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エステルドバロニア  作者: 百黒
五章 人外魔境
72/93

1 干渉





 レスティア大陸の勢力図は、大きく塗り替えられた。

 これまではリフェリス王国と神都ディルアーゼルによって二分されていたが、今ではそのどちらも覇権から遠のき、突如現れた魔物の国に譲る形となった。

 神都はアーゼライ教を牛耳っていた元老院と神聖騎士団、裏で手を組んでいたラドル公国を失い、リフェリスは多くの貴族と領土を失った。

 それは力による圧政が敷かれたからのように見えるが、実際のところはこれまでと大きく変わっていない。

 ディルアーゼルはこれまで迫害を受けていたエルフが台頭して健全に運営されているし、リフェリスは損害こそ大きかったが国が傾く事態まではいかず、比較的平穏に日々が過ぎている。

 変わったとすれば、覇権を握った国へと向き合う必要があることだろう。

 エステルドバロニアは、他国に無理な条約を突き付ける真似をしなかった。

 人間とはかけ離れた種族が暮らしながら人間とさほど変わらぬ生活を送っており、大きな戦が終わってからも高圧的に接してくることはなかった。

 初めこそ市井の人々は恐ろしい魔物に怯えていたが、時間が過ぎるにつれて遅々としながらも微々たる理解を徐々にしていったようであり、時折訪れる行商たちに奇異の目を向けはするが、それなりに受け入れつつあった。

 なにせ、エステルドバロニアの魔物たちが持ち込む品々はどれも見たことのないものばかりであり、しかも実用性に優れるときた。

 商魂逞しい者がそれを見逃すはずがない。

 代表的なものとして、魔力だけを燃料にして光る奇妙な鉱石フェルライトは廉価で販売されるため、急速に街中に普及した。

 エステルドバロニアがこの大陸に与えていく影響は、決して無視できないほどに大きなものだ。

 いや、大きなものにしていた。



「どうしたものか……」


 エステルドバロニアに聳える白亜の塔。その中央で一際高く聳える王城の執務室で、大陸に絶大な影響力を持つ国の王が頭を押さえて机の上の紙束を見つめていた。

 ダークブラウンの壁紙に床一面のレッドカーペット。魔力で動作するフェルライトが昼でも部屋を淡く照らしている。

 マホガニー製のワークデスクに差し込む陽射しは強く着込んでいては暑いからと、白いワイシャツに肩がけの黒いコートという奇妙な組み合わせの格好で、カロンは困っていた。


「スコラからのラブメール……しかも最近は毎日届く……なんだろうなぁ、軽い嫌がらせだよなぁ」


 カロンが積んでいたのは、スコラ・アイアンベイルの名が書かれた手紙の山である。

 下の方は開けた形跡があるが、上の方は手付かずで積み上げられていた。

 内容は軽い挨拶から始まってカロンを思う気持ちを綴り、最後は必ず「いつお側に行けますか? 心待ちにしていますのでお早くお願いします」という催促で結ばれていると神都のエルフの翻訳によって判明している。

