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空の過去①

*やや残酷描写が入ります


 その当時、空は中学三年生で、受験生だった。

大きいとは言えないのだが、家族で幸せに暮らせる一戸建ての家で俺は暮らしていて、忙しくも幸せな毎日を送っていたのを覚えている。


 俺は確かにその頃から今と同じようなひねくれた、面倒くさい性格こそしていたが今とは違って学校にも毎日通い、友達もたくさん居た。

学校は毎日楽しいし、受験という苦しみも家族に支えられることによって苦ではなく。


 父と母、姉と俺の四人家族だった。仲が良く、周りの友人達から羨ましがられる事も多い、そんな典型的な幸せな家族。

特に四つ上の姉、(かい)とは仲が良く、一番の家族であり、友人のような存在でもあった。


 そんなことから、俺は姉のことを海と、名前で呼ぶ。

海はいつも不満げに姉と呼べと頬を膨らませていたが、小さいころから名前呼びにしていた姉を今更姉と呼ぶのはどこか気恥ずかしく、結局あの日まで姉と呼ぶことはなかった。


 海は正義感と気の強い、活発な性格だった。

毎日塾に行く俺を、取りたての免許の危なっかしい運転で送迎してくれたり、勉強を教えてくれたりと、とにかく。


 そんなある日のことだった。




              *



「空?早くしないと塾遅刻するわよ?急いで急いでー!ダッシュ!」


 玄関先で腕時計を片手に足をどたどた踏み鳴らしながら海が叫んでいるのを聞きながら、俺は大急ぎで鞄に参考書を詰める。

別にそう遠い距離でもないし、送迎なんかいらないと言っても海は「危ないから」の一点張りで車を走らせる。


「急いだら海、事故りそうで嫌なんだけど」


 鞄を片腕にかけながら意地悪く言うと、海は腰に手を当てて不機嫌そうな顔をした。


「ばかにしないでくれる?大体空がゆーーっくりご飯食べてるから急がなくちゃいけなくなってるの!」


 海はそう言いながら空の頭を小突く。


「てめっ・・・やったな!」


 俺は小突かれた頭を抑えながらじろりと海を睨み、同じように海の頭を小突き返して、にやりと勝ち誇ったようにほくそ笑んだ。

 海もまた、俺とよく似た茶色っぽい髪の頭を抑えて反撃に繰り出した。

 しばらくそうして玄関先で戦いを繰り広げ、途中でおかしくなっていつものように、しばらく笑い合う。


ー・・・そしてそのあとお約束のように俺は塾に遅刻していった。



              *



「お前また遅刻かよ。いつもなにしてるんだよ」


 塾の教室の後ろ扉からこそこそ入り、席に着くなり隣席の友人からあきれたようにため息をつかれた。

こいつの言うとおり俺はいつも海に送ってもらうようになってから遅刻を多発するようになった。

でもそれもこれも別に海だけが悪いわけではなく、さっきのように玄関先でもたもた遊んでいるから遅刻するわけで。


「別に少しくらい気にするなよ」


 まさか姉と玄関先でふざけてました、なんて言うとこいつのことだからシスコンだの何だのとからかってくるに違いないと判断した俺はいつも、そうごまかすのだった。


---


「じゃあなー!」


 夜の十一時。自習時間も使って塾が閉まるギリギリまでいつも友人と勉強していた俺が塾を後にするのはいつもこの時間だ。

友人たちに塾の前で手を振り、俺はいつも海が迎えに来てくれる集合場所へ向かった。


 海はいつも、塾から少し進んだコンビニの前辺りで車を止めて、俺を待ってくれている。

 海ももちろん大学があるし、次の日朝は空よりも早く出て行くことだって多いのにも関わらずこうして夜遅くなっても必ず迎えに来てくれた。

送り迎えなんていらない、と口では言いながらもこの薄暗い道を疲れた気分で歩いて帰るのはもちろん嫌で、迎えに来てくれる海の優しさが嬉しかった。


-でも、その日は違った。


「・・・・あれ?」


 いつもコンビニの前に停車してある海の乗る赤い車が、ない。海は一度だって遅れたことはないにも関わらず、だ。


「まぁ、たまには遅れる日もあるか・・・」


 釈然としないながらも俺はぼそっと呟き、海を待つためにコンビニに入った。

歩いて帰ったって大した距離ではないのだが、入れ違いになると困る。そう判断した俺は、三十分程度コンビニで海を待った。


 ・・・この時すでに、俺の家では”あの事件”は起こっていたのだろう。真っ直ぐそのまま歩いて帰れば、或いは海がもう少し早めに俺を迎えに来ていれば-・・・俺は一人にならなかったかもしれなかった。

