第二話 美味しいねと王女は言った
俺たちが歩き始めてすぐ、ネコ耳をピンと立てた獣人のアイラが、一瞬俺を見上げてからいきなり駆けだした。
たちまち視界から消えるアイラ。
だが大丈夫。俺の探知能力はしっかりアイラの姿を捉えている。
どうせ、何か旨そうな匂いをかぎつけて、我慢出来なくなって走り出してしまったのだろう。
「この先に肉料理の店なんかあったかなぁ」
「お肉だよ、きっと。アイラはお肉が好きだから。私も、お肉、食べたいなぁ」と、エルフのイーシャ。
イーシャは森の人と言われるエルフだが菜食主義者ではなくて、肉も大好きなのだ。
「ごめん母さん、夏美。ちょっと寄り道して行くよ」
「いいのよ」母さんは微笑んだ。
夏美も、仕方がないわねと言う顔をする。
アイラは、千川通りを直進して中村橋方向に走っていってしまった。
俺たちはアイラの後を追って進むことにした。
TVクルー達も、カメラを回しながら少し離れて後をついてくる。
生中継の時間は終わったようだが、取材は引き続き継続中なのだそうだ。
野次馬はいつの間にかいなくなっていた。
俺たちも同じ方向に歩いて行く。
右に折れたら豊島園に向かうと言う交差点そばの、路肩に停めた移動販売車の前にアイラは立っていた。
あたりには、肉を焼いたりトーストしたパンなどの入り混じった良い匂いが漂っている。
回転する肉の塊を焼き、注文に応じてそれを細かく削ぎながらパンの間に挟み込む、いわゆるドネルケバブである。
そのドネルケバブを売る車の前で、指をくわえて回転する肉の塊を見上げているアイラ。金色の瞳が爛々と輝いている。
異世界では、肉を集めて巨大な塊にする技術やレシピは知る限り無くて、このような大きな肉塊がグルグルと焼かれる光景を見ることはなかった。
巨大な魔獣の肉でも、ある程度の大きさに切られてから焼かれるのである。
きっとアイラは「あの肉の塊を全部食べられたらいいな」くらいに思っているに違いない。
気か付くと、アイラの頭の上に竜のロックが載っていた。ん? いつの間に移動したんだろう?
ロックも伸び上がるように首を突きだして肉塊を見つめていた。時々、羽がパタパタと動く。
「母さん、ゴメン、お金貸して」
俺は母から金を借り、ドネルケバブを人数分買うことにした。もちろんその人数にロックも含まれている。
トルコ人の料理人は、小さな竜を頭に載せたネコ耳少女を見てどう思ったろうか?
トルコ人には外国である日本での出来事だから、不思議ではないのかもしれない。
あるいは、秋葉原でコスプレ少女を見慣れているのかもしれない。
なんの疑問も無い顔で、長い包丁をヤスリ棒で数回研いでから、肉を細かく削いでパンに挟みソースをかける。
受け取ったアイラは、パーッと顔を輝かせた。ネコ耳がピンと立った。
「これ、美味しいですわ」ファンシア王女が言う。
「異世界の味だ!」イーシャも美味しそうにドネルケバブをほおばっている。
彼女らにしてみれば、こちらの世界こそが異世界なのだから、俺たちの世界の料理は異世界の味になる。
俺は、秋葉でドネルケバブを食べたことがある。
練馬の移動販売で食べるケバブも、秋葉で食べた時と全く同じ味だった。
だが美味しかった。前食べた時よりも断然美味しかった。
あまり食べ慣れないドネルケバブではあったが、香辛料はこちらの世界の味だ。
異世界の、どこか違う味の料理に比べたら、食べたことのある懐かしい味だ。
知らず知らずのうちに涙が流れてくる。俺は嬉しくて仕方がなかった。
ああ、本当に帰って来たんだなぁ。食べることで、そのことを強く感じられた。
アイラは無言でかぶりついているが、耳がピクピク動き、シッポも激しく振っている。
動物のネコは、戦うときなどシッポを振るが、ネコ獣人はネコとは違うので、嬉しい時にシッポを振るようだ。
もうすぐ食べ尽くす勢いだ。小さい体に似合わぬ食べっぷりだ。
アイラは成長途上なだけでなく、獣人は半端なくカロリーを消費するので、いつも飢えている。
チラリ、俺を見る。
更に一つ買って欲しいのだろう。
味付けの違うドネルケバブを、お代わりが欲しい子のことを考え、さらに幾つか注文してやる。
もちろん俺もお代わりだ。
