エピローグ 拒絶
これにて、四章は完結となります。
「改めて、助けていただいたことに感謝を。私はニュエル帝国ガルナ・アイアンベイル皇帝の末妹、“天稟”の二つ名を冠しています、スコラ・アイアンベイルと申します」
サルタンの誇る宮殿、イル・ナ・バーネムの一室にて、鮮やかな真紅と漆黒のドレスの裾を摘んで柔らかく腰を落とすスコラを見て、カロンは頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せた。
あまりに突拍子もなかったスコラの爆弾発言はサルタンの士官たちをざわめかせるのに十分な威力があり、そのままでは落ち着いて話せないからと、カロンは主要な面々だけを連れて、壁や天井に張り付けられた織物によってアラビア調の色に満たされたこの部屋へ移動した。
「お父様、何かなさったのですか?」
「マスター、排除も視野に入れるべきかと」
すすっと側に近づいて小声で耳打ちしてきたハルドロギアとコードホルダーに返せる答えはなく、助けを求めるように窓際に立つファザール一家を見るが、ラシェラにまで首を左右に振られてしまう。
スコラの斜め後ろに控えるハインケンも似たような反応であり、カロンは笑顔を絶やさないこの奇怪な勇者に尋ねるしか答えを得る方法はないと悟った。
「……スコラ・アイアンベイル。帝国の姫君よ。私は貴様が理解できない」
「どうか深く考えずとも構いません。貴方様はただ、この哀れな女を如何様にも使えるとだけ知ってくだされば」
「貴様は勇者だ。魔を討ち、人々に光を齎す存在だ。それが何故、魔物を従える王であるこの私に媚びている?」
「あら。なにも不思議なことはございませんよ?」
「なに?」
「それがこの私の、“天稟”の勇者の性質なだけですもの」
だからそれが何なのかを教えろよ。
細められたカロンの瞳を見つめて、スコラは嬉しそうに笑みを深めた。
「勇者はかつて世界を救った九人の騎士から力と理を受け継いだ存在。私は全ての血を継いでいますが、中でも“炎帝”シャロン・ハーロットが濃いみたいで、あまり魔物に興味がないのです。どちらかと言えばそう……殺せるなら相手は誰でもいいと言いましょうか」
「誰でも、か」
「誰でもですわ。時折湧いてくる衝動をコルドロン連峰から降りてきた魔物で晴らしていましたけれど、それが出来なければ手近な人間で済ませようと思うくらいには誰でも良いのです」
そう言って、薄く頬を染めて恥ずかしそうに視線を外す姿は可憐な乙女のようだったが、カロンだけではなく他の者たちから見ても得体の知れないモノに見え始めていた。
特にイリシェナとラシェラの感じた衝撃はとても大きい。
帝国人は野蛮だと思っていたが、穏やかで慎ましいスコラはとても優しく接してくれた、血の通わぬ姉のような存在だった。
それが、恋をしたような初々しさを持ちながら異星人のような言葉を吐いているのが恐ろしかった。
ファザールとハインケンは、まだ幼い二人と違ってスコラの本質を知っていた。
それを制御するように手も回していたので、彼女の無差別な残虐性に関してはさほど驚いていない。
それよりも、この少女が一つの存在に固執するような態度を示していることの方が驚きだった。
「スコラ様、私もお尋ねしたいことがあるんですが」
「あらハインケン。そういえば久しぶりに顔を見た気がしますね。随分と顔色が悪くなったようですけど、ちゃんと休んでいますか?」
「貴方が魔王軍の手に落ちたんだから休めるわけないでしょ。そんなことはどうでもよくってですね、なんでサルタンの姫様の身代わりになったんですか」
「それは勿論、イリシェナとラシェラを助けるためです。だってあのキマイラに監視されてたら魔物狩りができなくなるでしょう? なら二人を助けて私が代わってあげた方が被害が出ないかと思っただけです」
「……」
もう少し人間らしい理由があると思っていたのに、蓋を開けてみれば合理性しか入っていなかった。
これにはハインケンも閉口してしまい、それを見てスコラは不思議そうに首を傾げてみせる。
このスコラ・アイアンベイルに友情や思いやりの感情が希薄なことは分かった。
そうなると益々、カロンに対して向ける濃い感情の説明がつかなくなってくる。
「スコラ、君はカロン陛下をヘルトフラウと呼んだね。聞いたことのない言葉だけど、あれはなんなんだい? それに、なんだか物騒なことも言ってたけど……」
「ファザール様にお教えすることはできませんわ。この焦がすような胸の炎に触れていいのは、エステルドバロニア国王陛下ただ一人です」
今この場で問題になっているのはその話題だと分かっているはずなのに、スコラはにこやかにファザールを突き放した。
「スコラ・アイアンベイル」
「あら、陛下。どうか私のことはスコラとお呼びくださいませ」
口元に手を添えて可憐に微笑んだスコラを見て、ハルドロギアとコードホルダーが何かを構える音をたてる。
カロンは小さく手を上げて制止し、言いづらそうに名を呼んだ。
「……スコラ。貴様は私に何を感じている」
「端的に申し上げれば、欲望です。勇者が求めて止まない陛下の資質が、血を沸き立たせるのです。人によって程度はあると思いますが、私は特に色濃く勇者を継いでいますので、それはもう堪りません」
小さな舌で小指を舐めて挑発的な誘惑をしてくるが、知識の問題か経験が理由か、まだ青い少女が聞きかじった情報で背伸びしているようにしか見えない。
うふふと笑うスコラから視線を外したカロンはコンソールを操作して自分のステータスを確認する。
半透明なウィンドウに表示されるパラメータは相変わらず絶望的な低さだ。
下へ下へとスライドしてスキルの欄に目を通すが、そこに書かれているのは着用している黒の王衣の効果だけであり、他に変わったものは見つけられない。
