廻る世界と4月
空は部屋で、ただぼんやりとしていた。
まだ帰るつもりのないらしい琴葉が横でいつの間にかいれたコーヒーを飲みながら、ときおりこちらをちらちら見てくるが混乱していて返事をする気力もなかった。
そのまましばらく、沈黙が部屋を覆う。
けれど、ついに意を決したように琴葉が息をすうのが聞こえてちらりと目をやると琴葉はこっちに向き直っていた。
「あの、瀬川さん…」
そう、思い切ったらしい声で琴葉が話かけてきた。
空はじっと、琴葉を見る。そして目線を逸らしてため息をつく。
何を言われたって状況はさして変わらないんだろう。
琴葉は返事をせずに目を逸らしてしまった俺に困惑しながらも、めげることなくこちらに近づいてきて、空の目線へと無理やり入ってきて、口を開く。
「呪い、解いてみたくありませんか?」
呪いを…とく?
むりやり、再び逸らしてやろうとしていた視線を戻して、俺は目を見開いて琴葉を見た。
今の自分にとって、最も必要なのは琴葉から得られるヒントだけなのだ。
「そんなことできるのか?知ってるのか?」
俺はつい意気込んで、そう質問攻めにする。
すると琴葉は少し困ったように苦笑いした。
「いえ…。でもヒントはあるんです」
明確な答えを琴葉が知らないと知って、内心少し落胆したが、空はどんな小さなヒントも逃すまいとその表情を隠す。
どうしても、知りたいことのために感情を押し殺す事くらい、俺にだってできる。
俺はさっきより勢いを落とし、そっと尋ねた。
「・・・教えてくれないか?俺はどうしても呪いをときたい、こんな呪い。俺は、早く死にた・・・・」
そこまで言ってはっと口をつぐんだ。”俺は、はやく死にたいー…”
琴葉もこの先の言葉を察したのか、今にも泣きそうなとてつもない暗い顔をした。
そして、琴葉は俺みたいな無情な奴ではないらしく、隠すこともせずにぽろっと口から感情どおりの言葉を吐いた。
「死ぬ、なんて考えないでください…」
何言ってるんだこの女は?
その言葉をきいた瞬間に浮かぶのは、そんなこと。
他人のことを思っているように見せかけて、思ってもいないのが人間だと俺は思っていた。
もし人間みんなにそんな思いやりが本当に存在するのならば、俺は今こんなふうに”死にたく”なっていないはずだ、と。
空は嘲笑うように口元を歪めて、琴葉を睨みながら明確な目的のみを告げた。
「お前には関係ない。俺はこの世から早く消えたいんだよ。だから呪いを解く。」
そう俺が言い放つと琴葉はさらに沈んだ顔をした。
でも、そんなことはどうだっていい。
「呪いを解くヒントって、何だ」
俺は強制的に会話の流れを捻じ曲げて、先を促す。
けれど、琴葉はまだ納得いかなかったらしい。
だから、暗い表情をしたままの琴葉はしばらく物言いたげな瞳をこちらに向けていたが、俺が睨むと諦めたらしく、ぽつりと答え始めた。
「…私の持ってる本の伝説では、4人すべてが揃うべきだと、そう書いてありました」
琴葉は暗い表情のままそう言う。
俺は面倒だ、と苛立ちながらため息をついて答えた。
「お前、その4人を調べてないか?俺だけ?」
琴葉は少し考えたのち、ううんと唸った。
「いえ…実は目をつけている子がもう一人います。でもどこに住んでるのかわからなくて…」
琴葉は少し暗い顔をするのをやめて、黒い髪をなでながら言う。その目には真剣な色が浮かんでいた。
この呪いに関しては、琴葉は何よりも真剣らしいのだ。
「あとの3人を捜しませんか?」
琴葉は予測できたその言葉を言って、俺を見た。
俺はぐるぐるまわる考えを頭でまとめようとする。
・・・日ごろ人と係わり合いのない俺がそんなことできるだろうか。
だが、死ぬこともできずずっとあの生活をするのかと思うと少し気が滅入る。
そう思うと仕方ないと、空は小さくうなずいた。
「ああ。いいよ。このまま生き続けるのも嫌だしな」
そう、了承した。少し琴葉へ当てつけのようにこんな言葉を付け足すあたり、俺は嫌なやつかもしれない。
けれど、協力したいというのは本当の事だ。
・・・すべてはこの人生をおわらせるために。
するとやはり琴葉は泣きそうな顔でこっちを見た。
このまま泣き出すのではないかと、一瞬空はたじろいだが、琴葉は泣くことも、それ以上は何も言うこともなく、ただ何かを探すためにかばんをさぐった。
・・・何を探しているんだ?
