9 異常
ご無沙汰して申し訳ありません。
山をも見下ろす巨躯。頭と肩から生えた捻れた角が伸び、苔むしたような翡翠の肌が鈍く光る。
四足に加えて双腕を持つ、この世界に存在し得ぬ陸上最大の生物が、蟻のように蠢く生命を睥睨していた。
対魔照射機が破壊され、再度この戦場に魔力を封じる効果が及ぶには時間を要するだろう。ルシュカの軍によって多方向からの侵略も匂わせられていれば、どのようにして全域をカバーするか決定するのは容易でないはず。
つまり、出し惜しみはせず、全力でアーレンハイトの戦力を潰しにかかる時間だ。
枷から解き放たれたように本来の姿を顕にした守善は、口から白煙を吐き出しながら、獅子のような顔貌に埋め込まれた目で標的を定めると、肥大した巨腕を高く振り上げて、天を握り潰さんとするようにメキメキと音を立てて拳を作っていた。
(まずい……!)
陽の光を遮って見下ろす巨獣を見たザイルは、その視線の先に誰がいるのかをすぐに理解した。
この戦場において最も厄介な力を振るっているのはラドクリフだ。前線に立って力を行使しながら、周囲から牽制するように襲ってくる魔物を追い払う手勢に囲まれて孤立している。
自分のプランが瓦解したことに苛立っているのか、輪の中心で手を振り乱すラドクリフを抑えるように騎士たちが周囲の魔獣に対処しているように見えるが、その魔獣たちもラドクリフたちに対して積極的に攻める様子を見せず、撤退を阻むように動いているようだった。
あの巨大な魔物の狙いがその一点に定まっているのを感じて、これが計画的な動きなのだと察せられる。
取り逃さぬように一撃で葬り去るつもりなのだと。
「ラド!」
ザイルでは間に合わない。ザイルの力では止められない。
出来ることといえば、他者を強化する金色の光をとにかく彼らに集中して向けてあげることくらいしかない。
ザイルが駆け寄るような間もなく、巨大な魔物の握り締められた拳が、骨と筋を軋む音を響かせながら、隕石めいた速度と質量を伴って戦場へと振り下ろされた。
個体保有スキル・《万象飢餓》
個体保有スキル・《問答無用の轢殺》
個体保有スキル・《死して紡がれる詩》
空気が悲鳴を上げる。
遅れて圧が来る。
「っ、ああああああっ!!」
悲鳴のような叫びとともにラドクリフは土砂を幾重にも折り重ねて立ち上げ、防壁を作り上げる。
即席ではあるが、“金魂”の強化を受けたそれはとても分厚く強固で、並大抵の攻撃であれば容易に受け止めただろう。
だが——
拳が触れた途端、砂の城を崩すかのように崩壊した。
衝突ですらなかった。ただ通過しただけだった。
それが、勇者ラドクリフと、巨獣【饕餮】の明確な差だった。
圧し潰された空気が爆ぜて衝撃波となり、人も魔物も関係なく地面から引き剥がすかのように吹き荒れる。
もはや敵味方の区別などなく、ただ一点を滅ぼすためだけに落ちてくる。
ザイルが這うようにして暴風に耐えながらその光景を見つめていると、視界の端から金色の光を纏った者がその只中へと飛び込んだ。
「ぬぅぅううんっ!!」
アルガンだ。
スタンススキル・《勇者》
スタンススキル・《断刀の末裔》
スタンススキル・《一刀両断の心得》
ウェポンスキル・剣《エリミネイトエッジ》
ザイルの力で強化された“斬裂”の勇者の力が放たれる。
“斬裂”は、相手の防御力など関係なく体力に対して直接割合のダメージを与えることができる権能だ。
どれだけ相手が巨大であろうとも、硬い鋼殻を纏っていようとも、魔術による強固な防御がない相手であれば確実にその身に届く。
風圧を裂いて突き進む斬撃は巨腕へ触れた瞬間、その翡翠の剛腕を肘の付近まで縦一直線に斬り裂いた。
翡翠色の鮮血が空を彩る光景は敵味方問わず一瞬だけ視線が奪われる。
しかし、それは絶望的な隙でもあった。
裂けたまま巨拳は落ちる。
“波濤”の力で土砂を積み上げて作られていた戦場は、着弾点を中心に大地が歪む。
圧し潰され、持ち上がり、そして裏返った。
積み上げられていた土砂の戦場は、その形を保つことすら許されず、一撃の下で完全に解体された。
遅れて、音が来る。
強烈な波となり、衝撃と合わせて伝搬する轟音に、人間も魔物も周辺へと無惨に散らばり、大地に転がった大量の死傷者は降り注ぐ土砂の下敷きになっていく。
