2 上陸
玉座の間には、エステルドバロニアの誇る戦闘部隊の団長たちが揃って跪いている。
グラドラ、エレミヤ、守善、アルバート、五郎兵衛、フィルミリア。そしてカロンを守護するハルドロギアと、カロンの補佐に立つルシュカ。
いつもの面子といえばそれまでだが、今日に限っては普段のそれと空気が違う。
皆一様に期待の眼差しをカロンに向けており、落ち着かない様子で言葉を待っていた。
白い空間にポツンと置かれた黒曜石の玉座に腰掛けるカロンは、小さく咳払いをしてから皆を見回した。
「まずは、今日まで我慢を重ねてくれたことに感謝する。軍としては不満だっただろうが、その諸君らの尽力によってエステルドバロニアは安泰に大きく近付いた。まだ資材も食糧もプラスには転じていないが、このままの調子でいけば徐々にだが改善するのは間違いない。これで、我々は後顧の憂いなく聖王国に挑める」
その言葉に、皆安堵に近い喜びを感じた。
彼らからすれば、普段と変わらない平時の仕事をこなしているばかりで、一向に戦争を始める雰囲気が漂わないことが密かに不安だった。
しかしその行動には意味があり、この三ヶ月が実りあるものだと知り、カロンが消極的だったわけではないと分かり、無意識に肩の力を抜いた。
「紗々羅のほうから、ヴァーミリアが聖王国への侵攻を行うと報告を受けた。せっかくの祭りに我々が遅れるのは失礼になるからな。そこで、まずは情報の共有から始めたい。全員が揃うのは恐らく今しかない。だから今のうちに知っておいてもらいたい」
皆が頷いたのを確認して、カロンはルシュカに目配せをした。
「ではこれより、聖王国の情報を伝える。発言は自由にして構わないとカロン様からご許可を頂いている。気になることがあればすぐに聞け」
「はーい!」
待ってましたと言わんばかりに、元気よく手を上げて声を張り上げたエレミヤに、周りから白い目が向けられた。
「……あれ?」
思いの外空気が変わらないことに首を傾げるエレミヤを見て、カロンが堪え切れずに吹き出す。
「その調子で構わんよ。いつも通りでいこう」
カロンも力を抜いたのを見て、グラドラは一息深く吐き出してからガシガシとたてがみを掻いた。
他の者たちも、それぞれ思い思いに緊張を解し、普段の様子へと戻っていく。
「っし! じゃあルシュカ、さっさと聞かせろよ。まあ殆ど知ってるけどよ」
「犬畜生、貴様……その殆どを空っぽの頭に詰め込めない阿呆が数人いるのを分かってて言ってるのか?」
「ぇー?」
「なんか今、ラブリーチュッチュな私が不名誉な扱いを受けた気するんですが!」
「チュッチュとかめっちゃウケるでござる。さすがフィルミリアは頭空っぽであるな」
「なにか勘違いしてるみたいだけど、ゴロベエも数に入ってるからね?」
「そんな、まっさかー」
「おや、ご存知ではない? 卵の殻のほうがまだ中身があるというのは有名な話ですぞ?」
「ことわざかと思ったら、あれゴロベエのことだったんだね。よく街で聞くよー」
「嘘だと誰か言ってくれんのか……鬼かお主ら!」
「よし、進めるぞ」
「え? 突っ込むとこだったんでござるが……?」
話し始めれば自然と空気はいつもと同じものに変わっていく。
作戦前にそこまで緊張することはない。今は余裕をもって知るべきことを知る時間なのだから。
それは、カロンにも当てはまる。
(忘れてることがないか確認しないとな。うん)
そのためのルシュカであった。
「まず、天空連環からもたらされたことから話そう。魔術的な記憶の暗号化がされていたらしいが、趣味の悪い筒に漬け込んで弄り回して解いて結んで、それなりに引っ張り出せたらしい」
「すでに引っ張り出してるのにまだ出すの? ちょっと意味分かんないんだけど」
「あそこは俺たち基準でもマジでぶっ飛んでんな」
「まあ、カロン様の役に立とうとはするからな。で、その記憶によると敵兵力は全体でおよそ二十万。勇者は七人いるそうだ」
