第7話 初戦闘
満天に広がる宝石のような星空に、チィチィと輪唱する虫達の声が吸い込まれてゆく。
草木を揺らして吹きつける突風が、既にここが『結界の外』である事を示していた。
里の木々よりはるかに小さな広葉樹に背を預け、浅くなっていた呼気を大きく吐き出す。
細波のような草木の音や虫の声は、耳元で騒ぐ心臓の音にその大半を掻き消された。
俺は音を立てないよう細心の注意を払いながら、そろりと幹の向こう側に視線を向ける。
その先では、今回の目標である『ゴートンシープ』が、暢気に草を頬張っていた。
俺はじっとりと濡れた手から得物が零れないよう、改めてその柄をきつく握り直した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから俺は、やたらとエルフィンボウ(8000リフ)を薦めてくるパルミラを制しつつ、別の店に案内してもらうことにした。
もしかすると、武器を売っているのはここだけではないかもしれないと予想したのだ。
そして、その予想はどうやら正解だったようだ。
3軒目に回ったよろず屋で、ようやく初期所持金でも手が届く武器を見つけたのだ。
更にそこで手に入れた情報により、このゲームどうやら"錬金術"が可能らしいということも判明した。
ここでいう"錬金術"とは、アルケミストのスキル【錬金術】とはまた別の物だ。
多くのゲームには、システムの穴を突き元より多くの金を手に入れる方法が存在した。
それらの現象を総称して、ゲーム用語で"錬金術"と呼んでいた。
どこぞの錬金術師が涙目になりそうな、見事なまでの等価交換法則の無視っぷりだ。
ではこのゲームの場合、どのような方法でその"錬金術"が可能なのか?
正解は、なんと『お金をすり潰す』だった。
妖精族の国ミストランドの通貨『リフ』。実はこのお金、その名の通り葉っぱだった。
これがやたらと形の整ったきれいな葉っぱなのだが、緑の葉が10リフ。黄色の葉が100リフ。赤い葉が1000リフ。そしてそれらより一回り大きな赤い葉が10000リフらしい。
それらの素材は、神木の高層で取れる、精霊の祝福を受けた特別な葉っぱとのことだ。
で、10リフに使われている緑の葉は、通貨と同時に薬草の原料でもあるそうなのだ。
10リフ札(?)3枚をすり潰せば、薬草(店売り200リフ)が一つ出来上がるらしい。
この30リフで作った薬草は、よろず屋が100リフで買い取ってくれるという。
なんでも、この薬草は1日たつと乾燥し、薬草としての効力を失ってしまうらしい。
その特性ゆえに、薬草自体在庫を作るのが困難な商品なのだ。
なので、出来たばかりの新鮮な薬草は、店としても毎日仕入れたい商品らしい。
と、そんな事情を説明しながら、よろず屋の店主はすり鉢と乳棒を渡してきた。
どうやらこの錬金術、公式的にも推奨されている方法のようだ。
てか、多分これちょっとしたアルバイトみたいな扱いなんだろうな。
ちなみに乾燥して効力を失った薬草は別の薬の原料となるようで、こちらは20リフで買い取りだそうだ。
ぶっちゃけ儲け的に大したことのない錬金術だが、それでも今の俺には大変助かった。
何しろそこで見つけた初期所持金で買える武器に、ぎりぎり手が届かなかったからだ。
ブロンズナイフ:600リフ
現在の所持金:500リフ
……そうだよ。
先っちょぶっ刺せば戦えると思って買った『矢 (*10)』がいらない子だったんだよ!
何故あの時俺は、もっと早く他の店の可能性に気づかなかったのか……
おかげでよろず屋の店内で、早速その錬金術を実行する羽目になった。
換金用に3つ、自分用に1つ、合計120リフ使って4つの薬草を作った。
すり鉢の容量的に1度に2つ分までが限界だったので、2回に分ける必要があった。
そして薬草製作にかかった時間は、1回およそ10分ほどだ。
ということは10分で140リフ、時給換算で840リフの稼ぎということになる。
うーん、このゲームの相場を考えると、どう考えても効率悪いよなコレ。
多分店売り200リフの薬草が、30リフで手に入るというのが一番有用な部分だな。
ともあれ、これでようやくまともな武器を手に入れることに成功したのだ。
これからは敵に出会っても、無様に逃げ惑う必要はない。
そう考えると、自然に頬が緩むのを抑えられなかった。
ナイフの手触りや形状を確かめつつ、しっくりと右手に収まるその重さを楽しんだ。
しばらくそうしていると、ふと売り物である大きな姿見の鏡が目に入った。
そこには新品のナイフを掲げ、恍惚とした表情を浮かべる女エルフの姿があった。
どこからどう見ても、ただの危ない人だった。
というわけで、武器を手に入れた俺は、早速このゲームの戦闘を体験することにした。
いきなり強い敵と当たっても困るので、周辺モンスターの話をパルミラに振ってみる。
しかし、どんなにキーワードを探っても、彼女がこの話題に反応することはなかった。
だからね、今はエルフ界のマスコットの話はいいんだ。残念ながらそれじゃないんだ。
つーか、微妙にこの話題も振られる頻度が高いんだが、実は重要な話なのだろうか?
