一・五、【歴史の急転換】
――多くの人口を占めるヒューマン族を筆頭に、エルフ族、ドワーフ族、コボルト族、ゴブリン続、オーク族、そしてマライカ族その他諸々の民族を含め、人類にはそう――天敵が存在した。
人類の発祥とほぼ同時にこの世界に現れたその天敵を、その魔物を、人類は何時の頃からか、
「異思の物共」
と呼んだ。
知性らしきものは確認されてはいるが人類からのコミュニケーションは有史以来一切不可能、生態系もいまだに分からないことがほとんどで、ただわけも分からず人類を一方的になぜか敵視し、その圧倒的な戦闘力で人類を蹂躙し喰らい尽くす、まさに「異思の物共」。
この怪物種は有史以来、人類を常に脅かす存在であり続けた。人類の歴史は「異思の物共」との戦いの歴史といっていい。
人類は、科学技術を進化・発展させることによってこの「異思の物共」に対抗してきた。銃の発明に始まり大砲を編み出し、戦車・戦闘機を造り、またレーダーを造って索敵機能を増し、もしくは体の一部を、もしくは大部分を機械に換装してサイボーグ戦士になり……
しかしそれでも、「異思の物共」は圧倒的だった。
まるで人類の文明の進歩に合わせるかのように、対抗するかのように忌々しくも自身の存在を進化してきた。
機銃を発明すればそれをかわせるほどの俊敏性を鬼種達は高め、バズーカ砲を編み出せばそれをはじくほどの硬度を持つ岩巨人が現れ、戦車一個大隊を数秒で殲滅するほどの灼熱の息を恐竜種共が吐く。
一時期人類はこの『異思の物共』によって絶滅の危機に瀕するほど危うい時があったが、ある日を境に全ての理がひっくり返るほどの事が起きる。
現在から42年ほど前。
神州というちっぽけな島国で、一人の風変りな老人が、戦場の――しかも最前線にふらりと現れた。ちょうど「異思の物共」と激しく交戦している最中である。
その老人の最初の遭遇者であったナオキ・ムライ中佐の自伝、
「わが師、植田盛夫との思い出」
――にはこう書かれてあった。
◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇
帝都歴56年10月23日一五三六、腕時計を確認したらちょうどその時間をさしていた。爆風と爆炎と轟音と死の絶叫が吹き荒れる中、私は目を疑った。
ちょうど私の一時の方向に着物と袴に草履という今時珍しい格好をした老人が、何やら扇でゆるゆると顔を仰ぎながら平然と立っているのが見えた。
最初私は「この老人は痴呆症か難聴で、「異思の物共」襲撃警報が耳に入らなかったんだ」と焦り、あわてて「そこのご老人!何やってんですかー!」と叫んだが、タイミング悪くその時響いた爆音が私の叫びをかき消した。
と、そこにさらに最悪のタイミングで、岩巨人がその老人の前に現れた!
私が「!?」と、驚く暇もなく、岩巨人の拳がその老人に振り降ろされる!
しかし――しかし老人はあわてることなく右手の扇を掲げ、そしてその扇と岩巨人の拳が交差した瞬間。老人の右手が「の」の字をえがくようにして岩巨人の拳に絡みつき、巻き取り、そして――、
その、信じ難くまるで冗談のような内容で我ながら正気を疑ったのだが、しかしそれでも書き進めるが――
なんと、交差した扇を中心に「ブワッ」と岩巨人が宙に浮き、そしてものすごい豪音とともに、地面に叩きつけられたのである!
さすがの岩巨人もひとたまりも無かったのだろう、すさまじい揺れとまるで隕石が落ちてきたかのようなクレーターの中心で粉々に砕け散っていました。
……そのあまりに異常な光景に交戦中だと言うのに私は絶句して固まってしまいました。
そしてハッと我に返り自分の頬をつねりながら目をこすりました。ええ、何度も何度も何度も。しかし目の前の岩巨人は砕け散ったまま、この光景が白昼夢でも何でもない現実と知った時はもう絶句するしかありませんでした。
と、その時気づいたのです。
老人の体から
「もしや……あれは……オーラ!?オーラッて呼ぶべきものなのか!?」
としか思えない蒸気というか陽炎みたいなものが老人の全身から立ち上り、
あまつさえその老人は地面から
十 数 セ ン チ ほ ど 宙 に 浮 い て い た のです!
そのまま老人は滑るようにするすると移動をはじめ、私はあわてて「お、お待ちください!」と後を追いかけました。いつの間にか私は敬語になっていました。
そしてそれからその老人に向かって襲い掛かる「異思の物共」の群れ、群れ、群れ!
しかしその老人はまるで散歩でもしているかのようなのんびりした足取りで構わずツッこみ、
蟻妖怪をブン投げ、鋼鉄蟲を張り手でたやすくぶっ飛ばし、鬼が強酸を吐きかけてもその身にまとうオーラ?のようなものが強酸をかき消し、群がる「異思の物共」をちぎっては投げちぎっては投げちぎっては投げ。
――何の装備も無く。ほぼ素手の徒手空拳と扇だけで。ええ、その間中ずっと頬をつねってましたから。間違いありません。
そしてけたたましい咆哮とともに、この群れのボスなのでしょう、火炎恐竜が現れ、火炎の吐息を吐きかけてきました。
しかしその炎が老人にぶつかる直前、パッと老人の姿が消え、なんといきなり火炎恐竜の真後ろに瞬間移動したではありませんか!
そして火炎恐竜が気付いて振り向くより早く。
老人は尻尾をつかみ、高々と火炎恐竜を宙に放り投げ、思いっきり地面に叩きつけました。
断末魔と轟音。
そして衝撃で全身の骨が砕けて即死したであろう火炎恐竜の死骸を中心に広がるクレーター。
そのそばで青白いオーラ?のようなものを全身から立ち上らせながら息も切らさず静かにたたずむご老人。
――「異思の物共」は、たった一人の、ほぼ素手の老人にたやすく全滅させられたのです。
其の神がかった光景にいつの間にか私は涙を流し、その老人のそばで深く土下座をし、尋ねました。
「私の名は村井直樹といいます……どうかご老人、その御名前をお聞かせください……」と。
御老人ははにかんだように微笑んで、振り向き、答えてくださりました。
禿げあがった頭部に、反比例するかのように胸まで届く白いひげ。そしてその双眸の神秘的な輝きを目の当たりにしたとき、――大げさかもしれませんが――私はこの時、〝神話〟が始まった、とすら思えたのです。
「わしの名は植田盛雄。なあに、ただのよぼよぼのくたばりぞこないじゃよ」
◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇
――これが人類史上はじめて〝結界域〟を発生させることができた〝武侠〟の、その名前だった。
ナオキ・ムライ中佐の例えは間違っても大げさでもない。この瞬間から、世界は一気に方向転換する事になる。
現在から42年前の出来事である。