(あの特異個体っぽかったキマイラみたいに、この世界特有のモノがあるのか? 俺の使うシステムが機能するのはアポカリスフェに存在したものにだけ……。ヘルトフラウなんてスキルはゲーム内になかった。それは……)
自分も、ただの人間から足を踏み外すような何かを内包している可能性があるのだろうか。
「その資質とやらは、貴様の目から確認でき……なんか拗ねてないか?」
視線を戻すと、頬を膨らませてジト目になったスコラがいた。
「いえ、いいのですけれども。それで、陛下の囚われの姫君でしたわね。ご期待に添えられず申し訳ありませんが、あくまでも感じ取れるだけで視覚で感知しているわけではありません。勇者の本能といいましょうか、あるいは呪いといいましょうか、正しく言語化するのはとても難しいのです」
「ふむ」
「ただ……このスコラ・アイアンベイルは決して陛下を害する敵ではなく、御身のために一切を用いて合切を果たす女であるとだけ覚えていただきたく」
「あの敵ではなく…姫? 帝国には戻らないので?」
「え? どうして戻ると思っていたのです? 私、そもそも兄上に愛想を尽かしたから国を出たのですよ?」
「え……? そうなんですか……?」
「あら、知らなかったのですね。まあ兄上の沽券に関わるので将の貴方にこれ以上は話しませんけれど。それにですね……こんなに素敵な殿方に出会えたのだから、帰るわけないじゃないですか」
「……俺にはひよこの皮を被った化け物に見えますがね」
「あら、それを古い文献ではギャ……ギャップ萌えと表現するそうですよ?」
「お父様も我々も受け入れるとは言ってないのだけれど」
「でも、言いたいのではないですか? 救世の人造兵器が全面協力するとなれば……そう、私一人で国一つ得るよりも遥かに有益だと自負していますわ」
「姫。帝国は魔王軍の侵攻によって今も変わらぬ苦境の只中にあります。貴女が戦線へと戻れば……」
「お断りします。周りがどう思っていたかは知りませんが、私が戦場に居たのは衝動を抑えるため。帝国のために力を振るったことなんて一度もありません」
「姫!」
「それくらいスコラは兄上に怒っているの。自我を確立してからずっとね。それとも今度こそ力づくで連れ戻す? 貴方の兵を掻き集めても私は片手間で殺せますけれど、どうしますか? だから私が眠っている間に連れて行きたかったんでしょ?」
「それは……」
「長い付き合いですから、貴方の狡賢さは重々理解しています。兄上への忠誠を誓いながら、違う何かを求めていることも」
「スコラ、もしカロン陛下が帝国に帰るよう命じたらどうするんだい?」
「それは困りました。ですが、まあ、すぐ戻れるようにいたします」
「姫。まだ俺の話は終わってないですよ!」
「いいえ、終わっています。私を所有する相手は私が決める。そしてそれは帝国でも兄上でもない。それだけのことです」
喧々囂々と、カロンたちエステルドバロニア側の意見も聞かず白熱していく議論。
すでにスコラはエステルドバロニアに行くことを決めているような口ぶりで、決まってもいないのに阻止しようとハインケンが懸命に訴えている。
ああ、イリシェナとラシェラも置いてけぼりだ。
なんだか同士を見つけたような気になったので、カロンは目があったラシェラに手招きをする。
ハルドロギアと同年代に見える幼くも美形の少年はパタパタと小走りで駆け寄り、ハルドロギアとコードホルダーに怯えながらもカロンの側へと近寄った。
「どうかされましたか?」
少女とも少年ともつかない柔和な声で、カロンの顔を覗き込むラシェラ。そこに魔物に向けるような警戒心は感じられない。
カロンは知らないことだが、ラシェラにとってカロンは父と同じく尊敬する人物に昇華されていた。
力を持ちながら溺れることなく、しかし容赦のない苛烈さも持ち合わせた、縁もゆかりもない地を救ってくれた王様なのだ。
長い前髪の合間から大きな瞳を覗かせて心配そうに憂う表情は美少女のようにも見える。
ギリリ、とハルドロギアが槍を強く握り締める音が聞こえた。
「少し聞きたいことがあってな。スコラは以前からあのような調子だったのか?」
「いえ……そのままといえばそのままです。ただ、自分のことは何一つお話しにならなかったので、いつもニコニコしているから何を考えていたのかは僕には分かりませんでした。さっきの話を聞いて、驚いたけど少し納得したというか……」
「そうか。うん、ありがとう」
この場を収めるには、カロンが答えを出すしかない。
しかし、場を制しているのは間違いなくスコラだ。
カロンの言葉で左右されるように見えるが、実際はスコラが主導権を握って道を塞いでいる。
ハインケンに押し付けたい気持ちが非常に高まっているが、あの執着を見せられるとそれも悪手な気がしてならなかった。
戦後処理のために王が自ら奔走しなければならないものなのだろうか。
カロンの安息はまだまだ先のようだ。
「……ふぅ」
カロンがそれらしくパチンと指を鳴らすと、賑やかな口論がピタリと止まる。
「ハインケン、私との勝負は忘れていないな?」
まだスコラに言い足りない様子だったが、ハインケンは首を覆う布を持ち上げて真剣な面持ちを作る。
「当然だ。それで、どうなんだよ」
「無論私の勝ち……と言いたいが、ハルドロギアの空間に侵入して身柄を確保した手腕は認めよう。スコラ、貴様が私に使われたいというならば、暫くこの地に留まれ」
「あら、それは通い妻ということでしょうか?」
「何言ってんの……んんっ! そうではなく、まだ我々も他国から人を受け入れる用意が整っていない。貴様ほどの者を街に住まわせるわけにもいかんから必然的に城へ招かねばならん。用意が済むまでの間はファザールが世話をするように。その間心変わりをするなら帝国に戻ることも許そう。ハインケンも説得を続けることを認めよう」
とりあえず、今は全部をサルタンに丸投げすることに決めた。
