琴葉の恋煩い①
*
「しつこいぞ」
空の家にやってきて、一番初めに聞いたのはそんな一声だった。
私が入って行って、お邪魔しますというよりも早く聞こえたその声は微かに苛立ちを帯びている。
声のするリビングのほうへ行くと、ソファに深く座る空が、リリを睨みつけているところだった。
睨まれる側のリリは、向かいのソファでごろごろとしながら空をにやにやした表情で見つめている。
・・・たぶん、先日のことをまたからかってるんだろうな、と琴葉は苦笑いした。
先日、空が私に過去を打ち明けていたとき、実はリリを含む全員が途中から意識を取り戻していたらしく、結果全員に打ち明けた形になったのだった。
けれど空は、それに対しては嫌な顔ひとつせず、ただ一言「お前らにもそのうち言うつもりだったから、別に」とぼそりと言っただけだった。
そして、今リリが執拗にからかっているのは、別のこと。
「しつこいって何が?空が質問に答えないからあたしは自分の興味を満たすためにきいてるだけなんだけど?ねえ、琴葉の腕の中で大人しかったわね、空!どうして~?って!」
リリは空の睨みつける視線など物ともせずに言い返す。
すると空はふんと鼻を鳴らして不愉快そうな声で言った。
「別にどうもしないって言ってるだろ」
空が答えるとリリは「どうだか」と銀色の髪を揺らしながら肩をすくめて見せた。
いつもはツインテールにしている髪は、まだ寝起きらしくあちこちはねていて、好き放題にふわふわとしている。
そのふわふわした髪をさらにふわふわさせながら首を振っていたリリは、ようやく私が来ていることに今気がついたらしく動きを止めてこちらに視線を送った。
「琴葉おはよ、いつから来てたの」
リリがソファから起き上がりながら私に声をかけると、空もゆっくりとこちらを振り向いた。
リリと同じく寝起きらしい眠そうな顔をこちらにむけ、私とぱちりと目を合わせた。
「・・・おはよう」
目を合わせたあと、空は私に挨拶をしてまた前を向いてしまう。
けれど私の顔は、最近いつもこれでにやけるのだった。
「リリちゃん、空、おはよう。今来たんだよ」
にやけていることを悟られないように、薄く微笑んで挨拶を返すと私は持ってきた朝ごはんを温めるためにキッチンのほうへ向かった。
そして、キッチンの方から、もう一度だけ空をちらりと盗み見た。
今日も空の目の下に、くまはない。
このところ・・・というよりはこの間の一件以来、空は過去にうなされる事が少なくなったようで、いつも寝不足でくまのできていた目にくまができなくなった。
目の下にくまができていない空の目が意味しているのは、ぐっすりと眠ることが出来ているということだと思うと密かに琴葉の心は浮き立っていた。
朝、挨拶もしてくれるようになったし、前ほど悪態をつくこともなくなった。
空が過去を話して、自分のことを話してくれたことが嬉しくて、空自身に少し変化が起きたことは、もっと嬉しかった。
・・・少しだけ、空が私達に心を許してくれたということだと思うと、なおさら。
このまま死ぬ事も考え直してくれるといいのに、と温めた朝ごはんをテーブルに並べながら苦笑した。
朝ごはんを並べ始めると空と、リリが席に着いた。
始めは嫌そうにして居た空も今はそんな表情はしなくなっていたし、むしろ今は楽しそうに見える。
「あれ?ボブちゃんは?」
そんな幸せに浸りながら、ボブがまだリビングに出てきていないことに気がついた。
「まだ寝てるんじゃないの、あのアホ。起こしたわよあたし」
リリが待ち切れなさそうにそわそわしながら言う。
確かにボブはわりと早起きが苦手な性質のようで、いつもリリが叩き起こしているイメージがあった。
けれど一度起こしたのに起きなかった場合、リリはそれを放棄するらしい。
再び起こしに行く気はないらしく、朝ごはんを見つめるばかり。
仕方ないから私が起こしに行こうか、と思案していると横で空がため息をついた。
「仕方ない、俺が起こしてくる」
空がかたんと椅子を鳴らして席を立つと、リリが大げさにあんぐりと口を開けて空を見上げた。
同じように、不覚にも琴葉もぽかんと口を開けて空を見上げてしまう。
「は!?空あんたどうしたの!?面倒くさがりで、何事にも無関心なあんたが?」
心底驚いたように茶色い瞳をくるくるさせながらリリが言うと、同じく心底嫌そうな顔で空はリリをじとりと見つめてそれに答えた。
