1 神都
レスティア大陸。
この世界において中核を為す大陸で、その位置も5つ存在する大陸の中央に陣取っている。
4つの大国と7つの小国で成り立っており、その中でも創世の神アーゼライを信仰する教徒が集う都は、国ではないと言い張っているが実質的に大国としての規模を誇っていた。
元はレスティア中央に構えるラドル公国の一部だったが、あまりにも信仰の発祥地であるその町に教徒が増え過ぎたせいで公国の管理が行き届かなくなり、結果的に独立した都として扱われることとなった。
それが、神都ディルアーゼル。レスティアの民の7割が信仰するアーゼル教の本拠地である。
ディルアーゼルは緑に覆われた街、と形容するのが正しいだろう。
白い土壁で作られた家々が小高い丘に建てられた神殿を囲むように下へ下へと広がり、螺旋を描くように美しい町並みを生み出している。
自然を大切にする心が息づいているからか、どこも植物を植えていたり蔦の這う壁をそのままにしていたりと、古き時代の遺産を思わせる。
暮らす人々は皆思い思いの服装をしているが、教徒は皆肩から白いケープをかけている。伝統的な装束の名残で、形式となってしまったがそれでもいまだに続いている証だ。
天地を創り、人を創った偉大なる神アーゼライに祈りを捧げ、日々の平穏を祈る。それがこの街の日常となっている。
しかし、神に仕える神官が皆がそうなのかと言うと、そういうわけではない。
古い体制は何処からか歪みを生じ、それに誰も気付かぬまま時代が進んでしまう。取れない汚れをそのままにしておけばどうなるかは言わずとも分かるだろう。
神の名のもとに信仰を集め、信仰を金に変える旧世代の老害が集う。
宗教であれば必ず起きる事象は、このディルアーゼルの教皇元老院でも同じことだった。
「西の空に暗雲立ち込め、瑠璃色の光と共に竜の咆哮か。それにディエルコルテの丘が消えた、と。本気で言っているのかそれは」
教皇元老院。教皇に助言を行う機関は神殿に隣接して建てられており、大きな石柱で屋根を支え、見るからに荘厳な雰囲気を醸し出している。
神聖な空気を醸し出す白磁の院内、その中の奥の奥。神官ですら立ち入ることを許されていない場所で5人の老人が集っていた。
灯りは蝋燭しかなく、揺らめく炎とともに影が動く。
U字になったテーブルを囲むように老人たちは席に腰を下ろし、白い布で全身を隠した人物を中央に立たせてジロジロと視線を送る。
布で覆い隠していてもメリハリのある体は隠しきれていない。その人物は、蛇のような視線に嫌悪感を抱くも悟らせぬよう努めて平静に話を続けた。
「はい。昨日丘のある場所から怪しい曇天と激しい発光が起きたことは周知の事実で、加えて現在ディエルコルテの丘が在った場所には白銀の城が存在しています」
耳当たりの良いソプラノが告げた内容は、何度聞いても納得がいくものではなかった。
ディルアーゼルが神都としていられるのは、“ディエルコルテの丘”に最も近かったことが理由だ。
その丘はかつてアーゼライが天と地を創造してから最初に降り立った丘と言われており、そこから人や生物を生み出してこの世界の原初を作り上げたとされている。
なのでアーゼライ教の教徒たちは皆、その丘を聖地として崇め奉り、日々の祈りを丘へ向けて捧げている。
その丘が消え去り、代わりに城が現れたなど与太話にしかならない。
だが女性はいたって真面目に報告しており、このような場で笑えない冗談を言うはずもないのだが、それでも信じがたいことだ。
「まあ、いい。信じられないが貴様以外にも同じ報告が上がっている以上鵜呑みにはできぬが信じるしかなさそうじゃな」
「しかし、それをどう教徒に知らせれば良いのか」
「なに、あそこは聖地。そのため誰一人として禁を犯すことを嫌い近寄ることはないじゃろう。光も鳴き声も奇跡だとでも言えばいい。丘など、あろうとなかろうと関係がないのじゃ。阿呆どもは跪いて信仰を口にして自分に酔っているだけだものな」
上座に座る最も年老いた老人のブラックジョークに他の老人たちも愉快げに笑う。
それが嘲笑だと、誰が聞いても分かる声で。
「して、その城とはいったい何なのかは調べがついているのかね?」
右端に座る老人の突っ込みに、彼女は唇を噛む。冷たい蛇の眼が鈍色に揺らいだ。