「なかなかの数でございますな。実にやりがいがありそうだ」
「数はどうでもいい。問題は勇者だ。一人だけ情報が集められなかったらしい」
今ある程度の名前と顔が判明しているのは六人。
一人だけ、誰の脳を探っても名前も顔も能力も分からないという。
勇者と言えば国にとっての大事な戦力である。中には隠匿しておきたいのもいるだろう。
しかし、裏工作部隊の隊長格でも知らないのに存在だけは認識しているのは不自然だ。
「“金魂”ザイル、“斬裂”アルガン、“怒濤”リドグリフ、“聖銀”グロキシニア、“破砕”アイネス、“晴嵐”オーバン。これが現在判明している勇者となる」
「あれ? あの子はどうしたんですかね? 頭もお花畑だった……」
フィルミリアが皆の疑問を代弁すると、ルシュカは今日一番の冷酷な表情で一笑した。
「帰国早々に始末されたよ。おかげで大した情報が取れなかった」
お似合いの末路だった。そうなるに足る女だった。その点では、聖王国の連中と同意見なルシュカだった。
“花冠”アルア・セレスタの一部始終は何重にも隠匿した監視魔術によってルシュカの目と直結していたため、直に見ていたのはルシュカしかいない。
「まじかよ」
「実に愉快だったぞ? 寄り道もせず城に向かって聖女に会ったかと思えば、薬を盛られて目を覚ましたら水槽の中だ。我々にとっても無能極まりなかったのだから、笑いが抑えられなかった」
「ルシュカ、生き生きしてるねー」
「主の居城を荒らされたのがかなりムカついてたのであろう」
「直したのはルシュカじゃなくて部下だったと思うけど」
「とにかく! 我々の仕掛けた監視の目は無能の始末という馬鹿げた理由で中途半端に終わった。が、最後に奇妙なものを見ている」
ルシュカが亜空間から自信満々に取り出したのは、子供の落書きのような絵だった。
大きな楕円の中に軟体生物のような線の軌跡があり、矢印を引いてハテナが書かれている。
よく分からない線の上に棒人間が何体も描いてあるが、表現したいことがさっぱり伝わらない。
しかし、ルシュカは自信満々である。
「これだ」
「……は? なんだこの絵は」
「なんだグラドラ、貴様芸術を理解できないのか?」
「げい……じゅつ……?」
カロンでさえ疑問に思っている。アルバートまで首を傾けている。
魔物といえども文化を形成してきたのだから、人間と違う美的感覚がある可能性を考えたカロンだったが、顎に手を当てて理解に苦しんでいるアルバートを見る限り、どうやらカロンだけが分からないわけではないらしい。
「……個性的ですな」
必死に絞り出したアルバートのフォローで、皆それ以上触れるのはやめておくことにした。
「で、それがなんなのか教えてもらわんと話が進まぬのであるが」
「うむ。この中に入っていた物体だが……よく分からなかった」
「じゃ、無視しときましょう! そろそろ私のラブリーな脳みそに入りきらなくなってきましたし!」
「それも考えたのだが、どうにも気になる。あれは魔物を培養しているように見えたが、私の目には魔物だと判別できなかったのだ」
もどかしげなルシュカに、アルバートは意図を汲み取る。
「我々は互いが人か魔物かの区別ぐらい簡単につきますが……ルシュカ嬢がそんな曖昧な答えをするとなると、本当に奇妙なものなんでしょうな。仮に我々の知らない魔物だったとして、人間至上主義のアーレンハイトが行なっているというのは随分と道理のない連中でありましょう」
「ようするに、行き当りばったりってことだろ? いつものやつじゃねえか。攻め込みながら、片っ端から調べてきゃいい」
「だねー。結界壊せたらもっと情報は集まるだろうしー」
「……うむ。いや、それでも気に留めておいてくれ」
楽観的にも見えるが、事実としてエステルドバロニアはそうしてきた。
元はゲームだ。
