11 格差
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オルトー・エスタ率いる聖旗軍工作部隊の分隊が、魔法陣によって辿り着いたのは、奇妙な空間だった。
彼らは最初、城ではない別のどこかに飛ばされたと考えたが、解析した魔法陣の座標から同じ城の内部であることは間違いない。
だが、それでもまだ疑念が拭えなかった。
「なんだこれは……。こんなものが城の中にあるだと? 冗談だろ」
その空間は、まるで鬱蒼と生い茂る密林に隠された迷宮のようだった。
蔓の這う石積みの壁で複雑に道を遮られたこの空間は、光源が見つからないのに昼のように明るい
鳥の囀りや虫の羽音がしたなら、北西のリオン大陸にあるとされる森林大迷宮を想像させるほどに、この空間はあまりにも広く、広く、広く、広い。
どれだけ歩いてもゴールの見えない迷路の中を、オルトーは脳内で記録しながら計算するが、少し見ただけの城の内部より五倍はある。
空間を拡張しているのか、それとも転移の最中に縮尺を小さくされたか。
どちらにせよ、こんな場所で右往左往しているのは時間の無駄でしかなく、その苛立ちは付き従う者たちにも伝播しているが、今の彼らにできることなど殆どなかった。
「せめてもの救いは魔術が使えることか」
「オルトー様、探索が終わったようです」
「……そうか。天使に被害は?」
「ありませんでした。トラップなども確認できなかったようで、見つけたのはどうやら別の転移魔紋のようです」
オルトーたちの手にも“神の雫”は握られており、機械天使は召喚者に代わってこの迷宮を隅々まで調べ回っていた。
安全を確保するにはピッタリな役回りで、いざとなれば神聖で魔を断つ刃にもなる便利な神からの贈り物。
しかし、そんな上等な玩具を持ちながら存分に振るう場面が訪れないため、臆病な魔物だと罵りながらも苛立ちを募らせていた。
「いかが致しますか? 戻るという選択肢も」
「馬鹿者が。それは進むことを恐れた軟弱者のすることだ。我々は不退転である。だからここにいる。違うか?」
部下は、オルトーの言葉にはっと目を見開き、まだ臆病風に吹かれていたことを恥じて深く頭を下げた。
周りで聞いていた者たちも、この危機を感じられない状況に緩んでいた気持ちを引き締める。
オルトーは自分の天使が帰ってきたと同時に、先陣を切って迷宮の奥深くへと歩いて行く。
凛々しく作った表情には気高い信仰心が浮かんでいる。
だが、胸の奥には強い功名心が渦巻いていた。
聖旗軍は聖王国の軍ではあるが、望めば誰もが就ける。
勇者候補で構成された竜冠軍や、聖女直轄の聖剣部隊とは扱いに雲泥の差がある。
隊長のイルムは工作部隊程度で満足しているようだが、オルトーは違う。
(ここで誰よりも成果を上げて帰還すれば、中隊長や大隊長……いや、聖剣部隊に抜擢されることだって……)
無尽蔵に魔力を生み出す神の雫と、かつて魔物の群れを一体で浄化したと言われるク・ダン・クル・ガラーダがあれば、それも夢じゃない。
これは選抜だ。
この艱難を越えた者には栄光が約束されている。されているとオルトーは信じている。
だから平民から成り上がろうと野心を燃やすこの男は、この作戦に参加したのだ。
(せいぜい、俺の役に立てよカスども。俺が聖女様の寵愛を手にするんだ)
病で死んだ父も、盗人に殺された母も、「お前は幸せになる」と言っていた。
だから、そうなると信じてきたオルトーは信じて疑わない。
転移した先の景色が同じような迷宮で、同じように調べて、同じように進んで、同じような迷宮が延々と続いても。
もう二十回は転移しただろうか。
迷宮のルートだけが変わるばかりで、他に視覚的変化はなく、登っているのか下っているのかも定かじゃない。
魔力は手にした神の雫のおかげで消耗しないが、体力は歩くほどに自然と削られていく。
もう時間の感覚もなくなっていて、色々なことが疑わしくなっていった。
会話もなくなり、天使の歌声だけが聞こえる。
これでは道に迷ったのと同じだ。
時間だけを消費して、心身ともに疲弊して、何一つ成果を上げられず終わる可能性があった。
皆オルトーの顔色を窺って何も言わないが、不満と不審は募るばかり。
何より、それを角ばった顔にありありと浮かべているのが、他でもないオルトーであった。
(なんなのだこれはぁ……!)