ただでさえ信じられるかどうかも分からぬ話だというのに、これ以上機嫌を損ねかねるような発言はしたくなかった。
押し黙ってしまった女性に、上座の老人が顎で指図する。喋れと言外に伝えてくる。
自分以外の誰かに任せたい役割だったが、族長となってしまった以上逃れることは叶わぬと覚悟して、伏せていた顔を真っ直ぐ正面に上げた。
「城まで辿り着けずにいます。何者の仕業かは分かりませんが、フィレンツの森に迷いの呪法がなされているらしく、何度挑んでも森を抜けることができず、ただ遠目に城を眺めることしか――」
「その呪法、解けぬのか? それでも魔法に特化したエルフなのか?」
言われると思った。覚悟していたが、やはりきつい。
顔を覆う布の両脇から飛び出た長く先端の尖った耳を隠したくなる衝動に駆られるが、拳を固く握り締めて堪えた。
「……現在、術の解析を行なっています」
「ふん! 成果もろくに出せぬとは、何のために飼っていると思っておるのだ。慰みにするのならそこらの奴隷を買った方が遥かにましだと言うに。誰のお陰で生きていられるか分かっておらんのか?」
暴言を吐きながらも、老人の視線は女性の体から離れない。豊満な胸を食い入るように見つめ、時折喉を鳴らす。
人に視線を向けられるのも嫌うのに、不躾に性欲を込めた目を向けられるのは不快でしかない。
所詮この集まりもマッチポンプに過ぎず、丘が消えたことなど本当はどうでもいいのだ、この老害共は。
そんな連中に飼い慣らされている自分が、なによりも憎い。
「まぁ、落ち着け同志よ。オルフェアとてしっかり働いておる。そう噛み付いては可哀想であろう? 成果が出たらすぐに知らせよ。白銀の城とは随分な値になりそうじゃからな」
下品な笑い声が部屋の中で反響する。本当に醜い。下劣で、最低だ。
これ以上視線に晒されたくはなく、形式張った礼をして早々に部屋を出た。
カツカツと白いヒールを鳴らして元老院の外へ真っ直ぐ向かい、出た途端乱暴に布を取り払った。
その下には露出度の高い革の胸当てと腰蓑という格好で、スタイルの良い女性の色気を強調している。
白磁の肌に細く長い手足。美形の多いエルフらしい美しい顔立ちだが、金色の瞳を憎しみで吊り上がらせ、首に付けられた黒い首輪に手をかけて引きちぎろうとする。
「くそっ、くそっ、くそおっ!」
オルフェアの容姿からは想像もつかない暴言を吐きながら何度も首輪を引っ張るが、千切れる気配はない。
次第に自分の行動が徒労なのだと思い出し、力なく付近の低い塀に腰を下ろしたが、頭を沸騰させそうな憤りだけは引かずにいた。
「どいつもこいつも、巫山戯たことばかり! 信仰がなければただの老人ではないか! 何故あんな連中が神都の元老院に居座っていられる! 腰抜けばかりの人間共め!」
塀を上から殴りつけて発散させるが、それも次第に落ち着いていった。
ああ、そうだ。そんな連中に飼われているのは、我々ではないか。
その事実を思い起こしてしまえば、膝が崩れて塀に座り込み、無情だけが心に残る。
エルフは元々森で静かに暮らし、人との接触を持たない種族だった。
アーゼライを古くから信仰しており、白い布を体に巻きつけた、ケープのような形式的な装束ではなく正式な服装もしていた。
各地に同族は点々と存在するが、ディエルコルテの丘周辺は最も強い霊脈が存在しているため、自然と大所帯になり、獣を狩り果物や野菜を採り、質素ながらも穏やかな生活を営んでいた。
それが変化したのは、今から凡そ20年前のこと。
20年と言えば人にとっては長い年月だが、長命なエルフにはつい昨日のことのように思える。
元々人間の聖地として栄えていたディルアーゼルから、使者が訪れた。人間と関わることを嫌うエルフだが、同じ神を信仰する輩ということもあって話を伺う。
使者は、同じ神に仕える下僕同士、親交を深めないかと提案をしてきた。森ではなく聖地で共に暮らしを築きあげないかと。
当時の族長はその提案に悩み、皆の意見を聞いて回り、結果としてその意見に承諾した。
大所帯となったエルフは質素に暮らしていたのは事実だが、あまりにも人数が多く、男手が総勢で狩りを行なっても満足に獲物を仕留められない日があり、そういう時はとても苦しい思いをしたことがある。
それを考えると人間ではあっても同じ神に深い信仰心を持つ同志。そこいらの国と交渉するよりも遥かにマシで、街で暮らせれば金銭で食事を賄うことができる。
