第1話 アンリミテッドヴァース オンライン
ふふふ……
思えば俺は、この時をどれだけ待ち侘びたことだろう。
ともすれば外に聞こえそうなほどに高鳴る鼓動と、緩みに緩んだ頬をそのままに、
俺、越路弥は厳重に梱包された『ソレ』の封を乱雑に解いていた。
Unlimited Verse Online【アンリミテッドヴァース オンライン】
本日無事に発売日を迎え、たった今目の前に鎮座しているゲームの名前がそれだ。
発売前から社会現象を巻き起こし、ヤホトピも今朝からこの話題でもちきりだった。
大手家電量販店では、今なおこれを求める客で長蛇の列を成していることだろう。
噂では、インターネット上で既に10倍の値で取引されてるとか。
そんな入手困難なゲームが、今この手元にあるのは、ただ単に運が良かったからだ。
近所に住む兄貴分がその筋にコネがあり、数本なら確保出来ると話を振ってきたのだ。
そして俺は、その話に1も2もなく飛びついた。
ええ、そうですとも。
俺自身、このゲームの発売日を一日千秋の思いで待ち続けていた一人ですから。
その現物が手に入ったと思えば、今まで貯めた貯金が吹き飛んでも気にならない。
むしろ、よくぞこれを買えるだけの貯蓄を残していたと褒めてやりたいくらいだ。
ありがとう、過去の自分。
さて、では何故このゲームがここまで話題になったのか。
ただでさえ割高なのに、さらに10倍なんて値で取引されているのか。
その理由は、このゲームの革新的なプレイ方法にあった。
このゲームの概要が世に出た当時、世間に与えた衝撃はまさに激震だった。
それは、このゲームが世界で初めて『フルダイブ型』を実現させたゲームだからだ。
これまでも、ヘッドマウントディスプレイを利用したVRゲームはいくつか存在した。
だが、このゲームはそれらとは一線を画すシステムを引っさげて世に現れたのだ。
なにしろこれまで不可能とされてきた、五感再現までも可能という触れ込みなのだ。
開発は日本の脳科学研究所と、アメリカのゲームメーカーが何年もかけ行ったらしい。
俺はその開発者達の努力の結晶である、小型の専用ゲーム機を手に取ってみた。
見た目より重みを感じるそれは、少し大きめのブローチのような形をしていた。
知らない者が見ても、おそらくこれがゲーム機だとは思わないだろう。
だがゲームをプレイするにあたり、必要なのはたったこれだけなのだ。
ああ、それと布団かベッドを用意した方が良いかもしれない。
あとはゲームの電源を入れ、横になって目を瞑るだけでゲームは正しく起動する。
そう。
このゲームは『リアルな夢』という形で、その内容を直接体験する事が出来るのだ。
言うなれば、まさに『自分』が五感を持って物語の中の登場人物になれる。
文字通り"夢のような"機能を実現したのが、この『Unrimited Verse Online』というゲームなのだ。
というわけで、既に準備は万端。
件のゲーム機も、耳に引っ掛ける形でセット完了。
少々重みで後ろに引かれる感覚はあるが、これも横になってしまえば問題ないだろう。
俺はそそくさとベッドの中に入り、早鐘のような心音に急かされながら目を瞑った。
視界が黒に染まると同時に、ぐわーと今まで感じたことのない感覚が頭全体に広がった。
慣れない感覚に上下感覚を失いながら、そのまま俺は『ゲームの世界』へと旅立った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふと気付けば、俺は真っ白な空間を漂っていた。
ん、何故「立っていた」じゃないのかって?
そりゃそうとしか表現できなかったからだ。
今の自分は、自分であってそうではない。
自分の意思を宿した、不定形な「もや」のようなものになっていた。
おいおい話が違うじゃないかと戸惑っていると、突如目の前が強い光に覆われた。
うお、眩し!
だが目が瞑れない。なんたって今の俺にはまぶたすら存在しないからな。
むしろなぜか視界が360度全方位にある状態だ。
……この状態マジで気持ち悪いんですけど。いきなりバグですか?
早速サポセンのお世話かと毒づいてると、光の収まった先にとんでもない美女が現れた。
いや、本当に美人過ぎて目が点になったね。目、ないんだけど。
奇跡のような豊満な体をゆるい布の衣装で包んだ金髪碧眼の、女神のような女性だった。
というか本当に女神で正解なのかも知れない。なんたってゲームの世界だし。
しばし推定女神様に目を奪われていると、彼女は柔らかく表情を崩し、口を開いた。
「Welcome to The『Unlimited Verse...」
あ、やべ。言語日本語に設定するの忘れてた。
あたふたと設定設定と念じていると、ポーンと視界にコンフィグ画面が立ち上がった。
どうやらこのゲームは念じれば管理画面が立ち上がる仕様のようだ。
ってうわ、設定項目多いな。何ページあるんだよこれ?
えーと言語設定言語設定〜……あったこれか!