……まあ彼女は幼いので、可愛いものに興味津々とかそういう設定なんだろうけど。
結局、里の住人に片っ端から周辺のモンスターについて聞いて回ることになった。
ヒットしたのはその30分後、さっき訪れた武器屋の店主だった。
彼の話によると、朝と昼は森の南はずれの湿地に出現する『ドロヌーバ』。
昼から夕にかけては南東の森に出現する『ビッグトゥース』。
そして夜間は北西部草原に出現する『ゴートンシープ』が狩り易い獲物だそうだ。
また、同じ場所でも時間と共に出現する敵が変わるので、その点は注意が必要らしい。
特に今挙げた敵がいるエリアは、次の時間帯にはかなり強い敵の縄張りになるそうだ。
うん。これなんというか、運営の悪意をひしひしと感じるよな。
雑魚相手にヒャッハーしてたら、いつの間にか強敵に囲まれてたでござる。とか……
そんな話どこぞの歴史モノで読んだことあるよ。「げぇ!○○!」とか叫んじゃうよ。
だからよー、もうちょっと初心者に優しく作ろうぜこのゲームはよー。
まあ、とりあえず情報収集しておいて本当によかった。
情報収集マジ大事。
……でもね、エルフィンボウの情報はもういらないからね、パルミラちゃん。
そんな擬音いっぱい使って威力を説明されても、買わないったら買わないからね?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――そして、現在に至るわけである。
日もとっぷりと沈んだこの時間帯は、里の北西の草原に出現するあのゴートンシープが良いカモというわけだ。
……だが、果たしてアレが本当に最弱の敵なのだろうか?
実際にこの目で確認してからの感想なのだが、正直にわかには信じがたい。
いや、あれが店主の言っていたゴートンシープというのは間違いないはずだ。
羊のようにふっさふさの白い体毛に、ヤギのような角。まさに名前の通りの生物だ。
しばらく観察していても気性が荒らそうとかそういう気配は一切ない。
ただただ一心不乱に、足元の草をもぐもぐと咀嚼していた。
しかし、問題なのはその大きさだ。
ゲーム内での俺の身長はおよそ165cmと、女性としては少し背が高い方だろう。
そんな俺と、ゴートンシープの目線はほぼ同じ位置にあった。
当然向こうは2足歩行なんて出来るわけもなく、4つ足でその高さなのだ。
ちなみに体重は軽く数百kgはありそうだった。
……いや、正直でか過ぎだろこれ。
下手に近づいて、うっかり下敷きになるだけで余裕で死ねそうなんですけど。
たまたまこいつが特別なのかと草原を見渡すと、同サイズの個体が何体も見つかった。
ということは、どうやらこれが標準サイズで間違いないらしい。
あの巨体に、俺はこれからこのちっぽけなこのナイフ一本で挑むのだ。
さっきまで頼もしく感じていたナイフの重みが、今では爪楊枝のように軽く感じた。
もし本当に歯が立たず折れてしまったら……うん、迷わず逃げてしまおう。
ゲームとはいえ、やっぱり死ぬのはまっぴらだ。
そして俺は欲張らずこつこつ錬金術で稼いで、今度はもっとゴツい武器を買うんだ。
ふふ、何が良いかなぁ?里のあの武器屋、実際かなり品揃えは豊富だったからな。
えーと、確か錬金術は時給840リフだから、10時間で8400リフ稼げるんだな。
おお、8400リフあれば、パルミラお勧めのエルフィンボウも買えるじゃないか。
『ぎゅいーん』といって『ずどどーん』らしいから、あんな羊もどきなど一撃で屠ってくれるに違いない。
うふふ、楽しみだなぁ……
などと淡い妄想に浸っていると、ふいにすぐ背後からガサリと音がした。
「……はっ!?」
慌てて振り返ると、そこには覗き込むようにこちらを覗う2つのつぶらな瞳があった。
その正体は、やはり今回の狩りの対象であるゴートンシープだった。
どうやら観察対象以外の個体が、いつの間にやら背後に回っていたらしい。
「ひっ……」
ぶもー、と生暖かい鼻息が至近より顔にかかる。
どうやら彼も少し前まで草を食んでいたのか、その息はやたらと青臭かった。
というか未だ咀嚼中なのか、くちゃくちゃとくぐもった水音が聞こえてきた。
【バックアタックだ!】
なんて状況は、RPGなどではよく見かける定番シーンのひとつだ。
俺はそれを見ながら「振り向いて攻撃すればいいだろ、何もたついてるんだよ!」なんて心無い言葉を吐いたこともある。
だが、いざ自分がその状況に陥って、それがどれだけ無茶な要求だったか理解できた。