新しいイベントが起これば、手探りで進めていくしかない。その過程で敵の弱点や進行経路を調べ上げて、その時々で最善手を選んできた。
殆どプレイヤーのいなくなったゲームを進めるには、そんなことばかりするしかなかった。
だから、今回もそうなだけだ。
「私からは以上です。カロン様」
「ああ。相手は念入りに魔術防壁を国土一帯に敷いている。私からは観測することができない以上、皆の目が頼りとなる」
カロンが立ち上がれば、空気が張り詰めた。
「我らの戦だ。遠慮のない奮闘に期待する。今、この時間より、全攻撃部隊はアーレンハイト侵攻を開始せよ!」
明朗な宣言に、団長たちは短くも力強い返答で呼応した。
拳を打ち鳴らしたり、胸襟を正したりと、それぞれが気合と覚悟を高めながら玉座の間を退出していく。
残されたカロンとルシュカ、ハルドロギアが執務室へ戻ろうとする中、大きな扉の前で立ち止まったエレミヤがカロンに振り返った。
「王様!」
どことなく弱さのある声にカロンも立ち止まる。
どうした、と問うよりも早く、エレミヤはカロンの下まで駆け寄ると、恥ずかしげに、不安げに手を差し出してきた。
カロンはよく分からぬまま彼女の手を取る。
常の活躍とは不釣り合いなほど、細い女の手だった。
「どうした?」
「……なんか分からないけど、心配なの」
「ふむ。確かに此度は事前調査が満足にできなかったが、結界を越えていけば少しずつだが最適な――」
「ううん、違うの」
確かめるように這っていた指に、軽く力が込められる。
「王様が心配なの」
「私が? 前線に出ることはないぞ?」
「うん。これまでと違って危ないから、それは安心なんだけど……なんだか、王様にとってすごく辛いことになるんじゃないかって……勘だから、なんでって聞かれたら答えらんないけど……」
こんな曖昧で不明瞭な話をカロンに伝えるべきかどうか悩んでいたエレミヤだったが、どうしても言わなくてはいけない気がしていた。
カロンは、静かに頷くだけで何も答えない。
ただ、それだけでもエレミヤには十分だったらしく、いつもの陽気な笑顔をみせると「行ってきます!」と元気に走り去っていった。
「……心配、か」
安全なところで高みの見物をする男に心配するなんて、エレミヤもおかしなことを言う。
何もかもいつもどおりのことではないか。
敵を殺すのに心配などあるはずがない。
ないのだ。
◆
ルサリア大陸の東に位置するアーレンハイト聖王国は、レスティア大陸からやってくるという魔王の軍勢に備えるため、北のロイス海岸線に大規模なバリケードを構築していた。
土塁に魔術強化を施した壁は、十数キロメートルの距離に渡って海と陸を分断している。
三ヶ月の期間で作ったにしてはお粗末に思われるだろうが、いつどこから上陸してくるか分からない敵への備えとしてはこれが限界だった。
それでも要所要所には簡易的な砦を建造しており、そこに詰める兵士たちは日夜海の彼方を交代で監視している。
「つか、俺まだよく分かってないんですけど……」
砦の上で夜の闇を見つめていた銀色の鎧を着た兵士が、同じように海を見ていた上官に軽く尋ねる。
「今、俺たちってどういう状態なんですか?」
強い風に流される雲が月を隠せば、海上から光の道は消えて闇だけが潮騒を鳴らす。
暗視の魔術も使えない彼らでは異常を発見するなどほぼ不可能だが、肝心の魔術師は彼らの後のシフトなので、二人はお飾りのようなものである。
だから、多少の雑談も問題はない。
「魔王が北から攻めてくるから、国を守るためにこうして守りについているんだろ」
「ですよね……じゃあ、カランドラは?」
「だから、それも魔王の手によるものだと説明をうけているだろうが」
「なら、攻めてくるなら西からじゃないんです?」
「そっちは破砕の聖騎士軍が担当している」
「ですよね……」
「お前は何が聞きたいんだ」
苛立った上官に、兵士は少し慌てながら補足する。
