始まりの4月(2)
「うっ…」
空はうめき声をあげ、ゆっくり目を開いた。
目を開いた先には真っ白い天井が広がっており、それはサヨナラしたはずの大嫌いな世界のものだ。
ここを俺は知っている。病院だ。
空が目を開いたまま白い天井を見つめていると、突如見知らぬ女がのぞきこんできた。
「目が覚めましたか!?」
-・・・当たり前の質問をするな…目を開いているんだから起きているだろう…あまりにいらいらし、つい出そうになるそんな言葉を押さえ、輝いた目でこちらを見てくる看護婦に小さくうなずいてみせた。
そしてこちらもわかりきったことを質問する。
「ここは…?」
看護婦はにっこりと笑うと口を開いた。
その看護婦と、他愛ない会話をしてさっさと出て行ってもらおうとしていた空は、その言葉に絶句する事になる。
「ここは病院ですよ。あなたは昨日の電車事故で"唯一"生き残った人なんですよ!しかも無傷で!」
「…は?」
空はぽかんとして、記憶を探りながら気がつく。そういえば、おかしい。
俺は右足を潰され、体中に傷を負い、それどころかその上死ぬのを感じたはずだ。
なぜ、生きているんだ…!?
俺はにわかに信じられない事態に少し震えながら、それを悟られまいと落ち着いた口調で、尋ねる。
「俺、右足をケガしてましたよね…?」
空はますます震えだした体をおさえ、後半かれそうな声で言う。
けれど看護婦はきょとんとして予想とは違う、聞きたくなかった言葉をはいた。
「いえ…まったくの"無傷"でしたよ?」
唇がわなわな震えて喉が変に乾いて、何か言おうとしたけれど口から言葉はでない。
空はありえないその事実に頭をかかえ、叫んだ。
「俺は死んだはずだ!生き返りでもしたっていうのか!?」
驚いている看護婦とまわりの病室の患者を無視して、空はベッドから飛びおりて走り出した。
後ろで看護婦の止める声、すれ違う度に聞こえる医者の声、驚く人々を無視して走る。
右足にやはりケガはなくて、体もいつもとなんら代わりなく動く。
恐怖に駆られ、一目散に病院の出口に向かって走り、病院の外に出ると、空は外の交差点へと走った。
そして交差点に出ると激しく行き交う車の群れに躊躇なく飛び込んだ。
普段ならば恐ろしくてできないようなその行為を、いとも安くよく行えたものだ。
クラクションの音とブレーキ音が辺りに鳴り響き俺を避けようとする車たちがあちこちに溢れた。
空はそれらを無視し、交差点をつっきり、道路の角を曲がる。
その瞬間、運悪くつっこんできたバスが思い切り俺を撥ねた。
空の体は宙に舞い、スローモーションかと思われるくらいに長い浮遊感のあと、思い切り地面に叩きつけられた。
「うぐっ…!」
あちこちの骨が軋む音がして、口から血が溢れだす。生温かい血が口の中に広がり、俺はそれを吐き出して横たわった。
再び”死んだ”という感覚に包まれながら俺はあえいだ。
けれど。やっぱり自分は死んでいなかった。
「大丈夫ですか…!!」
焦った人のよさそうなバスの運転手は俺に声をかけてきた。
あんなデカイもので跳ねておいてよくそんなことが言えるな、と思いながら俺はごろんと体を動かす。
そしてはっとする。すでに、何かおかしい。
折れたはずの身体を、なぜ動かせるのか。
震えている体はそんな気がつきたくもないことに気がつき、さらに震えだした。
空は口の中に広がる鉄錆の味を感じながら、自分の吐き出した血と傷口から溢れた血で濡れた手のひらをおそるおそる見る。
ケガをしたのは確かなのにー…
ケガは"どこにもなかった"
「うっ…うわああああああああああああ!」
俺は恐怖に叫び声をあげていた。混乱にあふれる交差点の真ん中で頭をかきむしる。
したはずのケガがなくなり、死んだはずの自分は死んでいない。
「こんなおかしなことってあるかよ…!?」
空はそのまま頭をかかえ、呻く。不意に、頭に再びあの声が響いた。
『君は永遠に死ねないよ』
もう声はでない。
喉はかれて、かわいた唇からは何も言葉はあふれない。
あれは夢じゃなかったのか!?俺の体に何が起こっているんだ…?
