第8話 リアル
「ある偉い人は言いました。もっふもふは何ものにも勝る、と」
「ヴェ~~……」
「ふふっ、何言ってるのかわからないって?
つまりは"イケメン"と仲間になれて、私はとっても嬉しいってことだよ」
「ヴェ~~~~」
"イケメン"と呼ばれたゴートンシープはゆっくり体を揺らし、彼の上向いた機嫌を白い背中から伝えてくる。
甘えるような彼の声に、俺はそのふかふかと温かい毛皮をなでる事で返答した。
俺は、先ほどより5割増しに高くなった目線で、周辺の景色を見渡した。
日没から既に何時間も経過しているため、周囲を照らす光源は月と星明りのみ。
当然街灯も存在しないが、それらがまったく必要ないほどこの世界の夜は明るかった。
見上げれば、青く滲んだ月は西へと傾き、満天から零れる極彩色の光の川が瞬いている。
再び視線を地上へ戻すと、遮蔽物の少ない草原の景色が地平の果てまで続いていた。
その光景は、都会暮らしで耐性の少ない俺を、いとも容易く感傷的な気分へと誘った。
ちなみに草原には、イケメンの仲間であるゴートンシープの姿も無数に確認できる。
彼らは皆、一心不乱に足元の草をもぐもぐしている。とてもうまそうだ。
なんというか、ここが巨大な牧場と説明されても違和感がないほどに長閑な風景だ。
武器屋店主の話では、夜明けと共に難敵ブルワーカーズや猛毒持ちのキマイランビー等に入れ替わるらしいが、この景色を見ているとにわかには信じ難くなってくる。
とはいっても、実際に朝まで長居するつもりはないけどな。やっぱり命は惜しいし。
それにしても、比較的明るいとはいえ、この暗がりで何km先まで見えるんだよな。
この体は随分と視力に優れていて、しかも夜目もかなり利くようだ。
やはりエルフという種族には、狩猟民族としての特徴があるのかもしれない。
先ほどまで耳のとがった林業の人達と思ってたけど、そんなことはなかったらしい。
というか、実際視力以外にも色んな感覚が人間よりも数倍は鋭い気がする。
ただまあ現実の俺がかなりの近眼だから、今は視力が一番の違和感を感じるわけで。
……嘘つきました。むしろ違和感感じない場所の方が少なかったよこの体。
そもそも元の性別からして違うのだから、すぐに慣れられる道理がないわけで。
つーか、現状だと走るだけで死ねるんだよな。例の胸痛で。
ふぅ、と一息。
野草を咀嚼するイケメンを見下ろしつつ、改めて先ほどの戦闘(?)を振り返る。
俺の初戦闘は、ただ負けなかったというだけで、正直その内容は散々たるものだった。
なにせ攻撃はおろか、背後を取られただけで腰を抜かして動けなくなったのだから。
仮にあの時、イケメンに少しでも敵意があれば、それだけで俺の敗北は確定的だった。
なので、先ほどの戦闘は引き分けではなく、やはり敗北だったと考えるべきだろう。
非常に情けない話だけど、その事実を受け入れなければ、俺はきっと同じ失敗を繰り返すに違いない。
で、その克服すべき敗因は技術やスペックではなく、俺の精神的な部分にあった。
そして、その説明はただ一言。
『モンスターが怖い』
これに尽きるだろう。うん、間違いない。
なるほど。これでは端から戦闘が成立しないのも道理だ。
一見たかがゲームごときに、どれだけチキンなんだと笑われそうな原因だ。
しかしちょっと待ってほしい。
俺はこのゲーム以外にも、戦闘のあるゲームは人並み程度には経験したことがある。
人類の敵で、地球すら破壊してしまうような大魔王とだって戦ったこともある。
だがその戦闘中、ドキドキすることはあっても、恐怖を感じることは決してなかった。
それはそうだろう。だって、それはあくまで『ゲームの中』での出来事なんだから。
画面の向こうとわかってるから、俺はプレイヤーであっても傍観者でいられたのだ。
ならば何故、このゲームに限って、戦闘に対してここまでの恐怖を覚えたのか。
その原因は、このゲームの異常なまでの『リアルさ』に他ならない。
見渡す景色は現実と区別がつかず、ひんやりとした空気に違和感を感じることもない。
時折咀嚼音とともに流れてくる生臭い草の香りも、本当によく再現されている。