視界を埋め尽くす砂塵が風に攫われてようやく晴れたとき、異様を放っていた丘は跡形もなく消え去り、残されるのは爆心地のようにひび割れて陥没した荒野のみとなっていた。
その中で、動く者たちがいる。
波濤で作られた土の波に乗って逃げる勇者たちと、それを追うエレミヤの一団だ。
「くそくそクソクソっ! こんなっ……こんなはずじゃなかったのにっ! あのまま行けば勝てたんだ! あんな化け物たちに好き放題されなかったのに……くそぉ!」
ラドクリフは悪態を吐きながら、追いかけてくる魔物を睨んで忌々しげに顔を歪めた。
あれほど上手く進んでいた作戦が容易く瓦解した上に、多くの人間を死なせることになり、みっともない敗走をする羽目になっていることが、憎くて、恥ずかしくて、悔しくて仕方がない。
付き従ってくれた騎士たちを全て捨てて、自分たちが生きるために流砂の上に乗って逃げ果せるなんて、と。
「うっ……ひっ……ごめんなさい、エレナ様……」
「泣くな、みっともない。これはおぬしだけの責任ではない。我々の責任だ」
「だな。まさか連中が魔術じゃなくて大砲持ち出してくるなんて……いや、人間が王だってんなら、それくらい想定しておくべきだった」
「とにかく逃げる。結界を越えれば奴らは辿り着けん。なんとしても我々だけは逃げ切らねば……っ!」
話しているアルガンに向けて、毒々しい色の魔力で作られた槍が飛来し、剣で払う。
懸命に走る妖虎の上で優雅に座るフィルミリアはアルガンと視線が交わると、ニタリと裂けるような笑みを浮かべて、大量の槍を見せつけるように周囲へと生み出す。
「ふん、どうやらわしの斬裂が魔術相手にはほとんど機能しないことに気付いているといった顔だ。アイネスかオーバンでもいれば話は違うのだが……まずいな」
あの戦場が機能していたのは、偏に対魔照射器の存在が大きかった。
ただ魔物の能力を抑制する目的もあるが、主力であるアルガン・バイスの権能を遺憾なく発揮するのにはもってこいだった。
確かにちょっとやそっとの魔術防御であれば純粋なアルガンの才能で突破可能だが、上位になるほど魔術による補助が必要となり、その素養はアルガンには備わっていない。
それをザイルの金魂による強力なバフで後押ししていたので大抵のものは斬り捨てられるが、フィルミリアのように魔術に特化した上位の魔物相手では厳しいのだ。
「となれば……」
アルガンは砂の津波の上に立って剣を構え、斬撃を飛ばす。
狙いは、フィルミリアとエレミヤを乗せて走る魔獣だ。
少しでも速度を落とすか、あわよくば負傷させたいと考えるが、飛ばされた斬撃は禍々しい紫の魔術防壁に阻まれた。
ザイルの強化を最大限に活かしても、脅威となるほどの威力には程遠い。
ラドクリフが攻撃に参加すれば話は違うが、この精神状態では同時並行で能力を使うこともできない。
「ラドクリフ! しっかり制御しろよ!」
「っ……わかってる!」
追いつかれれば確実に足を止められる。結界を跨がなければ追撃は止まないだろう。
かといって、このまま追走され続ければどこかで追いつかれる可能性がある。
考えた末にアルガンが下した判断は——
「……え?」
「……は?」
ラドクリフとザイルの足元が、突然斬り落とされる。
流砂の津波が突然欠けたことで、流砂の流れが不安定になり、足場が突然形を変えたことに対応できなかった二人は姿勢を崩して流砂の津波から落ちる。
新たな津波を起こすという判断を、ラドクリフは咄嗟に思いつけなかった。
スローモーションのように、波の余韻に乗って遠のいていくアルガンの、悪びれもしない笑みが残像のように目に残った。
「アルガアアアン!! くそっ、あの野郎……!」
ザイルは地面に着地すると同時にラドクリフを掴んで自分の胸の中に抱えて、即座に槍を構えて旗を翻す。
構えたときにはすでにフィルミリアとエレミヤが二人の前に辿り着いており、
「見捨てられたのです? あらあらあらぁ! 随分とまあ……クソですねぇ!?」
「あんのジジイ……性根の腐り方ヤバすぎなんだけど」
それぞれがアルガンの所業を吐き捨てるように、遠ざかる砂の波を見送っていた。
「さてさて、バチクソ美少女フィルミリアちゃんとエレミヤちゃん、どっちがどっちの手柄にしますか?」