 最初はカロンも真面目に読んで申し訳ない気持ちになっていたが、こうも続くとさすがに食傷気味であった。


「まあ、一応やることはやってるから潮時ではあるけど……」


 よく分からない愛を向けてくるあの勇者を城に招くと、なんだか色々なところで爆弾が作動するような気がしていた。

 特にルシュカと梔子姫が怖い。鈍いカロンでもそれは察せられた。

 ぐぐ、と椅子に座ったまま背筋を伸ばしたカロンの耳にノックの音が届く。

 自分が姿勢を正す時間を取ってから入室を促せば、扉を開けてビスクドールのような美しい女が入ってくる。


「おはようございますカロン様。部屋を離れてしまい申し訳ありませんでした」

「おはようルシュカ。こっちこそ色々と押し付けてしまってすまないな。あまり休むこともできていないだろう」

「そのようなことは。カロン様に命じていただけるのは至上の幸せでございます。何一つ苦とは思いません」

「ただ、一段落すればまた皆に休みを取らせられるはずだ。あと少しだけ頑張ってくれ」


 流麗な動作で頭を下げた執務補佐のルシュカに、カロンは穏やかな口調で戻るよう告げる。

 姿勢を戻したルシュカは、そのカロンの様子に柔らかく微笑んだ。


「もうひと月半も経ちます。難民たちの整理もつきましたし、カロン様こそ先に休みを取っていただきたいのが軍団長陣の総意なのですが」


 そう言われて、カロンは大きな窓の外に広がる蒼穹を見つめながら確かめるように呟いた。


「もう、ひと月を過ぎたのか……早いものだな」


 魔王の侵攻を退けてから一ヶ月。

 エステルドバロニアはその日からずっと慌ただしい日々を送っていた。

 大陸の北部一帯をリフェリス王国から割譲してもらったことでようやく領土を国から離れた場所に得たため、これまで城の外郭周辺で暮らしていた難民たちをそこへ移住させることとなったのだ。

 距離や規模を算出して難民を割り当て、そこに新たな住居を建設するという大掛かりな任務は、国に常駐している軍をすべて動員してようやく終わりの目処がたったところだ。

 これまで地下伽藍で過ごしていた水棲の魔物たちも北の海へと移動したし、異世界転移直後から課題だった難民問題に一段落つきそうである。

 まだ全員を望むようにするには土地が狭すぎるので完全にとはいかないが、それでも溜まりつつあった不満が一定量解消されたのは間違いない。

 カロンはほんの二日前まで種族の相性を加味した生活圏の指定に頭を悩ませていた。

 どうにかこうにか問題が起きず難民全体のストレスが低減する割り当てが完成したので、今急いでしなければならないことはない。

 強いて言えば、目の前の紙束を絶賛生成中の勇者の扱いが挙げられるが、それは今は忘れたことにしておく。


「難民たちが北部の各地に散れば、これまで止まっていた一次産業も僅かですが回復するでしょう。以前のようにまでは、どうやっても現状では難しいですが……」

「あの頃と比べれば遥かに小さな領地だ。仕方ないだろう」

「軍用の土地を若干ですが確保しましたので、そこで作物の成長速度を操作するなど実験を行ってデータを取り、成果によっては民に普及してみようと思っております」

「そうか。まあ、ドリアードとか土に影響を及ぼせる特性の魔物を各村に在住させる手もある。まだまだ資源には余裕があるから、しっかりと確立してから実行してくれ」

「承知いたしました」


 愛する主に向ける最大級の礼を披露したルシュカだったが、ふと鼻をくすぐった嗅ぎ慣れない匂いにピクピクとこめかみを動かした。


「女の匂いがします」


 本当に休みを取ろうかなと考えていたカロンは全身を硬直させて、だらだらと滝のような冷や汗を溢れさせた。


「な、何がかな?」

「その手紙から、嗅ぎ慣れない人間の女の……たしかカロン様がお戻りになられた時も同じ匂いが……」

「……」


 なぜだろうか。

 カロンの目には、ルシュカの背後から半透明な刃の触手らしきものが漂っているように見える。

 手紙に視線を向けるルシュカの眼力が胃痛を刺激してくる気さえした。

 この世界に来てから鍛えられた表情筋は無表情を維持しているが、なんと言って誤魔化せばいいのかと考える。

 まるで浮気の言い訳でも考えているような感覚。


「……いえ、申し訳ございません」

「ぇあ?」


 目を細めて必死に考えていたところに突然謝罪をされて、カロンの口から小さく変な声が漏れる。


「大陸を一つ平定し、これより世界に向けてその威光をお示しなられる御方。まことに……まこっとに不快ではありますが、そのような者が現れるのは必定でございます」


 意外な反応に、カロンは目を丸くした。

 人間に関しては自分に倣う形で多少は受け入れる姿勢に変わってくれたが、自分に寄ってくる女の気配にはもっと抵抗を示すと思っていた。

 他の軍団長は明らかに顕著な反応だ。守善にフィルミリア、五郎兵衛やミャルコ辺りははっきりと顔に出るくらいスコラの情報に難色を示してたが。

 ただ、認めているとは一言も口にしていないことをカロンは気付いていなかった。


「そう、か……?」

「はい」


 ルシュカは短く言葉を区切って、そのまま静かに佇立した。

 妙な沈黙に気まずくなり、カロンは立ち上がって部屋の外へと向かう。

 軽く手を上げればルシュカは何も言わず斜め後ろにぴたりと付いて扉を出るカロンを追った。

 城の広い廊下を歩きながら、時折すれ違う第十六団の兵に挨拶をしつつ考えに耽る。


(結婚、か)