一応は全員の顔を立てた提案だ。不満はあっても文句は出せないだろう。
カロンの思惑は上手くいき、全員が何か言いたげにしながらも渋々受け入れる様子である。
これで時間は稼げた。
(あとは……)
◆
王国の様相は、この数日で一変してしまった。
魔物を従える異邦の王が失踪したことは、街に暮らす住民が知り得るものではない。
だが、化物が我が物顔で国の中を闊歩しているのを見れば何かあったとは容易に察せられる。
勇壮に思えていた城を出入りする者たちに人間は居らず、騎士どころか一兵卒すら帰ってこないのだから、異常だと感じられた。
しかし、そう思っても口になど出せるはずがない。
怪しい人間を探すように周囲へ鬼気迫る眼光を放つ魔物の耳に入りでもしたら生きてはいられないと、直感で察せられるからだ。
口を噤み、震えを隠し、動きを止めて過ぎ去るのを待つ。その対処は天災を切り抜けるようなものである。
街がその様子であれば、魔物を招いた城の中は更に悲惨なものであった。
――王国の人間によってエステルドバロニア王に危害が加えられたことに端を発する監禁生活。
夜会に集まっていた貴族から一介のメイドに至るまで、全員が獣の監視下に置かれた数日間。
初めは抵抗も多かったが、さしたる闘争も知らない貴族と甘やかされた勇者候補如きではどうすることも出来ず。
日が進むごとに一人ひとりと魔物に連れて行かれ、隣室で絶望を声にしたような悲鳴が毎夜聞こえてくれば気も触れる。
今では城の中に囲われた人間という種は、唯々諾々と魔物に飼われる存在に成り下がっていた。
玉座の間には、あの夜会に参加していた人間が全員集められていた。
力なく項垂れる人間を監視する大狼と猫狐が落ち着かない様子でうろうろと部屋の中を、グルグルと、シューシューと吐息を鳴らしながら、武器を手に徘徊している。
誰もが目の下に大きな隈を作っており、疲弊しきった暗い顔をしているが、中でも玉座に座るアルドウィン・リフェリと、ハルーナの側に置かれたエイラ・クラン・アーゼルの二人は死相が出ていそうなほど蒼白な顔で小さく震えていた。
その側に侍る勇者ミラ・サイファーは、周囲から魔物を野放しにしていることを責めるような視線に晒されながらも顔色一つ変えずに腰に差した剣を弄っている。
これから何が行われるのか察しはついている。洗いざらい調べ尽くされて、言い逃れのしようがないほど犯行の証拠を掘り出された罪人たちを、どう処罰するかの沙汰が下されるのだろうと。
そして、それを仕切るのはこの国の人間ではないことも。
グラドラとエレミヤの耳がピンと上を向き、二人は足早に扉へと駆け寄った。
――来た。
扉に彫られた創造神アーゼライが二つに割れて開けられていく。
先に入ってきたのは案内役を買って出た守善だ。巨大な腕を太く膨張させて漲らせ、いつもの気怠げな顔を凛々しく引き締めて広間へと足を踏み入れる。
そして、その後ろから現れる黒の王。
すぐに左に控えたグラドラの隣に並んで膝をついた守善を顧みることをせずに迷いなく歩く男。
初めてこの間に訪れた時よりも冷たく鋭く暗く重い眼光から放たれる、どこか陰気な威圧感に、男を見た人間はブルリと震え上がった。
同一人物とは思えない迫力は、転移させられた地での経験で研鑽されたが故か。
両隣にルシュカと梔子姫という絶世の美女を従えていても違和感を感じさせない。
「やあ、諸君」
晴れやかなカロンの声に、国の中枢たちはビクリと肩を震わせて反射的に跪く。
魔物の王に敬意を払うなどと思う余裕はなかった。
エステルドバロニアの王は、神すらも殺す軍勢の頂点という認識が広まっていたからだ。
張り詰めた空気を割くようにゆっくりと歩くカロンだったが、横から飛び出してきた小さな影に驚いてピタリと足を止めた。
ルシュカと梔子姫が構えるよりも早く、影はカロンの足元で縋り付くように土下座をして嗚咽混じりに叫んだ。
「申し訳ございませんでした! わたっ、私のせいで、っ、カロン様に多大な……多大なご迷惑をっ!」
それは、罪の意識に押し潰されそうになっていたエイラだった。
純白のドレスを汚して必死に許しを乞う。恐怖と謝意がごちゃまぜになった声で何度も。
エイラの立場を考えれば当然だ。
対外的にはあくまでも友好関係だが、実際は監視下に置かれているに等しい神都の教皇である自分が発端となって一連の騒動を引き起こしてしまった。
反旗に加わったわけではないが、しっかりとした警備を用意できず策略に利用された罪は、並べられた罪人たちにも比肩するだろう。
一言配下に命じるだけで、一晩もかからず神都を滅ぼせる人間の不興を買ってしまったかもしれない恐ろしさは、まだまだ未熟な少女に耐えられるものではない。
「わたし、私はどうなっても構いません! で、っですが神都の皆はどうか、どうか……!」
それでも、彼女は大切な国のために自らを率先して捧げられる。
あの日、エステルドバロニアが神都に訪れた日と同じように。
そんなエイラの変わらない献身に、カロンはゆっくり膝を折ると、そっと淡い空色の髪に触れた。
「すまなかったな」
「えぅ……どうして、カロン様が……」
「しっかりと警備を構築しなかった私の責任だ。貴様が負う必要などない」
事実、これはカロンが悪い。
こんな事態が起こるとは想定していなかった。
いや、多少は想定していたがここまで大事になるとは思わなかったのだ。
エイラの価値を全く理解していなかった部下に任せていたことも、何か起きてもこの面子ならどうにか出来ると無意識な自信を持っていたことも原因である。
「不安だったであろう? だから、すまなかったな」
大粒の涙を溢しながら顔を上げたエイラは、ぼやけた視界でカロンの顔を見て、一際大きな声で泣きじゃくった。
安堵の涙を流して叫ぶエイラの頭を数度撫でたカロンは、「ハルーナ、任せる」と告げて再び歩き出す。
