破壊と崩壊
リリが夢の世界に入ってから数分がたった。
けれどリリからの合図は一向になく、定期的にぽつぽつと要の身体に傷が増えていくだけの時間が流れた。
やっぱり、こいつは広場の認識を持ってないんだろう。
このままでは見た限り一番ひどいわき腹の傷から血が流れ続けることで要の命が危ない。
それにいつ青影が”トドメ”を刺すかもわからない。
「・・・・俺、リリの様子見てこようか?」
重い沈黙の中で、ボブが遠慮気味にそっと言う。
振り向くと、ボブの茶色っぽい瞳も不安げに震えていた。
「・・・ああ頼む」
意味がない行為だとわかりながら、ボブもこんな提案を出し、俺もまた、それを意味のない行為だとわかりながら承諾する。
ボブはリリの横に座り込むと、頭を垂れて眠りに入った。
部屋には眠る四人と、俺と琴葉だけ。
琴葉は先ほどからじっと俯いたまま何も言わず、黙り込んでいる。
-・・・・どうする。ここから呼びかけてみるか-・・それとも夢に入り込めないか挑戦してみるか?
そんな考えが頭に浮かぶたびに同じようにカゲの言葉も蘇る。
外からは他人の夢に干渉できない。できるのは青影たちのような特別な、特殊な一部の人間だけなのだ。
俺も結局要たちのいるソファの向いにどさりと腰を下ろし、頭を抱えて俯く。
考え始めるのはこのまま自分は一生不死で、この世界に生き続けることになるだろうか、ということだ。
そんなつもりはもちろんない。海が死んだあの日から俺はー・・・
「要さん、要さん。夢の中で前だけじゃなくって奥のほうを見てください!他にも何か見えませんか?”他の人たちのカゲ”が見えるところを探してください!!」
絶望に眩暈すら覚えかけていた空の耳に、いきなり琴葉の声が割り込んできた。
琴葉はいつの間にか移動しており、要の傍にしゃがみ込んで必死にそう、呼びかけている。
俺はしばしそれをぽかんと、あっけに取られて見つめた。
・・・こいつ、俺の話をきいていたのか?
「要さん!そこを探せば百合さんも要さんも皆が助けてくれます!頑張って・・・!」
琴葉が声をはりあげ、叫び続ける。その間に俺は我に返って琴葉の横に立っていた。
「おい、お前俺の話きいてたのか?外からは干渉できないって-・・・・・!?」
俺が琴葉に苛立った声でそう言い始めた、直後。
リリの傷一つなかった眼帯の下の頬に、ピッと一筋傷口が現れた。これは紛れもなく、リリからの”合図”。
「嘘だろ・・・・」
俺はリリの頬から目を外し、やりきった顔でこちらを見つめる琴葉に視線を移した。
琴葉は黒目がちな瞳をきらきらと自慢げに輝かせ、すっくとたちあがってこちらに来た。
「諦める前にやってみなきゃ!これで要さんたちを助けられるんでしょ?ほら早く行ってきて、空!」
琴葉が俺の後ろにまわり、ドンと背中を押す。
俺はよろめきながら前に進み、また琴葉を振り返った。本のことといい、夢への干渉といい、琴葉は一体何者なんだ?
