和解と青景一門
「琴葉を離せ!」
俺はそう、叫んでいた。
息が切れているせいで声は少し掠れた。
けれど充分、声は届いたはずだ。
それなのに、男は一向に反応せずに琴葉の頭に銃口を当て続けている。
「離せって・・・」
痺れをきらした俺は、勢い込んでいいながら男に近づこうとした。
するとリリが行く手をすっと阻んだ。
「なにす…………「影をみて。」
俺が文句を言い終わらないうちに、リリは鋭くいい放つ。
俺は焦る気持ちをおさえ、リリの言うとおり視線を下げて、男の影をみようとうつむく。
薄暗くて影など見えそうにもないが、よく見るとわずかな月の光に照らされた影が、見えた。
そしてその影は、わずかに見えただけでも判るほどに何かがおかしかった。
それは身長のわりに大きく、黒くそびえたち、ゆらゆらと自由自在に体をひねっている。
「な、んだよ……これ」
俺はそう、無意識に呟いた。リリは押し殺した声でいう。
「これ、"影を奪う者"と関係あるんじゃないの…?」
リリがそう言い、「まさか」と俺が返答しかけた瞬間、上から声がした。
「よくわかりましたね、ご名答です!」
その声に空たちはばっと顔をあげる。
顔をあげた先には、細長くそびえたつ建物の屋上で月を背景に立つ人物のシルエットがみえた。
そいつは月の逆光でよく見えなくてもわかるほどに、笑っていた。
そして自然なしぐさで、ふわりと4階はあるそこから飛び降りて、すとんと猫のように俺の前に着地する。
着地の姿勢から息を整え、しっかり俺の目の前に立つとそいつはゆっくりと顔をあげて俺を見た。
「はじめまして。青影と申します」
冷たい氷のような声音に、無理やり弾んだ様子を塗りつけたような声で青影と名乗った青年は、そういってにっこりと貼りつけたような笑みを浮かべた。
暗くてよく見えないが、着物を着ているらしいことと、何処かふるまいからも高貴なものが感じられた。
青っぽく月に反射するその瞳を睨みながら空は低い声で言う。
「何が目的だ。琴葉は関係ない、離せ」
すると青影はおかしそうに笑う。
「すみません、こうすれば君たちに会えるかと。けれど、そうですね。彼女は・・・・関係ありませんでしたね」
青影が後半、少し含みあるように言い、それからすぐに手をくるりとひねると、琴葉を捕まえていた男の影がたちまち歪み、小さくなった。
それと同時に男の手がゆるむ。
緩んだ男の腕から琴葉がぐらりとバランスを崩して傾いた。それを、俺は青影の横を通りすぎて抱き止める。
腕の中にぽすんと力なく落ちてきた琴葉に目立った外傷も苦しげな様子も見られず、とりあえず、空はほっとした。
琴葉はちゃんと、生きている。
「おやおや。そんなにそのお嬢さんが大切ですか??君は人間が嫌いだと、そう記憶していたんですが?」
俺が安堵していると、青影はさもおかしそうに首をかしげながらくすくすと笑う。
何もかもの動きが、芝居じみていてまるそいつは人形のようだ。
俺は、その返答に答えなかった。・・・答えられなかった。
それでも、今腕の中で気を失っている琴葉をなぜか放っておくわけにはいかない。
人が死に掛けているかもしれないと思ったときに放っておくような冷徹人間になった覚えはない。体が勝手に動いたことは、当たり前のことだ。
俺は言い聞かせるようにそう、心の中で呟く。
そうして空が自分に言い聞かせている事を見透かすような笑みをたたえた表情でこちらを見つめていた青影だが、すぐに少しだけ視線を下げた。
「答えるのはそっちよ。何が目的?」
青影の視線の先には、いつの間にか横にやってきたリリが居て、リリはナイフを構えてそう唸るように言う。
横にはリリに隠れぎみでへっぴり腰だがボブも路地裏に落ちてたらしい棒を構えて青影を睨みつけていた。
それを見て、青影がやれやれと首を振ってふざけたように手をあげた。
「ナイフに棒・・・。物騒ですねぇ。それに、もう知ってるんじゃないんですか?俺が何をしたいかなんて。」
青影はつまらなさそうに笑った。
それに俺達は答えない。答えはもちろん、尋ねるまでもなくわかっている。