目の前の敵ゴートンシープは、俺に寄りかかるだけで圧殺出来る程の巨体の持ち主だ。
容易にこちらを殺す手段を持つという意味では、ライオンがいるのと同義だろう。
じゃあお前、いきなりライオンに背後を取られて、心を乱さず反撃できるのかよ?と。
少なくとも一般人に過ぎない俺には、そんな芸当を要求されても出来るわけがない。
もし出来るという人間は、特殊な才能があるので相応の職業に就くことをお勧めする。
なんにせよ、距離的にも体勢的にも、この状態は拙いなんてものじゃないだろう。
例え無様に先制攻撃を許したとしても、今は距離を取ることが最優先事項だ。
そう考えた俺は、その類い稀なる敏捷力を活かし、後方へと大きく距離を取った。
……つもりだった。
「……あれ……な、なんで?」
しかし俺の目の前には、変わらずゴートンシープの巨体がのっそりと佇んでいた。
別にこのゴートンシープが、俺の超スピードについてきたわけではない。
かといって、運悪く逃げた先に別の個体がいたわけでもない。
俺は、その原因を作ったと思われるものに視線を落とした。
そこには、生まれたての小鹿のように震える、細く頼りない俺の両足があった。
そう。
俺は生まれて初めて対面する自分を殺しうる相手に、完全に竦み上がっていたのだ。
「く……この、動けぇ!」
ガタガタと震える両足に喝を入れ、強引にバックステップを踏もうとする。
だが、棒のように感覚のおかしくなった足では思い通りの動きが出来る筈もなく、事態は更に悪い方へと転がっただけだった。
ぐるりと廻る視界に、刹那の浮遊感。自分がどう動いたかも把握できないまま、次の瞬間には臀部に巨大な壁がぶつかった。
頭上から、再びゴフーと生暖かい草の匂いが吹き付けられる。
ハッと見上げると、何故か更に巨大化したゴートンシープが視界を覆いつくしていた。
なりふり構わず逃げようと足を動かすも、今度は地に付かず虚しく空転するばかりだ。
「……あ」
そこでようやく、尻餅をついて腰が抜けているという、自らの状態に気がついた。
それは、まさしく絶体絶命と呼ぶにふさわしい状況だった。
感情の読めないビー玉のような魔物の瞳が、俺の体を射竦めんが如く見つめていた。
粘着質に響く咀嚼音が、何故か先ほどよりも更に近く感じられた。
角度が変わり顕わになった口内には、草食とは思えない鋭い歯がずらりと並んでいる。
それを見た俺の脳内に、ゲームパッケージに表記されたある警告文が浮かんで消えた。
『このゲームには残酷及び、グロテスクな表現が含まれます』
……ふと思う。
例えばRPGなんかで魔物に負けた勇者って、その後どうなってるんだろう?と。
俺の予想では、絶対食われてると思うんだよな。主に性的じゃない意味で。
実際、決戦前に勇者のはらわたもぐもぐ宣言するどっかの魔王様もいるしな。
例えコンティニューという世界に愛されたシステムを持っているとはいえ、そんな相手に敢然と立ち向かえる勇者は本当にすごいと思う。
もし俺が一度でもそんな目にあったら、一目散で引きこもりに転職する自信がある。
そんなトラウマものの試練を乗り越えて世界を救うからこそ、彼らは勇者なのだ。
すごいよ勇者。流石だよ勇者。「勇気ある者」の称号は伊達じゃなかったんだな。
……と、逃避に走った俺の視界で、ついにゴートンシープが大きく動くのが見えた。
対して、俺は未だに尻餅をつき、腰が抜けた状態だ。
頼りにしていたブロンズナイフは、いつの間にやらどこかに落としてしまったようだ。
もはや逃げることはおろか、戦うことすら困難な状態だった。
あぁ、まさか初戦闘からこんなあっさりと死ぬことになるなんてな。
出来ればあまり痛みを感じない殺され方がいいなぁ。
どうせ死ぬにしても、せめてもぐもぐだけは本気で勘弁してほしいな……
だが、どんなに愚痴ろうが、どんなに嘆こうがその瞬間は無慈悲にやってくるだろう。
のそりと眼前に迫った圧倒的な終わりの気配に、俺は硬く目を瞑った。
「~~~~~~~っ…………?」
しかし、いつまで経っても、その瞬間はやってくることはなかった。
「……あ、あれ?」
俺は、緊張で固まった瞼を、ゆっくり引き剥がすよう持ち上げた。
すると、圧倒的なまでに威圧感を放っていたゴートンシープの巨体が、なぜか忽然とその姿を消していた。
「え?な、なんで……」
正直何が起こったのか、まったく理解が追いつかない。
まさかお約束的な展開で、絶体絶命のピンチを謎のヒーローが助けてくれた、とか?