いつの間にか再びやってきた医者たちと交差点の混乱をききつけてやってきた警察官に抱えられ、空は病院に運ばれていた。
けれどそんなことはどうでもよくて。
辺りは混乱に満ちて、けれど自分の頭はそれ以上に混乱に満ちていてー…
*
次の日、空は退院して病院を出た。
昨日の錯乱ぶりから心配され、もう2,3日の入院をすすめられたが、断った。
今はそんなことをしている場合ではない。自分の身に何が起こっているのか確かめなければならないのだ。
昨日の夜少し落ち着いて考えたが、自分の体はどうやらおかしな現象にとらわれているらしい。
そして、あの夢。
夢のなかの声は"千年"と"嘘"と"死ねない"という言葉を繰り返していた。
このなかでひとつわかったことは今の自分はなぜか死ねないことだ。
そう、死ぬほどの致命傷を負ってもその傷はすぐに癒え、死ぬことはできない。
とりあえず、落ち着いて整理するには家に帰る必要があった。
たった一人生き残った俺のもとにマスコミやらなんやらが病院におしかけていて、ここはうるさすぎる。俺はそれらを適当に答えてあしらいながらタクシーに乗り込む。
こんなやつらと付き合っているほど、今心の余裕はない。
---
空は自宅のマンションにつくとともにベランダの扉を開いた。
「昨日のことは嘘だ…そう、嘘だ…」
そう呟き、俺はすぅっと目を閉じる。そして。
ベランダから身をほうりだした。部屋は充分に死ねる高さの階だ。今まで簡単に出来なかった自殺行為をこうも簡単にできるとは。
俺はそんなことを考えながら笑い、浮遊感を味わう。
そしてすぐに空の体は頭から思い切り地面にたたきつけられて鈍い音をならした。
鈍い痛みに目の前がまっくらになり、身体中が軋む。
けれど数秒後、やはり頭の痛みは消え失せてすっと視界が明るくなっていた。体はもう軋んでいない。
「………。」
空は無言でため息をつきながら体を起こしながら気が狂いそうな気分で頭をかきむしった。
空は無言でふらりと立ち上がって階段をのぼる。
ありえない。こんなことはありえない。大丈夫、死ねるはずだ。
空は叫びだしそうになるのをこらえて自分に言い聞かせながら部屋に戻ると深く息を吐き出して決心した。
もっと、確かめる必要がある…
---
4月4日は睡眠薬を大量に飲んでみた。
死ねない。
4月5日は階段から転げ落ちてみた。
死ねない。
4月6日は首を吊ってみた。
死ねない。
4月7日は包丁を腹に刺してみた。
死ねない。
死ねない…死ねない死ねない死ねない死ねない…!
俺はこうして1週間ほど自殺行為を繰り返したけれど、やっぱり一度も死ねなかった。
何度やってみたところで、痛みや苦しみはあるのに、その一瞬が過ぎ去ると傷は治る。
4月12日。
その行為に疲れてぼろぼろになった俺は、いつの間にかついたニュースを見ていた。
ニュースではこの前の電車事故が大きく取り上げられ、一人生き残った自分の情報が流れる。
奇跡です!などと何もしらずの笑顔で言うニュースキャスターに激しい憎悪を感じて、チャンネルをテレビに向かってなげつけた。
「くそっ…ふざけんなよ…!!」
俺はそう押し殺すように歯のすきまから言う。
空が投げたチャンネルは液晶にクリーンヒットし、がしゃんと音を立てて落ちて、液晶を壊す。
空はその破片を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「もう一度・・・だけ・・・」
俺は再び包丁を手に取ると首にかまえたー…
そうして、喉にそれを突き刺そうとした瞬間。
「だめっ!やめて!早まらないで!!」
そんな叫び声が玄関から響き、俺の動きを静止させた。
空はくるりと振り向き、その声の主を見た。
いつの間に部屋に入ってきたのか、長くてふわふわとした癖のある黒髪の、
小柄な少女が焦った声で叫んでいる。
誰だ、この女?
