二・五、【そして歴史は別の流れへ】
神州の暦で帝都歴五六年一〇月二三日。つまり現在から四二年前。
あの〝異思の物共〟の軍勢を、植田盛雄という老人が素手で、何と素手で容易く殲滅してから。
神州国の科学者たちは老人の体を徹底的に調べたが、ただこの老人の体は一般の同年代の老人と比べて壮健である、ということ以外何一つ普通の人間と変わらなかったのである。
しかしこの老人が念じると闘気と呼ぶよりほかない陽炎か蒸気のようなものが全身から出てきて、植田盛雄という〝人間〟はたちまち〝超人〟になるのである。
本人いわく、
「何も特別な事はしとりゃせん。ただいつものように世界平和を願って一人稽古しとったら、ある日いきなり体の芯から何かが爆発したかのようにほとばしって気が付いたらこんなものが体から出るようになっとった。わしもこの青白い水蒸気みたいなものが何なのかはわかりゃせん。全く持って不思議じゃのう。」
と本人も不思議がっていた。
この老人、――というよりこの老人の家系である植田家は、代々有力な軍人を排出する武門の一族とのこと。
しかしこの老人以外の血縁関係者は皆戦死。つい最近長年連れ添ってきた奥方も老衰で亡くなり、この老人は天涯孤独の身になった。
「ただいつものように世界平和を願って一人稽古」と老人は軽く言ってたが、それは毎日血反吐を吐き、血の小便を出すほどすさまじいものだと老人の住んでいた屋敷の近所に住む者は皆口をそろえてそう証言したと言う。
一人稽古。
実は代々植田家は〝大東流合気柔術〟という古流武術――この化学兵器全盛の時代にあってとっくの昔に廃れたもの――を伝承している一族でもあった。
もしやこの武術とこの老人から発生するオーラとしか呼びようのないものは関係があるのではないかと研究者たちが注目しだしたころだった。
なんとこの植田盛雄老と同じようにオーラのようなものを出し、たやすく人類の天敵ともいうべき「異思の物共」を撃退する者がポツリポツリと表れだしたのである!!
上地流空手という古流空手の修行者の放つ貫手が、あっさりと鋼鉄虫の心臓をえぐりだした。
天然理念流という総合剣術の修行者が放つ居合いが、一気に数十の鬼種を切り捨てた。
骨法というほとんど知られてない武術を使う者が、神州国最大の魔王とよばれていた[ヤトノカミ]という名前の恐竜種を、なんと倒した、などなど……
この者たちにはあからさまな共通点がある。
ひとつ、古流の――それも〝気〟とか〝オーラ〟とか呼ばれる胡散臭いものを重視する、時代遅れの武術の修行者であること。ボクシングとかレスリングとか、近代において成立した格闘技の修行者にはものの見事にいなかった。
もう一つは体を機械に換装しているものが少数であったこと。
体を機械に置き換えているものもいたが、その機械に置き換えている部分からは一切オーラのようなものは発生せず、
――もしやと思い研究者が、本人の二つ返事の快諾を得て機械の部分を、有機培養してつくった生身の肉体に戻しなおしたら、
見事そこからオーラのようなものが発生したとのこと。
――こんな話をご存じだろうか。
ニトロ・グリセリンという物質の話である。
この物質、理論上は結晶化が可能な物質だった。化学式まではっきり分かっていたと言う。だが、科学者たちがいくら試行錯誤しても長い間グリセリンは結晶化ができなかった。だがある日ある場所でグリセリンが偶然結晶化ができた。
すると、その日を境にして、世界中のあらゆるところで結晶化ができるようになったと言うのだ。方法などは一切変わってないと言うのに。
シンクロシニテイ。量子力学と呼ばれるほとんどオカルトじみた化学部門の言葉を使うと、この不思議極まりない現象はこう呼ばれる。
最早これは、そういった類のシンクロシニテイが起こったとしか思えなかった。
この異様な事態に神州国の要請を受けて集まった、「オーラとしか呼びようのないものを出せる古流武術修行者」達とこの国最高の科学者たちは頭を寄せ合って話し合う事になる。
後にこの会合は〝武神会議〟と呼ばれるようになる。
なぜ、我々はこんなものを出せるようになったのか。なぜ、こんなものを出せると、「異思の物共」ですら虫のようにあしらえるのか。
なぜこれを出せるようになったのが今なのか。もっと早く出せるようになってれば人類はこうも苦労しなかったと言うのに、というほとんど愚痴のような意見まで。(気持ちはすごく分かるが。)
ただ、この会合の中心人物である植田盛雄老の
「もう、うだうだいっても仕方のないことかもしれんのう。まあ、原因はそのうち解るじゃろ。もしかしたら永遠に解らないままで終わるかもしれんが……
とにかく、我々人類にはそういう〝時期〟が来た。そういう事が出来る様になった〝時期〟が。今はそうとしか言えんのう……」
というセリフで締めくくられた。締めくくるしか他なかった。
そしてこの会合の議題はより切実な事柄に移る。
即ち――
〝このオーラのようなものが出せる者の共通点は、(気)と呼ばれるものを重視する武術の修行者ばかりだ。
ならばもしも現在、これらの古流武術を何の変哲もない一般人が修行をしたら、この会合に集まった者たちの様にオーラのようなものを出せて無敵になれるのだろうか……?〟
という事であった。
――結論から言って、それは〝大当たり〟であった。
人類には、〝そういう事が出来るようになる時期が来ていた〟のだ。本当に。
――本当に、そうとしか、言いようがなかった。
ちなみにこの会合で植田盛雄老はこのオーラとしか呼びようのないものをなぜか
〝結界域〟
――と呼ぶことを譲らなかった。科学者たちが「なぜ?もう〝オーラ〟とか〝闘気〟という呼び方でいいのでは?」とまっとうな疑問を口にしたら盛雄老は何時になく渋い顔で、
「この、我々から立ち上るこの陽炎のようなものは古来より呼ばれる〝気〟と呼ばれるものによく似てしかし、完全に非なるものじゃ。これを出した途端銃弾も毒ガスも炎も「異思の物共」も兎に角あらゆる仇成すものが無効になる。
――そんな生物が実在していいのじゃろうか?文字通りこれはこの世の理を〝拒絶〟して余りあるものじゃ。我々は戒めを込めてこれを〝結界域〟と呼ばねばならん。調子に乗ってこれに溺れたら、今度は我々人類が世界に拒絶されかねん」
この言葉にほかの「古流武術を修行してオーラのようなものを出せるようになった人たち」は、特に反対もせずこのオーラのようなものを〝結界域〟と呼ぶことを受け入れた。
皆、口にはせずともそういった類の〝畏れ〟を抱いていたのだろう。
とにかく、のちに〝武神衆計画〟と呼ばれることになる国家的プロジェクトが神州で始まった。
今から四二年前の事である。