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琴葉の活躍によって”夢”への干渉を成功させた俺はすぐさま夢にもぐった。
”広場”に行くことに意識を傾けて目をつむるとすぐにふわりとした浮遊感に包まれ、夢に飲み込まれた。
一定の浮遊感に包まれ、揺れ、両足が地面に着地して俺はふっと目を開く。
「おや、お久しぶりです。お会いしたかったですよ」
目を開いた瞬間、待ち望んでいたとばかりに愉快そうな、低い声がまず耳に届いた。
視線を向けると、青みがかったくせの強い黒髪の隙間から同じように黒い瞳を愉快そうに細める青影と目が合った。
妙に色の白い整った顔に、黒い髪が対照的で、薄い唇が孤を描く様子がこの上なく薄気味悪くて、怪しい。
「・・・俺はお前なんかと二度と会いたくなかったけどな」
空はそう、吐き捨てるように言う。
青影は何も言わずに肩をすくめて見せた。
別に続きも返事もないようで、ただ肩を揺らす青影からちらりと目を離し、状況を見ると今までに夢で見たことがないくらいにたくさんの”カゲ”と”当事者”が揃っていた。
リリは自分のカゲの前に自身の影を守るように立ち、青景を睨んでいて、その後ろのリリのカゲはつまらなさそうにリリと同じ銀色の髪を手でくるくるともてあそんでいる。
リリにはない、晴れた日の海よりも深い青色の瞳が輝いていた。
その横にはボブが居て、ボブの横にはボブのカゲが居る。
ボブ本人よりも身長が一回り以上大きく、一見別人のように見えるがバッチリと決められた茶髪の髪に、情けない表情はボブの面影がある。
カゲはどいつもこいつも俺やリリのカゲのように意地悪く薄気味悪い奴なのだろうと、勝手に予想して居たがどうやらボブの奴はカゲまで同じような性格らしい。
ボブのカゲは俺達が知っているボブと怯えたように手をあわせ、震えながら子犬みたいに青影をにらんでいた。
ふっと気の抜けるようなそんな光景だが、すぐにまた俺は身体を硬直させた。
その二組の後ろに、守られるように横たわる要を見て、だ。
要は百合という人であろう姿をした”カゲ”に膝枕されるような形で傷だらけになって倒れていた。
わき腹や頭から溢れた血が、膝枕している百合の長くて白いワンピースを赤く染めている。
要の体はとうに限界を超えているらしかった。
そんな要に膝を貸し、じっとうつむく百合の顔は髪に隠れて見えず、表情はわからない。
その様子はまるで服が汚れようが、自分がどうなろうと恋人を守ろうとするような、懸命な姿に見える。
けれど守るように、要を介抱している様に見える百合はふと、俺の視線に顔をあげた。
「・・・・!」
百合は、驚くほどに無表情だった。
茶色っぽい瞳は感情を映さず、ただ無機質に揺れている。本当に恋人同士かと疑うほどに-・・・
俺が驚いてみていると、横からクスクスと笑い声が割り込んできた。
振り向くと、着物の裾で口元を押さえながら愉快そうに肩を揺らして笑う青影がその笑い声の元だとわかる。
青影は先ほど俺に向けて笑ったときよりも愉快そうに切れ長の瞳を細め、長い前髪の隙間から俺を見た。
「君達は何も知らないんですね。そこの少女達も、君も。」
前半は、リリとボブに向けて。
言葉を向けられた二人はびくりと身体を揺らした。
「ここに居る君達のカゲは君達の吐き出した嘘の塊。嘘の大きさや嘘をついたときの君達の心情、でもあるんですからそこの彼女が暗い表情をしていたってなんの不思議もないでしょう。」
青影は不気味に微笑んで、目を丸くする俺達に言う。
「君のカゲは、君がひねくれているからひねくれている。なら、恋人に嘘をつかれて傷ついた彼女が無表情に恋人の”彼”を見つめていたるのは当然のことです」
まるで俺の心を読んだような発言に、俺は一歩後ずさりした。
それを見て青影は満足そうに微笑み、直後表情を残念そうなものに変えてため息をつく。
「しかし、残念です。せっかく今日はそこの彼をしとめられそうだったのに・・・・俺の計画は台無しですよ。まあでもこのまま放置していたら彼はもちろん死ぬし完全に台無しと言うわけでもなさそうですが」
青影はにやりと笑うと俺から視線を逸らせてボブのほうを振り返った。
「でも、どうせだから俺は仕事をさせていただきましょう」
どういう意味だ、と問い返すよりも早く青影は動きだした。
青影の着物の裾がふわりと舞ったかと思うと、次に視界に飛び込んできたのは赤い血の色だった。
「うあああああっ!!」
「ボブ!!!」
ボブの叫び声と、リリの悲鳴にびくりと視界を無理やりに動かすと、ちょうどボブがぐらりとバランスを崩して倒れこむところだった。
青影の血にぬれた手に握られているのは、ボブの”カゲ”の腕。
カゲは音もなく崩れ落ち、ボブは腕を押さえてうずくまっている。押さえ込むボブの腕は-・・・・
「っ!」
俺はふらふらと後ずさりして血溜まりの中で横たわるボブを呆然と見つめる。
血生臭い、残酷な光景は”海”の最期を嫌でも思い出させて、体が震えて、足がすくんだ。
-・・・あの日助けられなかった俺の大切な人たちのように、こいつらも死んでしまうのか?
