5 再会
エステルドバロニアの王城にカロン以外の人間が立ち入ることは珍しくなくなってきた。
しかし、数十人のディルアーゼル使節団と、同規模のサルタン商団のように大人数の人間を滞在させるのは初めてのことであり、ルシュカ率いる第十六団のメイドや執事たちは彼らをもてなす為に少ないノウハウを駆使して最大限に歓待しようと躍起になっている。
予定では城に近い内郭沿いの宿泊施設を用意して街の視察などをさせるはずだったが、この大雨では民の動きは鈍く人通りも少ないので、その様子を見せるのは憚られた。
なにより、晴天の場合と違い警護に割く兵を精鋭から選ぶことになってしまうのが非効率とされた。
民が絶対人間に危害を加えたりしないとは言い切れず、視界の悪い状況に対応するには相応の兵が必要だ。
そうするくらいなら、一箇所にまとめて城の警備を増やす方が有効であると考えた。
ルシュカとしては軍事塔の一階層を使用したかったのだが、謁見の間で交わされた会話の報告を受けたカロンが顔を青くして王城を使えと指示したために、このような運びとなっていた。
「訪れたのは二度目ですが、この城は実に素晴らしいですな。外観も非常に荘厳な白銀の塔でしたが、その内装も他に類を見ぬほど美しい。それに……」
この部屋と貴賓の世話を担当する見目麗しいダークエルフのチェインバーメイドが小さなテーブルの上に用意した紅茶を嗜みながら、窓際の椅子で寛ぐ老齢の神官は、骸骨に皮を貼り付けたような顔をだらしなく緩め、年甲斐もなく鼻の下を伸ばしながら満足気に呟いた。
エイラと似たデザインの白いカズラを着たダークエルフのメイドは老人の言葉を聞いても薄い笑みを浮かべたまま柔らかく腰を折ってみせたが、男の正面に座っていた同じようで少し安っぽさのあるカズラを着た青年が激しく動揺を示した。
「神官長様! この方はメイドを兼任しておられるだけで、本職は軍人です。あまり失礼な視線を向けるのは……」
「タイラー様。私は、我々は、美貌を持つからこそメイドの職務を命じられておりますので、興味関心を抱かれるのは当然のことと捉えております」
ダークエルフのメイドは流麗な動作で両手を前で揃えて深くお辞儀をする。
「ですので、お触れにさえならなければいくらでも楽しまれて構わないのです。アイマン神官長様、もし王がご命じであればお相手等も致しますが、そうでない今はただその瞳で愛でてくださいませ」
ただのメイドでは決して出てこない言葉だろう。
愛想を振って誤魔化し、何か起きても自分では対処できない、か弱い人間の女とは訳が違う。
美貌の自負。強さへの自信。絶対の忠義。
それは魔物の女だからではなく、エステルドバロニアの女だからだと思わせる美しさだった。
改めて深く頭を下げてから部屋を後にしたダークエルフを見送った二人は、顔を見合わせて深く息を吐いた。
「カロン陛下の治世がどれほど国に浸透しているのかがよく分かる。私の知識にはないほどに洗練された国だ。君も、それを肌身で感じてきたのだな」
折れそうなほど枯れた痩身から漂う気迫に、神官は姿勢を正す。
真剣な口調の神官長ノレッド・アイマンに、エステルドバロニアに派遣されていた神官のタイラーは重々しく首を縦に振った。
「はい。数カ月ではありますが、とても多くのことを学ばせていただいています」
タイラーは、以前リフェリスの騎士団が神都へと視察に訪れた際に、神聖騎士団を偽装する人員を派兵してもらったのと同じタイミングでエステルドバロニアに派遣された。
彼の役目はこの世界の情報をエステルドバロニアに提供することであり、城壁近くの宿に護衛役の魔物と共に暮らしながら、軍事塔内のアルバートが率いる第三団のフロアで日々様々な事柄を紙に纏める作業に徹してきた。
元老院亡き後の神都をエイラやオルフェアと共に立て直していたノレッドは、この魔物の国と密接に関わる機会が少なかったため、無礼を承知で小芝居を打ったが。
「彼女には悪いことをした。いや、あの言葉をそのまま受け取るのなら気にしていないのだろうな」
