6 推測
「ストレスからくる胃の炎症でございましょうな」
神都に紹介してもらった白髭の医者に言われて、カロンは特に驚くこともなく、はだけた服を直しながら、
「だろう、なぁ」
と納得した。
使われていなかった客間には、向かい合う医者とカロンしかいない。
白衣の医者が、余計な者たちが部屋から出ていかなければ診察できないと言い張ったからだ。
キメラたちは断固反対だったが、この部屋で交わされた会話を聞かない、聞いても口外しない約束で部屋に同化している。
治療に大事なのは正直に症状を告白することだと医者は言う。カロンもそう思う。
なので、今この場は擬似的にプライベートな空間として扱うと決めて正直に今の症状を口にした。
結果、案の定であった。
「職業柄とは思いますがね、これ以上酷くなると胃に穴が開いてもおかしくはないですよ。責任感はよろしいですが、背負いすぎは毒となります。まあ、存じておられるでしょうが」
「うむ」
「立場もあるかと思われますが、ご自分のお悩みを打ち明けられる相手などいらっしゃいますか?」
「……」
浮かび上がる魔物たちと最近知り合った人間たちの姿。
だがどれもこれも浮かんでは消えていき、最後に辛うじて残ったのはルシュカと梔子姫、ファザールの幻影だった。
「……まあ」
ファザールは自分と同じ国を治める立場にいて、自分よりも歴の長い先輩だ。
ただ、まだ信用を構築していないのであまり気が進まない。
梔子姫は親しげなやり取りで落ち着くのだが、ひどい暴走をすると知ってしまったので迂闊に色々話すこともできない。
そうなるとルシュカが残るのだが、彼女とはまだまだ上司と部下の関係が抜けないので自然と気を張ってしまう。
「人に話すことは重要か?」
「人によりけりでしょうが、溜め込んだ負担をご自身で処理しきれぬなら、誰かと共有するのは効果的かと思いますがね」
分厚い瓶底メガネが光を反射してキラリと光る。
医者が言うのならそうなんだろうと、カロンは眉間に皺を寄せて真剣に悩んだ。
「陛下、本当におるのですか?」
「……」
「孤独な王とは実に多いものです。猜疑心に取り憑かれていき、心許せる者が居なくなり、心休まる時が失われていく。周囲の目が王であることを求め、応えれば応えるほどに自分を殺していく。言い方は悪いですが、よくある話です」
「そうか」
「それで、どうですかね」
じっと品定めするように見つめられても、カロンは険しい顔を作ったままぎこちなく頷くだけで明言はできなかった。
頭に最後まで浮かんでいたのはルシュカの笑顔だったが、その彼女が想像の斜め上を行く会談を行ったと知ってしまったせいで余計に自分の責任がのしかかってきたので、ずっと半透明なままである。
打ち明けて暴走してしまったらどうすればいいのか。
人類滅亡ルート直行するのでは?
どうにかして人間との共存が悪いものじゃないと感じてほしいが、これだけ恵まれた国と見比べたらそうも感じづらいのでは?
同族のよしみで手加減しているように見えると、余計不信感を募らせるのでは?