朦朧として、動けない俺を他所にリリがボブに駆け寄り、すぐに茶色い瞳を殺意にぎらつかせて青影を睨みつけた。
「お前・・・・!お前、は・・・・っ私が殺すわ!」
野良猫のように薄暗いこの場所で目をぎらつかせ、毛を逆立てたリリはいつもブーツの中に携帯している小型ナイフを取り出すと、目にも留まらぬ速さで飛び上がり、青影に向かっていく。
怒りに燃えるリリの瞳を、青影は一瞥し一撃目のリリの攻撃をかわすと、リリを無視してリリの”カゲ”に近づいた。
リリははっとして振り返り、叫ぶ。
「逃げて!」
そう叫びながら方向転換したが、カゲはリリの指示には従わず、首を傾げて動かない。青影はにやりと笑って次の瞬間にはカゲの、茶色い瞳に黒いナイフのようなものを突き立てていた。
「っあああああああ!!!」
リリはそのまま地面に横たわって、目を押さえてもがいた。
カゲの壊された部位は”リリの残る瞳”に当たる部位だ。視力を失ったリリはしばらく叫びながらもがいた後、そのままぐったりと動かなくなった。
俺の身体はますます硬直して、体が勝手に、恐怖で小さく震えた。
死ぬのは怖い。死にたいのに、怖い。そして誰かが死ぬ事も、怖い。
空の考えなど知らない青影は楽しそうに壊れたカゲを見つめて笑う。
「俺の力は触れたカゲを壊すこと。そしてこのナイフもそうですが、自在にカゲを操る事。君達の夢に干渉すること。素晴らしい力でしょう」
青影は後半独り言のようにくつくつと喉を鳴らして笑い、手に見せびらかすように持ったナイフをふっとダーツでも投げるように放り投げた。
的は、百合。さっきまで必死に百合のカゲを守っていたのであろう要は、リリ達と合流したことで糸が切れたのか、意識を失っているようでもう動かない。
守るものがなければ、逃げないカゲにそれは容易く当たる。ナイフを胸に受け止めた百合は、そのまま要に覆いかぶさるように俯きに倒れた。
「カゲは逃げも隠れもしませんからねえ」
青影は次に、ちらりとこちらを見ながらそう言うと、音も立てずに今度はふわりとこちらに歩み寄った。
肩の辺りで黒い髪が跳ね、前髪もふわりと揺れる。その前髪の隙間から青影は不敵に笑顔をこちらに寄越した。
「・・・・っ」
空が反射的に距離をとろうとすると、青影はやはり俺に興味をなくしたように俺の横を通り過ぎ、俺の”カゲ”の前に立った。
俺のカゲは逃げもせず、面白そうに首を傾げて青影を見る。
青影はそれを見てさらに笑みを濃くし、白っぽい腕をすっと俺の”カゲ”に伸ばした。
「・・・っや、めろ!!」
青影がしようとしていることに理解が追いつかず、そんな遅れた反応と詰まった声では間に合わなかった。
青影の手がカゲに触れると、ピシっという不気味な音を立てて、俺の”カゲ”の胸のあたりにヒビが入り、直後一部壊れた”カゲ”のかけらが飛び散った。
それと同時に俺の胸に痛みが走り、俺はその場に跪いて倒れた。
ボブとリリがそうだったように、俺の胸からも血があふれ出す。
襲い来る痛みと、死の恐怖に俺は喘ぎながら青影のほうへ視界だけを向けた。
『別に、死にたかったんならいいじゃないか』
そんなふうに余裕たっぷりに言うカゲの声は同じように俺の横に仰向けに横たわり、こちらに目線を流しながら言った。
そんな声も視線も、どこか遠くに聞きながら空の視界は失血によって暗く、重くなっていく。
そうして意識を失う寸前、青影の一言だけが耳に残った。
「俺の考えが正しければ、君はまた俺と生きて会うことが出来ますよ。」
どう考えても死は免れない傷跡を俺に残して、青影はその場からふわりと煙のように消え、そのまま俺の意識もとんで、全てが消えた。




