第4話 自爆
涼やかな風が木々を揺らし、まるで押しては返す細波のように多重な音を耳に届ける。
空の色を見れば、おそらく今は日の高い時間帯なのだろう。
だが、本来眩しいくらい強いであろう陽光は、深緑の遮蔽物にほとんど遮られていた。
俺は改めて、あの白い空間から転送された、その『スタート地点』を見渡す。
そして俺は、すぐさまここが、一体どういう場所なのかを悟った。
「森だ、ここ」
そう。
この場所は360度、どこを見回しても、背の高い木々しか見当たらない。
いや。一応木以外の人工物らしきものもあるにはあった。
それは、全長2mくらいの立派な女神像だ。
これがセラフィさんの言っていた、全国各地に点在する女神像で間違いないだろう。
森に無造作に設置されているにもかかわらず、風化や雨露に侵食された様子はない。
不自然なまでにきれいな状態で、その女神像は森の中に鎮座していた。
ついでに言えば、その女神像の造形はセラフィさんにそっくりだった。
俺の脳内で、セラフィさんは推定女神様から確定女神様に進化していた。
そのセラフィさんっぽい女神像も、やっぱり優しく微笑んでいた。
「つーかセラフィさん、スタート地点は神殿前って言ってなかったっけ?」
周辺を見回しても、神殿どころか建造物のひとつも見当たらない。
視界いっぱいに広がるのは、背の高い木々の幹ばかりだ。
誰が見ても鬱蒼と木々が生い茂る、THE・森にしか見えなかった。
「そもそも、えーと……なんとかっていう国の主要都市じゃなかったのかよ」
そんな不満を口から漏らしても、応えるのは風に嬲られる木々の声のみだった。
そしてその声も、吹き抜ける風に散らされて、そのまま緑の中へと消えていった。
「はぁ、しょうがないな。何かないか歩いて調べるか……」
気乗りはしないが、このまま待っていても事態が好転するとは思えない。
しかし下手に動いて、このまま敵にエンカウントするのだけは何としても避けたかった。
なにしろ現在身に纏っているのは、防御力にまったく期待できない布の服のみなのだ。
そして武器にいたっては、ナイフひとつ持っていない完全なる丸腰だ。
このままでは、エンカウントしたモンスターと素手で殴りあうことになりかねない。
なんにせよ一刻も早くこの状態を脱し、万全に戦える手段を手に入れたかった。
「まあ最悪、この有り余る敏捷を生かして逃げれば……」
と、そこで俺は、ようやくこの身に備わっているはずの、ある技能を思い出した。
「そういえば、俺【サモン】持ってるじゃん」
【サモン】とは、本来レンジャーではなく、サモナーが持つ基本スキルだ。
だがこのゲームでは、特技として一つだけ他の職業のスキルを持つことが出来るのだ。
確か設定では、職業と関係なくその人がもともと持っていた技能、て感じだったかな。
ただし上位スキルは選択できないし、基本スキルも本職が使うより格段に性能は劣る。
それでもこの特技システム自体は、非常に心が躍るシステムと言えた。
なにしろ工夫次第で戦術の幅が無限に広がるのだ。
例えば、俺は敏捷が突き抜けたレンジャーだ。
ということは、戦闘において先手も取りやすいし回避も優れたキャラになるだろう。
そこに、召喚という手数を伴った飛び道具が加わるのだ。
それがどういうことを意味するのか……まあ想像に難くはないだろう。
うまくいけば自身の安全を確保しつつ、一方的に蹂躙することも可能になるはずだ。
「よーし、じゃあ見せてもらおうかな、召喚の力とやらを」
高鳴る期待を胸に、早速コマンド画面を立ち上げて【サモン】を選択する。
だが次の瞬間、『ブブー!』と思わずずっこけそうな音が脳内に鳴り響いた。
『【サモン】の対象がいません』
はぁ?
どういうことだよ【サモン】の対象って。
エラー音が出たってことは、このままじゃ【サモン】は使えないってことなのか。
考えられる原因は【サモン】が戦闘用スキルで、戦闘中しか発動しないスキルなのか。
もしくは【サモン】用の使い魔を別途登録する必要がある。とか、そのあたりだろうか?
うーん、なんとなく後者っぽいな。
戦闘中にしか使えない召喚術とか、自由度をウリにするこのゲームっぽくないし。
強い【サモン】を使いたければ、強い使い魔を自力で用意しろってことなのか?
それはそれで面白い設定だとは思う。しかしそれは現在の状況で、ただただ迷惑だった。
せめて初期装備的に、1匹くらい使い魔がいてもバチは当たらないと思うんだ。
考えてみれば、初期装備でナイフの一本も用意されてない時点で察するべきだったか。
あーもうなんだろう、このゲーム初心者に厳しいよ!洋ゲーかよ!