堂々と罪人たちの間を大股で歩き、玉座の前で足を止めて不敵に笑った。
「ディルアーゼルの答えは知った。あとはリフェリス、諸君らの番だ。相応の謝罪はしてくれるのだろう?」
たとえ相手が魔物の主であろうとも、家臣が一国の王に狼藉を働いたのだ。
その責任をアルドウィンは王として負わなければならない。
だが、エイラのように恥も外聞もなく謝ることなど出来るわけもない。
自室にて一人監禁されていたせいで誰に相談することもできず、何も考えつかなかった無能な王は挑発的な言葉を浴びて返答に窮してしまった。
「エステルドバロニア王、此度の一件は我らに否があることは認めよう」
代わりに声を発したのは、ミラであった。
「ラグロット宰相をはじめ、貴国を心良く思わない者たちが影で手を組み計画を企てていたことも事実。だが、殆どの者が行動に移すことはなく事態は収束を迎えている。加担していたことは確かに相応の報いを受けるべきではあるが、このような扱いを受けねばならないほどの重罪を犯した者は限られるのではないか」
「ほう。しかし未然に防いだのは後の対処が迅速だったからであり、それを行ったのは我が軍だと聞き及んでいる。いくら未遂とはいえ、確たる意志を持って我らへの敵対を選んだのであれば、そこの宰相と同罪にも等しい」
「他国に訪問して身勝手な振る舞いをしたとも言えるぞ? エステルドバロニアの手を借りずとも我々騎士団は職務を全うできたのだ。力を振りかざして言論を封じ、活動を阻害し、城を制圧する行いのほうが無礼だろう」
「もしもの話をして何になる。結果我らは、我らの安全を、我らの手で得た。そもそも初動の時点で規模の把握も出来ていなかった諸君らが自国の有力貴族に配慮せず封鎖できたとは到底思えぬぞ? 諜報の類も封殺したから外への連絡手段を断ち、市民に被害も出ず、犯人も洗い出した。それほどのことが出来たと? 新しい騎士団長のもとでそこまでの統率がとれると?」
「当然だ」
「……」
悪びれることもなく口にできるのはさすがミラ・サイファーか。
ここまで堂々とされてしまうと逆に言葉がなくなってしまい、カロンはドヤ顔をする銀髪の騎士団長を見ながら眉間を押さえた。
ちらりと横目で周りの様子を確認すると、身なりの良い者たちは皆口を固く噤んで事の次第を見守るばかりで、口撃の応酬に加わる気配もない。
王国内で騎士団長の地位は今まで以上に高まっている。
公爵家の娘であり、歴代最高の勇者という肩書と実力は各派閥も迂闊に手を出せないほどだ。
カロンの言うとおり、騎士団長になりたての彼女では騎士たちを纏め上げて忠実に従わせるのは難しいだろう。
しかし自信に満ちた表情は不可能などと考えさせる弱さがなかった。
睨み合いながら互いの出方を窺う両者。
カロンの矛先は、アルドウィンに切り替えられた。
「では話を変えよう。リフェリス王は、この者たちの処遇をどのようにお考えか」
突然話を振られて、アルドウィンの肩が跳ねる。
「我らへの感情はともかくとして、この者らは国家転覆を謀った大罪人であるはず。まさか全面戦争の引き金を引いた人間を無罪放免にはしないだろうな」
「そ、れは……」
カロンの後方で体を丸くしているラグロットの姿は、あの威厳ある宰相とは似ても似つかぬほど弱り果てていた。
長きに亘って公私ともに支えてくれた義兄を、アルドウィンは処刑しなければならない。
その隣ですすり泣くのは、最も頼りにしていた賢者の忘れ形見。
飄々としながら的確な助言を授けてくれた偉大な勇者が残した娘を、心を鬼にして殺さねばならない。
他の者も、時に助け合い、時にぶつかり合い、そうして国を育ててきた仲間だ。
そんな大切な臣下であっても、その罪を雪がせるために首を切らねばならない。
あまりにも平和だった。
長い歴史からすれば一時だが、大きな問題を内に抱えることなく時が過ぎ、良くも悪くもアルドウィンから人間らしさを奪わなかった。
豪華な装いで玉座に座っているが、所詮自分一人では何も成し得ず生きてきた血統だけの男。
誰に助けも求めさせないと、カロンの側に立つ二体の魔物が凶悪な気配を漂わせている。
一人で考えた果ての決断は、あまりにも伽藍堂なものだった。
「エステルドバロニア王、それはもちろん――」
「然るべき報いを受けるべきである。だが、それはリフェリスのもとにて執り行う。が、外部の干渉は受けん」
ミラの声に被せて、震えた壮年の声が辺りに響いた。
しん、と静まり返る広間。
カロンも、ミラも、他の者たちも、驚きに目を見開いている。
「確かに、我が臣がそなたに行ったことは許されるものではない。怒るのは尤もだ。だが騎士団長の言うように他国で権力を振るったこともまた問題なはず。であれば、これを互いの妥協点とはできないだろうか」
ミラは、騎士団長としての立場を忘れそうになった。
それどころか、騎士として王に仕えるという命題すら忘れて、斬りかかりたいとまで思った。
それほどに激しい怒りが湧き上がり、ギチギチと拳を作ったグローブを軋ませる。
「それは……処刑をそちらで行うと?」
「贖罪の方法はこちらにて決める。介入はさせん」
念の為尋ねたかのようなカロンの疑わしげな様子に、アルドウィンは毅然とした態度で言葉を返した。
ミラは叫び出したいくらいだった。自分が今していたことを全て台無しにして厚顔無恥な姿を晒す己の王が害悪にしか見えない。
エステルドバロニアが、そのような生温い答えを許すわけがないくらい普通分かるはずだ。
王を害されていながら穏便に済ませてくれる国が世界のどこに存在するというのか。
カロンは無傷だが、それこそ王国とは関係なく自力で対処したからで、結果論でしかない。
(なぜ、罪人の首と自らの進退を賭けんのだ! せめて、国を守ろうという意志の一つくらい示すのが王だろう!)