古き習慣を大切にする者たちもいたが、多くの者は近代化を望み、過半数は街に。残りは遠い地へと旅立っていった。
暫くの間は平穏だった。疎んでいた人間だったが宗教の繋がりとは恐ろしいもので、毛嫌いしていたはずなのにいつしか馴染んでいた。
笑いが絶えず、不自由なく神に祈りを捧げる日々。本当に平穏だった。
ある日、エルフの男衆が隣の国に近い森に魔物が現れたので討伐してほしいと元老院から頼まれ、快諾して皆で狩りへと向かった。
その直後だ。神都を守る神聖騎士たちがエルフが纏まって住む地に雪崩れ込み、問答無用で縛り上げていった。オルフェアもその中にいた。
透き通るような蒼いプレートアーマーで全身を隠した騎士は、抵抗するものは殺し、逃げるものは殺し、そうでないものは老若男女問わず縄で縛っていく。
ほんの数時間前までの幸せが、一瞬で奪い去られた時だった。
捕まったエルフたちは全員が首に【隷属の呪】を練られた黒い首輪をかけられ、元老院の支配下に置かれた。
隷属の呪は、決して元老院に危害を加えることができぬよう心を縛り付け、加えて命令に逆らえば激痛を伴う刺青を体に刻んでいく。
黒い刺青が白い肌に多く刻まれている者は元老院や騎士団の慰み者にされ、それ以外の者は種族的に魔術に長けていることもあって裏で動く諜報や暗殺部隊として馬車馬の如く働かされている。
エルフの男は皆、帰ってくることはなかった。恐らく神聖騎士に殺されたか、他国に嵌められたかしたのだろう。今や最大規模を誇ったエルフの民は、女と、子供と、醜い血を継いだ混血児しかいない。
いや、男たちは死んではいない。その姿を数度目にすることがあった。
刺青が増えれば扱いが悪くなる。それは先程説明したが、それ以上の楔で元老院は彼女たちを縛り上げているのだ。
そんなある日、一人の女性が逃亡を図った。
首輪の効力に必死に抗って街の外へ抜け出したが騎士に捕らえられてしまった。
すでに三度目の逃亡となる彼女の全身には隙間なく黒いトライバルが刻まれており、誰が見ても次などない。
しかし元老院は彼女の待遇を変えなかった。これ以下はないのだと、皆が安堵した。その翌日のことだ。
彼女の家に、大きな木箱が届いた。腰まである高さの四角い箱を騎士が運び込み、何も言わずに立ち去った。
贈り物ではないだろうと思いながら箱を開ければ、そこに詰め込まれていたのは、男のエルフの頭と、原形を留めていない切断された四肢。
そして、それは彼女の親友の恋人だった。
実験にでもされたのか、死骸は頭部を除いてどれも奇形となっており、胴の中身は大量の魔物の首が詰め込まれて膨らんでいる。
地獄だった。そう呼ぶほかなかった。
老害は、彼女たちの罪に対する罰を男衆に、それも適当に選んだ男に行うことで見せしめとしたのだ。
自分が罪を犯せば誰かの愛する人が死に、誰かが罪を犯せば自分の愛する人が死ぬかもしれない。
言いしれぬ恐怖を植え付けられてから、抵抗する意志を全て奪い取られたのだった。
どこで間違ったのか。族長の判断か。いいや、甘い言葉に惑わされた皆の判断だ。
神の信仰など、人にとってはただの要素でしかない。金の、権力の、支配の要素。それを見抜けなかった、我々の責任だ。
抗おうにも呪縛が身を襲う。そうして性奴隷に落とされた仲間を多く見てきた。自分以外の誰かの最愛の人が送り届けられるのを見てきた。
自分の背にも覆うように魔の象徴である炎のトライバルが隙間なく刻まれている。まだそこまでではないが、これ以上失態を重ねれば間接的に殺すことになってしまう。
押し付けられた族長の身分のおかげで辛うじて閨に呼ばれずに済んでいるが、それだけでしかない。
救いは、どこにも見つからないでいる。
「お姉さん、どうかされましたか?」
地面を見つめていた視界に、可愛らしいピンク色の靴が映り込む。
顔を上げると、白いフリルの付いたドレスを着た少女が首を傾げてオルフェアを見ていた。
淡い空色の長い髪にライトブラウンの瞳。まだ年端もいかぬ少女だが、目が合うとまるで綻ぶ花のように暖かな笑顔を作った。
「あら、誰かと思えばオルフェアですか。そんなに落ち込んで、何かあったのですか?」
「……教皇様」
後ろに二名の神聖騎士を従えた少女。まだ10になったばかりのこの少女が、アーゼライの神子。
