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エステルドバロニア  作者: 百黒
6章 聖の国と獣の国
90/93

5 奇策

あらすじ

 エステルドバロニアとアーレンハイト聖王国の全面戦争が開始された。

 勇者の率いる騎士団が使用した、スキル封印を付与する兵器によって予定を狂わされるカロンたち。

 しかし現状は大きな損害を被ることもなく、そのまま首都へ向けて進軍していたが……

 




 アーレンハイトがスキル封印効果を投射する兵器を所有していると発覚してから五日。

 守善たちはカロンから指示された方針に沿って行動していた。

 以前は侵攻ルートの構築が優先されていたが、今は周辺の探索に力を入れるように、と。

 兵器を用いた奇襲は魔物たちに損害を与えはしたが、停滞させるほどの効果がない。

 交代制で昼夜動き回られて困るのはアーレンハイトの方である。

 これみよがしに大きな前線拠点を作られて、そこから絶えず魔物が現れては休む暇などあるはずもなく、遅延に成果を上げてはいるものの、ただ遅らせられているだけで、止めることは出来ていなかった。


「転移門発見しました!」

「了解。向かいます」

「こっちもあったっす!」

「了解。第四小隊に――」

「東にも二つありましたー」

「……」

「魔術部隊、まだかよー。こっちは三つだぜー?」

「キイイイイイ!!」


 森の中に響き渡る、小さな白い妖精【ティアドロップフェアリー】の金切り声を皮切りに、魔術部隊の不満が一気に噴出した。


「だったら自力で傷治せや!」

「そんなに手が回るわけないじゃない! どんだけあるのよ!」

「団長! 団長! 不公平です!」


 豹の獣人【レパルタクス】や、狐の獣人【セブンテイル】たちの悲痛な声を聞きながら、エレミヤは土で汚れた顔で、珍しく真剣な表情でうんうんと頷き、


「頑張れー!」


 としか言わなかった。

 それしか言えないともいうが。

 「やっぱダメか」「団長だからなぁ」などと、ぶつくさ文句を言いながら立ち去っていく兵士たちと入れ替わりに、ガサガサと草木を掻き分けながら疲れた顔の三毛猫がやってきた。

 三毛猫は背丈に不釣り合いな金の錫杖で肩を叩きながら、そのままエレミヤの隣に並んで深く嘆息する。


「団長ぉ。損害はたいしたことないけど、これじゃ魔力が追いつかないニャ。無駄に転移門が多いし、無駄に厳重な保護がされてて解除に時間がかかりすぎるニャ。ぶっちゃけ結界壊すほうが楽ニャ。ほんとに壊さないと駄目ニャ?」