 まだ十五、六くらいの少女に熱烈アピールを受けてその気になっているわけじゃないと思いたいが、こうして他の国とも交流を深めていくようになれば有り得ない考えでもないだろう。

 後継の問題はどうやっても発生する。それこそ自分が不老不死でもなければ、世代の移り変わりは免れない。

 権力と結びつく婚姻を王や貴族はしなければならないとこれまでに得た教養が導いているのだが、そこまで人間の国と関係を深めるのは反感を買うように思う。

 しかし魔物の、団長たちの中から嫁を見つけたとしても子を成せるのか分からない。

 恋仲がいるわけでもないのだから考え過ぎと自分でも思うが、戦が遠のけば自然と近付く平穏はカロンにそんなことまで考えさせる時間になっていた。

 辿り着いたのは宣誓をしたテラス。カロンが真っ直ぐに国を見つめられる場所だ。

 そこからの景色は以前よりも活気に溢れている。

 往来の賑わいもそうだが、これまではなかった国の出入りがあった。

 新しい土地に広がった難民たちの村と物資の往復をする為。国の周辺に作られた畑やコルドロン連峰へ農作に向かう為。周辺国との交流や警備を行う為。

 大陸での地位を確立してからこそ、エステルドバロニアでようやく外にも魔物たちの移動が見られるようになった。


「やはり、ここは何処よりも素晴らしく……良い国です」


 ルシュカがカロンより少し高い視点から見た様子を素直に口にする。

 まだ昨日のように思い出せるあの日のエステルドバロニアが戻りつつある感覚が、ルシュカの口元に自信を湛えた。


「……そうだな」


 カロンも同意する。

 この国の有り様は、生まれ育った世界にもなかった。

 理想的な多種族の共存と、一国で経済を回せる国力。

 追随を許さぬ圧倒的な軍事力に、あらゆる事態にも対応できる膨大な資材の貯蔵。

 見方を変えれば、この世界の住人に忖度せずとも独力で発展し続けていける地力がある。

 良い国だ。

 それが、王という存在一つで成り立っている砂上の楼閣だとしても。


「うぅ」

「どうされましたか!?」


 気が緩んでいたところに、プレッシャーに反応した胃の軋みを喰らって呻いてしまったカロンに、ルシュカは駆け寄って肩を抱くように体を支えた。


「だ、大丈夫だ」

「……カロン様、やはり暫くの間お休みになられるべきです。全てとはいきませんが、許可をいただければ政務は私と第十六団で執り行いますので、どうか養生してください」


 深刻そうに言われると、段々そうなのかなぁと考えてしまう。

 先も言ったように今は大きな動きもない、はずである。

 現在このレスティア大陸の海岸線にはエステルドバロニアの兵を秘密裏に配備して大陸への入出国を監視しており、空から龍たちによって動向も監視している。

 万全の体制で行われていれば何か怪しい動きがあったらすぐに報告がくると信じているので、静かな今の状況はゆっくりするのに最適だ。

 とはいえ、そこは小心者の抜けない王様。

 何もしない時間ほど不安なものはなく、最近ではベッドの上で落ちるように眠るまでコンソールウィンドウを見つめていることも多かった。


(ワーカーホリックってやつなのかな。そんなの、平社員の時にもなったことないのに……)

「それでは、大々的に人間をこの国へと招くのは如何ですかな?」


 それはルシュカの声ではなく、心地よく耳朶に響く老人の声だった。

 手すりの上に乗せていた手を細かく素早く動かしてマップを確認し、その声の主の方向へと視線を向けた。

 本気で嫌そうな顔をしているルシュカの影から姿を表した燕尾服の老紳士は、ハットを取って優雅に頭を下げる。


「ご機嫌麗しゅう、偉大なる我らが王。逢瀬を邪魔してしまい申し訳ございません」

「はっ! 何言ってるんだアルバートめ。んくっ、あお、おおお逢瀬だなんて。は、あぁっは!」


 自分の影から出てきたことに怒りを顕にしていたが、アルバートの言葉に激しく動揺を示したルシュカを気にしながら、カロンは意図を探る。


「なぜだ?」

「いえ。ほんの、ほんの少し前からお話を聞いていたのですが、なにやらお体が優れないご様子。失礼ながらカロン様は我ら魔物と違いとても繊細な種でございますから、私からもどうか休んでいたきたく思いましてな」