アルドウィンは無意識に地位に固執した。
王の肩書きを失って、何も出来ぬ哀れな老人になることを恐れた。
王国が失ったのは勇者という武力だけではないことが露呈したのであった。
「ルシュカ、こいつ本気で言っているの?」
「黙ってろ」
「しかも他の人間は助け舟も出さないし」
「黙れクソ狐!」
揉める梔子姫とルシュカの小声を聞きながら、瞑目していたカロンは「なるほど」と呟いた。
その昏い声に皆がはっと顔を上げる。
「それはつまり、我々に対して一切の謝罪もなく誠意もなく、自分の都合で物事を推し進められる相手だと思っているわけだな?」
「魔物の国に……干渉は受けん……それがリフェリスの――」
「アルドウィン・リフェリ、愚か者め。未だに魔物風情と侮るか」
押し殺していた怒りがマグマのようにドロドロと心の中に流れ込み、視界をちらつくノイズが助長していく。
強く握った手を震わせても止まらない感情の揺らぎに、カロンの蒼黒の双眸が激情に歪んだ。
「ふざけるのも大概にしておけよ人間! 貴様が国の流儀を持ち出すのであれば、我らも我らの流儀を以って即刻罪人どもを八つ裂きにして城の飾りにしてやってもいいのだぞ!」
王の怒りに呼応して、魔物たちが武装を整えて構えた。
「国益ですらない、ただの我儘だと! それでも王か貴様! それが一国の王たる振る舞いか! 貴様はそれで、一体何を守るつもりなのだ! なんなんだお前は! なんなんだお前らは!!」
怒りには、落胆も混ざっていた。
そうであってほしい願望。そうでなければならない観念。そうあるべき理想。
認めてほしい。受け入れてほしい。信じてほしい。
憎むべき相手。殺すべき怨敵。排除すべき障害。
内にて揺蕩う様々な感情が眦から涙とともに溢れてくる。
何もかもを台無しにされたような深い絶望が、脳内で明滅する文字化けした記号の羅列を強めていく。
――人間は敵だ。
「……っ!」
ぞわりと、突然浮かび上がった明瞭な言葉に背筋が寒気立つ。
叫びそうになる衝動に合わせて浮上してきたその言葉は、頷くと大切な何かを失うような予感がした。
唇を強く噛み締めて気持ちを整えたカロンは、ゆっくり拳を解いて肩を落とし、深く息を吐き出す。
そして、さっきまでの激情が嘘かと思うほど冷静に言葉を紡いだ。
「では、任せよう」
そして、周囲がまた驚きに目を見開き、今度は口もぽかんと開けた。
「私も疲れているからな。早く帰って休みたいのだよ。だから、そちらで解決してくれるならその方が都合がいい。ありがとうアルドウィン王。おかげで暫くゆっくりできそうだよ」
ルシュカは、驚きからパクパクと金魚のように口を開閉して言葉を探している。
アルドウィンも、自分で言っておきながらすんなり要求が通ったことに驚きを隠せない。
エステルドバロニアの絶対条件は、リフェリスの上位に立つことにあると普通なら考える。
どちらにとっても不本意な友好関係を拒否して、相手の国力を削ぎながら有利な条約を結べる絶好の機会を棒に振る意味が分からない。
このまま罪人を見過ごせば、王国に弱気な態度をとったとしてカロンの評価にマイナスが付くことにもなる。
そもそも、あの怒りはどこへ消し去ったのか。
「これだけ譲歩したのだから、当然空白になった領土の割譲は認めてもらえるのだろうな」
「……」
「まさか、自分に都合のいい条件ばかり押し付けるような真似はするまい?」
土地への固執か。
自国の領土を正式に持たないエステルドバロニアにとっては死活問題ではあるが、それこそ抱き合わせで認めさせればいいだけのこと。わざわざこんな融通をする必要などない。
では、なぜ急に方向を変えたのか。
多くの貴族を失ったことで管理が難しくなるよりも、危険な北の一帯を魔物に与えた方が安全かと考えたアルドウィンはカロンの提案に首を縦に振った。
周囲に是非を口にする間を与えることなく、目的は果たしたとカロンは踵を返す。
脅威が去った途端に騒ぎ出したのを遠くに聞きながら、ミラは城の人間を無視してその背を慌てて追いかけた。
「カロン!」
背の高い魔物たちに囲まれたカロンが、足を止めて振り向いた。
ミラに向けてルシュカが即座に銃を構えるが、優しい手つきでそれを制し、カロンは薄く笑ってみせる。
「約束は果たしたぞ」
それだけを告げて、カロンが振り返ることはもう無かった。
ミラから離れて城の外へと向かうカロンたちは、よそよそしい雰囲気を漂わせていた。
カロンのことが心配だが、何事もなかったかのように振る舞われてしまうと触れてよいものか考えてしまう。
ルシュカでさえも、見たことのないカロンの様子にどう接するのが正しいのか導き出せないでいた。
そこに、柱の影からアルバートが姿を現して深く頭を下げ、足を止めないカロンを不思議そうに見ながら歩調を合わせて横へと並んできた。
「お疲れ様でございます、カロン様。……随分とおかしな空気ですが、何かあったのですかな?」
「んー……王様がね? 悪者をみんなこの国に任せるーって置いてきたの」