 古株の猫の魔術師の言葉に、エレミヤは首を横に振る。


「王様からの指示だからねー」


 三毛猫は耳をへたりと畳む。


「進軍は出来てるけど、小競り合いもないし、地味な作業ばっかり。はぁぁ……回復もして転移門の破壊もして、負担は全部魔術部隊持ち。全く……」


 そして、疲れた顔で不敵に笑った。


「実に戦争らしくなってきたニャ」


 応えて、エレミヤも鼻を鳴らして笑った。


「ほんとだねー」


 地味な進軍と変化ばかりが続いているが、まともな戦闘など行程の重要な地点でしか起こらないものだ。

 苦労なく進んで正面衝突することの方が普通は珍しい。

 防衛ができるような砦なども発見されていないため、戦場になり得るのはもっと首都に近い位置になると予想されている。

 しかし、それが分かっているとしても、この転移門を無視することはできない。

 放置して進軍してしまえば、主戦で背後を取られる危険性が生まれる。

 前の世界でも転移門は念入りに潰しながら攻めたものだ。

 そう考えると、この面倒な下処理の作業が本格的な戦争を感じさせるものであった。


「団長は休まないのかニャ? せめて体力だけでも回復したほうがいいニャ」

「んー? だいじょぶ! アタシだけ休んじゃうなんてできないでしょー?」

「隊員はみんな交代で休憩してるニャ」


 二人の会話を聞いて、奇声を上げていたティアドロップフェアリーがふわふわと風を漂うようにエレミヤの前まで飛んでくる。


「んんっ! 団長、休まないとダメよ? ただでさえ体力低いんだから、本番が来た時に動けなくなるわよ?」

「リリネットちゃんのほうが休むべきじゃないー?」

「ふん! いつものことよ。気にしないでちょうだい」

「リリネットはヒステリーだからニャ」

「うっさいわねボナペッティ。甘やかしすぎなんじゃない?」

「団長に似たかニャー」

「は? なに媚び売ってんの? 団長に必要なのは私みたいなタイプなのよ」

「はい、仕事に戻ってー」


 バチバチと火花飛ぶ、三毛猫と精霊による視線の戦いを察して、エレミヤは手をパンパンと打つ。

 誰がエレミヤに相応しいかを証明しようとしていた二人は、その音と声で我に返り、また単純作業に戻ることに渋い顔をしながらも重い足取りで持ち場に帰っていった。

 残ったエレミヤは、頬についた土を手の甲で拭ってから木の上へと駆け上がり、周囲を見回す。

 首都エッツァの方角はまだまだ蜃気楼のように混沌とした景色だが、左右はかなりの範囲がはっきりと見渡せた。

 エレミヤは左回りを担当し、フィルミリアは右回り。守善は前進して圧をかけながら、敵の妨害行為の標的になる役割を担っている。

 体力と頑丈さが取り柄の魔獣の進軍は、遅々としていても相手にとっては恐怖でしかない。


「消耗が激しいのはどっちだろうねー?」


 遠くに見える魔力光の瞬きを見て、エレミヤは自慢気に笑った。


「団長ー、大変にゃー」


 木の麓から誰かがエレミヤを呼んだ。


「なーにー?」


 間延びしたエレミヤの問いに、舌足らずな声はこう答えた。


「人間の町が出てきちゃったにゃー」



 石積みの壁に囲まれたその街の門は固く閉ざされていた。

 壁の向こうから音はなく、昼が近いのに炊事の煙も見当たらない。

 しかし、人間の気配は確かに感じられた。

 五分ほど門の前に立っていたエレミヤだったが、奇襲も迎撃もないことに首を傾げて、息を潜めた町の気配に眉根を寄せる。


「団長」


 ふわりふわりと、小さな羽で飛んできたリリネットがエレミヤの肩に止まり、顔を覗き込む。


「多分だけど、ここに戦うための人も武器もないと思うわ。探知の魔術で調べてみたけど、私たちに対抗する手段がどこにもないの」

「騎士の姿はあったの?」

「見てないわ。それどころか馬の足跡もなかった。この防壁の周りを誰かが歩いた形跡だってない。多分……捨てられたんしゃないかしら」


 予想していたことを言われてしまい、エレミヤは項垂れる。

 逃げる弱者を殺すのも、無抵抗の女子供を殺すのも、エレミヤに罪の意識を抱かせることではない。

 それが勝つということで、そうされるのが負けるということだと理解している。

 しかし。


「誰か、開けてくれる?」


 弱々しい声にリリネットは眉尻を下げるも、近くにいたボナペッティに指で合図をする。

 ボナペッティは即座に兵をまとめて門の前に張り付き、魔術で閂を破壊して門を押し開けた。


「……ひどいわね」


 リリネットが鼻を押さえながら呟いた。

 壁の中に広がっていたのは、ごく普通の町並みだった。

 微かに烟る硝煙と血の臭いが何処かから漂ってくる、人の消えた町。


「そんなに臭くないニャ」

「感情の匂いよ」


 エレミヤは誘われるようにフラフラと歩き出し、街の中心に建てられた古い教会へと向かった。

 後を追う兵士たちの表情は暗い。

 このような光景は以前の世界でも何度も見てきた。その度にやるせない気持ちが胸中に揺蕩う。

 顔には出さないが、エレミヤも同じ気持ちであることを彼らは感じ取っていた。


「開けて」


 すぐさまボナペッティが兵とともに扉の前に張り付き、同じように二枚扉の破壊にかかる。

 大きな音が静かな町に響くたび、教会の中から泣き声が聞こえてきた。

 中には、大勢の人がいた。

 老若男女が教会の奥、男神の像の前で互いを守るようにひとかたまりとなって震えているのが見て取れる。

 ざっと見回した限り、町の住民全てというわけではなさそうだったが、他に町に隠れている者もいそうにない。

 ああ、と魔物たちは理解した。


「ひぃっ!」

「い、偉大なる男神ザハナ様。どうか我らを救い給え。彼方より見守る大いなる父、弱き人の子を守り愛する光輝。悪しき闇は打ち払われ、幸福は黄金となって世界に満ち溢れる。神よ、ザハナよ、今こそ我らに救いを……」