「ジ……アルバート、それはエステルドバロニアに迎え入れるということか? あれだけのことをした奴らをこの国へと」

「左様でありますな。現在こちらから他国へと干渉はしておりますが、他国からは一切拒否している状況です。ディルアーゼルの教皇から正式に謝罪したいとも来ていますがそれも断っております。しかしどこかでこちらも門を開けねばなりません」

「うむ。まあそうだな」


 交易をしているといっても、実際はエステルドバロニア側から一方的に行っているだけで、コルドロン連峰にトンネルを掘って道を作ったサルタンすら行商を送ってくることはない。


「ただそれは……やはり魔物だらけの異国に赴ける気概のある人間はいないのだろう。はっきり拒絶を示してはいないぞ」

「こちらの顔色を窺っている可能性も考えられますぞ? 故に、エステルドバロニアからアクションを起こせば我先にと人を寄越すかと。無論私も思うところはありますが、王の大願を思えば必要な措置と思います」

「ふうむ……」


 至極真っ当である。

 アルバートの言うことはもっともで、こうしてこの世界の国と交流できる環境になったのであればこちらにも自由に出入りできるようにするのは必要な措置だ。


「それに、この状況でエステルドバロニアに人間の医師を招けば目立ってしまいます。人間の思惑を招く危惧よりも、カロン様に良からぬ噂が立つ方が宜しくない」

「……ルシュカはどう思う?」


 冷静さをいくらか取り戻したルシュカにカロンが問いかけると、ルシュカは大きな咳払いをしてからいつもの硬い表情を作った。


「確かに、人間の出入りがない今に行うのは目立ちますね。サルタンとディルアーゼルはともかく、あのリフェリスはまだ余断を許さない。他大陸との交易を元通り行う許可を出していますし、どこかと手を組んだとしてもカロン様が侮られるのは業腹です」

「そうか。確かに人間がエステルドバロニアに訪れないままでおくのは些か不利益ではあるか。我々の国の豊かさや強さを知らしめる機会が減っているわけだし、そこから流れてくる情報もほしいところだ」

「では、周囲三国にお触れを出しても構いませんかな?」

「よし。許可しよう」


 鷹揚な振りをしてカロンが頷けば、アルバートは恭しく頭を下げてそのまま闇へと溶けて消えた。

 残されたカロンとルシュカはつかの間沈黙を保った後、顔を見合わせて少し困ったように笑った。


「アルバートは随分と張り切っているようだな」

「いいえ、カロン様。我々……いえ、国民一同この門出を心より喜んでおります。偉大なる我らが王の示した導べを辿ることへの幸福に満ち溢れ、新世界へ覇を唱える興奮がどこからも感じられます」


 それは持ち上げ過ぎでは、と思うカロンだが、マップでも分かる魔物たちの活気はそうなのかもと思えた。

 吹き抜けた風の湿り気が心地よく、カロンは外へ向いて浴びるように目を閉じる。

 あの日。

 初めて外へ出て、草原に立って感じた爽やかな風との違いが一区切りついたことを知らせているようだった。


「雨が降りそうだな」

「はい」


 この世界に来てから一度もなかった雨の気配。

 遠く南から迫る曇天が、何かを連れてくるような。

 そんな予感も感じながら、カロンは外の世界に背を向けて、優しく微笑むルシュカを連れて城の中へと姿を消した。





「そんなわけでして、神都の皆様には大変ご迷惑をおかけすることになるかとは思いますが、どうかエステルドバロニアへの訪問、住民の交流等お願いしたくってですねぇ」


 おっとりと目を細めて頬に手を添え、美しい佇まいで神殿の内陣中央に立つ新緑の【ハイエルフロード】リュミエールは、眼前の大きく質素な椅子に座る教皇に告げた。

 最も美しい種族と称されるエルフが多く集うこの場だが、最上位の存在を前にしては彼女たちの美貌がくすんでしまう程の完成されたリュミエールに、誰もが緊張した面持ちながら視線を外せない。

