琴葉と祖母の書斎
千里の去ったリビングに二人、取り残された琴葉と俺はしばらく何も言わずに千里の去った扉を眺めていた。
リリや要は、自分の中では完全に嘘を受け入れ、それを解くために覚悟を決めて居たのだという意識があったせいだろうか、千里の言葉はかなり突き刺さったようだった。
けれど、俺に関しては少し違った。それは、俺にとって改めて千里にそれを言われて痛感したわけでもなく、ずっと、この問題は自分の中で受け入れられずにいたことなのだ。
しかし、それとは別に俺は、千里の話を聞いて少しばかり絶望した気持ちになっていた。
それは、死にたいと思ったことを嘘だと認め、これからも生きたいと考えることはできないのに、こんな呪いのせいで一生不老不死で生きるのは心底ごめんだという感情だけは本物だったからだ。
つまり、呪いを解くための方法が今の俺に唯一できそうにもないことだった。
嘘を認めずには呪いは解けない。でも、嘘を認めることはできない。
しかも、俺一人嘘を認めないでいることはあいつらの呪いが解けなくなるということでもある。
一瞬だけ、嘘に嘘を重ねてこれからも生きていきたいと言葉にするだけで、嘘を認めたことになって呪いを解くことが出来るというのならば、そうしていただろう。
しかし、言葉にすることだけでは嘘を認めたことにならないのだ。
「はぁ・・・・」
空が、深く、絶望しきったため息を吐くと、横にちょこんと座って考え込んだ様子のまま動かなかった琴葉は我に返ったように身じろぎした。そして、震える声で唇を震わせながら小さく呟いた。
「ねぇ、空・・・私って何者、なのかな」
ぐいっと小さく服の裾を引かれ、振り向いた俺は琴葉とぱちりと目があう。
こちらを見つめる琴葉の瞳は、怯えたように揺れていた。
琴葉がただの一般人ではないことは、この前の青影との一件で皆がうっすらとわかっていることだ。
ただ、琴葉の中でうまく整理がつかないであろうことと、同じように俺たちにも何が何だかわからないことから、その件には触れないようにしていたのだ。
しかし今、千里に去り際に言われた言葉が、琴葉がただの一般人ではないことを確かなものにした。
千里が琴葉を煽っているようには見えないし、冗談を言っているようにも見えない。
俺は何もいうことができずに、琴葉から目を逸らして視線を手元にやった。
俺の服の裾を掴む琴葉の手は、小さく震えていて、力のこもった指先が白くなっていた。
何もできない俺は黙ったまま琴葉の指先をを見つめていたが、やがてその手の力がふっと緩んだ。
それに気がつきふっと顔をあげると、先ほどまで怯えたようにこちらを見つめていた琴葉の目は伏せられ、代わりに疲れて切ったような表情が浮かんでいるのが見て取れた。
「・・・琴葉?」
俺はいつまでも反応せずに地面を見つめるように静止した琴葉に小さく囁きかけるように声をかける。
琴葉はそれでもしばらく反応しなかったが、やがてゆっくりと顔をあげた。
「あのね、空・・・。私一人の頭じゃとてもじゃないけど状況が整理でききれないの。私の話、きいてくれる?」
いつのものように「何で俺が、」といいかけて、琴葉の目を見た俺ははっと息を飲んだ。
琴葉の瞳は、疲れきった色でも、不安に満ちた色でもなく、俺には決して浮べることのない強い決意の色を浮べていたからだ。
目を見開いて静止する俺からじっと目を離さず、黒目がちな瞳でしっかりと俺を見据えている。
-・・・琴葉は強い奴だ、と思った。
「・・・わかった」
俺はようやく、無理やりしぼりだしたようなかすれ声でそう答えた。
*
あのあと、琴葉は俺のうちを出て、自分の家に来るよう俺に言った。
俺は琴葉のあとに連れ立って日差しが燦燦と降り注ぐ暑い昼間の太陽の下黙って琴葉のあとに続いた。