それでも黙って睨み続けていると青影は諦めたようにもう一度ため息をついた。
「簡単なことでしょう?俺は―」
青影は俺に近づき、俺の顔を覗き込むようにして言う。
リリが青影の首もとにナイフをつきつけるが、それを気にする様子すらない。
「あなたたちの影を壊すこと。それが目的ですよ。壊したいんです」
青影はにこりと笑うとすっと飛んで、俺たちから離れた。
滑らかなその動作に敵意は感じられず、リリもナイフを抜かずにそれを見送くり、睨む。
青影はそのままひらりひらりと飛び跳ねて、暗闇の中に姿を隠すと、たちまち姿をくらませた。
「またお会いしましょう」
そんな声だけが響いて、あたりは再びただの暗闇にもどる。
ひんやりとした夜の空気を頬に感じながら、俺たちはしばらく呆然と静まり返ってその場に立っていた。
*
暗闇の中、俺たちはマンションに引き返していた。
背中に背負った琴葉はまだ眠ったままで起きる様子もなく、誰も一言も話さないままマンションに到着する。
部屋のドアを開け、奥にさっさと入っていくと、同じようにリリが後ろで電気をつけるためにさっと駆けていく。
暗い部屋の中をさぐりながらソファに取り合えず琴葉を寝かせると、俺は一息ついた。
それとほぼ同時に部屋にぱちりと電気が灯り、視界が明るくなって俺は目を瞬かせる。目がすこしちかちかとした。
「・・・・。」
目がなれて、ぼうっとしていた俺は何気なく、ちらりと琴葉の顔を見た。
琴葉はまだ気絶しているらしく小さく息をたてながら目を閉じている。
色白な頬には涙の跡がうすく残っていて、俺はなんとも言えない気持ちになった。
泣かせたのは、俺だ。
「・・・起きたらちゃんと謝りなさいよ」
後ろからやってきたリリが茶色の瞳をぐっと細めて言った。
その瞳はまだ、わずかに静かな怒りに燃えている。さっきのことを怒っているらしい。
琴葉が落ち込もうがリリが怒ろうが俺には関係ないが、ほんの少しさっきのは俺が悪いかもしれない。俺は自分の中でそんな言い訳を呟く。
そして、とりあえず頷いた。
けれどすぐに眉間に皺をよせて地面を見つめる羽目になった。
・・・なんて、謝ればいいんだ?
俺は人に謝る機会だってもうしばらくなかった。
思いつくわけもないそんなことを考え出したそのすぐあと、心の準備をする間もなく、琴葉に毛布をかけていたボブが慌てた声でこちらに鋭く囁いた。
「おい!琴葉が起きそうだぜ!」
俺はびくっとしておそるおそる振り返った。
振り向くと、琴葉がちょうど身体を起こすところで、琴葉は身体を起こすなりぼんやりと、前をみた。
その先に居た俺と必然的に、バチリと目が合う。
琴葉は少し気まずそうに瞳を揺らし、それでも目線を逸らさずに伏せ気味にこちらを見続けた。
俺も逸らさず、琴葉を見る。
・・・なんと、言えばいいのだろう。
同じ問答を自分の中で繰り返し、俺は少し口ごもってしばらく口を引き結んでいたが、すぐにこちらを見つめる琴葉の視線に耐え切れなくなった。
俯いて、小さな声でようやく言葉を吐き出す。
「・・・・ごめん、悪かった」
出てきたそれは嘘ではなく、本心。口からようやく吐き出す事のできた胸にもやりとたまっていたもの。
琴葉は返事をしない。俺は怖くて顔をあげられなかった。
本当に人に謝るのも、人ともめるのもいつぶりだったかわからない。
もう何年もあの薄暗い部屋で1人きりで過ごしたかわからない。
そんな俺が、今。
「私のほうこそごめんなさい・・・・っ」
不意に降ってきた言葉に、空は半ば反射的に顔をあげてその声の主を見ていた。
今だこちらに目を逸らさずに黒めがちなその瞳を申し訳なさそうに揺らして琴葉は俺と目が合うともう一度ごめんなさいと言った。
俺はしばらくぼぅっとしていたがすぐに我に返り、頷く。
「いや・・・。琴葉は悪くないと、思う」
曖昧にそう言うと横から「思うじゃなくて悪くないわよ」とリリが鋭く囁いてきたが俺はそれを無視する。
そんな素直に謝れる性質じゃない。と俺は内心リリに毒づく。
