違和感
キンコーンカンコーン。
六限目の終わりを告げるチャイムが校舎に鳴り響く。そして途端に騒がしくなる教室。
「ねぇねぇ、今日どこいく?」
「じゃあ、部活行くから」
様々な声が聞こえてくる中、俺は席を立ち、一直線にある場所目指す。
「うっす、弘樹」
そそくさと教室から出て行こうとしている弘樹に背中から声を掛ける。するとあからさまにビクッと大きく跳ねてから恐る恐ると言った感じでこちらを振り返る。
「お、おう、葵。どうした?」
「いや、特にどうってこともないけど……玄関まで一緒に行かないかと思ってさ」
「そ、そうか。でも悪いな。今日は先輩にグラウンド整備頼まれててな。急いで行かないといけないんだ」
「そうなのか。ならしょうがないな」
「あ、ああ。じゃ!」
それだけ言って弘樹はそそくさと教室から出て行った。まるで俺から逃げるかのように……
「……やっぱり、おかしい」
ここ最近こんなことばかりだ。俺が話しかけようとすると突然用事を思い出したとか言ってどこかへ行ってしまう。朝の電車こそ一緒だがほとんど話しかけてこないし、隣には座らず俺から遠ざかるように座る。それでもこちらをチラチラと見てはいるので嫌って避けているってわけではないと思うのだが……
「……やっぱ、あの日から、だよな」
俺が言うあの日とはもちろん電車で弘樹に抱きしめられてしまったあの日である。
あの日、最寄り駅に降りた俺達はそのまま真っ直ぐに学校へと向かった。降りた直後、弘樹が俺の体を気遣って少し休んで行くかと提案してくれたが、体的にもうなんともなかった俺はそれを断り真っ直ぐ学校へと向かうことになった。ま、そもそもとしてあれは寝不足による瞬間的な立ちくらみだし、そこまで深刻なものじゃない。
というわけでいつも通り並んで歩いていたわけだが……どうもいつも通りにいかないところがあった。
具体的に言うと俺と弘樹の距離感である。いつもと同じように歩いているはずなのに弘樹と俺との距離がいつもよりも若干離れていた。というよりも弘樹の歩くスピードがいつもより早いので自然と離れてしまっていると言った方が正しいかもしれない。
おかしなところはそこだけじゃない。いつもはあるはずの会話がまったくないのだ。弘樹はただただ下を向いたまま歩くだけでまったくこちらを見ようとしない。よって必然的に会話もない。そんな状態のまま俺達は学校へと到着した。
「お、おい。どこ行く気だよ」
そのまま通り過ぎようとしている弘樹の袖を掴んだ。そうしてようやく動きを止めた弘樹は、
「……」
何も言わず、ぼーっと俺のことを見つめていた。その瞳はやけにうっとりとしていて、まるで……
「ひ、弘樹?」
「っ!? あっ、え……」
俺が名前を呼ぶと突然あわあわと慌て出す弘樹。
「え、その……俺、部室いくから、先行っててくれ!」
「お、おい」
それだけ言い残して弘樹は今までにないくらいの早さでグラウンドの方へと走っていった。
なんてことがあったのがもう一週間前。それからの弘樹の様子は、さっき言った通りだ。何故急に俺を避けるようになったのか? あの日に原因があるとは思うのだけど……その理由が皆目見当もつかない。
「うーん、どうしたものか」
理由がわからなければ対処のしようがない。俺は自分の席へと戻り、一人頭を抱える。
「ど、どうかしましたか?」
「え?」
声が聞こえて横を見ると帰り支度をしている凪沢さんがこちらを見ていた。
「あっ、ごめん。ちょっと考え事してて」
「そ、そうなんですか」
緊張した様子のまま言葉を返す凪沢さん。一週間経ったけど彼女が俺と話す時の態度は固いままだ。
ん? でも彼女から話しかけてきたのってこれが初めてなんじゃ……
「で、でも最近ずっと、そんな感じ、です、よ」
「え? そう?」
「そう、です。じ、授業中もどこか悩んでいる、みたいに、み、見えます」
まあ確かにここ一週間ぐらいは授業中もそのことについて考えている時もあったけど……そんなに顔に出てたのか。
「なんかちょっと恥ずかしいな。凪沢さんにそんなとこ見られてたなんて」
「そ、そんな。私は、別に……」
そう言って顔をふせる凪沢さん。その頬は一週間前初めて話した時と同じくほんのり赤色に染まっている。
「あっ、そうだ。もし良かったら凪沢さんの意見聞かせてくれない?」
「わ、私の意見……ですか?」
「そう。悩んでる時って他人に聞いた方がいい考えが出るってこともあるでしょ?」
俺の言葉に少し悩んだ様子を見せたあと、
「そ、そうですね。私なんかで、よければ」
凪沢さんはこちらを向いて小さく頷いた。
「本当!? ありがとう!」
明るくお礼を言って俺はさっそく今の俺と弘樹と現状について掻い摘んて説明し始めた。もちろん、俺と弘樹の名前は伏せて。