突っ込み所も多いが、リアルの再現という点では本気で賞賛に値するゲームなのだ。
それこそ今まで現実と認識していた世界が夢で、実はこちらが本物だったと言われても、一定の説得力を持ちうるほどの再現度だろう。
……まぁ、それにしては会話が成立しない住人が多すぎなのが、少々玉に瑕だけどな。
で、話は戻るが、そのリアルすぎる再現度が最もマイナスに働くのが戦闘だろう。
なにせこのゲームのモンスターは、リアルにモンスターなのだ。
最弱と呼ばれるこのゴートンシープですらこの巨体だし。
仮にこんなのが現実の街に現れたら、阿鼻叫喚の大騒ぎは間違いないだろう。
これ相手にナイフ一本で立ち向かえるほど、日本人は戦闘民族じゃなかったはずだ。
例えゲーム用に作ったこの体が戦闘に耐えられるスペックとしても、中身は俺なのだ。
戦いとは一切無縁の生活を送ってきた、高校2年の平凡な男子なのだ。
無闇に必殺技を叫びながら敵を倒すことに憧れるあの世代は、残念ながら卒業済だ。
今の俺に、あの時代の向こう見ずさがあれば、話はまた違ったのかもしれない。
だが一度引退した身でアレを再現するとなると、胸痛どころではないダメージを貰うこと請け合いだ。
思春期系男子の闇は深いのだ。
軽く闇を『ダークネス』と読んでしまうほどにな。うっ、頭が……
つーかさ、体のスペック上がってるといっても、走れば自爆する欠陥ボディなんだよな。
会心の出来栄えに多少目を瞑るつもりだったけど、これは本気で作り直しを検討すべきなのか?
いやいや、確かにそれも問題だけど、今はそもそもスペックは関係ない話だし。
要はゲームの作りがリアルすぎて、モンスターが怖すぎるのが問題なのだ。
現状で戦闘をこなすには、リアルで戦いに臨めるだけの覚悟が必要なほどに。
それって一体、どこの戦闘員育成プログラムだよって話だ。
あとダメージ受けると『普通に痛い』ってのも、よくよく考えると意味がわからない。
楽しい思いをしたくてゲームしてるのに、何ゆえ苦痛を与えられなきゃならないのかと。
この世の中、痛みがご褒美になる特殊性癖の持ち主は、かなりの少数派だったはずだ。
……の、はずだよな?
うーん。こうして理由を並べてみると、結局はゲームの欠陥としか思えないんだよな。
うむ。また、サポセンへの意見書が厚くなってしまったな。
すごいよこのゲーム。
一回プレイしただけで、サポセンに送る意見書がちょっとした論文になりそうだよ。
はぁ、俺はいつからこのゲームのデバッカーになったのだろうか……
俺はいよいよ思考に煮詰まりつつあった頭を振り、大きくため息を吐いた。
「ふぅ、なんかもう疲れちゃったよ。私の癒しはイケメンのもふもふだけだよー」
「ヴェ~~~~」
改めてロールプレイを強く意識しながら、俺はイケメンの大きな背中にしがみついた。
この行動がただの逃避でしかないと自覚しつつ、それでもこのぬるま湯のような温もりに身を預けることにした。
考えれば考えるほど、このゲームに対するもやもやが溜まりそうな予感がしたからだ。
もちろんこのゲームには、問題だけではなく素晴らしい点もいくつもあった。
夜空から零れる幻想的な星の大河や、藍色に染まる涼やかで澄み渡った空気。
そして俺を背に乗せ、悠然と佇むイケメンの真っ白なもふもふ。
そのどれもが、元いた都会ではなかなかに得がたい難い経験だろう。
当然ながら、それらは従来のゲームでは決して再現できなかった要素なのだ。
一旦運営への不満を引っ込めて、俺は眼下に広がる白い毛皮に顔を埋めた。
「ああ、これが……これが至福というものなのね」
思いの外高いイケメンの体温を肌で感じながら、その至福の感触と野生の香りを胸いっぱいに吸い込んで……
「――って、くさっ!イケメン超臭っ!お前、絶対体洗ってないだろ!」
「ヴヴェ!?」
洗ってない野生のスメルがここまでのものかと、生まれて初めて思い知ったわけで。
そもそもの話こんな所までリアルにする必要があったのかと、運営をとことんまでに問い詰めたくなったわけで。
んもー、だから突っ込みどころ多すぎなんだってばよ、このゲームはよー。
ストックが尽きたので、次話から不定期連載になります。