ガキン、と。鈎の生えた湾曲した奇抜な蛇腹剣がフィルミリアの手の中で大蛇のように分割されて地面を這う。
距離の空いた状況の集団戦ならラドクリフとザイルは脅威だが、接近した状態の二対二ならフィルミリアたちに軍配が上がるだろう。
もしアルガンがいれば話は違ったのだが、そんなことはフィルミリアには関係のないことだ。
ただ、
「そろそろこっちを見てくれません? ほっとかれるとさすがのゲロマブなフィルミリアちゃんでも不安になるんですけど?」
「……うん、ごめん。だいじょぶ」
エレミヤとしては随分とアルガンに入れ込んでいる様子だったが、フィルミリアの声に反応してすぐに集中した。
余裕の無さに不安を感じるフィルミリアだったが、槍を構えて唇を噛むザイルに向き直ると、いつもの恍惚とした笑みを浮かべて顔を近づける。
「見逃してくれ……なんて言ったら、聞いてもらえんのか?」
「あなたなら聞きます? 筋肉マウンテンな守善が、兵たちを巻き込んででも殺すと決めた相手ですよぉ? あれでいて優しい守善ですから、カロン様のご命令とはいえ心を痛めているでしょうし……それを取り逃がすのは、我らが同胞に報いることにはならないですよねぇぇ?」
当然だが、ザイルはフィルミリアの返答に反論できなかった。
自分の部下を犠牲にしてでも殺すと決めたのであれば、逃がすなんて選択があるはずもない。
騎士団は壊滅し、逃走途中で置き去りにされて孤立無援。対して魔物たちは甚大な被害を生んでいるが、対魔照射器に砲撃を加えた後衛などの存在を考えれば、確実に後続がいる。
「せめて……」
「だめですね! どうせその子だけはとか言うつもりなんでしょうけど、見逃す理由なんて一つもありませんから! ここは勇者らしく、魔物と戦って華々しく死ぬべきでしょう? 力を持ち、振るった以上、責任は付き纏うものです。さっぱりと死んでくださいな」
ガチン、と蛇腹剣が鳴り、ザイルとラドクリフに切っ先が向けられた。
自分の失態と仲間に裏切られた絶望から震えるだけで動けないラドクリフを抱えたまま、ザイルも動くことはできない。
最後にひとつでも悪あがきをしようと思考を巡らせる間に、容赦なく剣は掲げられる。
「それではさようなら。来世は、勇者に生まれないことを祈って……おやぁ?」
フィルミリアが剣を振り下ろそうとするのと同時だった。
白銀に煌めく液体が突如ザイルとラドクリフの下から湧き出るように現れてそのまま包みこんでしまった。
よく分からないが斬ってしまおうと僅かにフィルミリアは動いたが、その煌めく水銀から漂う吐き気を催す気配を感じて後ずさった。
「フィルミリア。これって――」
「下がってください! “聖銀”です!!」
指を差していたエレミヤと、飛び退くフィルミリア目掛けて、ザイルたちを包んだ水銀がクラスター爆弾のように弾けた。
鋭い刺が八方に飛び散り、その速度はフィルミリアが飛び退くよりも早い。
胸に突き刺さる直前、後から動いたエレミヤがフィルミリアの首根っこを掴んで急加速して離脱する。
「……あれ、わたしエレミヤより早く逃げてませんでしたっけ!?」
「んふ。フィルミリアってゲロマブだけどゲロおそだね!」
「なるほど! ゲロ煽られてますね! にしても、ようやくお出ましですか。序列一位と噂の“聖銀”の勇者……の、お姿はどちらに?」
聖なる力を帯びた水銀は牽制するようにうねりながら二人の様子を窺っている。
エレミヤは比較的神聖への耐性は低くないが、フィルミリアは種族的な相性の問題で、あの神聖を受けてしまうとアルバート並みに酷いダメージを問答無用で受けることになるのが確定していた。
「ねえ、お猫さん? ダメ元で突撃とかしてくれたりなんかしないです?」
「ん~……してもいいけど、一人は厳しいんじゃないかなー。せめて犬っころがいないとー」
「ですよねぇ」
手を拱いていると、水銀が大きく波打ち、その中から女騎士が現れた。
白いレオタードのような服に銀の篭手と具足をはめた珍妙な装備。荒野に立つにはあまりにも煌びやかで、不気味なほどの清廉さだ。
そして、それ以上に目を引く、頭のサイズに適さない、ふた回りは大きそうな精巧に作られた白銀のヘルム。