神都ディルアーゼルの教皇、エイラ・クラン・アーゼル。
教徒を愛し、神に身を捧げた、元老院の傀儡その人。
そして、エルフの民がこよなく愛する人の子である。
傀儡とは言え、エイラの神子としての力は紛れも無い。星眼と呼ばれる六芒星を生まれながら眼球に刻まれた子は不思議な力を持つとされており、その力は荒んだ世を見据えて、黄昏の安らぎを与えると言われている
オルフェア自身もまた、その目に見つめられるだけで負の感情が溶かされてしまいそうになった。
「いいえ、何もございません。少々、暑さに参っていただけです」
「それは大変! ねぇ、お水を持っていないかしら。それともどこかから貰ってきたほうが……」
「本当に大丈夫です。少し休んで落ち着きましたので。お気遣い感謝致します」
あわあわと後ろの騎士に頼もうとするのを慌てて言葉を紡いで止める。心優しい教皇は、オルフェアの言葉に動きを止めて、また柔らかく微笑んだ。
ああ、彼女だけは違う。毒されて薄汚れたあの神殿の中でも、彼女だけは清涼で神聖な姿をしている。
彼女だけは、愛すべき人だ。
強引に族長にされ、先頭に立って老害の相手をするのは酷く消耗する。
誰かが馬鹿なことをしでかさないように見張るのもオルフェアの役目で、神経がすり減らされる日々。
しかしその中で唯一心を安らげるのは彼女と共にいるときだけだ。
初めてであったときから姉のように慕ってくれて、一挙手一投足が可憐で魅入ってしまう。
それに、エルフに対して分け隔てなく接してくれることにも感謝している。
街の者は皆一様に長耳を見て悪態を吐いたりするが、彼女だけは一人の人間と同じように相対してくれる。
彼女だけがオルフェアの救いで、彼女だけがエルフの救いだった。
微笑むエイラを見ていると、先程までの苛立ちはもう思い出せない。自然と自分も口許に笑みが浮かび、お互いの顔を見合わせてクスクスと笑い合った。
いつの間にか護衛の兵士を先に帰らせたらしく、周囲にオルフェア以外誰もいないのを確認するとその隣に腰を下ろす。
本来なら、奴隷の身分のエルフと寄り添うのは汚らわしいとされているが、それを気にもせずオルフェアの手まで握りしめた。
「それで、本当はどうしたの? またお爺様方に何か言われたのかしら」
彼女も幼いながらにエルフの現状は聞き及んでいる。
いや、エイラには何もできないと分かっていて元老院が明け透けに物を喋るから、知りたくなくても知ってしまっているのだろう。
それをエイラも自覚している。だからこそ、こうして触れ合うことしかできない。
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「そう……ごめんなさい。私が教皇としての力が無いばかりに……」
「おやめください!」
本来なら止めなければいけないのに、その幼さ故に進言一つも許されない立場が歯痒い。
だが、オルフェアはそれを間髪容れずに否定し、エイラの前で跪く。
「エイラ様のおかげで我々はこうしていられるのです。貴女が我々を気にかけてくださるから耐えられるのです。なのに貴女に謝罪されては、恩一つ返すことができぬことを悔いて生きる我々はどうすればよいのですか!」
彼女が教皇だから、エルフへの虐待は陰のうちで済んでいるのは事実。
エイラがいなければ街ぐるみで迫害され、白日の下で犯されていたかもしれない。
教皇がエルフにも分け隔てなく接する姿を衆目に曝しているからこそ、街の人間は目立った行動をしないのだから。
「ふふ、大袈裟ね。そっか、でもいつかきっと、みんなを助けてみせるから」
目尻を指で拭いながら微笑んだその姿は、大きな太陽を連想させる輝きを纏っていた。
大丈夫。きっといつか、救われる時が来る。その時には彼女の手を引いて、共に行ければ……。
隷属させられる奴隷の身分と落ちぶれたが、それでも希望を失ってはいない。
またいつか、あの日々に帰るのだと、一族皆心を一つにして……。
「あら? 猫さんだわ」
思い描く夢から覚めると、いつの間にそこに居たのか、白ぶちの猫が横たわって大きな欠伸をしている。
エイラは自分の隣で寝そべった猫を指で撫でてやると、猫は満足気に一つ鳴き声をあげた。
「ふふっ、可愛い」
「最近、よく猫を見かけるようになりましたね。以前はそれほど目につかなかったのに」