多種多様な魔物を従えて一大国家を築いた人間の王がいかに凄まじいかを改めて実感する結果となった。
タイラーはぎこちない動作で紅茶を一口飲んで、意を決してノレッドを見る。
「それでは、ご報告させていただきます」
「うむ」
そう言って語り始めたのは、タイラーがエステルドバロニアで見聞きしたことだ。
この国で暮らす人間はカロンを除けばタイラーが初めてである。
軍の庇護下に置かれているとはいえ、彼の経験は今後ディルアーゼルとエステルドバロニアの関係をどのように進めていくかの指標となるのだ。
「まず、人間に対する偏見……というよりも、警戒心は非常に高いです。エステルドバロニアは人間の勢力とは常に戦争をしていた歴史があり、私のような弱者にさえ敵対心を向ける魔物もいました。攻撃的な行動を起こされた経験はないですが、差別意識を感じる対応をされたことは多いですね」
近頃は少しずつ近隣の住民に受け入れられてきたが、それでもよそよそしさはなくならない。
とても強い国だが、その過程でも強かったわけではない。当然だ。
様々な苦境を越えて今の形になったのだろう。その苦境は人間との間で生み出されたのだろう。
そして、被害こそ殆ど無いがこの世界でも同じように人間との衝突をしたのだ。
彼らの反応は当然のものであると、ノレッドは首肯で話を促した。
「軍内部は力の優劣が明確なので警戒されることはないですが、好意的とまでは言えません。カロン様のご意向に従っている、という印象です」
「彼らの忠誠を見るからに、向こうから手は出さないが人間が危害を加えれば容赦はしないか」
「水準の高い文明ですが、倫理観はとても極端で動物的です。有益は友であり有害は敵。そのバランスを王が制御しているのかと」
「心配すべきは余所者の動きか。リフェリス王の娘と言いながら、実質アーレンハイトからの刺客であるアルア・セレスタが訪れている。我々のところにもカランドラから巡礼の申し出が来ている。恐らくはヴァーミリアも動いているだろう」
オルフェアから聞いた謁見での状況から、レスティア三国の上層部はほぼ恭順したと考えられる。
懸念は市井の感情と、海外の動向か。
「ただ」
俯きかけたノレッドの顔が、タイラーの呟きで再び上げられる。
「ただ、我々がカロン様と同じ種族であることは尊重してくれているんです。これまでの辛い経験がありながら、それでも受け入れようとしてくれています。決して交われないわけではないと思っています。時間が……穏やかな時間が続けば、いずれ」
「……そうか。この国で暮らしてきた君が言うのなら正しいのだろうね」
魔物と一口に言っても、その種族は千差万別である。
外見、性質、知性も違う者が一堂に会して生活をしているのだ。
それに人間同士だって争いは絶えず、いつまでも刃を突きつけ合う国もある。
先入観を互いにどれだけ取り払っていけるのかが大きな課題だろう。
ノレッドは皺だらけの細指で耳を掻きながら、老いた今から変わらなければと自分に語りかける。
魔物たちと同じように、自分たちも様々な偏見を持っているのは確かだ。
一方が押し付けるのではなく、互いに歩み寄らなければならない。
そして、その姿勢はエステルドバロニアに救われた我々が誠心誠意示すべきであると。
「今のところカロン陛下からの心証は悪くないだろう。エイラ様のひたむきな純粋さは我らを良き方向へと導いてくださっているから実のところ然程心配はしていないのだ。あるとすればカランドラの件だが……」
「恐らくはヴァーミリアとアーレンハイトに形だけ配慮した嘘の巡礼ですよね」
「目的はアルア・セレスタと同じ偵察かそれ以上か。魔術の発展のためなら非道な行いも厭わない連中だ。この国を知れば短絡的な行動をとりかねんから、こちらでしっかり手綱を握らんと不安でしかないが……一体カランドラは誰を送り込んでくるのか予想が付かん」
重要なのは、いかにしてエステルドバロニアに影響を与えず対処するかである。
ディルアーゼルは自主的にエステルドバロニアに与すると決断をした。