当然だ。
侵入者を放置しているのもさることながら、この訳がわからない構造の城を作っているのも常軌を逸しているのだから。
城とは国の中枢である。
ここまで侵攻されぬように周囲を整え、最終ラインを超えられた時に備えて構えるべきものだというのに、これではわざと誘い込むことを想定しているようではないか。
(くそっ! いつまで続くんだ……!)
更に二十階は進んだだろうか。
オルトーたちは知る由もないが、この城の上層は最上階まで全て迷宮になっており、キメラたちが屋内戦最強の防衛兵器として王を守る本当の最終ラインだ。
地形を変え、地形ごと喰らい、地形ごと塞ぐ。
そうして侵入者を蹂躙するのだが、今回はその機能を停止している。
理由は、オルトーたちが最後の転移魔紋を通過した先にあった。
気の緩んだ彼らは、この転移魔法の行き先が本来の宝物庫とは別の場所に設定されていたことに気付かない。
魔力の揺らぎが晴れた先の景色は――星海だった。
「……」
絶句するほど鮮やかな星々の煌めきが、黒き群青の彼方を雄弁に彩っている。
突然空の彼方の果てに飛んでしまったような、星の渦に放り込まれてしまったような、あまりに幻想的で現実感のない世界の光景に誰もが言葉を失った。
エステルドバロニアの天上に浮かぶ巨大な白い連環――の形をした隠蔽装置によって秘匿された欺瞞の宇宙は、俗世に決して馴染めない者たちを隔離するための空間。
そして、そこに満ちる吐き気を催すほどの神聖が、機械仕掛けの天使に異常をきたしていた。
「……〜♪ 〜♪ ……〜……♪」
突然、何かを振り払うように大斧を振り回して、ク・ダン・クル・ガラーダは陶器の顔の裏で歯車の軋む音を鳴らしながら飛び回りだした。
それが引き金となってオルトーたちは正気を取り戻す。
いや、ただ思考することを思い出せただけで、正常な判断ができるようになったわけではなかった。
「天使を止めろ!」
「くそっ! なんで命令を聞かないんだ!」
「ええい、黙らせてくれ!」
神の雫を通して命令しても、ク・ダン・クル・ガラーダは見えない何かと戦い続ける。
天使にとっても、この暴力的な神聖は認められない力だ。
これほど濃密な聖なる魔力はアーレンハイトでも感じることはない。神の使いである天使ですら、男神ザハナをこれほど近く感じたことはない。
「ふざけるなよ……ふざけるなよ! 魔物が……なんで魔物の国に、こんな……っ!」
動揺を隠せないオルトーの疑問に、粛々と穏やかな声が答えた。
「神も仏も、邪神も悪魔も、あの御方にとっては等しいのですよ、人の子」
声を聞いて、オルトーたちは魔術も構えず周囲を見回す。
戦う思考すらも鈍った彼らの前にゆっくりと降り立つのは、猛る焔を纏った白い魔物であった。
一対は目を覆い、一対は背ではためき、一対は足を隠す燃える翼を持つ、純白の法衣を着た美しい女は、只人の目を焼くほどの眩さを抑え、常人の魂を焦がすほどの尊さを潜めて現れた。
「偉大なる創造主様は、とても良いサンプルを運んでくださいました。これがあればそれなりのデータは確保できそうです。これで煩わしい干渉を我慢する必要もなくなります。創造主様のご希望に沿った防御プログラムを急いで構築しないと」
「あ……ああ……」
独り言を始めたその魔物を見ながら、オルトーたちは感情まで掻き乱されて滂沱の涙を流した。
抑えていても、潜めていても、その女から滲む存在感は、信仰心が強ければ強いほど感動を与える。
嫌でも感動させられてしまう。どう足掻いても涙してしまう。認めたくなくても、強引に理解させられる。
何度この女を魔物だと思い込もうとしても、聖なる魔力が上書きしてくる。
これは、遥かに崇高な神の眷属であると。
「創造主様は実に素晴らしい思考をなさいます。神々が心酔するのも無理からぬこと。いいえ、天魔波旬を従えるのが最も似合われます。なんと恐ろしい。なんと美しい。ああ、我らの祈りではあの御方の慰撫にすらならないのでしょうか」