疑問を浮べるが、問う事もせずに空はそれをじっと見つめて待つ。
「あの、瀬川さ…」
「なぁ」
しばらくして琴葉が声をかけてきて、そこまで言ったところで俺は制止をかけた。琴葉が少し驚いてこっちを見る。
空はただじろりと琴葉をにらみ、それからすぐ視線をそらせて言った。
「その瀬川さんっていうのやめてくれるか?俺、自分の苗字嫌いなんだ」
苗字が嫌い、というと少し語弊があるが、俺は”帰ってこない”人たちと同じ苗字をいつまでも共有しているのが嫌だった。
もちろんそんなことを説明もしないので、そういうと琴葉は黒いひとみをきょとんと不思議そうに丸めた。
けれどこれ以上説明がないらしいとわかると不思議そうに首をかしげながらもうなずいた。
「わかりました…じゃあ、空?」
・・・呼び捨てかよ。普通は空さん、とか色々呼び方にも段階が・・・
俺は一瞬そう思って口を開きかけたが、言うのが面倒になってやめた。
どうせ呪いを解くまでの付き合いだ。何だってかまわない。
「いい。苗字以外なら何でも」
そう言うと琴葉はうれしそうに笑ってうなずく。どうやら少し機嫌を直してくれたらしいが、琴葉はかわりに面倒なことに質問を投げかけてきた。
「敬語…やめてもいい?」
一瞬また何か言いかけるが、結局俺はどうでもいいことだと適当にうなずく。
すると適当に頷いたことなど気にならないように、何やら琴葉はうれしそうに微笑み、再びかばんをあさる作業に戻っていった。
することがないので、俺は外に目を向ける。
いつの間にか暮れはじめた太陽が赤い光を部屋の中に漏らして部屋を赤く、不気味に染めていた。
これは、あの日とは違う赤だと自分にそっと言い聞かせて夕焼けをみながら空はぼうっとする。
何でこんなことになったんだろう。
何で俺なんかが選ばれたのだろう。
夕日が沈んで暗い闇が影をおとした。空のなかにはそんな思いがゆらゆらとしていて。
どうしようもない憎悪と後悔と、憎しみとーーー・・・・どんどんそんな、マイナスの感情が俺を満たそうとした時、間抜けな声が耳に飛び込んできた。
「あったよ、そ、そら!」
そんな彼女の、少しはにかんだような言葉に俺のかんがえは遮られる。
呼び捨てにするのが気恥ずかしいのか、少し照れた様子の琴葉の手には一枚の写真があった。
その写真に、写る人物を見て俺は目を丸くする。
「…外国人、か?」
そこに映っていたのは銀色の髪をツインテールの、青い瞳と茶色い瞳をしたオッドアイの小学生くらいの女の子だった。
どう見ても生粋の日本人じゃない。
「この子はハーフだよ。お母さんが日本人で、お父さんが外国のひと。」
琴葉の説明に、俺はなるほどと頷く。確かにまるっきり外国人という顔でもない。
俺はそのまま写真をじっと見ながら、当たり前の疑問を口にした。
「なんでこの子だと思うんだ」
その疑問は、当たり前のものだ。腐るほど人が居るこの世界の中からこの子を選び出したからには理由があるに決まっている。
適当に言っていたりした場合、俺は協力するのを考え直さなくてはいけない。
すると琴葉は後ろからするりと違う写真をだしてそれを俺に手渡してきた。
そこにうつるのは同じ女の子だ。
けれど2枚目の写真のその子は1枚目と違いひどく暗い顔をしていて。
「…どういうことだ?」
空がそう聞くと琴葉はうなずいて答えた。
「この子は神上リリ。昨日ネット上で見かけたんだけどね、外国で紛争にまきこまれてそれで一人で日本に来たらしいの」
よくわからなくて俺は少し首をかしげる。琴葉は補足するように続けた。
「なんでも、違法に飛行機にのりこんできたらしいの。それに紛争にまきこまれた現地では子供とは思えないくらい強くて、子供を使った人身売買のやつらを一人で蹴散らして逃げてきたんだって。普通じゃないでしょ?」
空は確かに、と頷く。
つまりは琴葉は俺と同じパターンだと思っているらしい。
ありえないことが起こっているところに何かあるかもしれない、と。
妙に納得できるその状況に、俺は少し自虐的な気持ちになってしまう。
それでも怪しいものは、当たっていく他ない。
空は立ち上がると、言った。
「ハズレでもいいから当ってみるしかないな。それしか方法がないんならそれをするしかない。」
こうして、神上リリ捜しが始まった。
なぜだろう、根拠はないがあの子は…いや、全員がすぐに集まるような、そんな気がした。
---
「ところでお前、帰らないのか…?」
話がひと段落済んだところで、空はどっぷりと日の暮れた夜空をみながらそう言った。
すると琴葉ははっとしたかのように間抜けな声をあげた。
「き、きがつかなかった…っ」
時刻はすでに9時を指していて。
俺は全然まだ帰れる時間だと思っていたが琴葉はとんでもないことを言った。
「暗くて帰れないし…今日、泊めて…?」
空は一瞬にして思う。・・・こいつ、バカか?