先日の騒動も含めて、ここらで名誉挽回したいところだ。
しかし現状ディルアーゼルは自前の戦力を有しておらず、今もヒト型の魔物を借りることで誤魔化している。
ノレッドとタイラーはその後もカランドラの話を続け、どのようにエステルドバロニアへ情報を渡していくのか、どこまでの事態を自国で対処するべきかを入念に話し合った。
改めて神聖騎士団を発足するのもこの国と協議する必要があるだろう。
魔物の犬と笑わば笑え。狭量な価値観では理解し得ぬものが此処にはある。
もともと力を得ただけの小さな都。寄る辺を求めることを今更恥はしない。
これが、神都のより良い未来の選択なのだ。
二人の会話の熱が冷めやらぬ中、扉がノックもなしに開けられた。
夢中になっていた二人が示し合わせたように部屋の入口に顔を向けると、そこには巨大な蜘蛛の胴体が隙間から窺えた。
人間大の扉を潜るにはあまりにも大きく、あるべき頭が存在しない代わりに服を着た何かが上に乗っているのが僅かに見える。
器用に節足で扉を押し開けてゆっくりしゃがんで、濃い紫のドレスを着た本体を見えるように姿勢を落とした。
「ご機嫌ようタイラー。それに上司である神官長様。そろそろお食事の時間ですので、大広間へとご案内に伺いました」
下半身が蜘蛛と同化した黒いショートヘアの女だ。
左頬や腕に爛れた痣のある、四つの複眼を持つ彼女の姿は、まだ人間や動物に近い魔物しか見たことのなかったノレッドには衝撃であった。
対してタイラーはとても慣れた様子で会釈を返した。
「アルニシアさんでしたか。じゃあ」
「はい。部屋付きはダークエルフのザリスが担当しますが、お二人の警護は変わらず私が」
「そうですか」
「ディルアーゼルの方々が滞在中はタイラーも城に常駐していただきますから、まあ、いつも通りと思ってくだされば」
「タイラー……彼女、は?」
姿形に衝撃を受けているのは失礼であると、長年培った処世術で誤魔化したノレッドに問われて、タイラーは複眼を細めるアルニシアに親しげな様子で近づいていった。
「この方が今私の護衛として付いてくださっているアルニシアさんです。一日中一緒に行動していて」
「はい。同衾こそしていませんが、親しくさせてもらってます」
「ちょ、ちょっとアルニシアさん……」
「あら、事実ではないですか」
大蜘蛛の下半身を持つ美女にからかわれて、タイラーは恥ずかしそうにしながらもまんざらではなさそうだった。
先入観が、何かで操られているのかと訴えるがすぐにノレッドは振り払う。
考えたことのなかった新しい形の一つがここにもある。
そう受け止めるのが大切なことだろうと、和気藹々とした二人を見ながらノレッドは静かに瞑目するのであった。
◆
神都から訪れた者たちの中で、国賓として丁重に扱われるのはエイラとノレッドの二名である。
特にエイラはディルアーゼルの教皇だから警備も厳重だ。
エイラ誘拐が起きたことはエステルドバロニアの失態でもあるとカロンは責任を感じており、彼女の警護には団長格を一人あてがうことにした。
現在、エイラとオルフェアに与えられた豪華な一室。
本来この部屋を与えられた彼女たちは思い思いに過ごしていいはずなのだが、何故か二人は金細工の美しい大きなソファの上で膝を揃えて、正面に座る異国の姫を困惑した様子で見ていた。
「あのー……」
怖ず怖ずとエイラが声を発すると、黄と緑の鮮やかな装束姿の女も、どういうわけか困った顔をして首を傾ける。
「はい」
「えっと……サルタン王のお姫様、ですよね?」
「はい。イリシェナ・ナトラクと申します。……エイラ教皇様、ですよね?」
「はい……エイラ・クラン・アーゼルです……」
気まずい空気が流れる。
同席するオルフェアもどうしていいのか分からず視線を彷徨わせており、困り果てて壁際に立つ軍団長に助けを求めた。
「んー? なにー?」
のんびりとした声で、しかしどこか不機嫌な様子で、クッキーを食べながら窓の外を眺めている狐尾猫耳の軍団長エレミヤは、振り向かぬままオルフェアに尋ねた。
「えっと、どうしてエレミヤ様はこちらに……?」
