琴葉の恋煩い②
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「・・・おい、琴葉お前きいてるのか?」
そんな鋭い声で、私ははっと我に返る。
顔をあげると怒った表情でこちらを睨みつける空と、心配そうなボブの顔が目に入った。
「ご、ごめ・・・・」
ぼーっとしていて話をきいていなかった私は、しょんぼりと俯く。
頭の中は、今朝のことでいっぱいだった。そして、胸の中いっぱいのこの感情で頭がくらくらしているのだった。
琴葉が謝ると、空はちらりと時計を見上げて立ち上がった。
「琴葉、もう今日は帰れ。お前、遅くなると帰れないだろ」
呆れたようにも聞こえる声音と、言葉に琴葉は思わずむっとして空をにらみつけた。
空は、私をこうやって子ども扱いするんだ。それはきっと、今朝言っていたことの証明だろう。
空は年下で、頼りなくて、子供っぽい私のことなんか眼中になくて、ただただ、子供だと思っているんだろう。
今までさして気にしてもいなかったことなのに、そんなふうに次々に浮かび上がる感情を、戸惑いながらも抑えきれなくなって、私は、気がつくと叫んでいた。
・・・それこそ、我慢できない子供のように。
「子ども扱いしないでよ!まだこんな時間だから全然帰れるよ!どうせ私のことなんて夜道も歩けない馬鹿みたいなおこちゃまだって思ってるんでしょ」
空は、面食らったようにこちらをぽかんと見つめた後、すぐいつものようにぐっと眉間にしわを寄せてこちらを睨んだ。
「・・・じゃあ、好きにしたらいいだろ。俺の家はもう泊まるところないぞ」
吐き捨てるような空の言葉に、琴葉はぐっと唇をかみ締める。
「・・・帰る」
そして結局、逃げるように荷物をまとめてずんずんと部屋を飛び出したのだった。
*
「・・・・。」
外はうすら暗くて、昼のむっとした暑い空気もどこかへ行ってしまったらいくひんやりとした空気が流れていた。
空の家のマンションからずんずんと進み、歩き、しばらく怒りに任せて歩を進める。
けれど、しばらく外の風とともに頭が冷えて、次第にとぼとぼと、頼りない歩き方になっていることに気がついたときには外は真っ暗闇になっていた。
「なんで、あんな・・・」
子供みたいに文句を吐き散らして飛び出してきたことが急に恥ずかしくなって、ぐっと唇を噛み締める。
そもそも、なんでこんなに悔しくていらいらしているのかもわからなかった。
結局、思い当たる”それ”からいつも通り思考を捻じ曲げて考えないようについ逃げてしまう。
今日も私はそれを考えないようにしてとぼとぼと道を歩く。
明日、謝ろう。と心の中でもんもんとしながら暗い路地を進んでいく。
「あっ」
頭が冷えると同時に、うっかり外灯の少ない道を進んでしまっていたことに気がついた。
途端に、夜道の恐怖にとりつかれる。背後で、かたんと音がなった。
私は昔から暗い夜道が大の苦手で、何よりも怖かった。
空と初めて会った日に、泊めてもらう位には苦手だし、おばあちゃんがいるときは一人で夜道を歩いたことすらなかった。
そこで、はっと気がつく。
もしかして、空は私が夜になると外が怖いと初めて会ったその日に言ったことを、覚えていて帰るように促してくれたのかもしれない・・・。
そんな私がうっかり飛び出して、夜道を歩いているという状況と、申し訳ない気持ちで思わず足がすくむ。
すくむと同時に、やはり後ろからかたんと音がして、やがてそれは足音になって背後から迫り始めた。
「・・・っ」
琴葉は、すくんだ足を無理やり動かして早足で夜道を進む。
けれど、同時にその足音も早足で私についてきた。そう、気がついた瞬間には琴葉は全速力で路地を駆け出していた。
恐怖で心臓が脈打って、足が、がたがた震える。
震えた足はうまく前後してくれなくて、走り出して間もなく絡まった自分の足でつまずいて私は派手に転んでいた。
「あぅ・・・」
すぐに体勢を立て直して立ち上がろうとしたけれど、震えた足はいうことをきかない。転んだと同時に腰が抜けたらしい。