あれほど素晴らしいと思っていたク・ダン・クル・ガラーダが見窄らしい紛い物に見えてしまうことに、オルトーは愕然としていた。
同時に、自分の輝かしい未来が暗黒に収束していくのも感じていた。
神聖は更に強まる。
いや、神聖の数が増えていく。
神話に語られる天界の様を彷彿とさせる、空から舞い降りる翼を持つ者たちは、一から十に、十から百に。
それだけではなく、脳が壊されそうになる存在感を放つ巨大なナニカも舞い降りてきた。
戦うなどと思い上がった考えは、オルトーたちからとっくに消えていた。
美しい天使の無邪気な笑い声と共に聞こえる、四肢を引き千切り、中身を抉り出される音と、機械の悲鳴も届かない。
「祈りましょう。偉大なる創造主様のお役に立てる喜びを」
「祈りたもう」
「祈りたもう」
「祈りたもう」
祈れ。祈れ。祈れ。祈れ。
祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ。
清廉潔白な邪悪が、砂粒の命に降りかかる。
天使と悪魔は表裏一体ではない。聖神も邪神も対極ではない。
広義では同一なのだ。
善意の強制も、悪意の贈答も、大きな差などなく、彼らはエステルドバロニアにおいて、ただの魔物でしかなかった。
オルトーがどれだけ崇めていた存在だとしても、どれだけ世界の創世に権能を振るっていたとしても、この者らは魔物でしかないのである。
「ようこそ、招かれし材料諸君。貴方たちはこの天空連環で、偉大なる創造主様の為に矮小な火を灯し続ける栄誉を与えられました。終わらない絶望を燃料にして、絶え間ない苦痛に負けない強い心を携えて、異星の神の所在地を探る装置となり、創造主様に永劫尽くしてくださいませ」
セラフィムは天使の笑顔を、オルトーたちに向ける。
妖しく美しいその顔を見ながら、オルトーは自分の体が翼の生えた幼児の【キューピッド】たちが手に持つハート型の矢尻で解体されていくのを焼き焦がすような激痛とともに感じていた。
脳の機能が急速に衰えていき、脳と眼球になった彼はいつまでもセラフィムの幻を見つめ続ける。
彼らは、死ぬことを許されぬままに死ぬほどの痛みをいつまでも感じながら、呪いのように願う。
――我らの神は、魔物より神聖な存在であってほしいと。
脳の機能が急速に低下していき、残された脳と眼球、それと背骨だけになった人間の残骸を持つキューピッドに、セラフィムは満足げに頷く。
信仰は力である。
それは人間が神に捧げることで、神から気まぐれな返礼を得るためにも必須だ。
銀の筒に納められた脳は、これで異星の神を思うだけとなり、信仰を利用して逆探知する絶好の装置となった。
「ああ、いけません。なんと恐ろしい。なんと素晴らしい。いと高きところにおわす創造主様らしい。これで異星の神は永久の煩わしさに頭を抱えることでしょう。そのまま雪崩れ込むのも面白そうですが……いえいえ、創造主様のお考えですもの。私如きが口出しすべきではありませんね。しかし、【ミ=ゴ】とやらの技術は醜悪ですが便利ですね。【ガタノソア】を彼から借りるほうが楽ですが……それも、私如きが口にすべきではありませんか」
翼で覆われた顔は、上ずった声とは対照的な無表情だ。
「つまらないのは嫌いな御方ですもの。何事も辛き道を選び、均衡を崩すことを喜ばれる御方ですもの」
故に、世界の終焉はカロンの命とともに訪れるだろう。
神など魔物と変わらない。
所詮は光から生じた影でしかないのだから、光を失えば影も消える。
光なき世界に残るのは闇だけだ。
影が闇になるのではない。影が闇を生むのだ。
照らされない世界に見るべきものはなく、ただ盲目の中を彷徨うくらいなら、いっそ何も見なければいい。
それが、世界の終わりなのだろう。
セラフィムは両の手を組んで、無窮を漂う天使らしく、浮世離れした意思を口ずさむ。
「祈りましょう。私たちの光が失われぬことを。光が失われた世界に、安寧の闇が齎されんことを」
その光は、誰にとっての何を指すのか。