「アタシがこの部屋の警護を担当するからだよー」
「はあ」
「で、噂の勇者を見に行ったらこの子が困ってたから連れてきた!」
「なる、ほど?」
「なんていうかなー……なんて言えばいいのかなー……盛りのついた犬がいない相手を取り合ってるっていうか……本人不在をいいことに好き勝手してるっていうか……」
「多分、痴情のもつれが正しいのではないでしょうか。エレミヤ様には感謝しています。あのままあそこに居るのは、私には耐えられない……」
あの修羅場は小さな世界大戦だ。二つ名持ちの勇者二人が国一つ滅ぼせそうな迫力を放っていて、一般人が同席していい場所ではない。
もしエレミヤが来ていなかったらと思うだけで、イリシェナの胃はキリキリと軋みを上げた。
「そういえばイリシェナ様、貴女と共にいた御方は一体どなたなのでしょうか」
話の流れで、オルフェアが皆疑問に思っていたことを問う。
「サルタンに貴族制はないとなれば、名のある豪商の方かと思っているのですが。しかし身なりがサルタン出身のように見えないのです」
「ああ、彼女ですか。本人から口外しても構わないと言伝されているのでお教えできますけど……」
「では、教えていただけますでしょうか?」
「……ラドル帝国の姫君。“天稟”の勇者。彼女は、スコラ・アイアンベイルです」
その名は神都ディルアーゼルでも聞き覚えのある名前だった。
帝国最強の剣。殺戮の英傑。デモンスレイヤー。レディ・スカーレット。
ニュエル帝国が魔王軍と対等に渡り合えるのは巨大兵器と十三貴族、そして“天稟”によるものだと。
話に聞くだけでその姿を見たことはなかったが、あんなに幼いとは誰も思わなかったろう。
いやいや、そんなことはどうでもいいのだ。
「帝国最強の勇者が、どうして堂々とエステルドバロニアに……? それも帝国と敵対しているサルタンと一緒? え? 戦争が始まるんですか? いや、それとも策略?」
外の事情に疎いオルフェアだが、これが異常事態なことはすぐに分かった。
ただでさえディルアーゼルは魔術の国から訪れる巡礼者の問題を抱えているのに、ここへ来て帝国までもすでに動いているとか、どうすればいいのか。
頭を抱えて胃の痛みに蹲るオルフェアだが、隣のエイラはずっと冷静だった。
「帝国の勇者ですか。それはミラ・サイファーからすれば討つべき敵でしょう」
「エイラ様、そんな呑気なことを仰っている場合ではないのではありませんか? 早くアイマン様にも報告を」
「大丈夫よオルフェア。ここは神都ではないの。カロン様が招かれたのであれば、それは問題ないということじゃないかしら? それに……私たちは、委ねるしかないの」
それは諦めではなく、献身に近い。
決して裏切らないから、魔物の王が見捨てることはない。
故に、その恩義に報いるだけだと少女は語る。
エイラの言葉に、オルフェアは覚悟したように弱音を飲み込んだ。
「確かに、教皇様の仰るとおりですね」
イリシェナも、褐色の顔に埋められた蜂蜜色の瞳を強く輝かせる。
彼女もエイラたちと同じくエステルドバロニアに救われた身であり、委ねる者である。
捲土重来という目的を抜きにしても、家族のみならず国ごと魔王の手から救われた恩は計り知れない。
「教皇様。私はディルアーゼルなど人の皮を被った獣が神の名の下に神を愚弄する劣悪な国だと思っておりましたが、どうやらそうではなくなったようだ。今のディルアーゼルなら仲良くなれそうです」
「それは良かった。涙を呑んで獣を廃した甲斐がありました」
生来の気の強さが顔を覗かせるイリシェナに、エイラは受け流すように柔らかく微笑んで、お淑やかさとはかけ離れた言葉で返した。
どちらもカロンに命を救われている。
そこにある感情もどこか似ている。
「な、なんだ? 部屋が寒いような……」
ピリピリと、フェレットとハムスターが睨み合うような可愛げのある戦いに、オルフェアだけが謎の不安を感じていた。
それを見ながら、エレミヤはクッキーをポリポリと食べ続けている。