「は?ただ起こしに行くだけだろ。それくらいでいちいちうるさいんだけどお前ら」
空は後半じろりと私にも視線をまわしてからのそのそと部屋を出て行った。
しばらくの間ぽかんとそんな空の、後姿を見送っていた琴葉とリリの二人は首を傾けて目を合わせる。
リリはぐっ、とかまえていたフォークを机に戻しながら頬杖をついて、ふうとため息をついた。
「空の奴、少し変わったわよね。それだけ昔のこと溜め込んで、思いつめてたのかしら。私だって、その気持ちはわかるけど」
リリはくるくると自分の銀色の髪を指先でもてあそびながら言い、少し悲しそうな目をした。
その姿に、ずきんと心が痛む。
・・・リリも空と同じで、過去に大切な人を亡くして、その傷を抱えたままに生きているんだ。
しょんぼりと俯いていると、リリがそれに気がついてこちらを挑戦的に見つめた。
「琴葉、過去が何やらややこしいのはあんたもでしょ?別にあたし達だけが可哀想なんじゃないわ。
それに空は、琴葉のお陰で過去を吐き出せたのよ。最も、考えを変える気はないようだけど。」
ふんと鼻をならしたリリはそのままずるずると顎をテーブルの上に乗せてちらりと視線だけをこちらに寄越した。
琴葉はその言葉に、少しだけ頬が緩むのを感じた。
確かに、空は最近、本当に、本当に私達に少し心を許してくれている。・・・・でも。
頬を押さえたまま琴葉は空の出て行ったほうを眺めながら、小さく思った。
・・・私にだけ特別、一番に気を許してくれていれば、いいのになぁ、なんて。
「っ!」
と、そこまで考えたところで琴葉はぶんぶんと頭を振った。
何を考えてるんだろう、私!そんな思いとともに、恥ずかしさと戸惑いで顔がかっと熱くなる。
「・・・好きねー、琴葉はほんと」
そしてぶんぶんと首を振りながら頬を押さえつけていると、追い討ちをかけるようにリリがにやにやしながら、そんなことを言った。
息をのんでリリを睨みつけると、リリはにやにやした表情のままぷいっと顔をそむけた。
正直なところ、空へ入れ込みすぎていることは自分でも自覚しているし、その理由は自分でも少しよくわからない。
けれど、まだそれがリリの言う”好き”とか、そういうものなのかはよくわからなかった。
--
「きゃああああ!!!!」
そうして、しばらくして顔の熱も冷めてようやく落ち着いてきた頃、突如ボブの部屋のほうから、悲鳴が上がった。
「!?」
今の声は、ボブちゃんのもの。がたんと音をたてて琴葉が立ち上がるのと同時にリリも獣のように素早い動きで椅子からひらりと降り立っていた。
そのままリリがボブの部屋にもの凄い速さで走っていく。
琴葉も慌てて、そのあとを追う。
ボブの部屋の前に走っていくと、リリが部屋の前で呆然と立ち尽くしていた。
「リリちゃん・・・!!何があったの!?まさかまた青影が-・・・」
先日、あんなことがあったばかりなのに、また青影が間髪入れずに襲ってきたのかもしれない、という恐怖に駆られて、そう、リリに叫ぶ。
リリは驚きに満ちた表情で、部屋を見つめていたのだが、琴葉の声にこちらに顔を向けて、部屋の中を指差した。
「琴葉、大変よ、見て-・・・・」
リリの指差す、部屋の中。まさか空とボブの身に何かあったのだろうかと嫌な汗が首をつたうのを感じながら、琴葉は一歩踏み出して、部屋の中を覗き込んで-・・・・ぽかん、とした。
「最近はやりのびーえる、ってやつよ」
琴葉が部屋を覗き込んだのと同時に、リリが引いた声で、言った。
「・・・・。」
部屋の中の光景に、琴葉もまた、リリとは違う意味で呆然としてそれを睨む。
部屋の中で、ベッドでまだ身体を横にした姿勢のままのボブに、空が馬乗りになっていた。
空の下でばたばたもがきながらこちらに気がついてボブは助けを求めるように手を伸ばし、空は迷惑そうな顔でこちらを睨んでいる。
「空、何してるの?」
思わずむっとして出た低い声に、空は眉をひそめて首を傾げた。
「何してるって・・・・ボブのこと起こしてるんだろ。こいつが起きないから最終手段を・・・・。」
「で、最終手段に女の子に何しようとしてるの?」
空の言葉を遮って、言う。
すると空は「俺は女じゃねーぞ琴葉!!」とかなんとか叫んでいるボブの上から降りて、面倒くさそうに頭をかいた。