オルトーたちにとって、それは男神だったのではないか。
天空連環の住人には知ったことではないが、もしそうであったなら、きっと彼らの末路は、決して消えぬ光を思い続ける慘痛なことだろう。
◆
イルム・ロベッタは、アーレンハイトの聖旗軍工作部隊の隊長を務めている。
彼ら工作部隊の役割は多岐に渡るが、要人の暗殺に駆り出されるのは大戦後は初であった。
ヴァーミリアとカランドラは今尚敵対が続いているが、お互い牽制程度の小競り合いを繰り返すばかりで長い時を重ねてきた。
その歴史が今再び己が手によって動いている実感は、イルムの信仰心を強く沸き立たせるに十分なものだ。
イルムたちの足に、他の隊のような迷いはない。
成すべきを成すだけなのだから、思い悩むことはない。
何が来ようと、ただ殺せばいい。
清潔な白い廊下に並ぶ美しい調度品に目もくれず、イルムたちは標的を探してただ歩く。
そこに、脇道からふらりと姿を現した者を見て足を止めた。
「あら、これは当たりでしょうか? それともハズレ? 私としては“花冠”が来てくれた方が良かったのですが……仕方ありませんね」
ヒールで白い床を鳴らしながら、真紅と漆黒のドレスに身を包んだ、少女とも淑女ともとれない均衡の容姿とスタイルの女。
青紫のサイドテールを手で払って、真っ白な世界に落とされた血のような紅が孤月に歪んだ。
「……スコラ……アイアン、ベイル……」
名を呼ばれて、スコラは頬を押さえてはにかんだ。
「御機嫌よう、アーレンハイト聖旗軍の方々。身なりから推察するに、工作部隊でしょうか? あらあら、そう警戒なさらなくても。ふふ、ふふふふ」
上品な仕草に美しい振る舞い。
どこを切り取っても完成された何かを感じてしまうほどに、スコラはあの皇帝の血を感じさせる。
イルムは手に神の雫を握り、部下たちの壁の後ろで天使を追加で呼び出す。
スコラの前で浮かぶ天使は十二体となったが、彼女は変わらず優雅に体を揺らすだけだった。
「それが、切り札……いえ、エレナ猊下の賜り物……払い下げ品ですか。聖典にも記された機械仕掛けの天使ク・ダン・クル・ガラーダ。なるほど、神の使いも話に聞いたほどではないようです」
「なぜ、此処にいる」
スコラがこの城に滞在しているという情報をイルムは掴んでいたため、そこに驚きはない。
問題は、この場に現れた理由だ。
イルムは彼女が皇帝から何かしらの命令を受けてエステルドバロニアに滞在していると考えていた。
魔物に辛酸を舐めさせられているニュエルの皇帝がエステルドバロニアと友好関係を築くわけがない。
だからスコラはこちら側だと思っていたのに、優雅に立ち塞がる姿は明らかな敵対行動だ。
「答えろ! スコラ・アイアンベイル! なぜ貴様が我らの邪魔をする!」
焦りと怒りから発せられたイルムの怒鳴り声で、ようやくスコラは動きを止めた。
「聞いて、どうします?」
噴き上がる殺気が風のように迫り、イルムたちの背筋をじっとりと汗で滲ませた。
逃げる選択肢はなく、逃がす選択肢もないが、帝国最強と謳われる対魔物の殺戮兵器が相手となれば色々と話が変わる。
コツ、とヒールが鳴ると同時に、スコラの足元に黒紫の魔法陣が広がった。
世界を救う人類の希望には相応しくない獰猛な色の魔力。
その魔法陣から浮かんできたのは、歪な剣だった。
黒いパイプが鍔から柄にかけて複雑に配線された剣の刀身は赤く脈動している。
まるで生き物のような機械の集合体は、帝国の技術の粋を尽くして完成させたスコラ・アイアンベイルの為の剣。
【八式魔導断絶機】。
剣にあるまじき仰々しい名称が付けられたそれを翳しながら、“天稟”の勇者は笑った。
「死出の餞でよろしいなら、お答えいたしますわ」
「っ! 天使よ!」
三体のク・ダン・クル・ガラーダがスコラに殺到する。
種族依存スキル《男神の祝福Ⅶ》
種族依存スキル《神の尖兵》
個体保有スキル《神聖駆動》
スタンススキル《ホーリーストレングス》
スタンススキル《ディバインガード》