(こっちはマシな方だけど、あっちは悲惨そうだなー)
ただの人間の、色恋が絡まないライバル関係は見ていて特に何を感じるものではないが、今頃イリシェナたちに与えられた一室では見るに堪えない醜い争いをしていることだろう。
(んー、エイラちゃんは割と好きだし、このターバンの子も嫌いじゃないけど、あっちはなぁ。王様を困らせる前に帰ってくれるといいけどなー)
クッキーを食べながら、今頃揉めているであろうことを思うと、なんだかカロンが大変になっていくような気がしたエレミヤだった。
エレミヤの考える通り、サルタンの王族に与えられた部屋の中にはおどろおどろしい空気が漂っていた。
微笑を絶やさないスコラ・アイアンベイル。
仏頂面で睨むミラ・サイファー。
恐らくは、今最も組み合わせてはいけない面子にリーチがかかっている。
ここにルシュカが混ざれば役満になってカロンの胃がトぶのだが、幸いなことに彼女は職務を全うするのに忙しいためこの場にはいない。
「……まさか悪名高い“天稟”の勇者とはな。魔物を狩るしか能のない帝国の狗を招くなんて、カロンも随分男前なことをするじゃないか」
「ふふふ……残念ですが今の私は陛下の剣。あの御方が望むようにしか振るわれませんの。ああ、そういえば、脆弱なくせに噛み付いてゴミ屑同然に殺されかけた挙句、命を救われたからと陛下に尻尾を振る恥知らずがいるらしいのですが、ご存知ですか?」
「さあ。私はカロンと親友だが、そんな話は聞いたことがないな。もしいるとしても、歯向かうこともせず発情したように尻尾を振る奴よりはマシだと思うが?」
「愛しい人に、強い男に、愛し愛されたいと思うのは生き物として正しいでしょう? 尻尾を丸めてお情けをもらうなんて、はしたない惨めな雌にはなりたくありませんから」
「対等な関係だから、負けようとも隣に並び立つことが許されるのだよ。後ろで腰を振るしかできないなら剣としての価値もないな」
「……ぶち殺しますよ」
「こっちの台詞だ」
正に竜虎相搏つ。
漂うオーラも一般人の比ではない。
誰が見ても分かる最悪の相性だ。
しかしルシュカは外様の縄張り争いに興味はないので、この二人がどうしていようと知ったことじゃない。むしろそのまま争ってくれたらと考えていた。
ミラからすればスコラは帝国の手先であり、レスティアの人魔共存方針を破壊しかねない不穏分子であり、なにより自分と立ち位置を争う敵である。
スコラから見ればミラは敗戦国の残党であり、エステルドバロニアを害する連中の仲間であり、そしてやはり立ち位置を争う敵だ。
魔物に協力する勇者をカロンは重宝するだろうが、そこに二人も必要ない。
「国内のことでお忙しいのなら、遠慮せずお帰りになられてはいかがですか?」
漆黒と真紅のドレスを着た青紫の髪をしたサイドテールの少女は、陰のある微笑みに背筋の凍る迫力を滲ませる。
「あ? それなら貴様がスパイらしくコソコソ帝国に消えたらどうだ?」
長い白髪に純白の鎧。騎士と呼ぶに相応しい清廉さなのに、氷のような瞳はまるで殺人鬼のそれだ。
これが人に払暁を齎す救世の勇者と誰が思うのか。
(こいつはカロンに近づけるべきじゃないな)
(このメスゴリラは陛下にとって害悪ね)
だが、思考は勇者としての役割から大きく逸脱している。
スコラはその理由を深く理解しているが、ミラはどうか。
ただ一人の人間のために数多の魔物を許容できる理由はどこにあるのか。
そんな世界の真理に向くべき疑問は、この二人にとっては至極どうでもいいことで。
オートマタのメイドがやってくるまで延々と罵詈雑言をぶつけ合うのだった。
◆
夕暮れのサルタンに、一隻の船が寄港する。
所属国を表す旗がない代わりに各々オリジナルの旗を掲げたそれらは、いわゆる商船と呼ばれるものである。
旗に描かれた店のシンボルを悠々と風に揺らして、巨大な木造船で力を示すその船から降ろされるのは殆どが積み荷だ。
獣人の水夫たちは怒声を上げながら仕事に取り掛かり、慌ただしく大量の木箱を下ろしていく。
ここ暫く停滞していたヴァーミリアとの交易が本格的に再開されたのだからおかしくはない。