 悲鳴を皮切りに、教会の中は祈りの言葉で満たされていく。

 集団の側には血溜まりと死体もある。

 揉めたのだろうか、エレミヤには分からないが、碌でもないことがあったことは想像できた。


「ば、化け物めぇ!」


 老人が立ち上がってライフルを構え、エレミヤに向けて発砲した。

 弾丸は吸い込まれるようにエレミヤの額目掛けて飛んでいくが、エレミヤは首を傾けるだけで容易に躱した。

 騎士団と戦うような魔物相手に、魔力も加護もない弾丸が通用するはずもないと考えることも出来ないのだろう。

 ガチガチと震わせているのは、歯か、撃鉄か。

 そんな人間たちの様子を、エレミヤは何も言わず見つめていた。

 彼らは、見捨てられたのだろう。

 自分たちエステルドバロニアが救いを求める弱者を決して見捨てず、強大な敵に立ち向かってこれたのは、ひとえにカロンの手腕によるもので、誰もが出来ることではないと。

 それでも、この光景は胸に来る。

 忘れ去られ、荒廃し、それでも主の帰還を待ちながら、共食いの暮らしの中で戦っていた国々のことを思い出させる、嫌な光景だった。

 エステルドバロニア軍は、弱き王に代わって強きに立ち向かい、弱きを救うためのものだ。

 これまでの経緯に、ただの民草を薙ぎ払う真似はしてこなかった。それをするのは信念に反するからだ。


「王様からは、安全を確認した上で好きにしていいって言われてる」

「ええ、そうね。それで、どうするの?」


 リリネットに、エレミヤは絞り出すような声で伝えた。


「保護しよ。その後は、終わってから考えよう」


 エレミヤの言葉に、兵の中であからさまな安堵の顔色を浮かべた者がいた。

 リリネットも、言葉にしなくとも僅かに口の端を緩ませていた。

 たとえ人間であろうとも、弱者は弱者である。権威や財貨、武力も覚悟もない相手を大きな理由もなく嬲り殺すのは気が進まない。

 理由さえあるなら、躊躇しないことの裏返しでもあるが。


「じゃ、もうちょっと調べてから改めて判断しましょう」


 そう言って、リリネットが部下に合図をして教会の内部と住民たちを調べようとした瞬間だった。


「っ!?」


 ガクッと、急激に体から力が抜けたような感覚に陥る。

 それはエレミヤだけではなく、兵士たちも同様であり、身に覚えのある違和感から即座に戦闘態勢が取られた。

 言葉を交わさずとも、第五団は教会内とその周囲の警戒と、同時に街の外への偵察に動き出す。


「スキル封印っ……方角は……」


 エレミヤの声は、教会の男神像から発せられた業火と灼熱に呑まれていき、その爆炎は町を覆い尽くすほどに成長して何もかもを吹き飛ばした。

 リリネットは長年の経験から、咄嗟に防御術式を発動させたが、無意識にエレミヤに対しても防御を張ったせいで、その守りは薄氷のようなものだった。

 一瞬の衝撃だけを防いだ防御壁は簡単に砕け散り、リリネットは軽々と教会の外へ錐揉みしながら飛ばされた。


「団長!」


 呼びかけた声の先に、地面を擦りながら壁に衝突するエレミヤが居た。

 それからどうなったのか、意識を失ったリリネットには知る由もない。

 ただ、目覚めたときには全て終わっていた。





 フラシュの町で起きた巨大な爆発は、空に漂う黒雲までも打ち払った。

 差し込んだ光の中から淡緑の司祭服を羽織った白き鎧の騎士団が、燃える町へと馬を走らせる。

 険しい山肌を雪崩のように駆け下りる彼らの目には、強い憎しみと怒りが町を燃やす業火のように滾っており、ぽつぽつと見える魔物に狙いを定めて剣を抜いた。


「殺せ! 決して魔物を許すな!」

「化け物どもめ!」

「くそ! くそぉ!」


 エステルドバロニアの侵攻に対応するために、斬裂騎士団は街の近くまでは移動していた。

 愚直に首都エッツァに直進する魔獣軍を阻むには怒濤騎士団との連携が必要であり、フラシュへの防衛に人員を割くためにはどうしても時間が必要だった。

 それがこの結果だ。

 勇者アルガン・バイスの悲壮と後悔に塗れた絶叫を聞いた彼らは、あの老いた勇者の命令に応えるべく駆け抜ける。


“魔物にも、心があると思ってしまったわしが愚かであった……王国やサルタンと手を取り合えるのなら、もしやと……すまぬ、すまぬ! どうかわしを恨んでくれ! 呪ってくれ! この愚かな老人が、鬼となって獣を屠るために!”