基礎能力上昇二つ、移動速度上昇、攻撃力上昇、防御力上昇と重ねて発動したスキルが、ク・ダン・クル・ガラーダをさらに強固なものにする。
陶器のような胴の隙間から覗く機構部が白煙を上げて激しく回転し、掲げられた錫杖のような大斧をスコラへと振り下ろす。
もし直撃すれば叩き斬られるだけでは済まず、四肢が吹き飛ぶだろう。少なくともイルムたちはそうなる。
首、胸、腰を狙った三体の連携攻撃。
常人では認識するよりも早く肉片に変えられるそれを、スコラは高速のバックステップで軽々と躱した。
そこから一体目の追撃を避けて、二体目の追撃を受け流すように払い、三体目の追撃は両手で握った剣で受け止めてみせた。
武器が交差した瞬間、あまりの威力に衝撃波が発生する。
その光景に、イルムは歯を鳴らした。
帝国最強を甘く見積もっていたつもりはなかったし、機械天使を過信していたつもりもなかった。
だが、人造の勇者が神造の天使に届くとは思いもよらなかった。
どれだけの罪を経て生み出されたのか、想像するだけで反吐が出そうだった。
ギシギシと鍔迫り合うスコラと天使だったが、突然スコラの持つ不気味な剣が唸りを上げた。
轟々と何かを吸い込むような音を立てたと思えば、何かを射出するような弾ける音が響く。
地面に甲高い音を鳴らして転がったのは、黒銀の筒だった。
それはまるで薬莢のようだ。
「あら、もう満タンになりましたか。さすが、ク・ダン・クル・ガラーダですね」
スコラは一歩前に踏み出しながら、その細腕からは想像もつかない怪力で天使を押し飛ばし、地面に転がった筒を拾い上げてドレスのベルトに吊り下げた。
新しい筒を空間から取り出し、剣の柄に当たる部分に差す。
剣は補充されたことを喜ぶように強く輝くと、再び明滅を繰り返し始めた。
(帝国お得意のからくり玩具か)
どのような効果があるのかは不明だが、それを警戒して攻めを緩めるという判断はない。
イルムが目で合図を出すと、部下たちも雫に念を送って命令を下して参戦させた。
一対十二の構図。
単純明快な暴力を前にスコラは危うげなく回避を繰り返す。
時折、黒銀の筒が派手な音を立てて剣から外れて、それを拾っては新しい筒を取り付けていた。
広い廊下を活用して上下左右から襲う天使だが、なかなかスコラを捕まえることができずにいる。
イルムたちが魔術で加勢するのも手ではあるが、精密な操作ではなく意思を伝えてセミオートで戦う八体の天使の合間を縫ってスコラを狙うのは難しい。
勇者と比べれば、彼らは強力な召喚アイテムを手にしただけの人間でしかないのだ。
「スコラ・アイアンベイル! 貴様にとって魔物は敵であろう! ガルナ皇帝の命令か!?」
「兄上は関係ありません。これは私の意思ですから」
「世迷い言を! それが人を守護すべき勇者の選択か!」
「神の傀儡として生きるより遥かに幸せな選択ですわ」
「愚かなことだ。ゲルハ様の寵愛を受けながら不義をはたらくなど!」
「神が人間なんかを大切にしているわけありませんわ。無知とは罪ですわね」
「っ……殺せぇ!」
スコラの目的も聞けず、ただ逆上するイルムは自分の魔力を石に注ぎ込んだ。
無尽蔵に魔力を燃やす炉に油を注ぐように、異物を取り込んだ神の雫は輝きを増し、ク・ダン・クル・ガラーダの能力を強引に引き上げる。
個体保有スキル《ギアドミネーション》
頭部に刺さった鉄と金で固められた天使の彫像が金色に輝き、更に激しく駆動音を鳴らしてスコラに襲いかかる。
移動速度も攻撃の威力も一段階以上強化されたことで、十二体の天使は激流のように苛烈な攻撃を繰り返す。
もう工作部隊の兵の目では追いかけられない速さだが、そんな中で真紅のドレスはまだ舞い続けていた。
天使の大斧は彼女の服にも届いていない。
「では、そろそろ私も働きましょうか」
目の前に現れた一体を素手で殴り飛ばしたスコラがこれまでで一番の速さで距離を取ると、腰に提げていた筒を一つ歪な剣の柄にあるプラグに差してみせた。
スタンススキル《勇者Ⅸ》
スタンススキル《??の末裔》
