影治しと力
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崩れた胸の痛みが、どこか浮かんでいくような、繋ぎ戻されるような感覚がかすかに感じられた。
意識ははっきりしないし、自分が夢から覚めたのか、それとも死んでしまったのかも目を開いているのかさえもわからないまま俺はその感覚にほっと息を吐く。
例えばもしこれが死ぬということならば、対して死ぬ事は怖も辛くもなかったのかもしれないし、生きているのだとしてもこんな感覚ならば自分は無事なのだろう。
そう思ったと同時に視界に突然何かがふわりと浮かび上がって、それがこちらを見つめた。
「空・・・」
そいつは、俺の名前を囁くくらいの小さな声で呼んだ。
俺はその声に、ぞっとして震えた。今はもう聞くことができるはずのない声だ。
「・・・海」
そこに立っていたのは、悲しげな表情でこちらを見つめるあの日死んだはずの海だった。
海はひたひたと、小さな足音を鳴らしながらこちらに歩み寄ってくる。
俺は思わず立ち上がり、海のほうへ腕を伸ばしその白い腕を掴もうとした。
だが、俺が海の腕を掴む前に海は血まみれになってその場に倒れこみ、ー・・・あの日のように、死んでしまったように動かなくなった。
「海!?海っ!!!」
俺は叫んで、海の細い肩を揺らす。
訳もわからず流れ出た涙が頬を伝っていって、薄く目を開いた海の頬に落ちた。
海はあの日のように微笑んで、俺の頬に震える手をのばして触れた。
「空、だめだよ。生きて、あなたは死んでないのよ。」
そして海はもう一度微笑んで、無理やりに身体を起こすと俺の頭を抱えるように抱きしめた。
懐かしくて温かい海の体温を感じながら、俺は目をつむって海に身体を預けて瞳を閉じた。
そして、もう二度と抱きしめることはできない海-・・・俺の大切な家族を抱きしめて心の中でそっと呟く。
-そうだ・・・。俺は、まだ。
*
「っ」
空はぱちりと目を覚ました。
俺の頭を何か温かいものが覆っていて、瞳を開けても視界は変に真っ暗だった。
一瞬、自分はまだ海の腕の中に居るのだろうかと思って俺の身体を覆う人物に回した腕に力をこめて、もう一度目を閉じかけて-・・・はっと気がついた。
「・・・・お前、何してる」
俺の頭を抱えるように抱きしめていたのは、海ではなくて。
「そそそそ、空!?目が覚めたの!?」
そんなふうに慌てた声をあげたのは琴葉だ。
俺ははぁっとため息をつくと同時に何故か少しの安心感を覚え、自分が生きているのだということを感じた。
死にたいと思っているはずの俺が生きているということを実感してほっとするのもおかしな話だな、と苦笑しながら俺が何も言わずに黙っていると、琴葉がもじもじと身じろぎしながら消え入りそうな声で言った。
「そ、空・・・。あのっ、空こそどうしたの?」
琴葉の言葉に、俺は意味がわからずに顔をあげる。
俺の頭を抱きかかえるようにしていた琴葉の腕はすでに解かれていて、容易に俺は顔をあげることができた。
すぐ間近に、琴葉の照れたような顔があった。
そこで、一瞬きょとんとしてからはっと現状に気がつく。
何をしてる、という質問がそっくりそのまま自分に返ってくるような状況に空は慌ててばっと琴葉の身体に回していた腕を解いて後ずさりした。
俺のほうこそ夢の続きのような気持ちで琴葉の身体に腕を回して抱きしめるような形になっていたのだと気付くと顔がじわじわと熱くなった。
「・・・悪い」
俺がぼそりと言うと、琴葉はふるふると首を振る。
熱い顔を手で覆いながら、ちらりと盗み見ると琴葉はあまり嫌がっていなかったようで、頬を少し赤くして照れたように俯いている。
嫌な顔ひとつしていないことに、俺は気恥ずかしくて視線をまた逸らせながらもほっと息をついた。
「でも、本当によかった、空が・・・みんなが無事で」
息をついたのと同時くらいに、琴葉が言う。
その言葉で俺はようやく今俺の体に起こっていることに気がついた。
ばっと自分の胸に手をやると、そこに”壊れた部分”はない。
空は自分の胸の傷を確認した後さっと視線をめぐらせて部屋を見渡した。
いつの間にか朝を迎えて明るくなった部屋の中で、リリもボブも、要も皆無傷で眠っている。
「・・・なんで無事なんだよ。青影に確かにカゲを壊されたはずだ・・・」