「……というわけなんだ。どう思う?」
一通り説明し終えてから俺は凪沢さんに尋ねてみる。
「そう、ですね……すみません。私にも何が答えなのかはわかりません」
「そっか……」
凪沢さんの答えを聞いて肩を落とす俺。ま、そりゃそうだよな。いきなりこんなこと聞かされてもどうするべきかなんてわかるわけ……
「た、ただ、何をするべきかは、わかります」
肩を落としている俺を見ながら少し慌てた様子で凪沢さんはそう言った。
「ほんとにっ!?」
「は、はい。私になりにですけど……」
「それでもいいよ。ぜひ教えて!」
食い入るような感じで聞く俺に少し戸惑ったように視線を泳がせながらも凪沢さんはまた小さく頷き、そして、
「つ、つまりはです、ね……」
「逃げてる子を追いかければいいんです」
真剣な顔つきで彼女はそう言った。
「……ん?」
でも俺残念ながら俺にはそれを理解することが出来なかった。
「えーと、その……聞こえ、なかった、ですか?」
「あっ、ううん。ちゃんと聞こえたよ。聞こえたけど……よく意味がわからなかったというか」
「そう、ですか? 簡潔にまとめたつもり、だったのですが……」
うん、確かに簡潔にまとまってはいましたよ。ただ、簡潔過ぎて逆にわからにくくなっている。
「できればもう少し具体的に説明してもらえるとありがたい、かな」
「は、い。そうおっしゃる、のでしたら……」
不思議そうな顔をしながら彼女は説明を開始する。
「えーっと、じゃあもう少し、わかりやすく、言いますと……城山さんは少女漫画はお読みになられますか?」
「う、うん。読んだことはあるけど……」
なんでここでそんなこと聞くんだろう?
「でしたら、想像して、みてください。好きな男の子と喧嘩して逃げ出してしまった女の子。そんな彼女を見て男の子はどう、しますか?」
「え、えっと……追いかける、かな?」
「はい、つまりそういうことです」
わかりますよね? そんな顔で俺を見る凪沢さん。
……うん、残念ながらまだ俺にはわかりません。
「少女漫画の男の子ってカッコいいですよね? でも彼らがカッコいいのは見た目だけじゃないと思うんです」
そんな俺の様子を見て……かどうかはわからないけど凪沢さんはさらに詳しく話を続ける。
「彼らはいつもどんな時でも真っ直ぐに自分の気持ちを相手に伝えることが出来る、だからこそカッコいいんだと思うんです。そうは思いませんか?」
「え? ま、まあ……そう、かも」
少女漫画といってもたくさんあるからそれこそ作品ごとやキャラによってそれは違うとは思うけど、一般的なイメージはそんな感じがする。
「だから話すんです。逃げらても、避けられても、追いかけて追いかけて。自分の気持ちを相手に全部相手に伝えてあげればいいんです」
「な、なるほど」
なんとなくだけど彼女の言いたいことはわかった。つまり、行き違いがあるなら話せ。本音でぶつかれば全て上手くいくはず、ということだろう。
確かに本音で話すのは大事だよね。それをなんで少女漫画で説明したのかは謎だけど……
「わ、わかってもらえたのなら……よかったです」
恥ずかしそうに顔を俯かせる凪沢さん。というかこんなに饒舌な彼女を見たのは初めてかもしれない。好きなことになると人格変わる人っているけど、彼女はそんなに少女漫画が好きなのかな?
「じゃあ今度弘樹に逃げられた時はそうする……」
「今です」
話をまとめようとしていた俺の言葉に割り込むように凪沢さんが言葉を発する。
「え、今って……もう逃げられてから結構経つし、部活始まってるんじゃないかな」
「そんなの関係ありません。今です、今すぐに追いかけるです! そうじゃないといけないんです!」
そう言ってグッと顔を近づける凪沢さん。俺は気圧される形で後ろへと仰け反る。
「え、えっと、その……凪沢さん?」
「あっ!? す、すみません」
顔の近さに気づいた凪沢さんは慌てて俺から離れ、視線を下へ向ける。その顔ははっきりとわかるくらい赤くなっている。
「いや、別に大丈夫だよ。でも、うん。そうだね、次なんて言ってないで今行くべきだよね。こういった大事なこと後回しにするのよくないし」
「そ、そうですか。……それでこそ私の王子様です」
「え?」
凪沢さんが何か呟いたけど小さくて上手く聞き取れなかった。
「な、なんでもありません。そ、それより早く行ってあげてください」
「う、うん。じゃあそうするよ。相談に乗ってくれてありがとう」
「いえ。……こちらこそありがとうございます」
何故かお礼を言う彼女の言葉を既に走り出した俺は背中越し聞きながら弘樹のいるグラウンドへと向かったのだった。