「いやその、本当に攻めてくるのかなと思ってですね。なんか、あのカランドラが滅んだってだけでもまだ信じられないのに、急に魔王とか言われてもピンとこないっていうか……」
「気持ちは分かるが、聖女様が仰ったことだ。間違うはずがない」
「ですよね……」
まだ釈然としていない兵士だが、上官はそれも仕方ないと諦めていた。
何もかもが突然だったのだ。
三ヶ月前に魔王が復活して攻めてくることを知り、一週間前にカランドラが滅ぼされたと知った。
アーレンハイトはどこもかしこも大騒ぎで、首都エッツァは避難民で溢れ返る事態に陥っている。
聖騎士軍は全てが戦争に向けて行動しており、この拠点にいる者たちは皆ひと月以上待機を続けている。
嘘か真かをその目で確かめることができないのだから、下の者は上の言葉に従うしかないものだ。
ただ、全てが事実だと知るときは戦争が起こったときになる。
備えあればなんとやら。もし杞憂で終わるとしても、この役目は無駄に終わることはないだろう。
「確かに、カランドラが滅んだのであればそこから攻められる可能性はあるだろう」
「ですよね」
「だがな。あの国はアーレンハイトとヴァーミリアに挟まれているんだ。わざわざ二国を相手にしようとはするまい」
「でも魔物なんでしょ? そんなに賢くなさそうですけど」
「そう言って、かつての人魔大戦は勇者が現れるまで人類が敗北し続けたことを忘れたか?」
「いや、そんなわけじゃ」
「ほら」
上官は胸元を漁って、布に包んだものを兵士に差し出した。
開くと、そこには赤いパンのようなものがあった。
「ネルでも食べて少し落ち着け」
「ありがとうございます。でもこれ、あんまり美味しくないんですよね……」
「文句があるならやらんぞ?」
「いや、食べますよぉ」
兵士は受け取って口に運ぶ。
咀嚼してはいるが、あまり表情に喜びはなく、ただ空腹だけが満たされる程度の安らぎしか得られていないようだった。
「最近ずっとこればっかですよね。前はそうでもなかったのに」
「避難民に回しているんだろう」
「少しはこっちにも美味しいものほしいけど……」
「静かにな」
グチグチと文句を続けていた兵士だったが、突然上官が険しい顔になって海を睨むのを見てゴクリと喉を鳴らした。
「な、なんです?」
「あれを見ろ。何か分かるか?」
指差す方向に目を向けると、僅かな雲の切れ間から差し込む月明かりに照らされた海が見える。
海に、今まで見なかった無数の刺が生えていた。
「敵襲なのか……? いや、考えている場合じゃないな。警鐘鳴らせ!」
上官が指示を出すよりも早く、他の物見たちが激しく釣り鐘を叩いた。
けたたましい音が夜に響き渡り、非番だった兵士たちが大急ぎで海岸線へと陣を敷いていく。
怒号のような号令で統率を取り終えれば、再び夜は潮騒の音だけに戻った。
厳戒態勢ではあるが、果たして本当に魔物が攻めてきたのか誰も判断できていない。
初めての異変に過剰な反応を示した可能性も否めず、海に漂う大量の刺の正体を魔術師が調べるまでは動けなかった。
それが仇となった。
魔物との戦争経験の無さは致命的だった。
水飛沫をあげて海から空に向かって長い物体が飛び出した。
それは暗い空いっぱいに広がり、放物線を描いて海岸線へと落ちてくる。
消えかけた月が最後に照らしたのは、飛来するものの先端に括りつけられた鋭いかえしの付いた刃だった。
「敵襲ーーー!!!」
叫んだ時には、防御に間に合わなかった兵士たちに銛が突き刺さっていた。
絶叫とともに海めがけて神聖魔術が銀光を伴って迸っていく。
まだ海に浮かぶ刺を狙った攻撃が着弾して水柱がたつが、銛は絶えず海から飛び出しては陸に向かって降り注いだ。
盾を構えたり、結界を張って防御に専念していた兵士だけが浜辺に残ったところで、今度は海の刺が銛のように空へと飛び出す。
それは、人の形をした魚だった。
ヒレや水かきのついた手足に粘液で光る青緑の肌。