さっきまでのぼやけた雰囲気は消え、空の頭は青影との対峙の記憶が蘇っていた。
それに気がついた琴葉も、ぐっと表情を引き締めてこちらを見つめてくるのを感じた。
その視線に、俺も同じように静かに琴葉を見つめる。こいつは何か、知っているようだ。
「・・・私が、治したの」
そう思ったのもつかの間、琴葉はぽつりと言った。
言っている本人の目は自分で驚いているのだというふうに見開かれ、同じく俺の瞳も見開かれた。
「・・・どういう、ことだ・・・?」
琴葉に尋ねながら、俺は青影が最期に残した一言を思い出していた。
ー・・・俺の考えが正しければ、君はまた俺と生きて会うことが出来ますよ。
青影の予想していたような発言に、琴葉の言葉。
琴葉は視線を逸らせてぼそぼそと言った。
「あのあと、皆にどんどん傷が増えていって、最後のほうには死んじゃうんじゃないかってほどで。そのとき青影って人が目を覚ましたの-・・・」
語り始めた琴葉は、再びこちらを見つめた。
*
「空っ!リリちゃん!!しっかりして!起きて・・・!ボブちゃんも要さんもっ・・・!」
薄暗い、少し朝日が昇り始めた部屋の中で、琴葉は叫んでいた。
先ほどまでとは比べ物にならない傷が皆に現れた。
さっき聞いた説明どおりだとすれば、夢の世界で空たちは青影と戦っていて、傷を負わされたのだろう。
空は、不老不死だけれど、カゲを壊されればこうしてその傷は反映される。
今胸から血を流している空はどんどん冷たくなっていくようで、私の空を揺り起こす腕はがたがたと震え始めた。
私には、どうすることもできない。だけど、何かしなければみんなは死んでしまう。
葛藤と恐怖で震えている琴葉の肩に、そっと手が置かれたのはそんなときだった。
トン、と軽く触れるように肩に置かれた手にびくりとして振り向くと、そこにはさっきまで眠っていた青影という人が居た。
青影は驚いて目を丸くする私を、しばらく無言で見つめた。見つめるその瞳は、藍色に近く、底が見えないくらいに暗い。
けれどそんな永遠に続くのではないかと思った時間は案外あっさりと過ぎ、次の瞬間青影は色白の口元をにやりと笑いの形にしていた。
弧を描く唇と同じように切れ長の瞳も細められ、琴葉はそのむしろ友好的でさえある笑顔にぞっとして身を引く。
身を引いた琴葉を見て、青影は大げさに傷ついたようなそぶりをして見せた。
「そんなに怯えないでくださいよ。君もそこの彼らが気になるんでしょう?もうお分かりだと思いますがこれは俺がやりましたし、このまま放置していると確実に死にます」
青影のそんな言葉に琴葉がギッと視線をあげて睨みつけると、青影は肩をすくめてみせた。
「そんなに睨まないでください!俺もこれが仕事なんですから。それにせっかく君に助言をしてあげようと思ったのに」
そんな青影の言葉に、琴葉は少し睨む目元を逸らす。
敵の言葉だって、すがりたくなるような状況と言うものはあるだろう。
琴葉の考えを読み取ったかのように青影はまた微笑み、日の光が差し込み始めた窓を見た。
「俺の考えが正しければ、君は彼らのカゲを”修復”してさしあげられますよ。」
青影の言葉に琴葉が目を丸くすると青影はちらりと足元に目を落とした。
琴葉もそれにつられ、視線を落とす。
青影の見つめる先には朝日で照らされ、作り出されたみんなの影があった。
しかし、その影はどれも-・・・・
「・・・壊れて・・・る」
琴葉がぽつんと言うと、青影は声をもらして笑ってみせた。
「君ができればの話ですが教えてあげましょう。その壊れた影を縫い合わせるようなイメージで壊れた部分に触れるだけです。」
青影はそこでいったん言葉を切り、目を丸くする私に向かって、笑顔の形から目を少し見開いて暗い瞳でまるで獲物を見定めするような瞳でこちらを見つめた。
「・・・君が”本当に”力のある者ならば、できますよ」
”本当に”力のある者。
その言葉に違和感を覚えて琴葉はぽかんと口を開けた。私はただの人間で、何の力もない子供だ。力なんて、あるはずがない。
この人は何を言っているのだろうと、ぽかんと開けた口をぎゅっと閉じて問いただそうと、琴葉は立ち上がる。
「どういう意味-・・・・」
けれど、そこまで言ったところで琴葉の言葉は遮られた。