 その言葉に共感した騎士たちは、弔いの咆哮をあげて町へと飛び込んだ。

 辺り一面が炎に包まれ、教会を中心に建物が崩れているのが見える。

 そこが爆心地であり、避難していたであろう人々がどうなったのか、馬蹄が時折踏みつける物体で察せられた。

 エステルドバロニア軍は、騎士の登場に慌てながら陣形を整えて応戦の構えを取っている。

 魔物たちが負傷していることは目に入らず、騎士たちは一斉に強化魔術と神聖魔術を使用して一気呵成に突撃を敢行した。

 スキルが使えなければ、魔物は恐れるものじゃない。

 実力と魔術が上回れば勝利できると説いたアルガンの言葉通り、獣人や妖精、妖獣などは騎馬の突撃と馬上の攻撃を避けることしか出来ず、拍子抜けするくらいに逃げ惑っていた。

 燃える瓦礫を踏みながら町の中を勢いのまま暴れ回る騎士たちは、口々に殺意を吐きながら剣と魔術を振るう。

 すばしっこい獣人を追うのは至難の業だが、防御力の低い相手なら騎士の一撃は容易に通った。

 騎乗スキルによって強化された馬脚は、スキルを使えない魔物たちを蹴散らしていくのは実に気持ちのいいものだった。


「おい! 見ろ!」


 騎士の一人が、教会付近に固まる魔物たちを見つける。

 斬られた魔物も集まっているのを見て、そこにこの部隊のリーダーがいると確信し、騎士たちは言葉を交わさずに馬の首を教会へと向けた。


「殺せぇ! 生かして帰すなぁ!」


 正義と憎悪で突き進む斬裂騎士団。

 その先頭に立つ若い騎士は、血走った目で教会跡の中心で佇む獣人を捉えた。

 呆然と立ち尽くす獣人の腕には、凄惨な姿になった幼子の遺体が抱えられている。

 チリチリと燐光の舞う中で、途方に暮れたように空を見上げるのを見て、騎士は義憤を叫ぶ。


「お前たちがぁぁ!!」


 騎士は一直線に、幼子を殺めたであろう獣人へと馬を走らせ、振りかぶった剣を振り下ろす。

 しかし、その剣閃は魔術防壁によって妨げられた。


「ぐおっ!」


 バランスを崩して地面に転がり落ちるも、すぐさま構えて睨みつける。

 防いだのは、傷だらけの妖精だった。


「団長! 撤収の命令が下ってるわ! ほら、早く!」


 手のひらサイズの全身で獣人を引く様子に、逃げられると直感する。

 騎士は身体強化を駆使して近寄るも、再び魔術防壁に阻まれた。

 彼には魔術を破るほどの才覚はない。

 黒く淀んだ空間の亀裂が、周囲の魔物たちを飲み込んで閉じていくのを黙って見守ることしか出来なかった。

 他の騎士たちが放つ魔術や弓矢の雨の中、最後に見えた獣人の、憎悪と憐憫の眼差しが、彼の脳裏に焼き付いた。



 斬裂騎士団はフラシュの町を奪還することに成功した。

 エステルドバロニアの侵攻を食い止めた証だ。誇るべき成果のはずだ。

 だが、騎士たちの表情は暗く険しい。

 人のいなくなった町を救って、いったいなんの意味があるのか。

 誰もが己の無力を恨みながら、黙々と瓦礫の撤去を行っていた。


「諸君」


 枯れた声に、皆が視線を向ける。

 声に似つかわしい枯れ枝のような騎士が、門のあった場所から歩いてくるのが見えた。


「斬裂卿……」

「バイス卿」

「アルガン様」

「アルガン様」


 彼らを束ねる団長であり、斬裂の勇者アルガン・バイスは、町の惨状を見回してから、深々と頭を下げた。


「すまなかった」


 皆、言葉を失った。

 アーレンハイトの古豪が、一介の騎士相手に頭を下げ、謝罪するなど。


「わしが判断を誤ってしまった。奪還の用意を整えて攻めこむまで猶予があると思った。心ある者なら、無闇な殺戮など行わないであろうと、甘い考えを持ってしまった。奴らは、正しく獣であった。戦火を見せつけるような非道を躊躇いなくするような奴らであると、何故思えなんだ……」