そんな光景と、俺の言葉に琴葉はほっとしたように緊張をといて、少し微笑えんだ。
「よかった・・・」
心底嬉しそうな安堵したようなその表情に、俺も自然とつられて少し微笑む。
それを見て琴葉は驚いたように一瞬目を見開き、さらに嬉しそうに少し目に涙を浮べながら微笑んだ。
俺は、その笑顔に少し目をそむけた。
その瞬間妙に琴葉のその笑顔が眩しくて、目がくらんで一瞬だけ小さく心臓が跳ねた。
俺は逃げ出すように慌ててばっと顔ごと目を逸らしたが、振り向いた先には、にやにやするリリが居る。
「・・・なんだよ」
俺が不満げにそう、低い声で言うとリリはますます面白そうに笑みを濃くした。俺にはまったくその意味がわからない。
妙にむっとした俺は再びいつもの仏頂面に戻り、にらみつけるとリリはおどけた様に手をあげて笑う。
「別に何もないわよ。まあ、もうケンカなんかしない事ね」
俺は適当に頷いた。
落ち着いたのでまた、琴葉のほうをむくと琴葉は薄く微笑んでいた。
そして、月の光が差し込む窓を見つめながら琴葉は静かに語り始める。
「・・・私はあばあちゃんと二人っきりでずっと暮らしてた。過去はよくわからないけど、何だか家に居られない理由があったみたいでね。」
俺もリリも、ボブもただ静かにそれを聞く。
「実家の事も両親のことも何も知らない。おばあちゃんだけが私の大切な人だった・・・おばあちゃん以外の家族のことは知らないし、居ないの。だから・・・・おばあちゃんが死んだとき、とっても寂しかった」
そこまで言い、琴葉はこちらを見た。月の光か、涙かで揺れる瞳をこちらに向けて。
「だから、誰も死んでほしくないの。傍に居てくれる人を失うのは嫌だから・・・。お願い、空・・・。」
俺は、答えられない。嘘はもうこりごりで、頷くとそれは嘘になる。
だからただ、静かに目を逸らした。
きっと琴葉は悲しそうな顔をしているだろう。リリは責めるようにこちらを見ているだろう。
ボブは・・・・訳がわからないというふうに見てるだろうか?ちょっと死にまだまだ無頓着そうなあいつは、まあいい。
しばらく、沈黙が続いた。
「・・・じゃあ、私が呪いが解けるまでに死にたくなくなるようにしてあげるよ」
けれど数瞬後、琴葉がぽつりとそう言った。俺は一瞬訳がわからなくてことはのほうを見た。
琴葉は、自信に満ちた、強い光の灯った目をしている。俺はしばらくぽかんとしていた。
「・・・。」
俺は、やっぱり黙って答えない。けれどもう琴葉は悲しそうな顔はしなかった。
・・・俺は、何を言われてもされても死にたくなくなる事はないだろう。
あの日から、もう・・・・。
過去を話す気にもまだなれなかった。
けれど琴葉は負けないと意気込んだ瞳でこちらを見つめ続けていた。
---
「あの・・・・」
空がしばらく黙って琴葉を見つめ、琴葉が自信に充ちた瞳を続けていると、後ろから情けなさそうな声が聞こえた。
振り向くと、頭一杯にはてなを浮べている様が今にも見えそうなくらい首をかしげたボブがこっちを見ていた。
「俺だけなんもわかんねぇんだけど・・・・」
それをきいたリリがぶっとふき出す。笑われたボブは顔を真っ赤にしてリリをにらむ。
口調は男そのものなのに見た目はすっかり女のボブは、傍から見れば可愛い女の子だろうと思う。
「あんた面白いわねほんと!そういえば琴葉ともちゃんと話してなかったし呪いのことと、あんたのことを聞いただけで私たちの事情も話してなかったわね?」
ボブは、ぶんぶん頷きながら今だ笑い続けるリリから目をそらしてこっちに助けを求めるような顔をした。
俺は、わざとその目から顔を逸らす。めんどくさい。
「・・・空の薄情ものぉ!!クソヤロー!」
裏切られたとばかりにそんな間抜けな声を響かせるボブのせいだか、なんだかよくわからないがすっかり和んだ雰囲が漂っていた。
リリは愉快そうに笑いを噛み殺しながら、言う。
「じゃあ、説明して明日からちゃんと協力してもらおうかしらね」
-開いた窓から、初夏の涼しい風が吹き込んで部屋を通り抜け、空たちの顔を撫でていた。