デフォの"English"から"Japanese"に変更、OK。
よし、推定女神様の言葉もちゃんと日本語になってるな。
つーか日本で発売するやつくらい、デフォで日本語にしとけって話だよな。
「……が可能ですが、いかがいたしましょう?」
「あ、ごめん。最初の方聞いてなかったから、も一回はじめからお願いします」
女神様はピタリと言葉を止め、表情を変えず再び天上の音楽のような声を紡ぎ始めた。
「ようこそ、『アンリミテッドヴァース オンライン』の世界へ。
わたくしはこの世界の水先案内人、セラフィと申します」
うん、名前もやっぱり女神っぽいな。響きがなんとなく。
「あなたをこの世界へ誘う前に、いくつかの注意事項と、この世界の説明。
そして最後にあなた自身のことについてお聞きいたします。
注意事項と世界の説明は省略することが可能ですが、いかがいたしましょう?」
なるほど、まずはゲームを始める前の取扱説明書みたいなものなのか。
「じゃあ省略はしない方向で」
「わかりました。ではこの世界で遊ぶ上での注意事項から説明させていただきます」
なにせ、今までにない概念の上でプレイするゲームだからな。
こういうのは面倒でもしっかり聞いておいた方が良いだろう。
ただでさえ俺は、これから少々普通じゃないプレイをするつもりだしな。
「当製品は万全を期していますが、万一お客様の不都合となる点がございましたら、
ただちに弊社サポートセンターまでご連絡ください」
うわぁ、いきなりすっごい事務的な案件だな。
本当に取説そのまんまかよ。
「また、このゲームは通常のものに比べ、仕様上体への負担が大きくなっております。
数時間に1度の休憩を挟むことを推奨いたします」
いわゆるゲームは1日1時間って感じか。
……えー、それって結構しんどいなぁ。
例えばダンジョンに潜っても、強制的に中断入れないといけないってことだもんな。
まあ、セーブをこまめに活用すれば何とかなるのかな。
つーか思い出した。そもそも今絶賛不具合発生中じゃないか。
その辺はどうなんですか、推定女神のセラフィさん?
「……あのー、俺の体がもやみたいになってるのは既に不具合じゃないのか?」
そろりと手を挙げて、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
そんな俺の発言を、セラフィさんは変わらず柔らかな笑みをたたえ受け止めていた。
「それでは、続いてこの世界について説明させていただきます」
スルーかよ!
不具合報告は全部サポセンにまわせってことなのか。
このにこにこ女神様、思った以上に使えねぇ。
というか、実はずっと違和感があったんだけど、今の反応でやっとわかった気がする。
おそらくこのセラフィさんって、本当にただのNPCなんだな。
なぜって?
そりゃさっきからこの推定女神さん、表情が一切変わってないんだもの。
前に俺の言葉に反応したのは、多分反応するキーワードに引っかかったからだろう。
「はい」「いいえ」「もう一度」には機械的に反応する感じで。
リアルなゲームだから、NPCにもAIが搭載されてると勝手に勘違いしてたけど、
流石にそこまでの機能は望めなかったようだ。
まあいいか。
少し残念だけど、別にそういう部分に惹かれて購入したわけでもないし。
と言っている間に、セラフィさんによるこの世界の概要説明が行われていた。
この辺は事前情報でもある程度わかっていたことだな。
そこからの大幅な変更点も、今のところは見当たらないようだ。
事前情報と今の情報をあわせると、この世界はおおまかにこんな感じらしい。
舞台となる大陸の名は"エルヴァース"。
この地には人族、獣人族、妖精族、天人族、悪魔族等など様々な種族が住んでいる。
大陸には5つの国が存在し、少し前まで大陸全土で大きな戦争が起こっていたらしい。
戦争の終結に伴い現在は小康状態だが、種族間に大きなしこりは残ったままのようだ。
プレイヤー達はそのいずれかの国に属し、そこが各々のスタート地点に設定される。
そのまま自国に留まり、いずれ起こるであろう戦争の為に力を蓄えるもよし。
あるいは世界各地を飛び回る、気ままな冒険者ライフを送るもよし。
はたまた生産業に従事し、自分だけのオリジナル武器や道具等を開発するもよし。
楽しみ方の幅はかなり広いようだ。
ここまでの設定を見てもわかる通り、ベースの世界観はド直球王道ファンタジーだ。
剣や魔法が乱れ飛び、迷宮探索やドラゴン退治、秘宝を探すクエストも存在するらしい。
ベタベタな設定だけど、わかっていても心躍るのが王道と言われる所以なんだろうな。
そんな世界を、今から五感を共有して体験することができる。
本当に、よくぞこんな素晴らしいゲームを作ってくれたものだ。
「――以上がこの世界、"エルヴァース"の説明となります。
ここまではよろしいでしょうか?」
「ああ」
セラフィさんの言葉に是正の意を返し、そしてようやく待ちに待った時間が訪れた。
「それでは次に、あなたのパーソナルデータの決定をいたします」
「よっしゃ、待ってました!」
すでに俺のテンションはうなぎ登りだ。
もし手元にマラカスかタンバリンがあれば、無条件にシェイクしていただろう。
ラッパがあればファンファーレの一つでも吹いていただろう。吹いたことないけど。
くっ、拍手のひとつ出来ないこの体が恨めしい。
「あなたの、お名前はなんでしょうか?」
その言葉とともに、ポーンと青い入力画面が視界に立ち上がった。
「えーっと、越路弥っと……あれ、入力できない?
あ、これって1文字ずつ念じないといけないのか。うーん地味に面倒な」
微妙なインターフェースの悪さに戸惑いつつ、名前の入力を終える。
「次に、あなたの種族を教えてください」
再び軽快な音とともに、青い選択画面が立ち上がる。
そこには人族……だけではなく、およそ30種ほどの見慣れた種族名が並んでいた。
さて、ここまでくればもう判ってもらえただろう。
なぜ俺がここまでこのゲームを待ち望んでいたのか。
そう。
このゲームは自分の好きなキャラクターになりきってプレイすることが可能なのだ。
それも五感を伴って。
選べる種族だけで全部で30種類以上。
しかもそこからキャラクターの外見を細かくカスタマイズすることが可能なのだ。
この機能こそが、発売前からこのゲームを社会現象にまで押し上げた要因だった。
選択可能な種族の中には、自力で空を飛べる種族だって存在するのだ。
こんなの、期待するなという方が無理な話だろう。
「次は、あなたの年齢を……」
俺は胸の高鳴りをそのままに、次々と立ち上がる設定項目を手早く埋めていった。