---


「・・・・」


 コンビニのレジの後ろに設置してある時計と、コンビニの外をちらちらと見ながら待つこと三十分弱。

携帯に何の連絡もなく、海の車が迎えに来る事もなく。妙な胸騒ぎと不安を覚えはじめた空はコンビニを出た。


 すっかり夜が更けて暗闇が満ちた、外灯の少ない細い夜道を俺は早足で歩き始める。

歩きながら、俺は海の携帯と、家の電話、両親の電話にそれぞれ電話をかけた。

だが、電話は機械的にコール音を鳴らすだけで、一向に誰もそれに応じない。さすがに、何かがおかしいと思った。


 心臓がどくどくと脈打ち、何かとてつもない不安から震えながら携帯をポケットに仕舞うと、空は無意識に全速力で家に向かって走り始めた。

息が切れても、寒さで肺が爆発しそうなほど痛くなっても、息がどんなに苦しくなっても止まることなく走り続け-・・・ようやく家の前でぴたりと足を止めた。


-その時点で、違和感は確かなものになった。


 いつも必ず俺が帰るまで消えることのないはずの家の電気が、すべて消えている。

辺りの家だって、この時間帯に全ての電気を消灯して真っ暗闇、なんてことはいつもありえないのにも関わらず、俺の家は”全ての電灯が消えていた”。


・・・寝ているわけじゃ、ない。直感で俺はそう感じた。


 おそるおそる家の扉に近づき、それを引くと、鍵が開いていた扉は静かにカチャリ、と音をたてて開いた。

開けたその瞬間に、重苦しい空気とともに鉄臭いかおりが鼻腔に広がる。


「・・・・ッ」


 思わず口元を覆った俺は、自分の行動に目を丸くする。

違和感に気がついたのは、そのあとだ。これは平穏で、平和な家ではするはずのない、”血のにおい”だ。


 気がついたときには俺の手はさっきと比べ物にならないくらい震えていて、おそらく俺はこの家に起きたことをなんとなく、理解しはじめていた。


 それでも、一歩一歩暗い廊下を進んでいくと、開け放たれたリビングの扉が見えてきた。

リビングは薄明るい月の光が窓から差し込んでいて、廊下よりも明るい。


「・・・・!!」


 直後、目に飛び込んできたのは辺りに大量に散乱する血と、その血だまりに横たわってぴくりとも動かない両親の姿だ。

俺は眩暈がするほどに震えた自分の肩を抱いて、その場にふらふらとうずくまった。


-見たくない。こんなのは、夢だ。


 俺の家族が-・・・俺の家が、こんな惨状になるはずがない。俺はきっと塾でうっかりうたた寝でもしてしまって、嫌な夢を見ているのだろう。

自分に無理やり言い聞かせながら喘ぐように息を吸い、何度も何度も祈るように呟いた。


「夢だ、夢だ、夢だ・・・・夢・・・・」


 けれど、何度呟いても鉄錆の臭いも倒れる両親の姿も消えず、むしろどんどん現実味を増していった。

顔をあげると、さっきとまったく変わらない倒れた両親と、散らかった部屋が飛び込んでくる。

しゃがみ込み、がたがた震えながらも無意識に状況を確認しようと俺の目は動いた。

一度逸らした景色も、再び顔をあげるともう逸らすことはできなくて、俺はその惨状をしっかりと理解した。


 父さんと、母さんは倒れているのではなくて、もう”死んでいた”。

息を確認したわけでもないし、触れたわけでもないが、すぐにわかった。


 父さんは何者かと対抗したのか手にハサミを握り締めたまま、一人窓際に血まみれで倒れていた。

胸にナイフのような物が刺さっていて、窓際の月の光りに照らされた父さんの胸から溢れた血の量が父さんの死を物語っている。


 そして、その後ろ。守られるように戸棚の後ろに身体を丸くして、うつ伏せになった母さんが倒れていた。

うなじが赤黒く染まった母さんは首を何かで刺されたのか、背中はべったりと血に濡れ、後ろの戸棚にはおびただしい量の血が散乱している。


「・・・っう」


 胃から、込み上げたものを吐き出すと俺はその場に頭を抱えて再び蹲った。

肩で息をして、えづいて、また吐き気と頭痛がして吐き出して。気が狂いそうになったそのとき、小さな声が聞こえた。