近くにいたエレミヤが答えると、アルバートは驚いたように目を見開いたが、すぐに獰猛な笑みをハットの下に隠した。
「くはは、左様でしたか! それは素晴らしいですなぁ」
「つまりどういうことだよジジイ……」
「簡単だよ梔子嬢。つまり、カロン様はこの国を布石になさろうとしているのさ」
「はあ?」
すぐにカロンの意図を察したようなアルバートの言葉を理解できたのは「ふむ」と呟いたルシュカだけで、他はやはり分かっていない。
「いいかね? この国は我々に対する不穏分子が山ほどいるのが今回の一件ではっきりしただろ?」
「そうだね。あの人間の様子だと処刑はしなさそうだったし」
「だが、目に見えて脅威となるのは“天雷”の騎士しかいない。一夜もあれば滅ぼせてしまう国だ。今回は魔王軍の介入があったおかげで大掛かりな策を実現できたが、単体では蟻塚くらいの存在感しかない」
「それで?」
「だからカロン様は、我が国と敵対する連中を炙り出す生き餌になさるおつもりなのだよ」
エステルドバロニアという、魔王軍に類似した国に反発する勢力はいくらでもあるだろう。
その勢力がエステルドバロニアを滅亡させようと動く場合、当然この大陸の勢力から協力を得なければ直接は乗り込めない。
サルタンは友好を明確にしているし、ディルアーゼルは宗教の本拠地なので基本的にはどこかに肩入れすることはない。
そうなると残るはリフェリスだけとなり、リフェリスまでがエステルドバロニアに協力姿勢だと大陸全土と争うことが決定する。
そこにわざと穴を作ることで、情報の収束する場所を限定することができるということだ。
「罪人どももカロン様とミラ・サイファーが親しいと知ったことだろう。ミドガルズオルムを殺した実績を知れば自分たちでは不可能だと悟り、二度目を成功させるために外部の手を求めるわけだよ」
「魔王軍との戦で王国軍の被害を出さずに終わらせた実力。これだけのことをした相手を生かしたという恩赦。実像を掴ませないことにも一役買う、か」
確かにそこだけを注視すれば理屈は通る。
だが――
「カロン様」
「カロン」
「っ……ああ、どうした?」
ルシュカと梔子姫は、示し合わせたようにカロンの手を左右からそっと握る。
絹のように滑らかな肌の温もりと、柔らかな毛に包まれる感触が、震えていたカロンの手を優しく包み込む。
「どうか、思うがままに」
「君が望むように」
「それが我らの願い」
「僕らの救いなんだ」
王の為に生きて、王の為に殺し、王の為に死ぬ。
決して厭わず躊躇わず、エステルドバロニアに殉ずる。
カロンが周りを見れば、二人と同じように気遣わしげな眼差しを向ける仲間たちがいる。
彼らに――カロンは笑ってやることができなかった。
(違う。違う。違うよ)
殺すことを避けたんじゃない。
あの瞬間に感じた悍ましい何かに近い感覚を、カロンは二度経験している。
一度目は神都で。
二度目は牢獄で。
どちらも視界にノイズが奔り、そして何かを失ったような気がするのだ。
もし、あのまま心に従っていたら、自分はどうなっていたのか。
なってはいけないものになるのではないかと、恐ろしくなった。
開けていく視界。城の外に広がる王都を縦断する魔物の軍勢。
ふと思ってしまった。
あのままいけば、自分は人間ではなくなってしまうと。
「……怖い」
王を讃える歓声の中に、この弱音が紛れてくれたらと思った。
魔物たちにも敵にも感じなくなっていた恐怖心を自分に感じて、カロンは顔を上げることが出来なかった。
何かを聞いたように、胸を強く握るエイラの憐れむような顔にだけ、人差し指を立てて唇に添えて見せる。
――言わないでくれ。
それは今度こそ確実に、歓声に溶けて消えた。
エステルドバロニアが去った翌日。
リフェリスの城の前に、二つの首級が飾られた。
城の人間による犯行なのは間違いなかったが、下手人に繋がる証拠はひとつも見つけられなかった。
ただ、宰相と女の首には焦げたような痕跡があり、捨てられていた胴体には無数のミミズのような赤く腫れた跡があったそうな。
◆
レスティア大陸の南に位置するルサリア大陸には三つの国がある。
ウルガ大森林を拠点とする獣人連合国ヴァーミリア、アルタユ渓谷に砦を構える魔術国カランドラ、アンダール平原に首都を置く聖王国アーレンハイトである。
宗教の違うこの三国は常に争いが絶えず、大陸の覇権を握ろうと画策し合って数百年の時を変わらずに重ねていた。
常であれば賢人会議と呼ばれる、各国のトップが集って協力し合う――という名目で懐を探り合う――場でしか顔を合わせることのない首脳たち。
しかし、アーレンハイトの首都エッツァの中心に建つ城、白い竜のモニュメントが城の天辺に飾られたエッツァ城には、どういうわけかヴァーミリア、カランドラ、アーレンハイトのトップが首を揃えていた。
部屋は白い壁の至るところにアーレンハイトに伝わる竜聖女の伝承を題材にした意匠が施されており、華美な銀と朱で飾り立てられている。