立ち上がれないことに気がついた瞬間琴葉は絶望感と後悔の念に包まれながら、背後の暗闇を見つめていた。
足音は、まだ響いていて、どんどん近づいてくるのに、外灯一つもない路地では相手の姿は良く見えない。
何かが、速度を落としてふらふらと前まで迫ってきて、ゆらりと、私の前に立ったとき私はぐっと身体に力をこめて俯いた。
ここで、私は死ぬのかもしれない、最後に空に謝ればよかった、とかそんなことを考えて、覚悟を決めた。
・・・けれど私は、すぐに力を抜くことになった。
「・・・おい、何全速力で逃げてんだよ・・・」
こめた力が、ふっと抜けたのはその声がとても、聞き覚えのあるものだったから。
震えながら顔をあげると、うっすらと汗を浮かべながら暗闇の中でこちらを迷惑そうに睨む空の顔があった。
「・・・そ、ら?」
私が震える声でそう呟くと、空はこちらに手を差し出した。
その手をとった瞬間、緊張の糸が緩んだようにぶわっと涙腺も緩んで、目からぼろぼろ涙が零れ落ちた。
「空・・・・うううう~~ごめんなさいぃぃ・・・・・」
空が、ぎょっとしたように身じろぎする。
それでも私は結局止められなくて、そのままぼろぼろ涙を零した。
怖かった、でも空が来てくれて、とても安心した。私はいつも、こうやってすぐに泣いてしまうんだから、子供だ。
空の手を握り締めながら、もう片方の手であふれ出てくる涙をぐいぐい拭い、そんなことを思った。
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結局空は、私が手を握っていても、振り払わずに泣き止むのを待ってくれていた。
私がようやく泣きやむと、空は逸らしていた視線をこちらに戻して、私が握った手を見つめながら「大丈夫か?」と小さな声できいてきた。
私は、小さく大丈夫、と答えて空の手を離すと代わりに空の服の、端をつまむ。散々泣いておいて、なんなのだがやっぱり夜道は怖い。
空は一瞬、じっとそれを見たけれど、結局文句をいうこともなく前を向くと歩き始めた。
「なんできてくれたの?」
私が、ぽつりときくと、空は低い声で答える。
「リリが、危ないから送って来いって。それで追いかけたらお前逃げるから。・・・てか、なんでこんな暗い道から帰ってるんだよ」
リリちゃんか、と苦笑いしながら私は答える。
「何か、ぼーっと歩いてたら道、間違えちゃって」
私がそう言うと、空はこちらを振り向いた。けれど、暗くて、顔はよく見えない。
「お前朝からぼーっとして何なんだよ。言いたいことがあるなら、言え」
言葉はきついけれど、この少し落とし気味のその声のトーンから、少し心配してくれているのがわかる。
私はとぼとぼ歩きながら、少し考えた後直球にその言葉を口にしていた。
「空は、百合さんみたいな年上の、大人っぽい女の人が好みなんだよね」
私が言うと、空は首を傾げて「は?」と言った。
何の話だとばかりに空は歩を止めてこちらを不思議そうに睨みつけている。
「え、朝・・・要さんにきかれたときそうだなって・・・言ってたよね?私あの時呪いがとけなくて、そのままだったら私は空の年齢に追いつけるのに、とか思っちゃ・・・・っ、て・・・・」
突然空がそんなことを言い出すものだから、つい動揺して早口にそんなことを口走る。
後半、ほぼ丸出しの感情をのせた言葉に気がついて声を小さくしたときには空は少し驚いたようにすでにこちらを見ていた。
そのときほど、暗闇に感謝したときはなかった。顔がぶわっと熱くなって、私はぐっと俯いた。
「ご、ごめん・・・・。」
蚊の泣くような声で、言うと、空は再び歩き始めた。
空は、何も言わずに無言で歩いていく。
呪いが解けなければよかったなんて言ったから、怒ったのだろうか。それとも、私が変なことを言ったせいで気を悪くしたのかもしれない。
結局そのまま空は何も言わずにしばらく歩き続けて、私はその服をつかんで同じように黙って暗闇の中を進んでいった。