「いや、普通にくすぐってやろうかと思っただけだろ。そもそもこいつ女じゃないし、だいたい女だとしても昔よく海にもしてたことだし。何怒ってるんだよ」
空の言葉に、琴葉はぐっと言葉を詰まらせた。
確かに、そんなに怒ることでも、なかったかも。
「ご、ごめん・・・でも」
ふうっとため息をついて、琴葉はじりじりと後ろに下がった。
ぽかんとするボブと、こっちを面倒そうに睨む空から目をそらすように、じりじり、じりじりと後ろに下がる。
「!」
下がっていくうち、どんと大きな壁のようなものにぶつかって、琴葉ははっと顔をあげた。
「大丈夫ですか?」
顔をあげた先には、私よりもぐんと背の高い要の顔があった。
にっこりと人の良さそうな笑顔で微笑む要は、つい先日ようやく呪いのことを理解し、恋人を助けるために前向きになった4人目だ。
あの一件以来、近くにいた方が良いという考えから要は空の隣の部屋に引っ越してきたのだ。お金持ちの要さんはあっという間にそういうことやってのける。
「わ、ごめんなさい、要さん・・・」
私は慌てて振り返り、ぺこりとお辞儀する。
要は「大丈夫ですよ」とまた優しく微笑んでから、空のほうをちらりと見た。
要に気がついた空がため息とともに要を睨む。
「俺の部屋は集会場か何かなのか?」
空が苛立ったような低い声で言うと、要は控えめに微笑んで首を振ってそれに答える。
「いえ、そういうわけではないのですが・・・。ところでお二人は何を?」
要は困ったようにそう言ったあと、やんわりと話題をそらすように空とボブを見て首を傾げた。
空はその話題転換に乗ることにしたらしく、ボブを横目で見ながら言う。ボブは、それにびくりと肩を震わせた。
「・・・こいつが起きないから起こそうとしたら変な声を出したから俺の部屋が集会場になってる」
ボブは空に睨まれ、小動物のように首をすくめた。
それを見て要は以前微笑んだまま、「なるほど」と頷いた。白い首元に藍色がかった黒髪がさらりと流れる。
要は、初めて会ったとき、笑顔とは裏腹に少し怖い雰囲気のある人だと思っていた。
けれどこうして訳を聞き、一緒にいると空やリリと同じで、心に闇があるせいだとわかった。それからは、要とも接しやすくなった。
要は一番年上だけれど、百合のことになると盲目的なようで、このいつも浮べている笑顔も年下の私達とでも敬語で話すことにも、何か理由があるのだろう。
そんなことを考えているとき、要が笑顔のまま空に向かって言った言葉に
琴葉ははっと我に返った。
「ボブと空は仲が良いんですね。空は、ボブみたいなボーイッシュな同世代の女の子が好みなのですか?」
要はその言葉を、後半ちらりと私のほうへ視線を向けて言った。
今の視線は、どういう意味だろうと私は何故かぎくりとして視線をそらす。
要の問いにボブが「は!?」と騒ぐ横で空は冷静にため息を吐き出して頭を掻いた。
「そんなわけないだろ。こいつ男だし。」
空がそう、答えると何故かほっとした自分に気がついて琴葉はまた、ぎくりとした。
何故かしょんぼりとするボブを苦笑いで見やりつつ、要はつまらなさそうにまた、笑顔で首を傾げた。
「では、年上の-・・・面倒見が良くて、優しい方・・・でしょうか?例えば、百合みたいな」
要が言うと、空は何気なく、というふうにぼんやりと視線を要から外して宙を見つめた。
「・・・そう、だな」
ぽつり、と何気なく空は、本当に何気なくと言った風に答えた。
その瞬間、何故か恐ろしく重い鉛のような感情が私の胸に沈んで、溜まって息が出来ないような気がした。
私は、空より年下で、面倒見もよくないし、優しくもない。・・・百合さんみたいに綺麗でも、ない。
そう考えると息が苦しくなって、琴葉はじわじわ後退して行った。
・・・・なんでこんな、気持ちになるのだろう。
「ボ、ボブちゃんも起きたしご飯にしよっか!私、先に温めてくるね」
気がつくと、そんな言葉を早口に言って、私は空の部屋を後にしていた。
「・・・・あんた、何がしたいわけ?今の、わざとでしょ」
「・・・何のことでしょう?まあそうですねー・・これくらいはしないと、進展はないのでは?」
呆れたように要を睨みあげるリリと、そんな要の言葉は琴葉の耳には届かなかった。
更新、大変遅くなって申し訳ありません・・・。よろしければ活動報告のほう読んでいただけると幸いです。