また母に借金だ。
ロックは、ほとんどひと口で食べたようで、次のドネルケバブがくるのを待っている。
ネコ程度の大きさしか無い体躯なのに、ロックの胃はどれだけのものを食べられるのだろうか? 謎だ。
あまり外食をしない母も、嬉しそうにドネルケバブを食べている。
「あたし、こう言うの初めて食べた」と夏美は言いながら、やはり嬉しそうだ。
女子高生がドネルケバブを食べる機会は、あまり無いかもしれないなぁ。路上で立ち食いだし。
「私は、食べたことありますよ」メガネの奥の瞳をキラリと光らせて美保子は言った。
経緯を尋ねてみたかったが、俺も食べるのに忙しく、口がふさがっていた。
恥ずかしかったので涙を拭いて食べるが、夏美や母には見られてしまった。
仕方がない。本当に懐かしかったのだから。
涙がまた滲んでくる。
感動を胸に、俺はドネルケバブを食べた。
アイラは、早くも二つ目を食べ終わった。が、あらかじめ握っていたもう一つのドネルケバブに食いつく。
アイラには、お代わりの時、二つ与えておいたのだ。
相変わらず、シッポが激しく振られている。
アイラは口の周囲をソースまみれにしている。
よくみると、他のメンバーも似たようなものだった。
アイラはシッポを揺らしながらまだ食べているので、まずファンシア王女の口元を拭いてやる。
ファンシアは、人に何かをしてもらうのに慣れているので、顔を拭かれるままになっている。
次に、イーシャだ。彼女はちょっと恥ずかしげにしている。
でも、嬉しそうに目を細めている。構ってもらえるのが嬉しいのだ。
アイラがやっと食べ終わったので拭いてやることにする。
アイラは子供なので、何も考えずに拭かれている。
子供らしく笑って身をよじるので、拭きにくい。
夏美も、「うーん」と口を尖らせて顔を寄せてくる。
高校生になっても顔を拭いて欲しいらしい。
同年代とおぼしきファンシア王女やイーシャも拭いてもらっているので、自分も拭いてもらうのは当然と思っているようだ。
はいはい、拭きますよ。
チラッと美保子を見ると、私は自分で拭きますというように手を振っていた。
うん、それが女子高生として正しいあり方だと思うぞ。
ロックは、長い舌を出して自分の顔を舐めている。顔についたソースの味が嬉しいのだろう。
こいつは拭かなくても良さそうだな。
「そろそろ行こう」
全員食べ終えたので、移動をうながす。
ロックはもう少し食べたそうに、羽を動かしてこちらを見るが、我慢させる。
ロックにも、ペットとして我慢することを覚えさせなければいけないのだ。
俺たちは、またゾロゾロと歩き始めた。
「こちらの世界には、馬無し馬車が走っているのですね」
ああ、ファンシア王女は、車を表現するのに馬無し馬車と言う言葉しか持っていないのか。
「あれは、自動車と言うんだ。動力を車の中に持っているんだ」
「魔法具なんですね」ファンシア女王はしきりにうなずいている。
身動きするだけで、ファンシア王女の胸が揺れるので、なるべく目を逸らせながら話しをする。
「空気が臭いニャー」獣人で嗅覚が鋭いアイラには、ここの空気は悪いのかもしれない。
「じき慣れるよ」あまり説得力の無い口調で返すしかなかった。
「あれは何? 人が二つの輪のついたものにまたがって走ってる」
イーシャが指さす。
「ああ、あれは自転車だよ」
「倒れないのですね」ファンシア王女が顔を傾けて不思議そうにしている。
「俺のうちにもあるから、そのうちお前らも乗ってみるといい」
「ホント!? 楽しみだよ」イーシャのエルフ耳がピクッピクッと動いた。
「高い建物がいっぱいあるニャー」アイラはシッポを左右に揺らしながら言う。
雑然と並ぶ練馬のビルの群れ。
異世界の町並みも雑然とはしていたが、背の低い建物がほとんどだったため、こちらの世界ほど雑然とした感じはしなかったのだ。
だが練馬は、俺には住み慣れた懐かしい街だ。
この練馬の街は、正直あまり美しい町並みではない。
だが、彼女らにはそれが珍しいのだ。チカチカ光るライトや、走る車、自転車、変わった衣裳の人々。
物珍しげに当たりを見回しながら、笑いさざめく異世界少女勢。
この世界で彼女らを幸せにしたいな。俺は強く思った。