そして頭部は完全に魚の魔物たちは、半魚人と呼ばれるに属する魔物である。
「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
この世の終わりのような悲鳴を上げていた人間に、【ピラニアヘッド】が大きな口で頭に噛み付いた。
ずらりと並んだ牙が食い込んで、激痛に暴れる人間をそのままに、ピラニアヘッドは立ち上がって生きている人間を探して歩き出す。
別の場所では、【インスマスヴァゴール】が変体魔術で人間をミミズの塊に変えており、また別の場所では 【シーモンク・ヤークト】が錫杖で重装備の兵士を殴り飛ばしていた。
一方的で勝負にならない。
たとえ彼らが地方からの寄せ集めで、騎士号を授けられていない強さだとしても、善戦の欠片一つもないのはあまりにも差がありすぎた。
「っ、げぇ……ぐ……」
十分と経たず、アーレンハイトの海は大量の半魚人によって制圧されていく。
その光景を、腹に銛が刺さった上官は見ていることしかできない。
蹲る彼の前にどさりと、目の前に頭のない兵士の死体が転がった。
顔を上げると、青緑の半魚人が大きな目で上官を見つめ、
「ちょりーっす! おいらの銛返してもらいたい的な? まっ、ダメとかない系なんだけどー」
不思議な言葉を吐きながら乱暴に銛を引き抜いた。
「ぎっ……!」
内臓を掻きだされる痛みに叫ぼうとしたが、代わりに出たのは大量の血と、微かな息だけ。
「はい、あざまるーっ! そんじゃあかあいそーだからパパパヤッと死んじゃってもらう感じでよろしこ!」
パクパクと口を開ける姿を気にせず、ピラニアヘッドに返しのついた刃が頭に突き刺さる寸前、
「お兄さん、魚のマネちょー上手くね?」
そう言われた気がした。
沿岸部には、潮騒が戻っていた。
建物が燃やされることはなく、土塁もそのままに、ただそこら中に死体が転がっていて、半魚人に占拠されていること以外はそのままの光景だった。
部隊の展開を終えた半魚人たちは、決められた位置から動かずに砦から陸を睨んで警戒を行なっている。
兵士たちがしていたことと対極の配置になっているのは皮肉めいていた。
凄絶な静寂が続く沿岸部に人間の増援が来る様子はなく、松明の消えた闇の中で魚眼だけが無数に光っている。
「人間の反応ないぽ」
「あいさー。レヴィアたんに連絡。秒でよろ」
「りょ」
イケイケなワードがこそこそと飛び交うが、彼らは雌雄不明の魚頭である。
鯛や鰹、ブリにヒラメ、鮭とマグロにとエイと鰊。
ランクは低いが、水辺における戦闘力は格上にも対等に渡り合える特性を持つ代わり、とにかく雷属性に弱いという致命的な弱点のある魔物だ。
魔物であれば神聖は効果があるが、その万能さに頼ってしまったが故の、魔物の種族を想定しなかったが故の聖王国の敗北だった。
敵の増援がないことを確認して、半魚人たちは新たな前線拠点とするために作業を開始する。
指示を受けて続々と海から現れる水生の魔物たちが大量の資材を背負って上陸し、手際良く工事が行われていく。
「第十六団は来ない感じ?」
「めっちゃ来るらしい。ちょーやばたにえんよ」
「あげぽよなんですけどー」
「あ。副団長来たんじゃね?」
「草」
犬の頭を持つ魚や尾鰭で歩くイルカ、三ツ首のワニや鱗に覆われたイカがピストン輸送する脇から、大きな波を起こしながら陸へと上がってきたのは、大きな鮫の魚人だった。
海賊のような格好をして錨を担ぐ巨漢の鮫は、水に濡れても消えないパイプをぶかぶかと吹かして気持ちよさそうに煙を吐き出した。
散々紗々羅の海バージョンというのが適切だろうか。どっしりとした太い胴に丸太のような手足で、背丈もあの狸とほとんど同じである。
実際に交友があることは置いておくとして、そのランク8の鮫人、【メガロティーチ】のエドワードは、いかにも悪党のように雲間の月光を浴びて不敵に笑った。