巨大な黒紫の鉄棺を担いだ異様な出で立ちで、“聖銀”の勇者グロキシニアは姿を現した。
ピリピリと空気が張り詰める。そこにいるだけで肌が粟立たせる。ただ立っているだけで脅威を感じる。
ザイルにも、ラドクリフにも、アルガンにも感じなかった、圧倒的な存在感。
序列一位に恥じぬ出で立ちに、フィルミリアの口元がひくつく。
「……エステルドバロニア」
ヘルムの中でくぐもった幼い声が言葉を紡いだ。
「異界より訪れて我が物顔でこの世界を闊歩する恥知らずな獣の群れ。この世界の領分を土足で踏み荒らしておきながら被害者面。醜いにもほどがあるわね」
そして辛辣だった。
「おかしいですねぇ。今日の私ってそんなに煽られるようなことしてます? 結構活躍してたと思うんですが!」
「反省しろー」
「おかしいですねぇ。言われてるのは私だけじゃないはずなんですけどねぇ!」
「時間稼ぎのつもり? まあ、なんでもいいけれど。二人を逃がすか、二匹を殺すか、どちらかを達成すればいい楽な仕事だもの。はあ、アルマ様アルマ様、どうか私の献身、献体を御覧ください。偉大なる聖戦の模倣なれば、貴方様の残したこの“拝火の聖櫃”があれば、アーレンハイトは必ずや勝利を——」
「……あれ? 時間稼ぎされてる?」
「どうでしょうね! 私の勘では、カロン様に付き纏うあのメス犬みたいな勇者と同類なだけな気がしてますけれども!」
声の幼さから成人には遠いと判断できるが、言葉の節々から漂う歪さが耳に障る。
エレミヤはナイフを構えて、グロキシニアと、その後ろにある水銀の球体に視線を彷徨わせた。
「じゃー、その両方を仕留めれば一石ニ兆ってわけだー」
「あら、いい評価ね。化け物のくせに見る目があるじゃない」
「でしょ!」
「私が一兆九千九百九十九億九千九百九十九万くらいあるわよね?」
「え? ないよ?」
「そう、じゃあ最低な化け物ね」
「最低でけっこー! お覚悟ー!」
頭の痛くなるような会話をしたかと思えば、エレミヤは予備動作無しでナイフを投擲した。
グロキシニアは微動だにせぬまま、足元から湧き上がるように反り立った水銀の網に守られる。ただ壁にするのではなく、視認性を担保しながら確実に防ぐ手段を選択する辺りに戦闘技術の高さが窺える。
フィルミリアが蛇腹剣を伸ばして振るい、グロキシニアの周囲を鈎のついた歪な刃で囲んで逃げ場をなくしてから、追尾する魔力弾を放つが、どれも水銀によって的確に防がれ、蛇腹剣も最小限の動作で締め上げる前に止めた。
攻めも逃げも不可能と判断したエレミヤが、その隙間を狙ってナイフを更に投げるも、当然のように防がれる。
防戦一方かと思えばそんなことはない。
自在に形を変える流体は、刃を受け止めながらも同時に槍や剣へと形を変えてエレミヤを襲う。
高機動で地を駆けるエレミヤを補足し続ける銀がエレミヤを掠めただけで、白い肌には火傷のような跡となった。
神より賜った、魔物を屠るに適した能力だ。
スピードでエレミヤが翻弄し、フィルミリアがトリッキーな攻め手を使うが、どれを受けてもグロキシニアは平静を保ったまま完璧に対応しながら反撃も行ってくる。
ウェポンスキル・短剣《アンベロウズ》
ウェポンスキル・短剣《スナップリヒター》
ウェポンスキル・短剣《バークハウ》
「うぬぬぬぬぬっ!!」
目で追えぬ速さで行動しているエレミヤを正確に狙う水銀。グロキシニア自身に反射が起きていないのを見るに、高性能な追尾機能が勇者の権能に含まれていると推測される。
軍団長二人の攻撃を捌きながら、同時に反撃も飛んでくる。それだけで十分他の勇者との格の違いがあった。
ギラギラと光る銀の触手が、乱雑に、しかし正確に、剣となり、槍となり、斧となって襲いかかる。
エレミヤはその連撃を潜り抜けて接近を試みては、グロキシニアへと届く前に立ちはだかる銀の盾に阻まれては離脱を繰り返した。
エレミヤは、その性質上長期的な戦闘に不向きだ。
全ての攻撃が二回発動になる代わりに、確率で行動がキャンセルされる個体保有スキル《天衣無縫》。装備によって確率を下げてはいるが、そのデメリットが発動してしまうと、一撃が致命傷となるような戦闘を続けるのは危険だった。