「どこかからやってきたのでは? 猫の旅人さんなんて、なんだか素敵です」
そう言うエイラの指は猫を触るのをやめない。
基本自由に動くことが許されている彼女の行動を騎士は咎める様子もなく直立不動で身動きを取らず、置物のようにピクリともしない。
猫ぐらいいいだろうと思っているのだろう。それとも、所詮飾りだと思っているから何も言わないのか。
疑心暗鬼に陥りそうになり、軽く頭を振って忘れることにする。どうであれ、エイラが蝶よ花よと愛でられて健やかでいることに代わりはないのだから。
ふと、森にも猫がいたのを思い出すが、それもまた、エイラの言葉を借りれば旅人なのだろう。
ゴロゴロと喉を鳴らす猫と、戯れるエイラの姿を見つめながら、今だけは醜い世界を忘れていようと温かい眼差しで一人と一匹を見つめ続けた。
そんな猫の虹色の瞳が見つめ続けていたことには、気付かずに。
◆
「白銀の城、か。どれほどの規模かは知らぬが一夜にして突如現れたというのはどうにも気にかかるのぉ」
元老院の奥では今も話が続いている。
オルフェアに対してはおざなりな答えを返しはしたが、それが深刻な事態だということはさすがに理解しているようだ。
「エルフたちが集っている線はどうじゃ? 散らばっている他のエルフどもと内通してというのは?」
「ないわけではないじゃろう。しかしそれなら城なんぞ作らずともよいのではないか」
「それも虚言と考えればどうかね。目眩ましとするのなら」
「ふむ。ないとは言えん。じゃが我々に害となる行動は全て首輪で封じられておる。刺青が出た者もいないそうじゃから考えにくいのお」
「いやいや、周辺警備の兵からも報告が上がっているんだぞ? 奴らがどうこうしても兵士を味方につけることは叶うまい。同じ汁を吸わせておるんだからな」
馬鹿みたいに信仰している聖地が消えたなんて嘘を吐く種族でもないので、やはり事実としてみるべきなのだろう。
そうなると、どうするべきか考えねばなるまい。
教徒に説明することをではない。その城をどうやって手に入れるかをだ。
突然現れた城というならアーゼライが住まう城が顕界したと言えば簡単に騙せる。丘のところに現れたのは好都合だ。
だが、それだけでは足りない。元老院に何一つ旨味がない。
故に、どうにかして城へと辿り着き、またエルフのようにしてしまいたいところ。
この国は宗教で成り立っているため兵士を多く配置することができない。
教徒が集ったことで国として独立したが、根本は聖地である以上こちらから手を出せば他の国からも目をつけられてしまう。
軍事運用ではなく自衛が前提のため、精強ではあっても少ない兵士ばかり。全面きって戦を起こすことは不可能だ。
だが、ラドル公国に先を越されるのは困る。
恐らく先日の、ディエルコルテの丘で起きた異変は公国からも見えただろう。
距離があるのでまだ視察には訪れないだろうが、数日もすれば干渉されることは間違いない。
「さっさと自慢の魔術でどうにかしていただきたいものですなぁ」
「左様。神の居城が現れたのです。我らがそれを管理するのは当然のこと」
「まぁ、暫くは何もできまい。馬鹿なエルフどもを焚きつけて早々に呪法を破ってもらわねばな」
「では、また送りつけてみようかね。まだまだ在庫はあるのじゃろう?」
「ええ、ええ。ありますとも。ただあまり保存状態が良くないのでな。腐っておるかもしれん」
「はっは、何、問題なかろう。仲間が帰ってくれば泣いて喜ぶとも」
これが、この神都を統べる者たちの姿。
いったいどれだけの人間が気付いているのだろうか。
きっと、気付いても見て見ぬふりをするだろう。寧ろ気付くことで得られるものが魅力的なのだ。
民も官も腐っている。保管されているアレとどっちが腐敗しているだろうか。
老人たちは話を切り上げると、場所を移すため更に奥の部屋へと移動を始めた。
薄暗い階段を下り、重い鉄の扉を開け放てば、立ち込める臭気に口許を歪める。
数本の松明で照らされた地下室には、女の嬌声と、男の罵声が反響している。暗がりの中で激しく動く人影は実に素晴らしい。
「ふふふ、迷える子羊を救うのも、わるくないですな」
ぞろぞろと奥へと進んだ老人たちの姿は、扉が閉まり掻き消えた。
影に潜んでいた小さな丸い物体がそれを見送ると、可愛らしく一鳴きして元老院の外へと向かった。
2012.9.15 誤字修正