巨大な竜と美しい乙女を描いたステンドグラスから差し込む色とりどりの光を浴びたテーブルを囲む者たちは、三者三様の面持ちで互いの出方を窺っていた。
「……こうしていても埒が明きませんね」
そう口にしたのは、上座に座る妙齢の美女だった。
ウェディングドレスのような純白の法衣を着た女は、ステンドグラスから抜け出したかのような清廉さを纏い、白と藍の長い髪を揺らして立ち上がると、左右に座る二人の王を見つめて黄昏色の瞳に憂いを溜めた。
「レスティア大陸に魔王の軍勢が攻め込み――何も出来ぬままに全て討伐されました」
ヴァーミリアの王も、カランドラの王も、女の言葉に驚くことはない。
「で? だからなんだと言うのだ。我らを緊急の文で呼び寄せたかと思えばその程度。こんなことに時間を浪費していたくはないぞエレナ」
「ええ。あれだけの激しい戦闘と魔力を感じれば当然存じ上げているとは思いましたが、念の為ですよグラングラッド」
女をエレナと呼ぶヴァーミリアの王は、獣の鼻をフンッと不満げに鳴らし、獅子の腕を組んで尊大に顎をしゃくった。
獅子人である獣人連合の王グラングラッド=ザルバは、巨体をダークブラウンの司祭服の上から金のスカラプリオで包み、全身を大粒の宝石で飾った裕福を形にしたようなライオンである。
態度こそ高慢だが、この三人の中では比較的真っ直ぐな性格で、特に約束は決して違えない律儀さを持つ。
三国で取り決めた「他大陸への対処は合同で取り組む」条約を反故にしたことはないゆえに、こうして文句や辛口を飛ばしはするが、重大さはしっかりと認識していた。
「ならさっさと本題に入れ。その魔王軍を倒したというのは、どこの誰だ? 新たな勇者か、帝国か、それともどこかの肩入れか? 戦力で考えればぎりぎりグリオンかカムヒしかないが」
「いいや、そのどれでもないぞ」
「……はあ?」
予想を即座に否定されたグラングラッドは、怒りよりも先に疑惑が浮かび、否定した老人へと目を向ける。
顔の下半分以外を灰色のローブで覆い隠した老人、カランドラ王国の魔術王ウーンネーラ・ツェルノアは、長い白髭をローブの裾から出した枯れ枝のような手で擦りながら皺だらけの唇をゆったりと動かした。
「以前、賢人会議の場で話したことを覚えておるかの?」
「ああ……ひと月くらい前のあれか。魔王が復活しただの、レスティアで強大な魔力がどうだのと言っていた……」
「うむ、それじゃ。今までは魔王領を監視していたが、新しくレスティアも覗いておってな。先日までは強固な魔術防壁によってディエルコルテの丘周辺を観測できなかったのじゃが……ついに防壁が解かれたのよ」
「それで?」
「そこにあったのは、アーゼライの聖地ではなく、巨大な国だったそうです。それも、魔物や亜人、獣人の暮らす国が」
ウーンネーラはただ事実を告げるように、エレナは深刻そうに。
グラングラッドは、喉を震わせて高らかに笑った。
金のたてがみを激しく揺らしながら豪快に、椅子から転げ落ちそうなほど激しく。
「がは、はぁっはっはっは! なんとも愉快ではないか! 新しい魔王でも登場したか!? ははっ、ニュエルの皇帝が苦い顔をするのが目に浮かぶわ! くっくっく!」
「笑い事ではありません! グラングラッド、これは由々しき事態ですよ? 魔王が復活しただけでも問題だというのに、それを越える存在が現れたのです! このままではかつての大戦の……いえ、それよりも悲惨な運命を人類は辿ることになります」
「ふんっ! 話を聞くからに魔王と敵対しているのだろう? ならば良いことではないか」
「魔物は全て滅ぼすべきです。人間の命を脅かす地獄の使者と代わりありません」
「それは、ザルハを信仰する我らに対する明確な敵対ととって構わんのだな? 迂闊なことを口にするなよアルマの飼い犬、竜の生贄め。聖王猊下の汚れた肩書きを薄汚いドレスごと引き裂いてやろうか」
獰猛に喉を鳴らして睨む琥珀の双眸。
エレナは、悲劇のヒロインのように驚きと悲しみに表情を歪めるだけで、否定も肯定もしなかった。
作り物のような表情や動きをしているが、紡がれない言葉こそが彼女の気持ちを雄弁に語っている。
「やめよ。話が逸れておる」
ウーンネーラが深く息を吐きながら枯れ枝の手を揺らして二人を制止すると、グラングラッドは不承不承ながらも牙を収めた。
「エレナ・ルシオーネ。三国それぞれ教義が違うのは理解しておろう。この場で口にすべきではないぞ」
「ええ、申し訳ございません。グラングラッド王、深くお詫びいたします」
そういって陽だまりのような笑顔を浮かべてエレナが頭を下げるが、グラングラッドは視線を外して吐き捨てるように舌を鳴らした。
「……それで、どうする」
「まずは、我々の方針を示すべきかと」
「なら決まっている。我らヴァーミリアは件の国に対して前向きな対応を検討する」
「ぬしらは、そうであろうな」
女神ザルハを信仰するヴァーミリアの意志を明言したグラングラッド。