考えるほどに泥沼に陥ってしまい、綺麗に仕事を忘れていられる時しか心が休まらない体になってしまった。
「仕事のことを考えておりますな?」
「え?」
「顔に出ております。それはもうはっきりと」
「そう、か……」
「まあ、とりあえず薬は出しておきましょう。治療とは呼べぬ手助け程度のものですがね。それでもいくらかは症状を緩和してくれるはずです。しかし病は気からとも申しますから、完治するにはご自身が模索するのが宜しいかと」
大きな黒い鞄から取り出された瓶には赤茶色の粉末が詰められている。
それを四つと小さな木の匙をテーブルの上に並べて、医者はヨタヨタと立ち上がった。
「朝晩にひと匙、白湯に溶かして飲むとよろしいでしょう。わしも仕事には誇りがあるので毒を混ぜるなんて真似はしませんが、心配なら誰かに毒味させてから使ってくだされ」
「わかった。わざわざ足を運んでもらってすまなかったな」
「……いえ、ついでにこの国を見ておきたかったので好都合でした。神都は犬になったのかと思っていたが、どうやらそうじゃなかったらしい。エイラ様がよく笑うようになった理由を知れた気がしてますよ」
言葉が自分に宛てたものと知りながら、カロンは素っ気なく「そうか」とだけ告げる。
背が弓のように丸まって、強い矯正がなければまともに世界が見れなくなった老人だが、人間の王が浮かべた悲哀のある微笑みはしっかりと見えていた。
「……養生してくだされ。貴方が現れたから、この大陸は腐敗が止まっているのですから」
下がりようのない頭を下げて、医者は部屋から出ていった。
「……誰か護衛を」
カロンの指示に、部屋の一部が大きく蠢いて廊下へと向かう。
そのまま静かになった部屋の中で、カロンは背もたれに体を預けて天井を見上げた。
「よくあること、ね。よっぽど肝が据わってないとこういう仕事は出来なさそうだよな」
織田信長とか家臣に裏切られまくってたけど、その心内は一体どうだったのだろう。
積み重なる命の石。崩れた時、きっと自分は押し潰される。
「……いや、お前たちがいるものな」
姿も気配もないが、確かにそこにいる仲間を思う。
人間の感性とは違うからこそ、魔物たちは平気で積み上げた命をそこら中にばら撒いていく。
共に踏み、共に登り、共に生きようと。
「よし」
この数日でだいぶ休めたと、顔を叩いて立ち上がるカロン。
「戻ってかまわん」
部屋に溶け込んでいたキメラたちは一斉に姿を現し、いつにも増して機敏な動作で跪いた。
ここでの会話は他言無用である。
だから、王の呟いた信頼はキメラたちに大きな活力を与えていた。
「ハルドロギア、何名かと伴をしてくれ」
「はい、お父様。どちらへ向かわれますか?」
「スコラ・アイアンベイルに会う」
「承知しました」
各国の重要人物が集まっている中で休み続けるわけにもいかない。
襟を正して、もう一度気持ちを素から王へと切り替えて部屋を出た。
私室から貴賓の宿泊する階層へは転移門を使って移動しなければならない。
自分に備わる転移機能を使って一瞬で目的地に向かってもよかったが、今は城の中を見ながら感覚を取り戻したいと歩くことにした。
侵入制限のあるエリアから下の階へ移動すると、途端に兵士の数が増える。
武器を携えた【リザードベルセルク】が三人一組で通路の警備を行っており、いかにルシュカが今回の三国訪問に力を入れているのかがよく分かる光景だ。
「ご苦労」
ふと何か思い出したように、軽く手を上げてカロンが挨拶すると、リザードベルセルクたちはピタリを足を止めてから揃った動作で武器を脇に抱えて見事な敬礼を返した。
「ご厚情痛み入ります!」
今となっては驚くこともないのだが、カロンは兵士の反応に口の端を緩めた。
「何か問題は起きていないか?」
「っ、はい! 各階層の警備より報告等は上がっておりません! 人間たちも同フロアで互いの部屋を行き来することはありますが、騒ぎが起こった様子はありません!」
「ふむ……面識はあっても関係性が変わるから、改めて挨拶でもしたのかな」
「ただ……」
「なんだ?」
「西から来た勇者のもとに、ルシュカ様が……」
それは言い難いことだなと、カロンは眉間を押さえながらそれ以上の言葉を手で制した。
屈強なリザードベルセルクたちが尻尾を丸めて申し訳無さそうにする姿は見ていられない。
(多分、色々考えてるんだとは思うけどさぁ)
スコラはあくまでもカロンにとって様々な意味のある相手であり、エステルドバロニアにとって大きな意味のあるのはイリシェナのはずだ。
カロンに向ける忠義ゆえとは思うが、今日までに行った彼女の行動の意図も尋ねなければと思っていたところだ。
覚悟を決めてカロンは先陣を切ってその部屋へと向かう。