 そんな中、白いヴェールの付いた無垢なドレス姿の少女エイラ・クラン・アーゼルは、リュミエールの言葉に一も二もなく頷いてみせた。


「もちろんです! ぜひご協力させて下さい!」


 必死さもあるが、なにより申し訳なさが先に立っている様子である。

 近い位置に立つオルフェアにも、側で車椅子に座っているシエレにも意見を聞かず、エイラは身を乗り出さんばかりにエステルドバロニアからの要望に同意を示した。

 そんなエイラの言葉を、周囲は遮ろうとしなかった。

 エステルドバロニアに服従を示す意味合いもあるが、リフェリスで起きた事の顛末を知っていれば純心な彼女ならそう答えるのは当然だと考えていたからだ。

 王国宰相ラグロット・ボルノアに唆され、ミラ・サイファーを危険に晒しただけではなくカロンまでもを巻き込んで騒動を起こしてしまった。

 恐怖よりも謝意が先に立ち、神都に帰ってからもずっと落ち着かなかったところに持ち込まれたこの話。乗らないはずがない。


「ありがとうございますわ。神都の皆々様にご協力頂けるとしれば、カロン様もお喜びになるでしょう」

「あ、あの! その……私が訪問するのは……その、問題ないでしょうか……?」


 おずおずといった様子のエイラに、リュミエールは嬉しそうに手を胸の前で打ち鳴らした。


「それはそれは、とても喜ばしいことですね。神都の教皇自ら赴いてくださるとなれば、アーゼライ教との友好を大々的に公表できましょう」


 声色は弾んでおり、仕草にも喜色が見える。

 だが、木漏れ日を思わせる暖かな笑みだけはピクリとも動かない。


「それでは、日程などは後日使者を立ててくだされば調整いたします。ああ、それとエステルドバロニアの外郭付近に新しく小さな街を作ろうと考えておりまして、そこに各国の領事館を設置したいと考えているのです。なのでその辺りのことも色々と詰めさせていただきたいのですが、どなたか……」

「では、私が担当させていただけませんか?」

「シエレ?」


 リュミエールに向かって誰よりも早く手を上げたのはシエレだった。

 カランと車椅子の車輪を回して少し前に出たシエレは、オルフェアとエイラの顔を交互に見ながら真剣な眼差しで語りだす。


「普段あまり皆の手伝いを出来ないから、こういうところで役に立ちたいと思うのだけれど」

「そんなことは……シエレはいつも私を助けてくれているわ」

「ありがとうエイラ。でも、どうかやらせてほしいの」


 エイラはオルフェアに助けを求めるような視線を向けるが、オルフェアはシエレの目を見て覚悟を感じ取り、小さく頷いた。


「頼んだ」

「うん。任せて。リュミエール様、不肖このシエレ、誠心誠意大任を全うさせていただきます」

「ありがとうございます。では、この場にてお話することはもうありませんので、後はシエレさんと今後についてご相談をさせていただければと思うのですが」


 誘うような物言いに、エイラはこの場を締めることにした。

 まばらに去っていった者たちは、今頃リュミエールを歓待するために大急ぎで用意を進めているだろう。

 シエレはリュミエールを先導するように車輪を転がして内陣より離れた一室に入り、リュミエールが入室して扉を閉めると同時に深く頭を下げた。


「この度は、教皇様によってカロン陛下を危険に招いてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

「あらあら、それはもう構いませんよ。先程の場で何度も謝罪をいただきましたし、何よりカロン様がお許しになられているのですから。我ら王の僕が偉大な御方の意志に反するような真似はいたしませんので、ご安心ください」


 それはつまり、カロンの意志があれば手を下すのも厭わないと遠巻きに語っているに等しい。

 アルバートから担当がリュミエールに代わったことで安心している者が多いが、この言い回しから内面はあの悪魔と大差がないと実感させられた。


「それで、貴女は自身に与えられている役目を勿論覚えておいでですよね?」

「神都を監視し、それを報告させていただくことです」

「ええ。そのとおりです。貴女がこのディルアーゼルの疑惑を全て晴らすことで延命させられる。覚えておられるのなら結構です。それではその役目を果たしていただきましょう」