もしくは男慣れしているとんでもない尻軽か何かか。
けれど冗談で言っている様子はなく、琴葉は心底困りきったようにこっちを見ているその様子から、きっと前者だろう。
「お前…子供じゃないんだから帰れよ…」
それでも空はこれ以上人と話しているのが嫌でそう言う。
でも琴葉は黒髪をぶんぶん揺らしながら絶対に嫌だと首を振ってダダをこねた。
「嫌!無理!お願いします!!そのへんで寝るからっ!!」
普段誰かに詰め寄られることのない俺は、その懇願におされ、頷いてしまう。
何でもいいから早く静かにさせないと・・・。
「わかったから黙れ、うるさい…」
心の声がもれ出て、そう返事をしたが琴葉はまた、気にする事もなくむしろ安堵したように笑う。
そうして、結局変な奴である琴葉はうちに泊まった。
いつもとは違うここ数日に疲れ、くらくらしているせいで空は他人がいつぶりかに家にいることなど忘れて、死んだように眠りについた。
*
「…きた」
俺がそう呟くと大急ぎで琴葉が待ってましたとばかりに走ってきた。
あれから数日。空は簡単なサイトを立ち上げ情報を集めた。
家に引き篭もっていたせいで、やることがなかった俺はパソコンは得意なほうで、苦労する事はなかった。
趣味もなく、今までネットのなかでさえ人と関わることに興味がなかった俺は今までそれをしなかっただけだ。
メールを開くとそこには赤いリボンが的な、路地裏で野良猫みたいに走っているリリの写真があった。
よほど素早く動いていたのか、写真はブレてしまっているが見かけが見かけだけに間違いはない。
メールの本文には見かけた場所まできちんと書かれている。
「近くだね。偶然、かな?」
横からひょいっと覗き込んできた琴葉が言う。
長い黒髪がパソコンのディスプレイの前に垂れた。
「おい、邪魔だ」
俺はそれに対して低い声で言い、その髪を避けながらも頷く。
本当に、偶然だ。
場所は空が事故にあった交差点のすぐ向こう側。
横で邪魔だと言われ髪をまとめていた琴葉だったが、いきなりバッと立ち上がると俺をぐいっと引っ張った。
人に触れられるなんていつぶりだろう。
俺は反射的にばっと腕をふりはらって立ち上がっていた。
「行こうよ!早く行こう!」
そんな態度をとったにも関わらず琴葉はやはり気にした様子もなくそういい、玄関に向かってさっさと走っていってしまった。
...変なヤツ。
これがここ数日のあいつの印象。初めてあったときから変わらない。
こんな気が狂ったように自殺行為をしまくったり、引きこもっていた俺が気持ち悪くないのか?素直に、そう疑問を抱く。
「まぁ、いいか。」
どのみち呪いをとけばまたいつもの日常に戻るのだから。
空は考えるのをやめて、ゆっくりと琴葉のあとを追って外に出た。
---
外に出ると今日は少し曇っていた。
日差しが容赦なくふりそそぐあの、晴れの天気よりはマシだと思う。
それでも日ごろ外にでない俺にはすこしつらく、最近の疲れからも少し頭がくらくらした。
けれど琴葉はぐんぐん前へ行ってしまうので、仕方なくそれを追う。
前をいそぐ琴葉のあとを追い、交差点に向かいながらふと先週のあの気分を思い出した。
ありえないこと見舞われ気が狂いそうだった。
けれどそれは今も同じはずだ。・・・が少し慣れてしまったらしい。
慣れとは怖いものだ、と思いながらバスにひかれた曲がり角とは逆の方向にまがり、少しうす暗い空気のよどんだ路地裏に入る。
情報ではこのへんのはずだ。
「あ、あれ何?」
立ち止まるよう声をかける前に、琴葉は立ち止まりそういって何かを指差した。
空はそれを目で追って琴葉が指差すものを見る。
そこにはなにやら凶器らしいものが散らばりいくつかは血のような色がこびりついて錆びていた。
ただごとじゃない雰囲気が、微かに漂う。
「まさか、俺みたいになってたりしてな」
とくに深い意味もなくそう呟く。
「い、嫌な事いわないで」
俺の何気ない言葉に、琴葉は少し俺をにらんで言う。
俺はそれを無視して足を進めた。
「進まないか?ここにあのちびっ子はいないし」
俺がそういうと琴葉はこくりと頷いた。
さらに薄暗い路地裏をすすむ。
だいたいははゴミが散乱している路地だが今日は片付けられてきれいだ。
そんなことを思っているとちらっと赤い何かが視界に入った。
「あれ・・・あのちびっこじゃないか?」
視界にちらっとうつったそれは、確かに写真で見たあの印象的な赤いリボンだった。