途中で、見知らぬ女性に出会い足を止めた。
たまたま廊下の向こうから歩いてきていた相手も、カロンを見て小さく会釈をしようとして、驚きに硬直した。
「……ああ」
カロンにはコンソールウィンドウがある。
名前を調べるのは容易だった。
「アルア・セレスタ。“花冠”の勇者か」
色とりどりの花が咲く白いドレスに、金木犀色のシニョンを纏める菫と百合の花飾り。
泣きぼくろのある穏やかな顔の彼女に困惑が浮かんでいると感じながらも、カロンは関心が無いように振る舞う。
「貴方、は……」
「人間さ。それで理解できるかと思うが」
「……エステルドバロニア国王、カロン陛下」
名乗りとも呼べぬものから察したアルアは、城の廊下であることも厭わずドレスの裾を広げて冷たいミスリルの床に膝をついた。
「失礼いたしました。遅ればせながら私、アーレンハイト国セレスタ家の妻、“花冠”アルア・セレスタと申します。外様となった女ではありますが、この度は実父アルドウィン・リフェリの名代として参じました」
カロンを見上げる瞳には、どこか哀れみのような感情が見える。
その正体が何かはカロンには分からなかったが、ただどことなくミラが自分に向けるものと似ている気がした。
「そうか」
「このような形で願うは失礼と承知の上ではありますが、叶うならば改めて場を設けて魔王軍の侵攻を阻んでくださった御礼をしたく思っております。ですが、お恥ずかしいことにリフェリスはいまだ混乱の最中。お招きしても十分な歓迎が難しい状況です」
「いまさら謝辞は必要ない。貴国……いや、貴様の故郷が我々をどう捉えているのかは十分伝わっているからな」
「……」
「それに、貴様はアーレンハイトの人間であろう」
本当なら。
滅ぼしてしまいたいとまで感じていたのだ。
彼女が信じてくれているから延命させているだけで、これ以上この国を侮辱されるのはカロンには耐え難い屈辱だ。
あの怒りをもう一度抱くくらいなら、適当にあしらって引き離す方が双方の為だと思っていた。
故に、カロンはミラ以外の王国の人間に心を閉じると決めている。
表情の削げ落ちた冷たく暗い顔は、なんの力もない人間であっても勇者一人を震えさせるには十分だったらしい。
俯いたアルアからこれ以上の言葉はないと判断したカロンは、見下ろすことなく通り過ぎる。
「あ、あの!」
慌てて振り向き声をかけたアルアにキメラたちが反応して槍を構える。
濃密な殺意に一瞬頭が真っ白になったアルアだったが、すぐに穏やかさを取り繕って優しく問う。
「お体が優れないと耳にしましたが、その後お加減は……」
「私がここにいる。それが答えだ」
そう答えて、カロンはその場を立ち去った。
「……はぁ」
アルアの姿が見えなくなるまで歩いてから、カロンは疲れたように息を吐く。
もっと気持ちを隠して和やかに話すつもりだったのに、彼女が王国の人間だと考えただけで感情が凍りついてしまった。
為政者ならば上手くやるべきだ。これじゃあルシュカと変わらないぞ。
最近どうにも感情の制御が利いていない気がして、それも医者に見てもらったほうがいいかもと考えている。
思考を巡らせながら歩けば、いつの間にか目的の部屋の前にまで辿り着いていた。
キメラの一人が扉に近づいて耳をそばだててから、ゆっくりと首を左右に振る。
どうやら最悪の事態にはなっていないようだ。
いや、さすがにそんなことしないと信じてはいるが、念の為。
カロンの首肯を合図にして、キメラが扉をノックする。
十秒ほど経ってからゆっくり扉を開けたのは、疲労困憊のイリシェナだった。
「カロン様……」
カロンの姿を見て泣きそうな顔をするイリシェナ。
父から爆弾を持たされてしまった彼女には、どんなことも解決してくれる――と信じているカロンの登場はまさに最高の救いの手なのである。
「ルシュカは来ているか?」
イリシェナは弱々しくコクリと頷いて、カロンを部屋の中に案内する。
踏み入って数歩でカロンが見たのは、テーブルを挟んで向かい合うスコラとルシュカの姿だった。
スコラは漆黒と真紅のドレスでニコニコとしているが、ルシュカは苦虫を噛み潰したような顔で震えていた。
「カロン様!」
顔も見ずに声を張り上げたルシュカに驚いてカロンの肩がビクンと跳ねた。
「この女、すごく嫌なんですけど!」
ビシッと指差すルシュカ。
「なぜ?」
「だって……だってこいつ、カロン様のことで話が合うんですもの!」
……それは、いいことではないのだろうか。
題材が自分なのは引っ掛かるが、成り行きを知らないカロンはどうしていいか分からず、混乱した頭を整理しようと天井を仰ぐ。
「偉大でお優しくて格好良くて可愛らしいカロン様を、他の奴に理解されるのはすごく気に食わないです!」
だから、それはいいことなのでは?