 リュミエールは宙に手を伸ばし、割れるように生まれた漆黒の空間に差し入れて杖を取り出す。

 それを軽く振って防音の魔術を展開すると、貼りつけていた笑顔を崩して妖しく口を歪めた。

 シエレはゆっくりと車椅子から体を下ろして、地面に平伏する。

 正しく立場を認識してくれていることを同族として内心喜びながら、リュミエールは近くにあった木の椅子に座って足を組む。


「動きはありますか?」

「神都内で不穏な兆候は見られません。皆エステルドバロニアという大きな存在に畏怖しておりますが、陛下より賜った多大な恩を忘れることなく、お役に立てればと常々考えています」

「殊勝な心がけです。他の国から接触はあったかしら」

「昨夜、カランドラより極秘裏に手紙が届けられました。信徒に紛れて使者が訪れ、魔導兵団の新兵にアーゼライの祝福を授けるために巡礼を行いたいと」

「そう」

「リュミエール様に隷属の呪を不可視化していただいたおかげで使者には知られずに済みましたが、かの者たちは我々以上に魔術に精通しております。知られる可能性はあるかと……」


 神都に張られていた惑わしの魔術は現在解除しており、合わせて神都の人間に施している隷属の呪は人目に触れぬよう細工を施されている。

 表向きは以前より遥かに平穏だが、その裏は元老院が支配していた頃よりも過激な支配の方法だ。

 たとえエルフたちに邪な思惑がなかったとしても、外から見れば怪しまれてもおかしくはない。

 ただ、リュミエールにとって重要なのはそんなことではない。

 いざという時は守る許可をもらえばいい。もらえなければ悲しいがそれだけだ。

 “慈愛”と“調和”を与えられた彼女はさめざめと泣くだろう。エルフたちの命を愛おしみながら、散りゆく姿を愛でるだろう。

 しかし、王に誓ったリュミエールにとっては、もはやその程度でしかない。

 それより大事なのは、


「我々のことに言及していなかったのですか?」

「はい。それどころか、元老院に触れることもありませんでした。情報は既に得ているはずですが、あくまでも巡礼と」

「そうですか……」


 カロンはそんなカランドラの動きをいち早く掴んでいる、とリュミエールは確信している。

 万里を見通す王の目が、知らないはずはない。

 と、魔物たちは思っているので、ぼんやりと「人の出入りがあるなぁ」くらいにしか見ていないとは考えていないのである。

 いくらカロンでも日がな一日マップを監視しているわけではないし、よっぽど特別な人間でなければ深く注意を払うこともできないのだが、少なくともリュミエールは知っていると確信していた。

 ただ、カロンは多くを語ってくれないことも知っている。

 この世界に来てから配下の自主性に任せる部分も徐々に増えているため、情報も自ら積極的に集めようとしなければ何も知らずに事態が進んでしまうとこれまでの国の動きから感じている。

 故に、こうして自らの足で情報を集めて共有する必要があるのだ。


「そのカランドラとやらが動くのであれば、他の国も動いていると思ったほうがよいかも知れないですね」

「その可能性はあると思います。恐らくですが、アーレンハイトはリフェリス、ヴァーミリアはサルタンと接触を図るかと。あの三国は大きな衝突こそ今はしていないですが、教義の違いから決して相容れることはありません」

「ああ、なんでしたか。魔物至上主義と人間至上主義のような」

「はい。ですので、アプローチにも大きく違いがあるはずです」

「分かったわ。ありがとうシエレ。貴女の献身はカロン様へとお伝えしておきますわ」

「ありがとうございます。我らは常にエステルドバロニアの、カロン陛下に貢献いたします」


 有益な情報を得られたと満足気に頷いたリュミエールが部屋を出ようとしたところで急に足を止めた。

 雷にでも打たれたのかと思うほど背筋を伸ばして硬直したリュミエールの背中を見て、シエレは床の上から不思議そうに見上げる。

 まるで何かを受信でもしているのか、ピクピクと小刻みに揺れたリュミエールは勢いよくシエレに振り向くと、素早い動きで美しいドレスが汚れるのも気にせず床に膝をついてシエレの両手を掴んだ。

 驚いたシエレだったが、初めて作った表情を取り払って泣きそうな顔をするリュミエールを見て、なんだか少しだけ安心した。


「ねえ! この国には腕利きの医者はいるかしら!」

「い、医者ですか?」

「ああ、どうしましょうどうしましょう! 以前は私が悠長なことを考えていたせいでカロン様が危険な目に遭ってしまったわ! 同じようなことになったら……どうしましょうシエレ! 私どうすればいのでしょうか……!」