 涙を堪えながら言葉を紡ぐ姿に、すすり泣く声が徐々に増えていく。

 震えたアルガンの声に滲む後悔に、「そんなことはありません」と誰かが叫んだ。


「貴方様が頭を下げる必要はないのです。全ては我々の平和を打ち壊した化物によるもの」

「そうです。決して貴方様があやまることではない!」


 そうだそうだ、と囃し立てるように騎士たちは叫んだ。

 滂沱する彼らを、アルガンはゆっくりと見回してから大きく息を吸い、そして力強く宣言した。


「今一度、斬裂の名に誓おう! アーレンハイトは、必ずや悪しき者を、この大陸から駆逐すると! その為に立てよ、騎士たち! 立てよ臣民! 聖女エレナの旗のもと、邪智暴虐の獣を殺し尽くそうぞ!」


 困難を前に奮い立つ勇者のように、アルガンの声は勇者候補である騎士たちを一人前の勇者かのように滾らせた。

 栄光と復讐の入り混じった歓声は、燃え尽きた町の外までも広がる。

 そんな彼らを見て、アルガンは満足げに頷くと、そのまま町の外へと歩き出した。

 此度の状況を一度聖女様に報告する、という名分とともに。


「君、少し来てくれないか」


 一人。

 輪の中に入れず暗い顔をしていた騎士を従えて。

 町を離れて林の中へ入りかかったところで、彼は我慢できずアルガンに問いかけた。


「あ、あの……私だけが供回りでよろしいのでしょうか……? アルガン様が、エッツァに戻られるならば、他の騎士様……もっと身近な……」

「君のことを、まずは褒めねばならんな」


 歩調を緩めぬまま、言葉を遮ったアルガンの有無を言わせぬ迫力に、騎士は肩を震わせ、足を止めて口を噤んだ。

 

「仕事をしっかりと果たしてくれたじゃないか。もっと胸を張るべきだ。誇っていいのだぞ? なのに……どうして怯えているのかね?」


 騎士は、歯の根の合わない口で震えながらゆっくりと話し始めた。


「ざ……ざ、斬裂卿……私は、あの教会に支援物資を届けた、のです……」

「それで?」

「そ、っ、そんなことはない、と思っては、いるのですが……どうしても考えて、しまって……」


 そう。

 この騎士は、斬裂騎士団がすぐには動けないことを町へと伝えに行った者だ。

 その際に、斬裂卿からの支援だと食料や武器を置いてきてもいた。

 他に手を割く余裕がなかったとアルガンは語り、この騎士一人にそれらを任せていた。

 だから、こんな思いをしているのは彼だけである。

 彼だけが、あの爆発の原因が、自分の置いてきた物の中にあったのではないかという疑念を持っていた。

 アルガンは、小鼠のように小さくなって震える騎士にゆっくりと体を向けて、柔らかく微笑み、


「やはり、君に頼んで正解だったよ」


 騎士が尋ねる間もなく、白と緑に彩られた豪奢な両手剣が軽く振り下ろされた。

 ストン、と騎士に触れることなく中空を切った剣閃だったが、アルガンの目の前には風船を割ったように弾ける真紅の血が視界いっぱいに広がっており、人目のない林の中で音もなく、人間の肉体を一刀で跡形もなく刻んだ。

 頬についた血を拭う顔に慙悔の念はない。

 むしろ、いいことをしたとでも言いたげな晴れやかな笑顔を皺だらけの顔に浮かべていた。


「さて、聖女様に報告へ行かねばな」


 アルガンは、馬を連れることもせず、そのまま近くの転移門へと一人で向かう。

 自分の部下のことはもう頭にない。

 ただただ、待ってくれているはずの聖女に会う一心しかなかった。






 

 

 

 




エステルドバロニア書籍第四巻発売中です。

数カ月ぶりの更新となったことは誠に申し訳なく思います。

皆様もコロナにはお気をつけくださいませ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お待ちしておりました! この先どのような展開になるのか目が離せません。 無理のないペースで更新していただけると嬉しいです。 季節の変わり目ですのでどうぞご自愛ください。
[一言] 別の作品について調べている際に、こちらを見つけました。 非常に面白く、転移軍団物が好きなんだと思います。 良い作品を産み出す為にも時間が必要だと思うので、気長に更新を待つ事にします。
[良い点] お疲れさまでした。 「狂信者って怖いなぁ」と、つくづく思わされるマッチポンプでしたね こういう輩は、友好的に見えても対話や交渉が成立しないから、リアルでは比較的マトモな集団に接触して…
感想一覧
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