それは、シュッと琴葉の前を、何か影のような物が横切り、その何かによってトンと突かれて尻餅をついたから。
琴葉が慌てて視線を上に向けると、青影の傍にさっきまでは居なかった人物が立っていた。
長い黒髪を一つに束ね、青影の物よりかっちりとした着物に身を包んだその女性は黒くて鋭い眼光をこちらに向けている。
訳がわからずに琴葉が見つめていると、やれやれといった風に目をつむる青影の前でその女性は鋭く吐き捨てるように言った。
「お喋りは終わりよ、あなたのような小娘に力があるとは思えないわ。真様も遊んでいないで仕事が終わったのならさっさと帰りましょう。」
後半は、青影に向けて。
彼女は青影のことを真様と呼んでいて、どこか親しげな雰囲気から察するに青影の従者なのかもしれない。
女性に鋭い言葉を浴びせられた青影は薄目で彼女を見ておどけた様に首を横に傾けた。
「やれやれ。真理亜はいつも真面目で煩いですねえ。でも確かに用はすみましたし、帰りますか」
真理亜と呼ばれた女性は青影を冷ややかな瞳で見つめてからもう一度こちらを見て、もう一度さっきと同じことを言った。
「あなたのような小娘に力があるとは、絶対思えないわ」
真理亜のその一言を最後に、青影達は影のようにふわりと姿を消した。
*
「・・・それで、治せたのか?」
「・・・そういうこと、なの」
俺が驚いたふうに聞くと、琴葉は俯きながらこくんと頷いた。
俺は琴葉に命を助けられたのだということと、何故か死ぬことができるはずのチャンスだったのに死なずにすんだことにほっとしている自分に気がついた。
なんとも言えないその感情に苛まれながら、ちらりと琴葉を見ると、琴葉はおそるおそるといった風にこちらに目線をちらりと向けた。
琴葉の黒目がちな瞳は、不安げに揺れている。簡単に想像できる琴葉の心中はおそらく、”私は一体何者なの?”だろう。
俺が返事に困って視線を逸らすと、琴葉もまた視界の端で顔を俯かせた。
正直琴葉が何者なのかは俺も疑問に思い始めているところだった。
しばらくそうして、朝日の差し込む部屋で沈黙していたのだが、先に沈黙を破ったのは琴葉だった。
「ねえ、空・・・。」
遠慮がちな小さな声音で琴葉が俺を呼び、俺は再び逸らしていた視線を琴葉に戻した。
琴葉は遠慮がちな声音とは裏腹にさっきとは違うしっかりとした瞳でこちらを見つめている。
思わず視線を逸らしそうになった俺が、視線を逸らすよりも早く琴葉は言った。
「空が意識を失っていたとき何度も、何度も呼んでたよ。・・・海って人のこと。」
琴葉の言葉に、俺は目を丸くする。
俺がうわ言で、どこまで話していたのかはわからない。けれど琴葉の俺を見つめる瞳はとても悲しげな、もの。
俺は琴葉の瞳を見つめたまま、海のことを思い出していた。
起きているときに、こんなふうに人前で海のことを思い出すのは初めてで、それなのにさっき夢に見た影響でどっと波が押し寄せるように海の声や優しい表情を思い出す。
「・・・そ、ら?」
気がつくと、俺の頬には涙が伝っていた。
「・・・・っ」
俺は慌てて腕で乱暴に涙を拭う。
けれど拭っても、拭っても涙は止まらなかった。海はもう戻ってこないのに一人生き延びて、助かってほっとしている自分が情けなくて、涙は止まらない。俺は涙を拭うのをやめて、膝を抱えてその中に顔を埋めた。
「・・・空、よかったら今度こそ、教えて。空が苦しんでいる理由」
琴葉のそんな声がすぐ傍で聞こえ、その直後俺は琴葉に頭を抱きしめられていた。
ひどく沈んだ心に琴葉の腕と声が心地よくて、俺はそのまましばらく琴葉の腕の中で大人しく、じっとしていた。
琴葉の腕の中は、少し海と似ているような、そんな気がした。
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しばらくたつと涙は止まり、俺は呆然と琴葉の腕に身をゆだねて項垂れていた。
琴葉はその間何も言わずに俺を抱きしめ続け、時折俺の背中をさするようにしている。
「・・・悪い。」
俺がぼそりと言うと琴葉が首を振ったのが気配でわかった。
琴葉は続きを促さず、黙ったまま俺が次に言葉を吐き出すのを待ってくれている。
絶対に、話すまいと思っていた。
けれど俺の口は自然と、言葉を紡いでいた。
「・・・海は、俺の姉だ」