「お、おおお落ち着いてください。あの、ゆら、揺らさないで……」


 ブンブンと腕を振るリュミエールの力は、見た目の数十倍はあるだろう。

 あわあわと目を渦巻かせて動転するリュミエールに意識を奪われるまで、シエレは抗うこともできずされるがままに揺さぶられ続けた。

 意外と、普通な部分もあるんだなと心の端で思いながら。





 女は、久しぶりに生まれ育った大陸の土を踏んだ。

 レスティアの東にある港町アッセルの町並みは四年前の記憶と大きな違いはない。

 フードからはみ出た金木犀色の前髪を押さえながら見回した景色は、盛大に見送られた日と比べれば遥かに穏やかだ。

 セレスタの家に嫁いですぐに夫を病で亡くし、国へ帰ることもできず外から来た勇者として腫れ物のように扱われてきた今の自分にはこのくらいが相応しいのだろうと、僅かな寂寥感(せきりょうかん)に目を細めた。

 とはいえ、迎えの者は見当たらないのが釈然としない。

 密書で日にちを伝えていたはずだが、港にはそれらしき兵の姿を確認できず、女はキョロキョロしながら港の中を彷徨った。


「ううん……おかしい」


 瑞々しい唇を拳で隠しながら困り顔で呟く。

 件の魔物の国によって情報封鎖がされているのだろうか。無事に届けられたという報告を受けてから動いているので、そんなことはないはずだが。

 曲がりなりにも聖王国へと嫁いだ元第一王女であり“花冠”の称号を持つ勇者にあからさまな冷遇をするとは思えない。

 しかし、現にこうして迎えが現れず右往左往していることを考えれば、国の中で大きな変革が起こっている可能性が浮かんだ。

 コートの懐に手を差し込んで数枚の花びらを取り出した女は、淡い桜色の魔力を込めて風へと流した。

 ヒラヒラと風に乗って舞う薔薇の花びらは空高くへと舞い上がると、流れに反するように動きを止めてからゆっくりと落ちていく。

 目標を定めてふわりふわりと舞う花びらを追うように視線を動かす女は、手を伸ばして花びらを掴んだ人物を見て瞠目した。

 白と藍の軽鎧を纏う白銀の髪の乙女。

 気高く、我が侭で、誰よりも民を重んじていた少女の面影を持つ騎士。

 なのに――


「ミラ……?」


 女は、その面影と重なることが俄には信じられなかった。

 暗く濁った氷の瞳。能面のように硬く陰る美しい相貌。決して折れぬ強い意志を感じられない、重苦しい覇気。

 真っ直ぐに歩いてくる姿に気圧されて、女は思わず後ずさった。


「久しぶり。アルア・セレスタ」


 これが本当に、あのミラ・サイファーなのか。

 眩しいほどに輝く太陽がよく似合う乙女はそこにはなく、遠くから迫る曇天のような怪物が目の前に立っている。


「アルドウィン王がお待ちです」


 そう言って誘われる先が、果たして本当に祖国なのか疑問さえ浮かぶ。

 強まっていく疑惑と恐怖に、アルアはアーレンハイトを出る直前にエレナから言われた言葉を思い出した。


『気を付けてね。もしかしたら、貴女の知るリフェリスはもうないかもしれないから』


 考えが甘かった。

 この大陸は魔境に堕ちたのだと、アルアは震える手を隠すように強く握りしめた。



書籍第二巻、コミカライズ第一巻、近日発売。

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― 新着の感想 ―
[気になる点]  ミラさーんどうしたー
[良い点] スコラ・アイアンベイルのラブレター。 早く城に呼び寄せてあげないと文面が狂気を孕んでゆくと思います。ゾクゾクします。 [気になる点] ミラ・サイファー。 サイファーさん家のミラちゃんが♪こ…
2020/07/28 22:17 ニイニイゼミ
[一言] キャー!リューさーん! リューさんが見れてありがてぇ… スコラからの手紙、最近のやつを読まなかったのが後々尾を引くような… ともあれ、どう動いていくのか楽しみです。 前知識無しでメロン…
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