しばらくすると、路地裏からマンション近くの外灯のある道に出た。
そこで、ようやく空がぴたりと足を止める。
空は足をとめても振り向かず、ちかちかと揺れる外灯のほうをじっと見つめたまま動かない。
「そ、そら?」
無反応な空に、おそるおそる声をかける。空は、ようやく首を傾けて少しだけこちらを見た。
空の茶色っぽい瞳は、外灯の光で薄銀色に染まって見える。
妙に空が大人のような気がしてきて、服をつまむ手が少し、震えた。
「俺は」
空が、少し擦れた声で言う。
「俺は今朝、海のことを考えてただけだ。別に、好みとかそういうことじゃない。」
後半は視線を前に戻して、空は小さい声でそう言った。
そうして、ぽかんとする私に向かってさらに今度はいつも通りの不機嫌そうな低い声で言う。
「別に子ども扱いしてるわけでもなんでもない。お前怖いならこれからはちゃんと早めに帰れ、・・・・し、心配する」
それだけ言うと、空は元来た道を少し慌てたように、引き返し始めた。
ぽかんとしていて離れた手は急に熱を帯びたように、熱くなる。
「あ、・・・・ありがとう、送ってくれて!空!」
色々溢れかえった感情も、結局うまく出てこなくて琴葉は遠ざかっていく空の背中に、そんなふうに、声をかけた。
遠ざかっていく、消えてしまいそうな空の背中を見つめながら、確信した。
-不器用で、悲しい過去を抱えているけれど優しくて、今にもふっと消えてしまいそうな人だけど、私は。
私は、この人にいつのまにかこんなにも惹かれていたんだなぁ、と。
*
「おはよ!」
次の日、いつもより一時間早く空の家に着くと、珍しく、空がすでに起きていた。
空は横目でちらっとこちらを見てから、またいつも通り小さく「おはよう」と言ってくれる。
私は単純な性格だから、昨夜のことと、この挨拶だけでまた頑張れる気がして、自然と笑顔になってしまうのだから、本当に本当に単純だ。
「何にやにやしてる・・・」
にやにやしていると、空がそんな悪態をつくけれど、それは刺も毒も含まれていないように、きこえた。
「ふふ、別に!私、呪いをといて、絶対に空の気持ちを変えてみせるからね」
だから私は気にせずそう言う。
空は呆れたようにため息をついて苦笑いをする。苦笑いでもなんでも空が笑ってくれるのが嬉しい。
「ね、成功でした」
「これくらいでいい気になるんじゃないわよ、ばか!」
そうしていると、にやにやする私の後ろから、要とリリがそんなことを言いながらリビングに入ってきて、こちらを見て二人して面白そうに笑顔を浮べた。
どうやら、見ていたらしい。
「お、おはよ。二人とも早いんだね今日は」
少し恥ずかしくなって私がしどろもどろ言うと、リリがにやにやしてそれに答える。
「そりゃ、あんなハイテンションで挨拶しながら入ってきたら起きるわよ。珍しくボブも起きたし・・・・って、あれ?」
そんなに大きい声を出したつもりはなかったのに、つい気分が舞い上がって声がでかくなってしまっていたらしい。
じわじわと熱くなる頬を押さえながら、俯く。
けれど、いつもならここから少しいじわるしてくるリリがきょろきょろとしていた。
首を傾げて、リリを見るとリリは不思議そうに眉を潜めた。
「いや、ボブもおきてきたはずなのに居ないから。二度寝でもしてるのかしら」
不思議そうにふわふわと銀髪を揺らしながらリリが部屋のほうへ向かって行こうと歩き出した。
けれど、リリはすぐにぴたりと足をとめた。その直後、インターフォンの音がポーン、と鳴り響いた。
「・・・僕が見てきますね」
こんな朝早くから、誰だろうと全員が眉をひそめる。
立候補した要が玄関に向かっていく後ろに、私達もそろりと付いて行く。
「ボブ?何してるんですか?」
扉を開ける前に、要が怪訝そうな声で言った。
要の後ろからひょいと顔を覗かせて玄関のほうをみると、ボブが張り付くように扉の覗き穴から外を見ているのが見えた。
要の声に気がつくと、ボブは声を潜めて言った。
「そ、外になんか変なやつが居る・・・・!!!」
番外編終了、新章突入です。