スタンススキル《天稟Ⅹ》
スタンススキル《ニトロブラッド》
スタンススキル《エピゴーネンヘルトⅠ》
スタンススキル《星の要塞Ⅱ》
スタンススキル《ブレイドダンサーⅧ》
スタンススキル《故も知らぬ遺伝》
スタンススキル《グラットンソウルⅢ》
スタンススキル《イフリートストレングスⅨ》
スタンススキル《ウンディーネディフェンスⅧ》
スタンススキル《ヴォルトマジックストレングスⅤ》
スタンススキル《シルフマジックディフェンスⅦ》
スタンススキル《シェイドアジリティーⅣ》
ウェポンスキル・銃剣《アイソレーションエッジ》
炸裂音。
破砕音。
閃光。
硝煙。
引き金の内蔵された柄を握ったスコラが剣を振ると同時に、ばら撒かれた散弾のように黒い超新星が廊下に広がった。
切っ先を追うように放たれた幾つもの星は、その延長線上に存在する物体に接触して超高密度の魔力爆発を起こしたのだ。
不幸中の幸いか、スコラと隔てるように天使がいたおかげで、イルムたちには届かなかったが、強靭なミスリルの城を一部破壊する威力の攻撃は、七体の天使を葬っていた。
カロンであれば、何が起きたのかを詳細に把握できただろう。
ランク8レベル52の機械天使が、ステータスをレベル90相当にまで引き上げたレベル47の勇者が使った範囲スキルで死んだ、と。
もっと簡単に言ってしまうなら、レベルを無視してステータスでぶん殴られたのだ。
それが当たり前の世界を知っているし、ミラで一度経験しているカロンなら、忌々しく思えど驚きはしないだろう。
だが、イルムたちにとっては信じられない現象だった。
神より賜ったものが、人間とこれほどの力の差があるなど、誰が信じられるのか。
せいぜいが善戦だと思っていたのに、鎧袖一触の様相を呈するのは――
「確かに、所詮は魔物ですね。半信半疑でしたが、こうして戦ってみて……鍛え方が足りてないんですもの。陛下をお疑いしていたわけではありませんが、もっと普遍的な強さかと……これはゲルハの……いえ、貴方たちの怠慢ですか」
手を開閉して力を確かめながら、天使の中から漏れ出たオイルに濡れたスコラが独り言を呟く。
エステルドバロニアに来てから何度も相手にしてきた魔物たちのほうが遥かに満たされる感覚があったことを確かめるように。
「……は。はっは! この程度と思ったか?」
イルムは動揺を隠すように笑いながら、再び神の雫に魔力を流しこむ。
すると、今しがた殺された天使が復活するように、今度は七体のク・ダン・クル・ガラーダが何もない空間から浮かび上がるように姿を見せる。
復活ではなく、新しい個体を召喚したのだ。
この無尽蔵な魔力と神の力があれば、何度も天使を呼び出して使役できる。
だからこそ、この神の雫はアーレンハイトの至宝なのだ。
「……それ、本物ですか?」
興味関心を失いかけていたスコラに、再び戦いの熱が灯った。
「なんだと?」
「いえ。天使としては下級のものしか呼び出せないのは、本当に噂に聞く神の雫なのかな、と」
「少し手応えがあったくらいで調子に乗るなよ。男神ゲルハの力をとくと味わえ!」
いつの間にか、イルムと同じように部下が召喚した天使が周囲を浮遊しており、数は初戦を越える二十八体になっていた。
それでも、スコラは馬鹿馬鹿しそうに鼻で笑ってから、炎系の魔術《ヴァンフレイム》を自身に放った。
轟々と燃える炎はスコラを包み、付着していたオイルを全て焼き払う。
横に斬り払った炎の中から歩み出たスコラは、この場に現れた時と同じ美しい黒と赤のドレスに戻っていた。
「では、確かめてみましょう。これも愛する陛下のため。本物なら献上して、偽物なら……いりませんよね?」
黒銀の薬莢を剣の柄に装填して、スコラは蕩ける笑みで愛を謳う。
「見ていてください、愛しい陛下、愛しいお姫様。私の愛が真実であることを、ここで証明いたしますわ」
その声は、天使の歌う不協和音よりも不気味な響きを持っていた。
エステルドバロニア書籍第三巻、予約開始いたしました。