「私はとても楽しいひと時でしたわ。陛下の御心をとても理解なさっている方が最も近くに居られると知れて」
「ふん! たった一度だけの邂逅で我らの王を知った気になるな!」
「たった一度で多くを感じ、愛おしく思うことの何がおかしいの? 勇ましくも悲哀のある瞳。心を砕き己を律する凛々しいお顔。傷のない綺麗な手指なのに、多くの傷を背負い隠す御姿……あぁ、一目見ただけで私は全てを捧げたいと、本能が叫んだのです」
「ぐぬぬぬぬぬ……! カロン様は我々の王だ! 最近ちょっとお茶目なところを見せてくださるようになったのに、そんな可愛い御姿を外様の人間風情に見せたくはない!」
「ええ、構いません。ただそのお話をお聞かせくだされば、私は陛下のお姿を想って楽しませていただきますので」
「むうううう! なんなんですかこいつ! 初めてのアプローチで困るんですが! しかも話が合うのがもう、もう!」
カロンは思う。
上手く回りそうだから、来ないほうがよかった。
こんな公開羞恥を味わうなら、あと一日休めばよかったと。
「……珍しいんじゃね?」
「ですねぇ。ルシュカ様、よっぽどこの人間を気に入りたくないんですね」
頭を抱えて振り乱すルシュカを見ながら、ヒソヒソと話すキメラの会話を耳にしたカロンは、確かにと心の中で同意した。
仲間内でもここまで荒れることはあるかもしれないが、それを外から来た人間の、それも勇者に対して見せるのは意外だった。
まさかあの“冷酷”、“忠義”の異形が心を開いてしまう相手がいるとは。
「あー……ルシュカは、スコラが城に来ることに賛成なのか?」
「ん゛ん゛っ……カロン様の忠実な僕として述べるなら、否です」
真面目な話題を切り出されて、ようやく落ち着きを取り戻したルシュカは素早く立ち上がってから咳払いをして、いつものクールな顔でカロンを見つめた。
「たしかに! この人間はどこか他の人間とは違うように感じますが、やはり勇者は勇者。いつ我々にその刃を向けてもおかしくはない。神が作った退魔の兵器をカロン様の近くに置くのは危険です」
「ふむ」
「負けることは在り得ませんが、万が一を考えず浅慮に走ることは出来かねます」
それはカロンとしても同意見である。
仲間の力を自分の力と勘違いする真似はしない。
何度も闘いに勝っていても、カロンはそこらの農民と変わらない脆弱のままだ。
本当ならこうしてフラフラ人前に姿も出すべきじゃないのかもしれないが、それでは何一つ事が進まないし自分も楽しみがなくなって困ることになる。
唯一絶対の安心して歩ける城の中に、魔物を討つ使命を持つ強力な人間を置くのは、やはり危険と思う。
「申し訳ないのだけれど、私の目的は陛下ただ一人。所有者の傍に居られないと言うのであれば、私はただ一振りの刃であり続けるかも、しれませんわ?」
しかし、スコラの目的はカロンである。
城から離して街に住まわせたとして、帝国最強と謳われる彼女が剣を振るって民に危害が及ぶのもよろしくない。
「ですが」
頭を悩ませていたカロンに向けて、ルシュカは言葉を続けた。
「勇者を我々の側に引き入れたと皆に知らしめるのは良いことでしょう。それが帝国最強の勇者となれば外にも影響力があると考えられますし、カロン様が描く世界の一助になるかと。そこに常時監視の人員を割くことになりますが、そこは私にお任せいただければ」
「……いいのか?」
「カロン様のお考えは理解しております。そこに我々が異論を挟むような真似は致しません。ですが、カロン様の御身に危害が加えられるのであれば総力をもって排除させていただきます。最強を名乗る勇者程度で我が国はビクともしないと証明するにも都合がよさそうですしね」
「あら、それはとても怖いですわ」
言葉とは反対にクスクスと笑うスコラは恐れる様子を見せない。
それは心からの恭順からくるのか、それとも勝てるという自信からか。