「・・・そ、ら・・・」


 掠れきっていて、うめき声とも取れるようなその声に、俺は一瞬息を止めた。

確かに聞き覚えのある-・・・・それは、海の声。


「海っ!?」


 俺はばっと顔をあげて、声のするほうを見た。

一瞬だけ不安も恐怖も忘れて、海が生きていて無事なのだという安心感に声が震える。


 声がしたのは、母さんの倒れているあたりだ。

背けたい母さんの姿に無理やり目を向けると、うつ伏せに倒れる母さんの下で、何かがもぞもぞと小さく動いているのが見えた。


「海!!」


 母さんの下で、母さんに覆いかぶさられて守られるようにしていた海がこちらを弱弱しい瞳で見ていた。

空が慌てて海に駆け寄ると、海も弱弱しくこちらに手を伸ばす。


「海、無事でー・・・・」


 と、そこまで言いかけたところで俺は口をつぐんだ。

海の下腹部にも、深くナイフのようなもので抉られたような傷跡があるのが見えたからだ。


 俺は母さんの下から海を引きずり出すと、海を抱きすくめた。

海の身体は小さく、小刻みに震えていて出血のせいか少し冷たい。


「空・・・」


 海が俺の腕の中で小さく、消え入りそうな声で言う。


「何があったんだよ・・・!」


 空がそう言うと、海は苦しげに視線を落とした。


「私にもよくわかんないの。ナイフを持った人が家に入ってきて、父さんと争ってたわ。それで母さんと私は戸棚の後ろに隠れてて・・・。そのあと、そいつはこっちに来た。母さんが私を守ってくれたけどそいつは母さんの首と、私のお腹を刺した。私はそのまま意識を失ってて・・・」


 海はそこまで言うと、ちらりと母さんのほうを向いた。

母さんは苦しげな、必死な表情をしたまま息絶えている。死ぬ気で、・・・・死んでも海を守ったのだろう。海は母さんのほうを向いて涙を流した。


「母さんが守ってくれてなかったら、私も死んでた。たぶんあいつは私がもう死んだと勘違いして出て行ったんだと思う・・・。ねぇ、空・・・どうしよう私達・・・」


 いつもしっかりしていて、弱音を吐くことのなかった海がそう、小さく言う。

俺は震えながら、ポケットから携帯を出した。


「・・・とりあえず、警察に・・・」



-その時だった。



 どん、と激しい衝撃とともに俺はさっきまで海と母さんが居た場所まで転がされ、すっぽりと戸棚の真後ろに転がり込んでいた。

一瞬状況がわからずにきょとんとしていたが、すぐに海が俺を押しのけたのだとわかった。


 さっきまで俺がいたところで海がふらふらと立ち上がっていて、怯えた表情と、いつもの凛とした表情をこちらに向けて海が俺を見ていた。

訳がわからず海を見上げる俺に、海はふっと微笑んで見せた。


「・・・今度は、私の番だから。空は絶対私が守るから・・・!」


 一瞬意味が、本当にわからなかった。

海はさっと前を向くとふらふらとリビングの端、俺から離れた方向へ進んでいく。そして、そこに座り込んだ。


 ただならぬ恐怖と胸騒ぎと、何故か全てがここで終わってしまうような感じがした。

そんな俺が見ている目の前で、海のいるリビングの扉に人影が現れた。


 直感した。・・・俺の家を滅茶苦茶にしたのは、あいつだ。

・・・もう出て行ったと思っていたそいつはまだ家にいて、俺と海が立てる物音に気がついて戻ってきたんだ。

この後起こることと、海がとった行動の意味を今、空はようやく理解していた。


「   」


 そいつが吐き出した言葉は、まだ生きていたのか、とか死んでいなかったのか、とか、そんな言葉だろう。

そいつはそのまま俺のいる場所には背を向けて、海の居る方向へ真っ直ぐ歩いていく。俺は恐怖から呆然として動けない。

そいつの手には、ナイフが握られている。そいつはそれを海に向けて、振り下ろした。



挿絵(By みてみん)



-海は最後に、優しく微笑んでいた。


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