いやいや、大体それだと俺がヒロインポジションになってしまうじゃないか。
そういうのは、かわいい女の子がやるからいいのであって……
って、今の俺って美少女キャラだったな。そういう意味では間違ってないのか。
いやいやいや、いくらネカマプレイとはいえ、何が悲しくて男なんぞとフラグ建築しなければいけないんだ。
よし!仮に本当に俺を助けたのが男だったとしたら、そいつは容赦なく敵認定だ。
こんな都合の良く女の子を助けられるとか、イケメンの所業と相場は決まってるしな。
ふははっ、そうだよ。イケメンなんて皆滅んでしまえばいいんだ。
『ガサリ』
少し離れた場所から、草を踏みしめる音と、こちらを覗うような視線を感じた。
おそらく、こいつが今回の下手人と見て間違いないだろう。
よーしいいだろう、来いよ世界の敵!
何でもお前の思い通りにいくわけじゃないって事を思い知らせてやるぜ!
「ヴェ~~~~……」
「あ、敵だ」
そこには、イケメンならぬゴートンシープがいた。やはり草をもぐもぐ咀嚼していた。
個体の判別が出来るわけじゃないが、彼は先ほどのゴートンシープのような気がする。
となると、彼は結局俺に対して何もせず、あの場所まで移動したということなのか。
彼は草を食みながら、しきりにちらちらと俺の様子を覗っていた。
その様子は敵と呼ぶにはあまりに邪気がなく、どこか愛嬌を感じさせる仕草に見えた。
おかしいな。あれでは敵というより、むしろ……
と、ふいに、先ほどまでわからなかった彼の思考が、少しだけ伝わってきた気がした。
それはあまりに突拍子もなく、そして耳を疑うような内容だった。
『旨いぞ、食うか?』
「……」
俺は無言で体を起こし、そのまま少し離れた彼の元へと足を進めた。
その間にも、何故か彼から攻撃されることはないと確信出来てしまった。
そのまま彼の元へとたどり着き、俺は彼のビー玉のような瞳を覗き込んだ。
「ヴェ~~~~……」
「……いいのか?」
ヒトの言葉で発した問いに、彼は小さく、しかしはっきりと頷いた。
ふかふかな白い毛で覆われた頭を撫でてやると、彼は膝を折って地に伏せる。
気持ち良さそうに喉を鳴らすその姿は、もはや羊よりも犬か猫のように見えた。
……おい。これでいいのか世界の敵よ!
今思えば、こいつが俺を見る瞳は最初からずっと変化してなかった気がする。
すなわちそれは、こいつには端っから俺に対する敵意が存在しなかったということだ。
結果として俺は助かったが、戦闘しにきたという経緯を考えるとどうも釈然としない。
俺は一つため息を吐き、大人しく撫でられ続けるゴートンシープの様子を覗った。
初めは無機質に見えた彼の表情も、よく見ると結構変化していることに気がついた。
くそぅ、こんなところばっかり無駄に作り込みやがって。
一体誰得なんだよ、その機能はよ……
目を細めて体を振るわせるゴートンシープが、何故か少しだけイケメンに見えてきた。
再び吐き出したため息が、夜風にさらわれ濃紺の夜空へと溶けていった。
こうして、このゲームにおける俺の初戦闘は、引き分けに終わった。