カロンの目でも、それは測りきれない。
だから勇者に対して皆が強い警戒を示しているのだが。
「では、これから証明してもらおう」
ルシュカの傍へと移動したカロンは、ルシュカの譲ったソファに腰を下ろして手を組んだ。
「約束を果たそう。故に約束を果たせ、スコラ・アイアンベイル。ハインケンの代わりにな」
ニコリと、幸せそうにスコラは笑った。
「では、お話しいたしましょう。私がここにいる知り得る世界の真理。魔王によって……いえ、神によって生み出されたルールを」
勇者が世界に認知されたのは、魔物を統率する者が人類の排除を実行に移してからである。
それは魔王と呼ばれ、世界の半分を奪った災厄の化身であった。
「それが一体どのような姿をしていたのかは分かりません。ただ、そう呼ばれる存在が居たのだと、古い文献には記されております。勇者が現れたのは魔王が認知されてから十年後、ディエルコルテの丘に突如現れたそうな」
「ああ、我らの国が踏み潰しているらしいという」
「ルシュカ」
「……申し訳ありません」
「いえ、構いません。私は別にアーゼライ教徒でもないですから。ですので、勇者はその時初めてこの世界に認知されました」
勇者と人類の大きな違いは、その身に特質を持っていることにある。
例えば、火を吐く魔物や獣人はいたが、それは体の構造によって可能なだけで不思議なことはない。
火を吐く魔術もあるが、魔術式によって魔力から構成しているのでこれもおかしくはない。
同じように、火を纏う剣といった武具も魔術によって力を得ている。
勇者は、そのような構造も魔術も必要とせず、その身に宿した力によって様々な事象を起こしたのだ。
「ミラ・サイファーでしたか? あの王国の騎士がいい例ですね。雷を無から生み出すなんてことが人間に出来てしまう。それが勇者たる所以なのです」
「では、勇者であれば魔術のような力を誰しもが扱えるのか?」
「現代では純血の勇者は存在しませんから、ただ身体能力を上げるスキル……これも厳密には魔術に類するのですけど、それしか使えないのが殆どかと。それでも覚醒したのなら常人を遥かに凌ぐ力ですけれど」
「ふむ……スキルがあるから勇者の血を引いているわけではないのか。では、スコラも」
「それは秘密ですよ陛下。楽しみはとっておくべきでしょう? 私が語るのはハインケンと交わした約束の範囲だけ。もっと私を知りたいのであれば、閨にて肌を触れ合わせながら、情熱の幕間に寝物語の代わりにでも……」
「そうか。では、その勇者の根幹について話を……なんだ?」
「ふーん。いいですけれどもね」
話を進めたのに不機嫌である。
そりゃ、まだ子供の言葉を本気にして狼狽えたりなんてしないだろう。
チラリと見たルシュカの顔が一瞬ざまあみろ的な表情に見えたのは、恐らくカロンの気のせいである。
「はぁ……。では、その勇者ですけれども……アーゼライが喚んだものではありません」
暗い目で口にしたスコラに、カロンは記憶を漁って繋がる何かを探し、見つけ出して声に乗せた。
「帝国の目的は、女神ゲルハの討滅とハインケンが言っていたが……」
「では、カロン様が今考えていることが答えです」
「……勇者は、男神ザハナが召喚した?」
スコラはコクリと頷くだけだが、カロンの行き着いた答えはかなりの衝撃であった。
もしここにエイラが居たら卒倒していただろう。
それほど勇者の存在は世界に多大な影響を与えており、宗教のパワーバランスを覆す可能性すらあるのだ。
「魔物を女神ゲルハが生み出しているとも言っていたな。どちらも確証があるのか?」
「前者に関してはあくまで神話を元にした思想ですが、後者は我が国に血を落とした“炎帝”シャロン・ハーロットが遺した言葉です。九人の騎士の一人が自ら語ったことですから、神話よりも信憑性があります」
――これは、太陽と月星の代理戦争だ。
それが、シャロン・ハーロットの語った真実だと帝国の中枢では広まっている。