じりじりと照りつける日差しの下をこんなにも活発に動き回るのは昔の俺には到底考えられないことだったな、と青空を見上げて思った。
こいつらと出会ってそろそろ半年経つ。この半年の間に随分外をこうして出歩くようになった。
あの時の死にたくて、人と関わりたくないという気持ちがかわったつもりはない。
けれど、こうしていつの間にか違和感なく、人と関わるようになった。
決意を込めて前を歩く琴葉も、必死に自分と向き合おうとするリリたちも俺には随分遠いもののように思われた。
俺も、向き合うべきなんじゃないか、という考えが一瞬起こった。
それは真夏の日差しにやられたせいだとすぐに思いなおしたが、実は自分でも気付かないうちにひっそりと、けれど確実に俺の心の中で膨らみつつあるものだった。
*
「こっちだよ」
琴葉の家につくなり、琴葉は廊下を突っ切り、リビングに入ると今まで琴葉の家に来たとき一度も解放されずにきちんと鍵がしてあった部屋に向かった。
鍵をひらくカシャリ、という音が静まり返って蒸し暑い部屋に響いて、ドアがゆっくりと開かれた。
「・・・ここって」
部屋に入るなり、ふわりと紙の乾いたにおいに包まれた。
大きな窓はカーテンで覆われて締め切られていて生活感はもうないが、きちんと掃除の行き届いた小奇麗なその部屋が、誰の部屋かすぐにわかる。
「そう、私のおばあちゃんの部屋だよ。それで、あっちの扉がおばあちゃんの書斎」
琴葉は寂しそうな表情を浮べて窓際に寄り、さっとカーテンをひいた。
そして窓際に置かれた机を撫でながら薄く、懐かしそうに微笑んだ。
「ここでよくおばあちゃんに色んな話をきいたなぁ。おばあちゃんが居なくなってからもずっと掃除して、片付けることもできなくてこのままにしてあるの・・・」
琴葉はそう言うとこちらを見て悲しげに笑った。
琴葉も、寂しくて、つらいのだと思った。
出会ってすぐの頃、琴葉と死ぬ、死なないで喧嘩をして少しばかり琴葉の祖母の話をきいたときのことを思い出す。
一人きりで誰も使っていないこの部屋を掃除する琴葉を思い浮かべて、俺とはまた、内容こそ違えど琴葉が死について重くとらえているのだろうと、そう感じた。
ぼーっと考え込んでいるうちに、琴葉はその机の引き出しをすっと引いて一本の鍵を取り出していた。
その鍵は、古ぼけていてところどころがさび付いている。
「これはおばあちゃんが死ぬ前に、あの私がいつも持ってる呪いについて書かれた本と一緒にくれたものなの。自分がわからなくなったとき、開けなさいって」
琴葉は鍵を持って書斎のほうへ進んでいく。
「その鍵がどこの鍵かわかるのか?その書斎に、鍵はついてないから書斎の鍵ってわけではないんだろ」
書斎に向かう琴葉の背中にそう、問う。
琴葉はふわふわとしたクセのある髪を肩の上で揺らしてこちらを振り返る。
「わかるよ。ずっと怖くて開けられなかっただけだから・・・」
琴葉そう言いながら書斎に入ると、小さな箱の前で立ち止まった。
「これ。空、ちょっとそこで待っててくれる?私が先に目を通したいの、一人で・・・。ごめんね、さっきから」
琴葉は申し訳なさそうにそう言う。
だが、意識は完全にその箱に向いていた。俺は、静かに頷いた。
*
書斎から出て、リビングに移動してどれくらい経っただろうか。
時計をちらりと見上げると、時計の針は夕方の四時半を指していた。琴葉が書斎にこもってだいぶ経つ。
あの箱の中に何が入っていたのかはわからないが、さすがにこれだけ時間が経つと心配になってきた。
中に入って様子を見てこようか、立ち上がろうとした瞬間、後ろで扉ががちゃりと開いた。
「琴・・・・」
呼びかけようとして、止まった。
後ろから差し込む夕日の紅い光を浴びて、放心したような表情の琴葉が立ち尽くしていた。
「空、私・・・。」