当たり前の疑問を抱き、静止している俺の元に少女は何の躊躇もなく歩み寄り、あわてて包丁を取り上げて、それを向こうへ押しやるとようやくほっとため息をもらした。
少女は必死だったのか、走ってきたのか、汗をかいた額を必死にぬぐっている。
俺は頭を抱えて首をかしげる。そしてじろりと少女を睨み付けて唸るように言った。
「お前、誰」
少女はその言葉にびくりと背筋をふるわせると慌てて自己紹介を始めた。
「あの、えっと...勝手に入ってごめんなさい。私は柊琴葉です。」
少女ー琴葉はぺこりとお辞儀をした。肩にかかっていた黒髪がふわりと垂れる。
そして琴葉はばっと顔をあげるときらきらした目でこちらを見た。
「あなたって、瀬川空さんですよね?」
俺はとくに驚くでもなく頷いた。ニュースに映っているのでも見たのだろう。
今や俺の個人情報は駄々漏れで最悪だが、今、そのことに関しては何も考えたくなかった。
俺は再び苛立ち、冷たい口調で琴葉に言う。
「悪いけど、帰ってくれるか?どうせ事故のことを聞きに来たんだろ、お前も」
俺は吐き捨てるようにそう言い、琴葉を睨んだ。
すると琴葉は少しうつむいたが、すぐに真剣な顔に戻り、こちらに予想外の質問を投げかけてきた。
「最近、おかしな現象に見舞われてないですか?」
普通、こんな質問をされたら何を言ってるんだ?と疑問に思うはずだが、空ははっとする。
その様子に琴葉はぱっと顔を輝かせた。
「ついに見つけたのかも...!」
そしてそんなことを呟いた。
俺は気がつくと琴葉の肩につかみかかって、ゆさゆさと揺すりながら問いただしていた。
「お前、何か知ってるのか!?」
急な空の行動に驚き、琴葉は目をまんまるくしておどおどと視線を泳がせているが俺はそれどころじゃない。
俺はこのわけのわからない状況から逃れようと必死だった。
「せ、説明するから落ち着いてくださいっ...」
琴葉が消え入りそうな声で、そう言い。俺はそこではっとしてようやく琴葉の肩を離して後ずさった。
「...悪い」
「いえ、大丈夫です」
俺が謝ると琴葉はすぐに落ち着きを取り戻し微笑むとうつむく自分にそう言ってきた。
そして一息おき、琴葉はまた真剣な顔をした。
「瀬川さんに今起こっていること、教えてもらえますか?」
空は少し体の震えを感じながらも、今、自分の身におこっていることを彼女に話した。
普通初対面の人間にこんなに話すことはなかったが、俺はやっぱり必死だった。
それに通常だときっと頭がおかしいと思われるような内容だけれど琴葉は真剣にさいごまで話をきいていた。
そして。
「やっぱり!これはエイプリルフールの呪いなんだ...!」
そう呟いて目を輝かせた。まっくろで丸い琴葉の目がきらきらとし、空は少し気が抜けてため息をもらす。
「それ、何?教えてくれないか?」
空がそう、呟くようにいうと琴葉は肩からさげた大きなカバンから分厚い本をとりだした。
「これを見てください!読めばわかります」
分厚いハードカバーの、少し古そうなその本は見たことのないものだ。
俺は言われるがままにその本を開いた。
・・・その本の内容は驚くべきもの。
『4月1日 エイプリルフールの偶然の呪い』
そう記された本の題名。その呪いの内容こそ、今の状況だった。
”4月1日。エイプリルフール。誰でも知っている嘘をついても許される日。けれど、嘘をついても許される日なんて本当はない。
なぜなら嘘を許さぬ呪いがあるからである。
その呪いは嘘をついた人々の中からランダムに千年に一度四人が選ばれ、その四人がのついた嘘を逆転してしまうというもの。”
俺はおそろしすぎるその事実に本を取り落とした。
つまり、空は死ぬ勇気なんてないくせに、
「この世から消えたい。」とエイプリルフールに嘘をついた。
そして何の因果かその四人に選ばれた。「この世から消える」を逆転させる...
つまり俺は、 「こ の 世 か ら 消 え ら れ な い」
要するに「永遠に死ねない」ということだ。
「嘘だろ・・・」
空は頭を抱えてしゃがみこんだ。信じられない...信じられるわけがない。
ただのエイプリルフールがこんなことを巻き起こすなんて。
こんなアニメや小説みたいなことが自分の身に起こってるなんて。
「信じられるわけないだろ...!」
そう呟く空を、琴葉はただじっと見つめていた。