「ただ、あくまでも偉大な勇者の遺した言葉だからというだけで、その真偽はやはり定かではありません。ただ、そう考えると色々な辻妻も合うように思えるのです」
「魔王に対するカウンターとして、勇者というものが生み出された? では勇者と魔王は神の手で造られた存在なのか?」
「さあ、そこまでは」
おとがいに手を添えてカロンは押し黙った。
神の存在証明の中に宇宙論的証明というものがある。
簡単に説明するなら、全ての事象には原因と結果があり、それは宇宙の成り立ちよりも前に遡っても同じなので、その最初の原因を生み出したのが神だとする考えだ。
この世界において、世界創生の根因となったのはアーゼライとされており、勇者の根因が男神ザハナで、魔王の根因が女神ゲルハなのだろう。
それを口にするのがスコラというのが面白いが、確かに彼女の考えには理屈がある。
(三つの宗教。その形態が全て一つの神話から大きな変更もなく分派している。俺の感覚ではもっと派生してもおかしくないと感じるんだが……)
無知だから覚える違和感なのだろうか。
ただカロンが思うのは、魔術であったり勇者であったり魔王であったり、神の存在を裏付けるようなものが世界に今なお残っているからではないかという事である。
畢竟、それが神の証明か。
散々紗々羅から聞いた話も相俟って、ますます世界の仕組みに興味が深まった。
「なるほど。面白い」
「そう感じていただけたのなら幸いですわ。では、お褒めいただけたのでもう一つ」
カロンの関心を引けたことか嬉しかったのか、上機嫌に一つの爆弾を落とした。
「ディエルコルテの丘に現れた勇者の数、本当は九人じゃなかったというのはご存知ですか?」
◆
サルタンの街には閑古鳥が鳴いていた。
妻や息子たちはぶつぶつと文句を漏らしているが、店主のリゲスにはその理由がよく分かっていた。
「暇だなぁ」
それは店だけではなく、国全体が暇なのだ。
これまでサルタンが賑わっていたのは、交易と別にもう一つ、魔物の討伐という多額の報奨が支払われる仕事があったからである。
サルタンはコルドロン連峰が隣接しており、山の魔物が麓に降りてくるせいで国に被害が出ることが多かった。
その対策として、サルタンは冒険者を大々的に募って討伐の依頼を出すことで、ハイリスクハイリターンに釣られた外部の者に危険な役目を担わせていた。
それは国の安全に繋がり、金が回り、人が動く良策だった……のだが。
「なぁんで魔物が出なくなったのかねぇ」
ある時期から、山から現れる魔物の数が激減していき、今では全く現れなくなった。
仕事がなければ当然人は減る。
特に冒険者はスリルと利益を求める根無し草だ。さっさと見切りをつけて違う大陸に移るのも早い。
リゲスは馴染みの酒場で少ない小遣いで買った安酒をちびちびと飲んでいた。
閑散とした店内に客の数は両手で足りるほどしかいない。
もっと交易が盛んになってくれたらと願いつつ、財布の中身を確認して何を頼もうか考えていたところに人の訪れる気配を感じる。
店構えには不釣り合いな新しい扉を開けて入ってきたのは、見覚えのない獣人たちであった。
獅子に猫、象に梟。
猫はともかく、他はサルタンでも殆ど見たことのない種族である。
この時期にやってくるとなれば、知らずに来たのか、大穴狙いか。
しかし長年磨いたリゲスの観察眼は、どちらでもないと判断していた。
妙に高価で傷の少ない装備の獅子人と、それに擦り寄って猫撫で声を出すヤバイ雰囲気の猫人。重厚な鎧で軽々動く象人に、視界に映っていなければ見失いそうな気配の梟人。
昨日から街に来ていると風のうわさで聞いた、怪しい連中だ。
(関わらんとこ……ありゃヤバイやつだ)
ズカズカと大股で一番奥の席に陣取る一団から視線を外して、けれども会話は気になるので聞き耳を立てた。
「よーしご飯たーのもっと! ジルカ様ぁ、これ頼んでもいいですかぁ?」