それは人間至上主義のアルマ聖教を国教とするアーレンハイトとは決して交わらない方針で、先の流れと似た空気になる。
だが、これは仕方のないことだし、予想できた展開だ。
「我らカランドラは、無論中立を貫く。レスティアのように腐ったアーゼライ信仰はしておらんのでな。向こうが手出しをせんのであれば静観させてもらうつもりじゃ」
「では、当然私どもの方針もご理解かと思いますが、我々アーレンハイトは魔物を決して許容いたしません。場合によってはニュエル帝国と手を組むことも考えています」
分かりきっていた。
だから、当然行き着く答えは――
「では、ルサリア三国はこちらから干渉をしないことでよいな?」
「……仕方ありませんね。魔物の国と知ってしまった以上、対立は余儀なくされていたようなものですから。ある程度進行しなければ今後の方針も定まりません。ヴァーミリアも戦火を灯されるようであれば、合同で敵の侵攻を防ぐという道もありましょうが」
「どさくさに紛れてアルマ聖教の狂信者どもに攻められぬよう警戒せねばならんな」
「グラングラッド、それも今話すべきことではないぞ」
「とにかく。此度はそれで同意していただけますね?」
カツンとヒールを鳴らして問いかけるエレナに、二人は頷いてみせた。
灰のローブで隠れた老人の顔は見えず、対して獅子人は隠すこともせずニヤリと笑う。
同意を得られたことに喜ぶ笑みを浮かべながら、エレナは強く頬を噛んでいた。
「――そういうわけです。我々は魔物の国に対して何も行動を起こすことができません」
エレナは、ベッドと彫刻しかない私室でそう零した。
銀と朱が散りばめられた悪趣味な内装に、天蓋付きのベッドと、竜と聖女の彫像。
人間味の感じられない部屋で、ベッドの縁に座るエレナは困った顔で呼び立てた相手を見つめる。
「だから、アーレンハイトの人間はレスティア大陸にはいけないの」
「……それは、早くに夫を亡くした私を聖王国の人間として認めていないと言う意味ですか?」
エレナの視線の先に立つのは、まだ若いながら蠱惑的な女だった。
体の線が心配になるくらい細いのに、胸と尻だけは立派に育った体躯は、満開の花が沢山付いた白いワンピースでは隠しきれない肉感をもっている。
泣きぼくろが特徴的なおっとりした顔立ちだが、エレナに向ける視線は鋭い。
「ああ、違うわ! そうじゃないの! ごめんなさい……貴女は間違いなく、セレスタ家の妻よ」
配慮が足りなかったと慌てる乙女に、女は一度瞑目して気持ちを落ち着けてから改めて目を合わせた。
「それで、私に何をお望みですか?」
「ええ。貴女はセレスタに嫁いだ身だけれど、リフェリの長女でもある。だから、一度里帰りのつもりでリフェリス王国に戻って大陸の情勢を調べてきてほしいのです」
「それは……ヴァーミリアとカランドラから何か言われるんじゃないですか?」
「大丈夫ですよ。筋は通ってますもの。それに、向こうも何かと理由を付けて人を送り込むのは間違いありません」
「はあ……」
女は納得していない様子だが、エレナは確信していた。
グラングラッドは魔王とは違う魔物の国と手を組めるのではと画策するだろうし、ウーンネーラも未知の魔術を調べるために現地へ向かいたがっているはずである。
ゆえに、他の国から指摘されても言い逃れできる方法を画策するだろう。
アーレンハイトも黙って見ながら手を拱いているわけにはいかない。
漠然とした情報だけは星を読む星辰によって得られるが、カランドラのように強力な遠見の魔術は持っていないため、誰かを送らなければ分からないのだ。
「ディルアーゼル、リフェリス、ついでにラドル公国。これらが今現在どのように魔物の国と関わっているかも調べてもらいたいのです」
「さすがにそこまで大々的には動けないと思いますが……」
「できる範囲で構いません。私がレスティア大陸に送って目を付けられない可能性があるのは貴女しかいないのです。どうか……どうかお願いいたします。――“花冠”の勇者、アルア・セレスタ」
そう呼ばれた、金木犀色の髪を菫と百合の花飾りでシニョンに纏めた元リフェリス王国の勇者であり、アルドウィン・リフェリの娘であるアルアは、困ったように眉を寄せながらも渋々頭を下げた。
「分かりました。私も、故郷が心配な気持ちはありますし」
「まあ! ありがとうアルア、私の大切なお友達」
ぱっと顔を華やかせ、エレナはアルアへ飛びつくように抱きついた。
困り顔のアルアは真っ直ぐなエレナの気持ちを受け取って照れたように頬をかきながら、心の奥で懐かしい故郷に思いを馳せる。
エレナは、壁際に置かれた彫像を見ながら口元だけを笑顔とは違う歪な形に変えた。
(アルマ様、どうかお見守りください。貴方の子が……悪しき女神の産み落とした災いを誅する様を)
エステルドバロニアに忍び寄る、新たな火種。
カロンの安息は、まだまだ先のようであった。
書籍二巻が7月29日に発売。
コミカライズ一巻が7月27日に発売となります。
是非お買い求めいただけたら幸いです。