「仕事が早えじゃねえか野郎どもぉ。ひっさしぶりの仕事で浮かれやがってよぉ」
「ちょりーっす副団長! テンション爆上げでチョッパヤっすよ!」
「マジ卍」
「うぅーい! おらい、おらい!」
「殺すぞ」
しかし、肝心の部下がこの調子では決まるものも決まらない。
月光の陰りにあわせて背中を丸めた鮫は、気を取り直して錨を掲げる。
「灯りを点けなぁ! オレたちエステルドバロニア海洋守護の第八団がお出ましだってなぁ!」
「うぇーい!! イルミってけイルミってけぇ!!」
エドワードの合図を受けて、海岸線のあらゆる場所でフェルライトが灯されていく。
炎とは違う人工の光に照らされた浜辺を眺めていたエドワードは、足元の死体を太い尾鰭で持ち上げると腑に落ちないといった様子で鼻の先に皺を作った。
「海跨いだ戦争だってのに、なぁんでこんな雑魚を配置してんだ? こいつら何処と戦争してるつもりなんだよ」
「それな。勇者もいないとか、なしよりのなしって感じー」
「あの大陸でやったオレたちの戦いは知ってると思うんだけどなぁ。それでこんなお粗末なのは、理由がねえと納得いかねえぞ」
誰がどう考えたって、最重要拠点の第一候補は敵の侵攻を未然に防ぎうる場所になる。
攻撃手段の乏しさから最終的に破棄するとしても、文字通り水際で押さえながら対策を講じなければならないのではないだろうか。
自国の領土に入られても問題ないという自信があるからこその配置なのか。それなら監視だけ用意して無駄な死者を出さない方法もあると思う。
エドワードが考えたところで分かるものではないが、早々に不気味で仕方ない。
「あれ? つーか、うちの団長はどったの?」
アンコウ頭に尋ねられて、エドワードは思考を切り替えた。
「ああ、引きこもってやがる。陽キャに混ざりたくねえってな。今頃参加しなかったこと後悔して布団で丸くなってんだろ」
「えー、さげぽよー。でもそんなとこが好きピ」
「俺も本当は嫌だけどな」
「草通り越して藻」
どうしてかは不明だが、この第八団には“陽気”や“楽観”といった明るい性格の魔物が多く、団長である【スキュラ】の“陰気”ととにかく相性が悪い。
慕われているのだから悪いと一概には言い切れないが、とにかく団長は彼らのコミュ力に付いていけないからと逃げているのだ。
そのせいでエドワードが毎度毎度奔走しているのである。
ただ、この役割は嫌いじゃないので、なんてことはないのだが。
「うーし、総員警戒は怠るんじゃねえぞ! 何が来ても本隊が到着するまではこの海岸線を意地でも守れぇ!」
指示を飛ばせば、「ういー」や「おけまる!」などと力強い軽口の返事が上がる。
「……ルシュカ様来るんだよなぁ。この調子だと全員しばき倒されんじゃねえか……?」
他軍と交流が殆どない第八団特有のノリは、陸のカタブツに受け入れられるか心配だ。
「ま、その辺は活躍で認めさせてやんよ。なにせ――」
足元から伝わる震動に、エドワードはノコギリのような歯を晒して不敵な笑みを海に向けた。
「船も魔術も必要ねえ。陸二つを地続きにできんのは、オレたちだけだからなぁ!」
揺れは激しくなっていき、その震源地である海は爆発でもするように大きく盛り上がっていく。
荒々しい高波を生みながら海底から浮上してきたのは、巨大という言葉では表現しきれないほど巨大な海竜の背だった。
どれだけの魔物が渡ろうと、たとえ守善が真の姿で乗っても微動だにしない。
ランク10の海獣種。
エステルドバロニアの手で育てられ、世界蛇すら飲み込めるまでに成長した規格外の海竜【レヴィアタン】を従えられるのは、王を除けばこの第八団しかいないのだから。
「なんだっていいさ。見とけや人間ども。てめえらの叡智でも及ばねえ化け物の戦ってもんをお見舞いしてやるぜ」
エステルドバロニアとアーレンハイトの戦争は、ようやく多大なる死をもって幕を開けた。