「はははっ、好きなものを頼めばいいよ。オーグノルも遠慮しないでくれ」
「ありがたい」
「じゃあねー……店員さーん! これとこれと、あとこれとー」
数日ぶりのまともな食事に張り切るリコットと、大型獣人用の鋼鉄の椅子を大きな音を立てながら引っ張ってくるオーグノル。
周囲の目も気にせず騒ぐ彼らの姿に、フォルファは苛立ちから羽を逆立てて固く嘴を噤んていた。
何も考えていなさそうにニコニコと笑うジルカは、そんな梟の様子に気付いて喉を鳴らす。
「派手に動きすぎだと言いたいんだろう?」
「分かっているなら是正すべきではないか」
「いいんだよ派手で。父上は極秘裏にって言ってたけど、わざわざそうする理由なんてないんだし」
「……カランドラやアーレンハイトが黙っていない」
「黙っているさ。間違いなく向こうも同じことをしてるからね。突っ込んではくるかもだけど深く追及なんてできないよ」
だからこそ暗黙の了解で動くべきだとフォルファは思うが、ジルカは違うらしい。
美しいストレートの鬣を手櫛で梳かしながら、値踏みするような視線に梟の眉が上がる。
「なにか」
「いや、父上が重用する『銀天』のメンバーは流石だと思ってね」
黄金王グラングラッド=ザルバには懐刀とも呼べる冒険者のパーティが幾つかある。
その内の一つである銀天は諜報に特化しており、主にカランドラで活動しているパーティだ。
個々の戦闘能力も他のパーティと遜色がないため、この場にいる中でフォルファは間違いなく遥かに格上な実力者だろう。
だが、ジルカが臆することはない。
自分が王の子だからではなく、この梟が父の子飼いだからである。
フォルファに許されている行動は監視と警護で、それ以外のことはしないし出来ない。この梟はそういう奴だと知っている。
つまりは、役に立たない代わりに余計なこともしない。
「まあ、フォルファが父上からどんな命令を受けているのかは知らないけど、僕の邪魔だけはしないでほしいかな。さっきみたいな、ね?」
「……それは拙の落ち度だ。今後はない」
「そうか」
「だが、卿の行動指針は教えていただきたい。拙が従うにも知る必要がある。それを基に拙も動こう」
「んー……それは僕の目的を口にすることになるからねー」
わざとらしく顎に手を当てて上を向くジルカ。
やはり、フォルファにはこの第二王子が王になれるとはどうしても思えなかった。
グラングラッドを継ぐにも相応しいと思えないし、金を撒くしかできないのも王族に相応しいと思えない。
機会は平等に与えるとザルバは語るが、時には見捨てるのも選択の一つとフォルファは考える。
一族を守るために昇り詰めた男には、難しいのだろうが。
「お」
何か驚いたような声を出したジルカの視線をフォルファが追う。
そこにいたのは、ヴァーミリアでも珍しい種類の獣人だった。
太く大きな体躯に、カムヒのそれに似た装束姿の狸が、カウンター端の暗がりで一人酒を呷っている。
狼のような鋭い顔立ちには勇が漂い、鍛えられた腕は猛がある。
(できるな)
かなりの手練だ。
国でもなかなかお目にかかれない猛者に、フォルファは警戒を高める。
ジルカが気付くまで自分が気付けなかった醜態を隠すように、剣に手を伸ばして嘴を微かに鳴らす。
その珍妙な獣人に、ジルカは臆することなく向かっていった。
「卿!」
慌てて止めようとフォルファは立ち上がる。
ただ勝手に動く分には堪えるが、万が一にも命を落とすことがないよう守るのも役目なのだ。
ジルカではあの獣人に手も足も出ない。
呑気に眺めている猫と象に目もくれずバタバタと動く梟。
辿り着いたジルカは、暗い目で見つめてくる狸に笑いかけた。
目当ての物を見つけたように、ご機嫌な笑顔だった。
「やあ、ちょっといいかな」
対して、狸は狼のような顔を向けて鋭い牙を剥いた。
目当ての物が釣れたと、ご機嫌な気持ちを覆い隠した暗い顔であった。