ただ、積み荷に紛れて船から降りてきた者たちは、今のサルタンでは珍しかった。
「んんんん! っはぁ……やっと着いたー」
濃緑の狩人衣装を着た白猫の獣人が四日ぶりの地面の感触を喜んでいると、後続する黒鉄の重装を身に纏った二足歩行の象が、押し退けるように前へと出て地面を踏んだ。
「ここに来たのも三年ぶりか」
「アンタは運ぶのに苦労するからね。積み荷のバランス取らないと傾いて沈んじまうんだから、そう簡単に他所の大陸には行けないに決まってんだろ」
「そうではある、が」
「そんなことより、さっさと飯でも行こうよ。もうお腹ペコペコー」
「まずは冒険者組合に行かなければならん」
「あそこ美味しくないじゃん!」
「我々は仕事をしに来たのだ」
「それこそ明日からでよくない? 宿だって取らないとさー。組合の施設使うなんて絶対やだからね!」
職務を優先する象と自分を優先する猫の言い争いは、水夫たちの鬱陶しそうな視線を気にせず交わされる。
その声を聞いて、遅れて現れたコート姿の梟が羽角をツンと上に立てながら大股で二人の間に割り込んで、コートの下に隠れた腰の剣に鉤爪を添えて巨大な瞳に怒りを滲ませた。
「拙らの行動に支障をきたす行動は許容しかねる」
「む……」
「やだなー。ちょっとじゃれてただけだって」
青黒く輝く刀身をゆっくりと抜いた梟は、そのまま猫の方へと切っ先を向ける。
猫は相手が本気だと察して、刺のある雰囲気を消してニヘラと笑った。
「悪かったよ旦那。あんたにも、あんたのパーティにも喧嘩売るつもりはないさ」
「すまない」
「……分かればいい。拙も卿らも雇われていることを自覚するよう」
「はーい」
象は小さな目に理解を浮かべていたが、猫は飄々としながらも不満を顕にしている。
不快と不安を抱きながら剣を収める梟。
そこに、残っていた仲間が現れて声をかけた。
「話は終わったかい?」
夕焼けに照らされたその男は、黄金に輝く勇壮な鬣を靡かせながら現れた。
長く美しい直毛の鬣は獣王の血を引く証であり、人間の目からも整っていると分かる美貌は選ばれし者の証である。
細くとも鍛えられた体を軽鎧に包んだ獅子人は、旅の伴たちに甘い笑みを向ける。
しかし、漂う雰囲気は穏やかなものではなく、梟に対する苛立ちが滲んでいた。
「フォルファ。リコットとオーグノルは僕の大切な仲間なんだから、酷いことはしないでくれないか」
「卿は甘い」
「君は父上の部下だろ? 僕のことに口出ししないでもらえないかな。僕らには僕らのやり方があるんだから」
「あぁん、ジルカ様ぁ」
猫撫で声を出して擦り寄ってきた猫を優しく腕の中に抱いて頭を撫でる獅子。
王の子として当然だと言わんばかりに憚らない姿は次代の王に相応しい振る舞いという傲慢さがある。
だからこそ、梟はこの王子が好きではない。
(第二王子、ジルカ=グレイグラッド。卿は結果を出さねばならないと本当に理解しているか?)
黄金王は「次代を担うに序列はない」と公言しているが、今最もその地位から遠いのが自分だと気付いているのか。
白虎人の母から継いだ美貌と父から学んだ尊大さだけで至る地位ではないはずだ。
梟がちらりと象に目をやると、大きなヘルムを被って目を隠している。獅子と共に冒険者としてパーティを組んではいるが、そこに忠義があるようには見えない。
猫も同じく、王子の持つ権力に擦り寄っているだけで共に事を為そうとすら考えていないようである。
「はははっ。ほらリコット、離れてくれないと動けないぞ」
「はぁい」
頼られることが嬉しいのか、獅子は周囲に自慢気な態度を見せる。
冒険者としては中の中。しかし権力だけは上の上。
(王は何を考えているのか……)
アーレンハイトとカランドラの目を出し抜くにはあまりにも未熟な人選だ。
ただ穏やかに事が進むとは到底思えず、お目付け役として同行した梟だが非常に不安であった。
「さあ、行こうか。噂の国……の前に、いい宿にね」
キラリと牙を見せて笑う獅子に、梟は胡乱な目を向けるのだった。