どうやら纏州の中心部の様です。今までものの見事に消息を絶っ
ていたようですが、……――どうやら事を起こすようです」
〝結界域〟を展開した男の、その威容に震えながらも、なんとか、ようよう、そう返事をする闇姫。
くくく、とこらえきれないように忍び笑いをする男。
「フ……下らん温いエセモラルに縛られてずいぶん腰を上げるのが遅かったが……そうかそうか、やっとやる気を起こしてくれたようだな……」
「それでは……刁様、ご命令を」
男は、何が嬉しいのか、もはやこらえきれない、と言わんばかりに爆笑。
「フ……フははははははあ!!いいだろう、先兵を差し向けろッ!!丁重にもてなすが良い!!取り急ぎ我々も向かうとしようぞッ……!!」
同時に。
ズズ……ンンン……ッ!!!
――ほかの木々をも巻き込んで、はるか遠くまで吹っ飛んだ大木が、とっさには立っていられないほどの地響きを伴って、地面に倒れこむ音がする。
ギャァ、ギャァ、とあたり一面の木々から鳥たちが悲鳴をあげて、一斉に羽ばたいて逃げ惑った。
――こうして、破滅は、転がりだした。