……そういやゲームの開発、アメリカの会社なんだっけ。
そういわれればなんか納得だな。
そして、今の俺は丸腰でスキル役に立たない一般人ということが判明してしまった。
もしこのまま敵に出会ったら、その時はとりあえず全力で逃げよう。そうしよう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
スタート地点の女神像からしばらく歩いたが、やはり行けども行けども森だった。
森を構成する木々もかなり背が高く、鬱蒼とした森の中は当然のごとくかなり暗い。
だが不思議なことに、森特有のむせ返る匂いや、じめじめとした不快感はなかった。
森の中は風の通り道になっていて、絶えず空気が循環しているからだろうか。
そういえばこの森って、なぜかずっと一定に風が吹き続けてるんだよな。
あんまり気にしてなかったけど、これも不自然といえば不自然な点だ。
なにせ、それなりに強い風なのに、突風が混じる気配はまったくない。
そして風が一向に途切れる気配もない。
それはまるで、森の外に巨大な扇風機が設置されているかのような不自然な風だった。
そうだよ。
この状況の中で、今最もわかりやすい違和感じゃないかこれは。
多分この風は、何かゲーム的に意味を持つものなのだろう。
そしてそれは、おそらくなんらかのイベントが関わってるとみて違いない。
ということは、風の発生源に行けば何かが起こる可能性が高いということだろう。
……とかいって、これがボスフラグだったらいきなり死ぬんだけどな。
ま、まあ例え死んでも、またあのスタート地点に戻されるだけだし。きっと大丈夫だ。
仮にそうなった場合、絶対「クソゲー」って叫ぶけどな!
コホン。
ともあれ、今はこの不自然な風の発生源を調べることにしよう。
一番いいのは町が見つかることで、次点は人に出会うことだな。
そうすれば、最低でも今の何もわからない状況からは脱することが出来るだろう。
目的地のイベントが次の指標になることを祈りつつ、俺は風上に向かって歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目的地には、思いのほか短い時間で到着することが出来た。
つまり、あの不自然な風の発生源は、案外近くで発見することが出来たのだ。
『それ』は、森の木々が途切れた小さな丘の上にあった。
「うーん……これってどう見てもただの岩、だよな?」
でっかい子供が岩で積み木をしたらこうなる。的な謎の建造物が、そこにはあった。
岩の一つ一つはかなり巨大で、小さいものでも長辺5mほどはありそうだ。
そんな巨大な岩が、地面に立っていたり横たわっていたり、積み重なっていたりした。
確か、どっかの国にこんな世界遺産があった気がする。あれってなんていったっけな。
岩を避けるかのように、あの鬱蒼とした森は直径100mほどの円形に途切れていた。
そしてあの岩こそが、この不自然な風の発生源とみて良いだろう。
円周部のどの地点においても、あの岩が風上になったからほぼ間違いない。
ぱっと見ただの岩にしか見えないのに、どんな仕組みでこんな風を起こしているのか。
それは、いかにもファンタジー世界らしい不思議現象だった。
それにしても、岩から風が吹くってのは、絵面的にはかなりシュールだよな。
と、無責任な感想を抱いていると、岩の隙間で何かが動く気配を察知した。
はっ!てっ……てて、敵か!?
油断しきっていた俺は、慌てて身構えた。後ろ向きに。
「――あんれま、おめさ精霊様に何か用かえ?……は、はわ。何ゆえ逃げ出すのじゃ!?」
岩の間からひょっこり顔を現したのは、俺より弱そうな幼いエルフの少女だった。
「ここは『風の神殿』。わらし達を守って下さる精霊様を祀る場所なるぞ」
「そ、そう……」
エルフの少女はえっへんと言わんばかりに小さな胸を張り、ドヤ顔でそう語った。
そしてその行動は、ダメージを受けうずくまった俺への当てつけにしか見えなかった。
実は先ほどのやり取りの中で、俺はなぜか小さくないダメージを受けていた。
別に彼女や、その精霊様とやらに攻撃を受けたわけではない。
ましてや、突然現れた第三者に襲われたという事実もない。
強いて言えば自爆したのだ。
自らが持つ、『敏捷20』という人外ともいえる力によって。
彼女の出現にびびった俺は、最大の長所である敏捷を生かして逃げようとした。
そして次の瞬間、俺の体はまるで瞬間移動のように50mほど先まで到達していた。
それはオリンピック選手すらもまるで話にならない、まさに人外のスピードだった。
だが俺の体には、そんな人外のスピードに待ったをかける困ったちゃんが存在した。
ここまで言えば、もうお分かりいただけただろうか。
なんと俺は、自らの『乳揺れ』によってダメージを受けたのだ。
あの瞬間、本気で自分の胸がロケットになって飛んでいくかと思ったね。
これが本当のロケットおっぱいってやつなのか。……いや、多分違うな。
そして思わぬ自爆した俺は、森との境界の手前で胸を押さえてうずくまったのだった。
おい、このゲームいい加減にしろよ!
ダメージ入ったって事は、その為のダメージ係数が存在するわけだ。
すなわちそれは、開発者は乳揺れによるダメージまでも想定して作っているわけで。
こんな下らない所に力入れる暇があったら、もっと頑張るべき場所があったろうに。
例えば、NPCのAIをもっと高性能にするとかさぁ……
俺はふと頭を上げ、隣に佇むエルフの少女に視線を送った。
ほれみろ。ろくに反応返さなかったから、この子ドヤ顔のまま固まってるじゃないか。
当然ながらダメージを受け続け、HPが0になるとそのキャラは死ぬ。
つまり、乳揺れのダメージだけでも、積もり積もれば死に繋がるということだ。
しかも全力で動くという、たったそれだけのことで。
あの……ついに俺に残された、最後の武器まで潰されたんですけど。
武器なし防具なし、スキル使えない長所すら使えないのないない尽くしなんですけど!
もうやだこのゲーム……これじゃあこのキャラ、まるっきり一般人じゃないですかー!
はぁ、しょうがない。面倒だけどこれはもう一回作り直すべきかな。
これでも時間かけて作ったから、結構愛着あったんだけどな。はぁ……
……なんかもう開始数時間で色々突っ込みどころ満載だが、とりあえずこれだけは言わせてもらおう。
「このゲーム、絶対にクソゲーだろ!!」
はぁー、ちょっとすっきりした。