しかし、グロキシニアもエレミヤを確実に処断できる方法を用いてはいない。自動追撃、自動防御だけがエレミヤの速度に対応してくれているおかげで、グロキシニア自身がエレミヤを補足できていないからだろうか。
一進一退の攻防が続く。どちらも決定打に欠けながら、奥の手だけは切らないでいた。
「まったく……そろそろお暇させてもらうわ。私、忙しいから」
先に動いたのはグロキシニアだった。
彼女は放るように巨大な鉄棺を掲げると、ガコンと地面に突き立てる。
明らかに雰囲気が変わったのを感じて、エレミヤとフィルミリアは並んで警戒態勢を取った。
ヘルムの奥。幼い声が静かに紡ぐ。
「開け、神の薪。これより悪しき魂は焚べられる。拝火よ、拝火よ。大いなる神より賜りし火よ――」
その祈るような声に応えて、鉄の棺は重苦しい音を立て、蓋が少しづつズレていく。
その中からドロリと溢れ出たのは、禍々しいほどに白い炎だった。
「さようなら、化け物」
白い炎は水銀を包みこむと、グロキシニアの周囲から飛沫のように弾けて、大地を汚染するように燃やした。
浄化と呼ぶにはあまりにも早く、まるで侵食するように周囲を灰へと変えていく悍ましい炎。
大地を蝕んでいながら、それを浄化だと言い張るエゴすら見える神聖な炎だった。
フィルミリアは即座に魔術防御を構えるも、ルールを書き換えて浄化する聖なる白炎は術式など簡単に侵食して崩壊させてしまう。
強烈な魔物特攻の聖遺物“拝火の聖櫃”による能力は、フィルミリアにとって相性が悪い。
「っ――」
「フィルミリア!」
しかし、エレミヤがいる。
降り注ぐ聖炎に逃げ場を失っていたフィルミリアの体を抱えたエレミヤは、雷光のような加速で一気に離脱した。
空からも降り注ぐ水銀と白炎の雨を潜り抜けて射程範囲外へと逃げたときには、グロキシニアの姿も、水銀に包まれていた二人の勇者の姿もなかった。
「はぁ……はぁ……これは、本当にやばかったですね! 私みたいな悪魔の天敵じゃないですか! あれだとアルバートでも無理ですね! はぁ……本当に、相性問題はいつになっても付き纏いますねぇ……力でゴリ押せる雑魚だったら良かったのに……へぶっ!」
手を掲げて大げさに疲れを現していたフィルミリアだったが、エレミヤは邪魔な荷物のように地面に投げ捨てると、フィルミリア以上に疲れたように大きく肩を落とした。
「疲れたー……もー無理かもー……守善も……あぁ、戻りたくないなー……絶対イライラしてそうだしー……」
「あんな派手にやられたら、プライド傷ついたでしょうねぇ」
それでも。
カロンの推測していた被害の規模と大きく相違のないものだった。
相違ないものになってしまった。
それだけ多くの魔物たちの死を、許容するしかなかった。
そこに対して特段複雑な思いなど、エレミヤたちにも、他の魔物たちにもない。
戦い、死んだ。それだけだ。その先にエステルドバロニアの勝利があるのであれば、厭うものでも惜しむものでもない。
ただ、それだけの死を許容せねばならない戦争であるということは強烈に刻み込まれる結果となった。
◆
「助かった、グロキシニア……」
「あっ! 聖女様! も、申し訳ございません……全ては……僕の……」
「いえ、いえ。そう思い悩まなくても構いませんよ。ええ、大丈夫です。お二人とも、これからなのですから」
薄暗い通路の中で、エレナは膝をついた二人に微笑みかける。
聖母のように、聖女のように、暖かく慈しみに溢れた笑みを。
「しかし、ここはどこなので——」
ザイルが見覚えのない場所に戸惑うような声を零していたが、その声は口の中に入り込んだ水銀によって塞がれ、身動きも同時に押さえられる。
「安心してください、ラドクリフ。貴方たちはこのアーレンハイトに生まれ、勇者となり、国のために尽くしてくださいました」
「聖女、様……?」
「貴方たちの献身は忘れていません。これからも大いに活躍してくださることを期待しておりますよ?」
ラドクリフは、初めてエレナ・ルシオーネの笑顔に恐怖を感じた。
彼女の声にも、表情にも、国を憂うものが一切なかった。
「だから、しっかりと役に立ってくださいね。アルマ様の中で」
ラドクリフが、それ以上言葉を発することはなく、それ以上体を動かすことはなく、それ以降姿を見た者はいなくなった。




